———『大丈夫。私が必ず救ってあげるから』


当時の出来事には、概ね霧がかかっている。しかし、声と纏っていた着物だけは、解像度を高くして脳裏に浮かんだ。


———『お母さん、なにしてるの?』


駆け寄る幼子の足音。岬の声は現在(いま)よりも不安定で、舌足らずだった。宇美はその質問には答えず、ただ懸命に鈴蘭を地面から引き抜いた。



長い間。得体のしれない瘴気に侵されていた草花を、宇美は救い出した。



変哲のない河川敷。ざっと見渡しても、同じような草花はいくらでも咲いている。何度も通る人間でさえ、気づくことはなかった。


しかし、ただ散歩に訪れただけの親子が、枯れ果てる寸前の運命を廻した。新しい居場所を与えた。


───『あなたは特別なんでしょう?ねぇ、リリィ』


彼女は、着物を湿った土で汚していた。構うことなく、泥まみれになった手で草花を持ち上げ、太陽に翳した。その声は、曇天のもとに差す陽だまりのようだった。




「宇美、俺はどうすればいい」


微睡みのなか、厘は天に向かい馳せる。


「あいつを……岬を、俺にくれないか」


そして、この世で一番愛しい娘を浮かべながら、緩やかに目を閉じた。