「誰であろうと、お前に会えて良かったなど、俺は思わない。早く岬から出ろよ———この阿婆擦れ」
ドスの低い声が鼓膜を揺さぶる。視界を閉ざされた岬にも、彼の焦燥感は手に取るように解った。
しかしきっと、彼女は自ら出ていこうとはしない。………私が、追い出すしか方法はない。
「えぇ~、そんなこと言わずにさぁ。そうだ!じゃあ、少し昔話でもしようか。一緒にここ座ってさぁ」
昔話。岬は意識の淵で開いていた瞳を閉じ、懸命に記憶を辿った。陽だまりのような母の体温、初めてこの場所に来たときの匂い———きっと、五感が覚えている。どんなに遠く、小さい頃の記憶でも。
「お前、岬の中の奴と知り合いなのかよ」
「さぁな……ただこのタイミング、この場所……思い当たる節はある」
厘がそう答える間にも、雨粒は少しずつ大きくなっていく。その影響か、右隣に近づく厘の気配は濃くなった。地面に打ち付ける雨の音が、人肌に打ち付ける音に変わったことを知らせてくれた。
岬は五感を研ぎ澄ます。自分を穢すためのトリガーは、そこにあるような気がした。
「お前、あれからもずっと此処に棲みついていたのか。地縛霊」
厘の声は針のように躰の中心を貫く。しかし操る主は、動揺の色ひとつ見せなかった。