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入浴を終えたカーサリーは平常着を下げ渡され、通秋殿の小部屋へ通された。平常着とはいえ、侍女たちが着る物とは明らかに質が違う。楊麗花と同様に芙蓉の刺繍が施された高位女官用の衣服だった。
着付けが済むと、食事が与えられた。藁で編んだ敷物を床に置き、そこに腰を下ろすと、いくつかの食膳が並べられていく。食膳にはそれぞれいくつもの小鉢が置かれていて、それらはすべて違う料理であった。料理といえば羊肉を焼くか煮るぐらいしか知らなかったカーサリーには豪華すぎる宮廷料理だが、さらにそれには山と積まれた饅頭の皿や花を浮かべた茶まで添えられていた。処刑される身にしてはずいぶんと扱いが良すぎるのではないだろうか。毒でも混ぜてあるのかとカーサリーはさりげなく匂いを嗅いだ。
侍女の明玉がクスクスと笑い出す。
「大丈夫ですよ。なんなら私が毒味してあげましょうか」
「あなたもおなかがすいていますか?」
「そういうわけじゃないけど」と、明玉は饅頭の山を見つめて喉を鳴らした。「私たちはふだんこんなに豪勢なお食事をいただけるわけじゃないのよ」
「処刑前のお慈悲ということでしょうか」
「さあ、私みたいな下っ端の召使いには分からないことだけど、でも、松籟様は何かお考えがあるようだから、食べられるときは食べておいた方がいいわよ」
「では、遠慮なくいただきます」
食事に箸をつけ始めたカーサリーの様子を見て、明玉が微笑む。
「あなたはずいぶん痩せてるから、いっぱい食べて元気にならないと」
実際、食事を口へ運ぶ手は骨が浮き出て小刻みに震え、指が箸のように細い。
「とてもきれいな髪をしているのね」
食事の邪魔になるかと、明玉はカーサリーの背中に回り、金髪を束ね、細長く切った紙で宮廷風に結ってやった。細く柔らかい髪質で、銀の簪ではまとまらない。明玉は三股の竹簪を自らの頭から外して麗花の髪に挿してやった。
「私のでごめんね」
「いえ、ありがとうございます」
異国の娘は味を確かめるように少しずつ口に運んでいる。その様子を見つめているうちに、明玉はいつのまにか食膳の上に身を乗り出していた。
「あら、やだ、私としたことが」
口元を隠しながら笑いでごまかしているが、食欲は隠せなかった。
「よろしかったら、お菓子でもつまみませんか」
カーサリーに勧められて、明玉はさっと饅頭に手を伸ばした。
「ねえ見て、あんこがこんなにぎっしり」
二つに割った饅頭を両方とも一度に口に放り込む。
「んー、夢みたい」
もごもごと頬を動かしながら目尻を下げる明玉にカーサリーもようやく笑みを浮かべた。
と、その時だった。外縁廊下から大勢の足音が聞こえてきた。
「あっ!」と、明玉が胸を押さえる。「松籟様と……、んほっ、御典医様……かも」
饅頭が喉に詰まってみるみるうちに顔が赤くなる。カーサリーは花の浮いたお茶を差し出し、背中をさすってやった。
「あ、ありが……んっ」
明玉は一気にあおると何度も胸をたたきながら肩で大きく息をついて屏風の陰に逃げ込んだ。引き戸が開き、趙夫人と御典医の瑞紹老師が部屋に入ってくる。
「ふむ、食欲はあるようじゃな」
自らの丸い頭をなでつけながら瑞紹は脇の床に腰を下ろした。趙夫人が目配せすると侍女たちが食膳を下げ始める。こっそりと屏風の陰から抜け出してきていた明玉もその一人に加わって何食わぬ顔で部屋を出て行った。あっというまの変化にカーサリーはただ身を固くしているばかりだった。
人払いをした趙夫人は瑞紹に耳打ちした。
「早く診てくださいな」
「まあ、あわてるでない」と、瑞紹はカーサリーの背中に手を回した。「ほれ、おぬし、横になってみなさい」
老医者が床の上に横たわる少女の着物に手を差し入れる。カーサリーは抵抗せず、目を閉じてされるがままに体を投げ出していた。
「まあ、心配はいらん。問題なかろう。肌も焼けて火ぶくれしておるが若いからすぐに治るであろう」
趙夫人は診断を終えた医者の言葉に唇をゆがめながらうなずいた。
「それは何より。では、今宵早速陛下にお披露目するといたしましょう」
皇帝のお手つきとなる娘に傷があってはならない。趙夫人は医者にそれを確かめさせたのだった。
「これ、すまなかったのう」と、瑞紹はカーサリーを抱き起こした。「よく食べることじゃ。そなた良い子を産めるであろうぞ」
視線を合わせて声をかけると、老医者は頬を赤らめる少女の肩に手を置いてよっこらせと立ち上がり、部屋を出て行った。
「あなたこちらへ来なさい」
老医者を見送りながら趙夫人が指でカーサリーを招く。外縁廊下へ出て、夫人の後についていくと、控えていた大勢の女官たちも一斉に移動を始める。通秋殿の表側へ回って連れていかれたのは、広大な庭園に面した広間だった。そこには十人以上が一度に座れる食卓が置かれ、その上には隙間なく先ほどよりもさらに豪勢な食事が並べられていた。趙夫人はカーサリーを椅子に座らせ、顔をのぞき込みながら肩に手を置いた。
「いいですか。栄養をつけるのです。食べられるだけ食べなさい」
状況が飲み込めず視線をさまよわせる少女に女官長はささやきかけた。
「囚人として終わりたくなければ陛下に寵愛される女御となるのですよ」