阿久津は法定速度を守らず、車を走らせていた。一分一秒も無駄にすることが出来ない今。法など守っている場合ではないのだ。
「もっとスピード出せないのか」
「無茶言いうな。俺らが死ぬ」
目的地が山奥なせいか、道路を走ってる車の姿はなく、警察らしい車も一切見当たらなかった。
真夜中である事が功を奏したようだった。
暖房が効き始めた車内は暖かく、倉庫で冷えた体を癒した。
「それより、あれでよかったのか」
赤信号で車が止まった同時に阿久津が訊いてきた。
あれとは、きっとさっきの回し蹴りの事を言っているのだろう。
「あいつはプライドが高く、顔に自信がある男らしい。自分の長所としているところを侮辱されれば、誰だって傷つくし、心が痛むだろ。だからあれでいいんだ」
あいつにどれだけの批判的な言葉を浴びせようとも、無駄だ。ああいう人間は、心がない。
「おっかねー女」
「ふんっ。お前にだけは言われたくないな。なんだあのさっきの下手な芝居。天使にでもなったつもりか」
「客、相手にはいつもああなんだよ。やりたくなくとも、商売なんだから」
生き抜くために、やらなければならない事。
「仕方がない事も、あるんだものな……」
「……そうだな」
青信号に切り替わり、阿久津はアクセルを踏んだ。
神崎の別荘の位置は、阿久津の店のある個人データから場所を割り出した。違法クラブを経営するのは、当たり前にリスクのある事。特に一般客ではなく、神崎のように警察の官僚などを相手にする場合は、店側の情報が漏洩されないように、最善の注意を払わなければならない。阿久津は店の客には、名前や電話番号、自宅などだけではなく、普段、足を運ぶホテル、バー、レストランなど、くまなく把握するようにしている。別荘もその中の一つだ。
自分の地位を利用し、歯向かったり、脅してきた奴がいてもいいように、集めた個人データでもある。阿久津は用心深い男なのだ。
ナビはあと五分ほどで目的地に到着だと言っている。やっとの思いで辿り着いた、青星への道。梢子は下唇を噛みしめた。
梢子が願うのは、ただ青星が無事でいる事、ただ一つ――。
百メートルほど走った先で、阿久津は車を止めた。山の中に佇む別荘は、真夜中のせいか、異様な雰囲気を漂わせていた。
度ゲス野郎の別荘だ、キモくて当然だが、趣味の悪い所だな。
車を降りようとする梢子を阿久津が止めた。
「なんだ」
「神崎同様、憎いのは分かるが、殺すなよ」
「それ、私に言うか?」
梢子は阿久津の胸元あたりを見てそう言った。
「そいつを持っているお前が、勢いで一浪を殺さないことを願うよ」
阿久津は苦笑すると、「そうだったな」と言った。
履いていたフラットシューズを脱ぎ、足の指でドアを開けようとする梢子に対し、阿久津は紳士的な態度をとった。
「私にそういう扱いをしていいのは、青星だけだ」
「そう言わず、降りろ」
梢子は少し間、阿久津を見たが、すぐに靴を履き、車を降りた。
車のフロントガラスの前を通り、梢子の隣に並んだ阿久津。梢子は真っ直ぐに建物を見つめると、一度、阿久津を見た。その視線に気づき、阿久津も梢子を見た。
――絶対に救い出す。
二人は互いにそう言い合うと、別荘の敷地に足を踏み入れた。
神崎は監禁場所としてそこを貸してほしいと一浪に言われた言っていた。青星がいる場所は地下。その一択以外あり得なかった。
広い庭を歩くと、表玄関が見えてきた。阿久津がドアノブを回すと、鍵がかかっていた。阿久津は身に着けていた時計から細い針金のようなものを取り出すと、ドアノブの前に立ち膝になった。
「おいおい、ドラマじゃあるまいし、そんなんで開いたら警察の警備が廃るだろ」
梢子は開くわけがないと踏んでいたが、阿久津はいとも簡単に鍵を開けて見せたのだ。
――カチャッ。
小さくその音がすると、阿久津はどうだと言いたげな顔を梢子に向けてきた。
「マジかよ……」
ドアノブを回し中を覗くと、家の中は暗く静まり切っていた。中に入り長い廊下を進む。カーテンも閉まっておらず、月明かりが家の中を照らしていた。
壁に飾られる家族写真に映る神崎は、立派な夫、優しい父親だった。だがそれも偽りに過ぎない。
リビングと思われる広い空間を通り過ぎると、二階に続く階段と、下の続いている階段があった。
間違いないここだ。分かりやすい監禁部屋で助かった。おかげで探す手間が省けた。
阿久津は上着から拳銃を取り出すと、梢子を見て頷いた。梢子も頷き返し、梢子を前に、二人は地下へ続く階段を下りた。
扉の前に着き、中の様子を窺おうと、梢子はドアの奥に耳を澄ませた。
ダメだ。防音になっているんだ。中の様子は分からない……。
梢子は後ろに振り向き、数段階段を上がった先にいる阿久津に向け、首を横に振った。
阿久津は階段を降り終え、梢子の横に来ると、ドアを思いっきりガンッと叩いた。
「おい……!」
梢子が小声でそう言うと、阿久津は自分の口に人差し指を当てた。
反応を待ったが、特に何も起きない。
「間違いないな。お前の思っている通り、防音だ」
「それもかなりのな」
「こうやって、普通に話しても、俺たちの声は一切中には聞こえていない。青星にとっては、これが不幸な事だっただろうが、俺たちからしたらメリットでしかない。それに、どうやら一浪もこの中にいるらしい」
「ああ」
家の中でこんな大きな物音があっても、ここに誰かが来る様子はない。つまり、阿久津の言う通り、一浪もこの部屋の中にいるという事だ。
ここは地下。中がどういう状況なのか、分かるすべはない。青星を助けるには、正面突破しかないようだ。
阿久津はゆっくりと取っ手に触れた。少しだけ下に下げると、取っ手が動くのが分かった。ここに一浪もいる。二人はそう確信した。
「間宮」
「ああ、覚悟はとうに出来ている」
「死ぬなよ」
「お前もな」
梢子は笑みを浮かべ阿久津にそう言った。
阿久津は取っ手を下げ、扉を開いた――。
「もっとスピード出せないのか」
「無茶言いうな。俺らが死ぬ」
目的地が山奥なせいか、道路を走ってる車の姿はなく、警察らしい車も一切見当たらなかった。
真夜中である事が功を奏したようだった。
暖房が効き始めた車内は暖かく、倉庫で冷えた体を癒した。
「それより、あれでよかったのか」
赤信号で車が止まった同時に阿久津が訊いてきた。
あれとは、きっとさっきの回し蹴りの事を言っているのだろう。
「あいつはプライドが高く、顔に自信がある男らしい。自分の長所としているところを侮辱されれば、誰だって傷つくし、心が痛むだろ。だからあれでいいんだ」
あいつにどれだけの批判的な言葉を浴びせようとも、無駄だ。ああいう人間は、心がない。
「おっかねー女」
「ふんっ。お前にだけは言われたくないな。なんだあのさっきの下手な芝居。天使にでもなったつもりか」
「客、相手にはいつもああなんだよ。やりたくなくとも、商売なんだから」
生き抜くために、やらなければならない事。
「仕方がない事も、あるんだものな……」
「……そうだな」
青信号に切り替わり、阿久津はアクセルを踏んだ。
神崎の別荘の位置は、阿久津の店のある個人データから場所を割り出した。違法クラブを経営するのは、当たり前にリスクのある事。特に一般客ではなく、神崎のように警察の官僚などを相手にする場合は、店側の情報が漏洩されないように、最善の注意を払わなければならない。阿久津は店の客には、名前や電話番号、自宅などだけではなく、普段、足を運ぶホテル、バー、レストランなど、くまなく把握するようにしている。別荘もその中の一つだ。
自分の地位を利用し、歯向かったり、脅してきた奴がいてもいいように、集めた個人データでもある。阿久津は用心深い男なのだ。
ナビはあと五分ほどで目的地に到着だと言っている。やっとの思いで辿り着いた、青星への道。梢子は下唇を噛みしめた。
梢子が願うのは、ただ青星が無事でいる事、ただ一つ――。
百メートルほど走った先で、阿久津は車を止めた。山の中に佇む別荘は、真夜中のせいか、異様な雰囲気を漂わせていた。
度ゲス野郎の別荘だ、キモくて当然だが、趣味の悪い所だな。
車を降りようとする梢子を阿久津が止めた。
「なんだ」
「神崎同様、憎いのは分かるが、殺すなよ」
「それ、私に言うか?」
梢子は阿久津の胸元あたりを見てそう言った。
「そいつを持っているお前が、勢いで一浪を殺さないことを願うよ」
阿久津は苦笑すると、「そうだったな」と言った。
履いていたフラットシューズを脱ぎ、足の指でドアを開けようとする梢子に対し、阿久津は紳士的な態度をとった。
「私にそういう扱いをしていいのは、青星だけだ」
「そう言わず、降りろ」
梢子は少し間、阿久津を見たが、すぐに靴を履き、車を降りた。
車のフロントガラスの前を通り、梢子の隣に並んだ阿久津。梢子は真っ直ぐに建物を見つめると、一度、阿久津を見た。その視線に気づき、阿久津も梢子を見た。
――絶対に救い出す。
二人は互いにそう言い合うと、別荘の敷地に足を踏み入れた。
神崎は監禁場所としてそこを貸してほしいと一浪に言われた言っていた。青星がいる場所は地下。その一択以外あり得なかった。
広い庭を歩くと、表玄関が見えてきた。阿久津がドアノブを回すと、鍵がかかっていた。阿久津は身に着けていた時計から細い針金のようなものを取り出すと、ドアノブの前に立ち膝になった。
「おいおい、ドラマじゃあるまいし、そんなんで開いたら警察の警備が廃るだろ」
梢子は開くわけがないと踏んでいたが、阿久津はいとも簡単に鍵を開けて見せたのだ。
――カチャッ。
小さくその音がすると、阿久津はどうだと言いたげな顔を梢子に向けてきた。
「マジかよ……」
ドアノブを回し中を覗くと、家の中は暗く静まり切っていた。中に入り長い廊下を進む。カーテンも閉まっておらず、月明かりが家の中を照らしていた。
壁に飾られる家族写真に映る神崎は、立派な夫、優しい父親だった。だがそれも偽りに過ぎない。
リビングと思われる広い空間を通り過ぎると、二階に続く階段と、下の続いている階段があった。
間違いないここだ。分かりやすい監禁部屋で助かった。おかげで探す手間が省けた。
阿久津は上着から拳銃を取り出すと、梢子を見て頷いた。梢子も頷き返し、梢子を前に、二人は地下へ続く階段を下りた。
扉の前に着き、中の様子を窺おうと、梢子はドアの奥に耳を澄ませた。
ダメだ。防音になっているんだ。中の様子は分からない……。
梢子は後ろに振り向き、数段階段を上がった先にいる阿久津に向け、首を横に振った。
阿久津は階段を降り終え、梢子の横に来ると、ドアを思いっきりガンッと叩いた。
「おい……!」
梢子が小声でそう言うと、阿久津は自分の口に人差し指を当てた。
反応を待ったが、特に何も起きない。
「間違いないな。お前の思っている通り、防音だ」
「それもかなりのな」
「こうやって、普通に話しても、俺たちの声は一切中には聞こえていない。青星にとっては、これが不幸な事だっただろうが、俺たちからしたらメリットでしかない。それに、どうやら一浪もこの中にいるらしい」
「ああ」
家の中でこんな大きな物音があっても、ここに誰かが来る様子はない。つまり、阿久津の言う通り、一浪もこの部屋の中にいるという事だ。
ここは地下。中がどういう状況なのか、分かるすべはない。青星を助けるには、正面突破しかないようだ。
阿久津はゆっくりと取っ手に触れた。少しだけ下に下げると、取っ手が動くのが分かった。ここに一浪もいる。二人はそう確信した。
「間宮」
「ああ、覚悟はとうに出来ている」
「死ぬなよ」
「お前もな」
梢子は笑みを浮かべ阿久津にそう言った。
阿久津は取っ手を下げ、扉を開いた――。