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『岬。ねぇ岬。聴こえてる? そろそろ気づいてくれてもいい頃合いじゃないかしら』
脳の神経を爪で弾くような声。内側にのみ、響く声。例によって厘の手料理を平らげた後、洗い物の最中に岬は久しくその感触を味わった。
「う……っ」
『聞いていた通り、あなたは入りやすかったわ。それに、聴こえるのよね?この声が』
聴こえている。少し嗄れた高い声。鼓膜を介さず、脳に直接通ずる音。岬は手を湿らせたまま額を押さえた。
ここ最近は収まっていたのに……どうして今になって。
「岬」
蛇口の水を止めたのは厘だった。
「洗い物はあとでいい。一旦休め」
彼はいつになく真剣な瞳で貫く。岬はその言葉に従って、年季の入った座椅子に腰を下ろした。
「そろそろ来るとは思っていたが……案外早かったな」
「……?」
「岬、すこし触れるぞ」
素っ頓狂な声をあげる間もなく、影が掛かる。厘が軽く、覆い被さったからだ。
「り、厘……」
至近距離。慌てふためく岬に対して、彼は無言を貫いている。そのまま口を開くことなく、額に触れた。
「……っ」
彼の薄い掌は、冷たいのに心地良い。細いのに骨張っているわけではない指も、安堵を誘う。しかし、吐息がかかりそうな距離にはどうにも身が持たない。
……持たないよ、厘。
岬は早鐘を打つ心音に体を熱せられながら、強く目を瞑った。