――もう、何日も、何も口にしていない。何も、見ていない……。今が何時なのかも、何度、日が上り、沈んだのかも分からない。体は鉛のように重く、立ち上がることも出来ない……。体の痛みは何も感じなにのに、心は針が刺さったように痛い……苦しい……悲しい……不安だ……。頭だって痛いし、くらくらする……。俺は、死ぬのか……?
 この三日間、今か今かと脱出するチャンスを窺っていた青星だったが、一浪が青星の前に姿を現す事はなかった。
 どうしてやつは俺の前に姿を現さないんだ。あいつの目的は一体何なんだ。
 ああ……もう……何かを考える気力もなくなってきた……目を閉じて、このまま眠ってしまいたい……
――キイイイッ……
 そこで扉が開いた。
 何かを引きずる音と共に、近づいてくる足音。その音は青星を前にして止まった。
 ま、まぶしい……明かり……?
 目を開けると、そこには大柄な男が立っていた。
「……父さん」
「そうだ。気分はどうだ青星」
「さいあくだよ……」
 ゲホゲホと咳き込む青星。声は掠れ、上手く話せなかった。
「そうかそうか」
 そんな青星を見て、一浪は楽しそうに笑っていた。
「三日、監禁した介があったな」
 一浪はそう言い、持ってきた椅子に腰かけた。部屋の中は明かりが灯っていた。
 この部屋の中には電気スイッチはなかった。部屋の外から明かりを点けられる仕組みになっていたんだ。
 なぜ、一浪がこの三日という期間、青星に一切の接触をしなかったのか。それは、簡単な事だった。
 ――青星の精神的に痛めつける為。
 真っ暗な部屋の中、一切の光がないこの空間に閉じ込め、時間と日付感覚を失わせ、不安と孤独を与えた。食事も水分も取らせず、体力と思考力を奪い、青星に脱出の隙を与えない。体を拘束しなかったのは、青星を見くびっていたわけではなく、微かな希望を与えた上で絶望させた方が、より精神的な傷を負わせることが出来ると思ってからだ。
「お前は母親によく似ている。自分の容姿に嫌気がさすほどに綺麗な顔も、髪も、人を圧倒するほどの頭脳も全部……全部……あいつにそっくりだ」
 一浪は憎いものを見るかのような目で、青星を見下ろしていた。
「だからお前を見ていると、イラつく。俺を置いて行った、あいつを、明日香を見ているようで」
 そうか……分かった……こいつが俺を虐待していた一番の理由は、母さんが居なくなった事。でも……元はお前が母さんにDVをして居た事が原因だ。母さんは、悪くない……。
 青星の母親である七瀬明日香(あすか)は容姿端麗、頭脳明晰の才色兼備な女性だった。美人だが気取らず、優しい明日香は、誰からも好かれる存在だった。ただ、家柄だけは恵まれず、幼い頃からお金に困った生活をしていた。両親は幼い時に離婚しており、明日香は父親に引き取られた。だがその父親は明日香が高校生の時に病気で亡くなった。その後はバイトで貯めたお金と奨学金を借り、なんとか大学に進学。そこで、明日香は一浪に出会った。
 明るく、男らしい一浪も、また人気者の一人だった。将来は国を守る仕事に就きたいと言う責任感の強く一浪に、明日香は自然と惹かれていった。その後、一浪のもうアッタクで二人の交際は始まり、大学を卒業後に、子供ができた事が分かり、二人は式は挙げずに、婚姻届のみ提出し夫婦となった。明日香は、けして生活に不安がなかったわけではないが、公務員という安定した職に就いてくれて、何より、頼りになり、子供を愛してくれている一浪を信じていたし、愛していた。
「俺は、確かにあいつを愛していた……」
 しかし、青星が生まれ、三年ほど経った時だった。一浪が仕事で怪我をして、もう現役の軍人としてはやっていく事が出来なくなってしまったのだ。親子三人。明日香は青星の子育てで精一杯。頼みの綱は一浪だった。もしろん、保険金などは出た。しかし、人一倍、仕事に誇りを持っていた一浪は、軍人として使い物にならなくなった自分が許せなかったのだ。
 一浪は絶望し、家にこもる日々。束縛が強い一浪は、自分が代わりに働きに出るという明日香の言葉を受け入れなかった。そのうち、現実を忘れようと、酒やギャンブルに溺れ、毎月の生活資金のほとんどを使う始末。明日香は頭を抱えた。
「あいつは言った。もうこんな生活は終わりにしたいと、青星のためにも、ちゃんと生きてと。でも、俺はまともに生きるどころか、自分の未熟さや情けなさを全てあいつのせいにした」
 一浪は明日香に暴力を振るうようになり、家族は完全に崩壊していった。
 そして、ある晩の事だ。一浪が家にいない隙に、明日香は家を出た。幼い青星を一人、家に残し。
 今でも覚えている。あの日、俺は家を出っていた母さんを裸足で追いかけたんだ。
 ――どこに行くの?
 と。
 すると母さんは、目に涙を溜め、傷だらけの顔で、いつもの笑みを浮かべて言ったんだ。
 ――青星。あなたは何も悪くない。悪いのは、全部母さんよ。
 と。
 そして俺を力強く抱きしめ、
 消えた――。
「心から、愛している」という言葉を残し。
 母さんは俺を愛してくれている。だから俺は、いつか母さんが自分を迎えに来てくれると思っていた。でも、いつになっても、母さんは来なかった。そしていつの間にか、俺は十二歳になっていた。
「お前が生まれたのが間違いだったんだよ……お前さえいなければ、俺は明日香と上手くいっていた……!」
 俺は、生まれてくるべきではなかった? 俺は何のために生きているんだ? 俺の生まれてきた意味は……一体、何だったんだ……??
「お前さえいなければ……!!」
 嘆く一浪。しかし、その声は青星には届かない。
 もう、だめだ……視界が、歪んでいく……何も聞こえない……見えない……
 梢子。俺は……お前との幸せな日々に酔っていただけなのかもしれないな……これが……これが俺の現実だ――。
 一浪は青星の首を掴み上げ、両手で絞めた。
 そうだ……いっそ、このまま死んでしまった方が……――。
「――青星……!!!!」
「貴様、なぜここに……」
 一体、何が起こっているのか。青星には分からなかった。
 ――なんだ……これは……夢か……? 今……あいつの声がした気が……。
うっすらと目を開けると、そこには扉のすぐ近くに梢子らしき人物が立っていた。後ろには、拳銃を一浪に構えた阿久津とおもわしき人物も。
「青星……! 私だ! 梢子だ! よく頑張ったな! 今助けてやるから!!」
 間違いないあの声は……梢子だ――。
 青星は安堵したことから、ついに気を失った。