気が付くと、莉亜はどこかの竹林の中に倒れていた。数百年に一度しか咲かないと言われている竹の花が一斉に開花して、白く細い花びらが黒い空から落ちて来ていた。

「ここは……?」

 身体を起こして辺りを見渡す。どこまでも竹林が続いており、その先は闇に覆われていた。倒れている間に夜が更けてしまったのだろうか。それにしても花見客どころか人の姿さえ見えないのは不自然だった。泥酔した花見客が居てもおかしくないのに……。

(本当にここはあの公園の中? そもそも竹林なんてあったっけ?)
 
 あの公園には初めて行ったが、花が咲いた竹林があれば嫌でも目立ちそうだった。空気もさっきまでいた公園の山頂よりも澄み渡っているような気がして、到底同じ場所とは思えなかった。
 より神域に近い場所に足を踏み入れてしまったような、そんな不安と緊張が莉亜を支配したのだった。

(誰かいないのかな……。まさか桜の木に頭をぶつけて、死んじゃったなんてことはないよね……)

 持っていたトートバッグもどこかにいってしまい、スマートフォンで現在位置を確認することも、助けを求めて連絡することも出来ない。自力でどうにかするしかなかった。
 莉亜は立ち上がると、何か目印になりそうなものは無いか周囲を探す。すると、竹林の間に点々と青紫色の花が咲いているのを見つけた。星形のような青紫色の花びらに、黄色の雄しべが特徴的な小さな花。確か、花忍(はなしのぶ)という名前だった。
 少し前に花忍について調べたことがあり、その時に「あなたを待つ」といった印象的な花言葉を持っていることを知った。切ない花言葉を持つ花だと思ったことから、覚えていたのだった。そんな花忍が道しるべのように、等間隔に並んでいた。

(私を待っている、ということは無いと思うけど……)

 でももしかすると、この花忍を辿った先に誰かを待つ人がいるのかもしれない。そうしたら、ここがどこで、助けを求めることもできるかもしれない。そんな期待を膨らませると、莉亜は花忍を頼りに歩き始めたのだった。

 花忍の道しるべを辿ると、やがて昔ながらの茅葺き屋根の民家に辿り着く。日本の昔話に出て来そうな佇まいの民家に、つい感嘆の声と共に見惚れてしまいそうになるが、気持ちを抑えると民家の引き戸に向かう。
 数度引き戸を叩いてみたものの、中から返事は無かった。留守にしているのかと思いつつも、試しに引手を掴む。軽く引くと引き戸が開いたので、鍵は掛かっていないようだった。
 意を決すると、莉亜は「ごめんください……」と言いながら、中に入ったのだった。

「どなたかいらっしゃいませんか……?」

 莉亜のか細い声が暗い室内に反響する。暗闇に目が慣れてくると、数席の座敷とカウンターが置かれていることに気付く。もしかすると、ここは民家ではなく店なのかもしれない。営業時間外なのか、それとも今日が偶然定休日だったのか、誰もいないようだが――。

(せめて電話機か地図は置いていないのかな?)

 店の奥に足を踏み入れて、壁際を探していた時だった。指を鳴らしたような音と共に、天井に設置されていた灯りに火が灯された。急に眩しくなった室内に目がついていけず、莉亜は目を瞑ったのだった。

「そこに居るのは誰だ?」

 よく通る爽やかな低い男性の声に、莉亜は飛び上がりそうになる。引き戸の方を向くと、そこには古めかしいデザインをした黒いマントと同色の詰襟の学生服を身につけ、教科書で見たことあるような昔ながらの黒い学生帽を被った男性が立っていたのだった。
 男性の顔は学生帽に隠れて見えなかったが、纏う雰囲気から警戒や怒りを感じた莉亜は、咄嗟に謝罪の言葉を口にする。

「す、すみません! 勝手に入ってしまって……! あの、猫を追いかけて白い光を浴びたら気を失って、気づいたら道に迷ってしまって! 花忍を道なりに来たらここについて、それで……」
「人間か? お前」

 しどろもどろになりながら説明をしていた莉亜だったが、男の声に一度落ち着くと、「はい」と頷く。

「人間ですが……」
「やはりそうか。いや、大したことじゃないんだ。盗難対策で妖避けの術式を施してもらったんたが、何も反応がなかったから確認しただけなんだ。あれは生身の人間には無効だからな」
「そうですか……」
「それで人間がここに迷い込むとは珍しい。誰かに招かれたのか? それとも通行手形を持っていたから、牛鬼(ぎゅうき)の番人に通してもらったのか?」
「すみません。気が付いたら倒れていただけなので、私にも何がなんだかよく分からなくて……。そもそもここはどこですか?」
「ここは神域だ。神とあやかしのみが住まう場所だ」
「神と……あやかし……? 神ってあの神社に祀られている……?」
「そうだ。神の数だけ神域がある。ここは豊穣の神である俺が司る神域だ」
「豊穣の神様……」
「ところで、さっきここに来る途中で荷物を拾ったんだが、もしかするとお前の荷物か? 何やら面妖な代物もあったが……」

 そう言って、神と名乗った男性が掲げたのは莉亜のトートバッグだった。莉亜が「そうです!」と返すと、男性はやはりといった顔をしたのだった。

「中身が飛び散っていたから拾っておいた。……足りないものがあっても文句は言うなよ。先に言っておくが、俺は何も盗んでいない」
「ありがとうございます……」
 
 莉亜は男の元に向かうと、トートバッグを受け取る。すぐに中身を確認すると、猫に盗られたお守り以外は全て揃っているようだった。財布の中もそのままだった。

「全部揃っているようです。ありがとうございま……」

 礼を述べながら、頭一つ半近く背が高い男性を見上げた時だった。男性の顔を見た莉亜は恐怖のあまり声を詰まらせてしまう。真っ青な顔で顔を引き攣らせたからか、男性は不思議そうに首を傾げたのだった。

「どうした?」
「か、か、かお! の、のぺ、のっぺら……!?」