「パーティー??」
その言葉に、カップから唇を離し、梢子は目の前の相手を見た。
「はい。うちの編集部が今年で、創立八十周年を迎えるんですよ。そのお祝いとして、パーティーをする事になりまして」
「ほぉー」
おんぼろ中小企業会社が八十周年とは、中々にやるな。あの老いぼれ社長は、一体今までどんな手を使ってきたのか、気にならなくもない。
冷めないうちにと、再びカップに口をつけ、コーヒーを飲んだ。ほのかな苦みと甘みが口の中に広がり、梢子は小さな幸せをかみしめた。
ああ、やっぱり、ここのマスターの淹れるコーヒーは最高だな。
梢子は、カウンターにいる、この喫茶店のマスター花田(はなだ)に、コーヒーカップを掲げて、にっこりと笑って見せた。お・い・し・い・よ。と、口パクつきで。
「それで、ぜひうちの看板作家である、間宮先生にも出席していただきたくて」
「パーティーねー……」
「気が乗らないのは分かりますが、こんな時にしか、先生は皆さんにお会いにならないじゃないですか」
担当編集者の牧野(まきの)宗助(そうすけ)は可愛い弟のようなもの。なるべく迷惑をかけたくないし、困らせたくない。でも、わたしにも譲れないものはある。
「パスだな」
「えー! そんなこと言わないでくださいよ。先生に会いたがっている新人さんもいるんですよ!
中には先生に憧れて、うちの編集部に持ち込みした方もいるくらいですし!」
「それはすごいな」
もちろん本心から出た言葉だった。
「でしょ??」
「でもパスだ」
頑なにそう言う梢子に、牧野は首を下げ、うなだれた。そして少し不貞腐れたような顔をして、ぶつぶつと喋り始めた。
「こないだだって、せっかくドラマ化の話がきたのに断っちゃうし」
「まだそれを言うのか」
「だって……! せっかく先生の作品が、もっとたくさんの人に届くチャンスだったのに」
「牧野……」
「僕は先生の作品が大好きです! あんなに人の心に残る物語は、先生にしか書けません……!」
人と真摯に向き合う人間である牧野が発する言葉は、小説家である私をいつだって支えてくれる。
「ありがとう、牧野。お前にそう言ってもらえて嬉しいよ。お前のような読者さえいてくれれば、私は充分だ」
「パーティー、来てくださいよ……」
私は知っている。世界は優しくなんてない。幸せは水のように簡単に零れ落ちる。だから、幸せは、あと少し欲しいくらいが、ちょうどいい。でも、人の幸せは、溢れんばかりにあってほしいと思う。
「分かった。行くよ。パーティー」
牧野は瞳を宝石のようにきらきらと輝かせ、梢子を見てきた。
「梢子ちゃん!!」
「はい、その呼び方はプライベートの時だけの約束でーす」
「え、今は二人だけだからいいじゃん!」
「仕事中でーす」
「えー!!」
そう、人の幸せは、溢れんばかりにある事を願う。
パーティーは来週、華やかな場所の行くようの服なんて持っていない。ショップで買うのは店員と絡んだりしないといけないから面倒だ。ネットでぽちるか。一週間もあれば、間に合うだろう。
コートの中からスマホを取り出し、器用に画面を操作する。いくつかの知っているサイトを一通り見ると、一番着やすそうな服を選んだ。
手がかじかむなー……なんて。
冷たい空の下、息を吐くと白かった。頬は寒さで赤くなっているのだろうか、あまり感覚がなかった。
……今年も、この季節がやってきたか。
足を止め、目を閉じ、あの日の事を考えた。
真っ白な雪に、染まる赤い血――。
必死に呼びかけても、何も答えないあいつ。涙で滲む視界に入った幸せの証――。
まるで昨日の事のように、鮮明に思い出す記憶。
「……」
帰ろう――。
再び歩き出し、空を見上げた。
来週は雪が降るらしいな。幻想的で、美しいだろうに。次回作は、冬をテーマにした作品でも書いてみようか。孤独な少年と、ちょっとばかりわけありなアラサーの話とか? いや、恋愛、恋愛しているのは私らしくないな。
「雪に紛れて、何か降ってこないかなー」
温かさを求めた体は、家へと直行だった。
深々と、深々と、雪が降り積もったのは、それから七日後の事だった。
その言葉に、カップから唇を離し、梢子は目の前の相手を見た。
「はい。うちの編集部が今年で、創立八十周年を迎えるんですよ。そのお祝いとして、パーティーをする事になりまして」
「ほぉー」
おんぼろ中小企業会社が八十周年とは、中々にやるな。あの老いぼれ社長は、一体今までどんな手を使ってきたのか、気にならなくもない。
冷めないうちにと、再びカップに口をつけ、コーヒーを飲んだ。ほのかな苦みと甘みが口の中に広がり、梢子は小さな幸せをかみしめた。
ああ、やっぱり、ここのマスターの淹れるコーヒーは最高だな。
梢子は、カウンターにいる、この喫茶店のマスター花田(はなだ)に、コーヒーカップを掲げて、にっこりと笑って見せた。お・い・し・い・よ。と、口パクつきで。
「それで、ぜひうちの看板作家である、間宮先生にも出席していただきたくて」
「パーティーねー……」
「気が乗らないのは分かりますが、こんな時にしか、先生は皆さんにお会いにならないじゃないですか」
担当編集者の牧野(まきの)宗助(そうすけ)は可愛い弟のようなもの。なるべく迷惑をかけたくないし、困らせたくない。でも、わたしにも譲れないものはある。
「パスだな」
「えー! そんなこと言わないでくださいよ。先生に会いたがっている新人さんもいるんですよ!
中には先生に憧れて、うちの編集部に持ち込みした方もいるくらいですし!」
「それはすごいな」
もちろん本心から出た言葉だった。
「でしょ??」
「でもパスだ」
頑なにそう言う梢子に、牧野は首を下げ、うなだれた。そして少し不貞腐れたような顔をして、ぶつぶつと喋り始めた。
「こないだだって、せっかくドラマ化の話がきたのに断っちゃうし」
「まだそれを言うのか」
「だって……! せっかく先生の作品が、もっとたくさんの人に届くチャンスだったのに」
「牧野……」
「僕は先生の作品が大好きです! あんなに人の心に残る物語は、先生にしか書けません……!」
人と真摯に向き合う人間である牧野が発する言葉は、小説家である私をいつだって支えてくれる。
「ありがとう、牧野。お前にそう言ってもらえて嬉しいよ。お前のような読者さえいてくれれば、私は充分だ」
「パーティー、来てくださいよ……」
私は知っている。世界は優しくなんてない。幸せは水のように簡単に零れ落ちる。だから、幸せは、あと少し欲しいくらいが、ちょうどいい。でも、人の幸せは、溢れんばかりにあってほしいと思う。
「分かった。行くよ。パーティー」
牧野は瞳を宝石のようにきらきらと輝かせ、梢子を見てきた。
「梢子ちゃん!!」
「はい、その呼び方はプライベートの時だけの約束でーす」
「え、今は二人だけだからいいじゃん!」
「仕事中でーす」
「えー!!」
そう、人の幸せは、溢れんばかりにある事を願う。
パーティーは来週、華やかな場所の行くようの服なんて持っていない。ショップで買うのは店員と絡んだりしないといけないから面倒だ。ネットでぽちるか。一週間もあれば、間に合うだろう。
コートの中からスマホを取り出し、器用に画面を操作する。いくつかの知っているサイトを一通り見ると、一番着やすそうな服を選んだ。
手がかじかむなー……なんて。
冷たい空の下、息を吐くと白かった。頬は寒さで赤くなっているのだろうか、あまり感覚がなかった。
……今年も、この季節がやってきたか。
足を止め、目を閉じ、あの日の事を考えた。
真っ白な雪に、染まる赤い血――。
必死に呼びかけても、何も答えないあいつ。涙で滲む視界に入った幸せの証――。
まるで昨日の事のように、鮮明に思い出す記憶。
「……」
帰ろう――。
再び歩き出し、空を見上げた。
来週は雪が降るらしいな。幻想的で、美しいだろうに。次回作は、冬をテーマにした作品でも書いてみようか。孤独な少年と、ちょっとばかりわけありなアラサーの話とか? いや、恋愛、恋愛しているのは私らしくないな。
「雪に紛れて、何か降ってこないかなー」
温かさを求めた体は、家へと直行だった。
深々と、深々と、雪が降り積もったのは、それから七日後の事だった。