「こちらが銘悠にございます」
妖流がそう言った後ろには、驚きを隠せないでいる表情をした少女が立っていた。
清蘭は息を呑んだ。
先ほどの娘たちのように髪は結われておらず、光沢のある黒色を放って腰まで伸びているし、服装も随分と質素なものだった。
長い前髪から見える瞳も、漆黒と鉛色を混ぜたような、闇深い色合いだった。
けれども、だ。その奥に、彼女を染めてしまった闇の奥には、どんな宝石よりも負けない光がある。
そう、感じ取った。
清蘭の魂が訴える。心臓が高鳴る。
ああ、彼女だ、と。
彼女こそ、自分が探していた人だ、と。
「銘悠、こちらは皇帝様よ」
「皇帝、様……?」
何故自分のところに皇帝様が来るのか?
そんな疑問に満ちて、でも自分で分かるわけでもなく、銘悠は瞳を見開く。コテンと首を傾げる。
清蘭は、そんな日常の一環に過ぎない仕草に心を奪われた。
(なんて、なんて愛おしいんだ)
彼の心臓はドクドクと激しく脈打つ。
やはり彼女だったのだ。ようやく会えた。
その言葉が喉まで出かかって、すんでのところで抑える。
そして、銘悠に向けて微笑んだ。
「お前が銘悠という名の娘か?」
「……」
「こらっ、しっかり答えなさい」
妖流が声を荒げて彼女の肩を叩く。
すると、銘悠はゆっくりとした動作で、しかし滑らかに体を使って礼をした。
「はい、そうでございます」
鈴を転がしたような声に、一瞬のことながら清蘭は聞き入ってしまう。
彼女の声は妖流と違い、透き通った美しさがあるにも関わらず、誰かを支配するような毒などではなく光へ導いてくれるような優しさがあった。
「あの……何故皇帝様が私のことをお呼びしたのでしょうか?」
「銘悠!無駄口を叩くのではありません」
「いや、構わん。それに、確かに気になるであろう」
清蘭は二人をなだめてから、銘悠に向き合う。
「お前を、私の後宮の妃に迎え入れようと思うのだ」
「えっ、わ、私を後宮に……それも、妃に……っ!?」
「ああ。そして後宮で暮らして欲しい」
「えっと……それは、どういうことで……?」
銘悠は頭の理解が追いつかなかった。
あり得ない。皇帝様は一体何を仰っているんだろう?
「どういうことも何も、そのままの意味だ」
皇帝様は柔らかく笑う。その表情に、偽りや騙しは見えなかった。つまり、本心からそう思っているとのこと。
誰かの陰謀か、自分をおとしめる罠を疑っていた銘悠はますます混乱する。
「本当に、この娘で良いのですね?」
妖流が念を押すように言う。
その言葉を聞いた途端、銘悠はバッと顔を上げて彼女を見つめた。
何故この人はこんなことを言うんだろう?
まるで私が後宮に行くことを許しているようではないか。
何の役にも立たない私を、この人が後宮に送り出すはずがない。
私を虐げていたこの人が、私を皇帝様の元に送り出すことなんて許さないはずなのに。
目の前で何が起こっているのか、妖流や清蘭が何を考えているのか。
銘悠には知る術がなかった。
観覧の渦に置き去りにされた銘悠を他所に、二人は会話を続ける。
「ああ。私が探していたのは間違いなくこの娘だ」
「ふふっ。皇帝様は先ほどからそればっかり。よほどこの子が欲しいようですね」
「そうだな。少なくとも、私の魂は喉から手が出るほど望んでいる」
妖流のからかいさえも受け入れてしまう清蘭の心は、全てが銘悠に持ってかれていた。彼女を見た時から、いや、彼女がここにいると知ってから。
(彼女を手に入れるためにはどんな手を使っても構わない)
そんな熱い想いが、彼の中で燃えている。
「では、どうぞこの子を連れなさって下さい。後悔して追い返しても遅いですからね」
「ははっ、そのようなことには神に誓っても至らないから安心しろ」
二人は笑った。だが、その笑顔にはまた別の顔を隠している。
傍観していた銘悠は、そんなことを思った。
「では、銘悠」
不意に清蘭が彼女の名を口にする。
「えっ、あ、はい……」
「行くぞ」
「え、行くって……?」
「後宮に決まっているだろ。今日からお前は私のものだ」
皇帝様のものって……。彼は独占欲が強いのか、と銘悠は心の中で苦く笑った。
突然呼び出されたかと思えば、皇帝様の目の前に出され、挙げ句の果てに後宮へ招かれる。
一体神はどういう吹き回しでこんな運命を運んできたのだろう?
銘悠には、清蘭の言っていることにまだ現実味を感じていなかった。
そして、それは清蘭自身も承知している。
彼はスッと手を差し出した。悶々と考え込んでいた銘悠は、清蘭の手に思考を止めて、顔を上げた。
清蘭は満月が微笑んだような表情で、銘悠を真っ直ぐに見つめる。
彼女は清蘭の顔と手を行ったり来たり眺めて、やがて、恐る恐るその手を取った。
暖かい。そう、銘悠は思う。
心が落ち着く温もりが、流れてくる。
ドクン、と銘悠はの心臓が突然跳ねた。その瞬間、彼女の脳内に「何か」が浮かんだ。
桜の木の下、花びらが舞う空を背景に、誰かが自分に手を出している。
それは、覚えのない記憶。私の中にあるのに、身に覚えがないようなもの。
だけど、無性に懐かしい。
銘悠は繋いだ手をじっと見つめる。
何だろう。いつか、こんな気持ちを感じたことがあった気がする。
彼女はその感覚の意味が知りたくなった。けれども、まだ自分では分からない。
「では行くぞ」
清蘭はくるりと踵を返して歩き出した。
「え、あっ……」
待って下さい、と言う隙も与えず、彼は銘悠の手を引っ張っていく。彼女は困り果てた顔をするも、清蘭に従うしかなかった。
何気なく、背後を振り返る。
妖流は、銘悠を連れて立ち去る清蘭を止めることもなく、ただ見つめていた。そして、銘悠が振り返ったことに気づくと、微笑みを讃えて手を振る。
銘悠は背筋に寒気が走った気がした。
私を嫌っていた人が、後宮に行く見送りで笑顔を浮かべるなんて……。そう思うと、何とも言えない恐怖が押し寄せてきたのだ。
ここから離れられるのは良かった。
彼女は心底安心し、清蘭に連れられるまま宮を後にした。
妖流がそう言った後ろには、驚きを隠せないでいる表情をした少女が立っていた。
清蘭は息を呑んだ。
先ほどの娘たちのように髪は結われておらず、光沢のある黒色を放って腰まで伸びているし、服装も随分と質素なものだった。
長い前髪から見える瞳も、漆黒と鉛色を混ぜたような、闇深い色合いだった。
けれども、だ。その奥に、彼女を染めてしまった闇の奥には、どんな宝石よりも負けない光がある。
そう、感じ取った。
清蘭の魂が訴える。心臓が高鳴る。
ああ、彼女だ、と。
彼女こそ、自分が探していた人だ、と。
「銘悠、こちらは皇帝様よ」
「皇帝、様……?」
何故自分のところに皇帝様が来るのか?
そんな疑問に満ちて、でも自分で分かるわけでもなく、銘悠は瞳を見開く。コテンと首を傾げる。
清蘭は、そんな日常の一環に過ぎない仕草に心を奪われた。
(なんて、なんて愛おしいんだ)
彼の心臓はドクドクと激しく脈打つ。
やはり彼女だったのだ。ようやく会えた。
その言葉が喉まで出かかって、すんでのところで抑える。
そして、銘悠に向けて微笑んだ。
「お前が銘悠という名の娘か?」
「……」
「こらっ、しっかり答えなさい」
妖流が声を荒げて彼女の肩を叩く。
すると、銘悠はゆっくりとした動作で、しかし滑らかに体を使って礼をした。
「はい、そうでございます」
鈴を転がしたような声に、一瞬のことながら清蘭は聞き入ってしまう。
彼女の声は妖流と違い、透き通った美しさがあるにも関わらず、誰かを支配するような毒などではなく光へ導いてくれるような優しさがあった。
「あの……何故皇帝様が私のことをお呼びしたのでしょうか?」
「銘悠!無駄口を叩くのではありません」
「いや、構わん。それに、確かに気になるであろう」
清蘭は二人をなだめてから、銘悠に向き合う。
「お前を、私の後宮の妃に迎え入れようと思うのだ」
「えっ、わ、私を後宮に……それも、妃に……っ!?」
「ああ。そして後宮で暮らして欲しい」
「えっと……それは、どういうことで……?」
銘悠は頭の理解が追いつかなかった。
あり得ない。皇帝様は一体何を仰っているんだろう?
「どういうことも何も、そのままの意味だ」
皇帝様は柔らかく笑う。その表情に、偽りや騙しは見えなかった。つまり、本心からそう思っているとのこと。
誰かの陰謀か、自分をおとしめる罠を疑っていた銘悠はますます混乱する。
「本当に、この娘で良いのですね?」
妖流が念を押すように言う。
その言葉を聞いた途端、銘悠はバッと顔を上げて彼女を見つめた。
何故この人はこんなことを言うんだろう?
まるで私が後宮に行くことを許しているようではないか。
何の役にも立たない私を、この人が後宮に送り出すはずがない。
私を虐げていたこの人が、私を皇帝様の元に送り出すことなんて許さないはずなのに。
目の前で何が起こっているのか、妖流や清蘭が何を考えているのか。
銘悠には知る術がなかった。
観覧の渦に置き去りにされた銘悠を他所に、二人は会話を続ける。
「ああ。私が探していたのは間違いなくこの娘だ」
「ふふっ。皇帝様は先ほどからそればっかり。よほどこの子が欲しいようですね」
「そうだな。少なくとも、私の魂は喉から手が出るほど望んでいる」
妖流のからかいさえも受け入れてしまう清蘭の心は、全てが銘悠に持ってかれていた。彼女を見た時から、いや、彼女がここにいると知ってから。
(彼女を手に入れるためにはどんな手を使っても構わない)
そんな熱い想いが、彼の中で燃えている。
「では、どうぞこの子を連れなさって下さい。後悔して追い返しても遅いですからね」
「ははっ、そのようなことには神に誓っても至らないから安心しろ」
二人は笑った。だが、その笑顔にはまた別の顔を隠している。
傍観していた銘悠は、そんなことを思った。
「では、銘悠」
不意に清蘭が彼女の名を口にする。
「えっ、あ、はい……」
「行くぞ」
「え、行くって……?」
「後宮に決まっているだろ。今日からお前は私のものだ」
皇帝様のものって……。彼は独占欲が強いのか、と銘悠は心の中で苦く笑った。
突然呼び出されたかと思えば、皇帝様の目の前に出され、挙げ句の果てに後宮へ招かれる。
一体神はどういう吹き回しでこんな運命を運んできたのだろう?
銘悠には、清蘭の言っていることにまだ現実味を感じていなかった。
そして、それは清蘭自身も承知している。
彼はスッと手を差し出した。悶々と考え込んでいた銘悠は、清蘭の手に思考を止めて、顔を上げた。
清蘭は満月が微笑んだような表情で、銘悠を真っ直ぐに見つめる。
彼女は清蘭の顔と手を行ったり来たり眺めて、やがて、恐る恐るその手を取った。
暖かい。そう、銘悠は思う。
心が落ち着く温もりが、流れてくる。
ドクン、と銘悠はの心臓が突然跳ねた。その瞬間、彼女の脳内に「何か」が浮かんだ。
桜の木の下、花びらが舞う空を背景に、誰かが自分に手を出している。
それは、覚えのない記憶。私の中にあるのに、身に覚えがないようなもの。
だけど、無性に懐かしい。
銘悠は繋いだ手をじっと見つめる。
何だろう。いつか、こんな気持ちを感じたことがあった気がする。
彼女はその感覚の意味が知りたくなった。けれども、まだ自分では分からない。
「では行くぞ」
清蘭はくるりと踵を返して歩き出した。
「え、あっ……」
待って下さい、と言う隙も与えず、彼は銘悠の手を引っ張っていく。彼女は困り果てた顔をするも、清蘭に従うしかなかった。
何気なく、背後を振り返る。
妖流は、銘悠を連れて立ち去る清蘭を止めることもなく、ただ見つめていた。そして、銘悠が振り返ったことに気づくと、微笑みを讃えて手を振る。
銘悠は背筋に寒気が走った気がした。
私を嫌っていた人が、後宮に行く見送りで笑顔を浮かべるなんて……。そう思うと、何とも言えない恐怖が押し寄せてきたのだ。
ここから離れられるのは良かった。
彼女は心底安心し、清蘭に連れられるまま宮を後にした。