◇
時は少しさかのぼる。
「っくしゅん!」
ガタガタの木戸の隙間から冷たい風が吹き込んで、朝餉の薄粥を食べ終えたばかりの丹華は細い肩を震わせた。
丹華は緋祥国の公主、つまり皇帝の血を引く姫君である。――といっても、実の父である先帝は五年前に崩御し、現在は腹違いの弟が即位しているため正確な肩書きは長公主という。
「もう秋も終わりね……」
花頭窓から見える庭の木々はちらほらと黄や紅に色づきはじめている。中秋節からひと月が過ぎ、ここ数日で朝晩がぐっと冷え込むようになった。
「せめて窓や戸の建付けだけでも直してもらえないんでしょうか」
「無理無理。建物の整備は尚寝局の管轄でしょう。後宮の六局はすべて皇太后さまが掌握しておられるもの。わたしの要望が通りっこないわ」
侍女の詩詩が沸かしてくれた白湯をすすり、丹華はあきらめ顔で首を左右に振った。
ここは後宮のはずれにある香華宮。丹華の住まいだ。
建物の名前は大層だが、老朽化がひどくところどころガタがきている。室内は物が少なくがらんとしており、侍女は詩詩ひとりしかいない。
近ごろ後宮すべての建物の大改修が行われたばかりで、ひときわ古いこの香華宮も職人の手が入って屋根の雨漏りや壁のひびが直されるはずだった。「これで冬の隙間風に震えなくてすむわね」と、丹華と詩詩は手を取り合って喜んだものだ。
ところが蓋を開けてみれば、直されたのは外観の塗装だけ。その結果、香華宮は外から見ると派手派手しいのに中はボロのまま、というなんともちぐはぐな状態になってしまった。
十中八九皇太后の差し金である。
「あのクソ皇太后、いつか罰が当たりますわ!」
「そんな言葉、誰かに聞かれたら大変よ? いいのよ。『嫁き遅れの呪われ公主』に余計な費用を割く必要はないわ」
世間の風評を持ち出して、丹華は自嘲気味に笑った。
丹華は現在二十二歳。弟の代になっても未婚のまま後宮に留まっている公主は丹華ただひとりだ。
この国では公主含め女は遅くとも十七までに嫁ぐのが通例なので、二十を超えた丹華は完全な「嫁き遅れ」というわけである。
あっけらかんと白湯に口をつける丹華に対し、年上の詩詩はぎりぎりと己の衣の袖を噛みしめた。
「嫁き遅れだなんて……! 丹華さまはこれだけお美しいんですもの。邸のことだけでなく、もっと着飾るべきですわ」
「皇太后さまの機嫌を損ねて、お母様の形見を奪われたり食事に毒を盛られるのはもうこりごり。地味に過ごすに限るわ」
これまで受けた嫌がらせの数々を思い出して、ハァ、とため息をつく。
「皇太后さまったら、またわたしの嫁ぎ先を探してるらしいの。早くわたしを後宮から追い出したいけど、結婚して幸せになられるのは許せないみたい。だからできるだけみじめで屈辱的な相手を探しているんですって」
まったく失礼な話である。丹華にも、丹華の婿に選ばれる相手にも。
しかし皇帝の名で宣旨が下されてしまえば、丹華は従うしかなくなる。
「……やはり出家するしかないかしら……」
最後のつぶやきは、詩詩にも聞こえぬくらいの小声だった。
実はこれまで、丹華には三度の縁談があった。公主として生まれた以上、丹華は相手が誰であろうと粛々と従う覚悟でいた。
だがなぜか、いざ縁談がまとまって降嫁しようとした途端、相手がみな不幸な目に遭うのだ。
一度目の相手は当時の尚書令の長男だった。だが突然父親が失脚し、連座で責任を取らされた。父帝は信頼していた家臣に裏切られた心労が大きかったのか、この後すぐに亡くなってしまった。
二度目の相手は言葉も通じぬ蛮族の王で、落馬が原因で亡くなった。
三度目の相手は三十も年上の地方の県令だったが、丹華が輿入れのために禁城を発ったその日に火事で全財産を失った。しかも消し炭になった邸宅から横領の証拠だけが燃えずに出てきたというおまけつき。
ここまで不幸がつづくと、「丹華長公主は呪われているのではないか」という噂がまことしやかにささやかれはじめた。
ただでさえ丹華は皇太后に嫌われている。皇帝はまだ御年十二歳で、生母である皇太后がこの国の実権を握っているから、彼女に疎まれている丹華を進んで娶ろうという男が現れるはずもなく――。
そこに呪いの噂が追い打ちとなって、丹華は完全に嫁ぎ先を失ってしまった。
こうして、今も丹華長公主は弟帝の妃嬪たちが住まう後宮の隅で暮らしているのである。
「せめて冬に備えてあたたかいお召し物だけでも新調なさいませんか」
「今年は長雨で農作物が不作だったから、民はみんな苦しんでいるの。わたしひとりが贅沢するわけにはいかないわ」
皇太后が好き勝手に血税を使うせいで、弟帝は民から暗愚と呼ばれているそうだ。
丹華ひとりが節制したところで後宮が――あるいはこの城全体が浪費をやめねば意味がない。わかっているのに、やめさせるだけの力がないことが心苦しかった。
「そろそろ掃除の時間だわ。詩詩は室内をお願いね。わたしは庭と畑の様子を見て、ついでに棲鳳宮も掃き掃除してくるわ」
「主上の姉君が畑を作って自給自足の上に掃除までなさるだなんておいたわしい……」
詩詩の嘆きはもっともだが、丹華は土いじりも掃除もそれほど嫌いではない。暗い気持ちを切り替えて、ほうきを手に外へ出た。
丹華の黒髪は粗末な環境に置かれてもなお艶を失わない。つぶらな瞳に可憐な唇、薄紅色の頬は名の由来である月季花のように愛らしく、にこりと微笑めば彼女を齢より幼く見せた。
きちんと化粧をして着飾れば、「桃花の精」と喩えられた母以上の美姫になるに違いないのに……と詩詩は常々嘆いている。
もっとも、先帝の寵愛を独占していた母に似ているせいで、皇太后から恨まれてしまっているのだが。
丹華の母は皇太后にとって憎き恋敵だった。その憎悪は母が亡くなってからも消えることなく、そのまま娘の丹華へ向けられた。父帝が病に伏せたころから嫌がらせは悪化し、幼い息子を帝位に就けてからは害意を隠そうともしなくなった。
(なぜか、命にかかわるような目にだけは遭ったことがないんだけどね)
実のところ、毒や間者で暗殺を試みられた回数は両手では数えきれない。なのになぜか、それらの目論見はいつも必ず露見し、失敗に終わっていた。まるで不思議な力に護られているように――。
(鳳凰さまのご加護かもしれないわね)
慣れた手つきで香華宮の庭を掃き終えた丹華は、ほうきを片手に後宮の北へ向かった。
鬱蒼と茂る木々を掻きわけ、もはや段通といってもいいくらい降り積もった梧桐の落ち葉の向こうに、広い石造りの堂がある。
どこか厳かな雰囲気を持つその建物は、名を棲鳳宮という。
かつてこの国に神鳥たる鳳凰が現れた。鳳凰はその羽ばたきで、豊かな実りを地にもたらしたのだという。鳳凰の導きを得た初代皇帝は、鳳凰がこの緋祥国に長くとどまることを願って後宮に神のための住まいを設けた。それがこの棲鳳宮である。
ところが後宮の北のはずれにあるこの堂、近ごろあまり手入れされていない。別の場所に立派な鳳凰殿が建てられたから棲鳳宮はお役御免ということらしいのだが、庭や池も荒れ放題なのを見かねた丹華が時折掃除している。
丹華が池の落ち葉をほうきで岸に寄せていると、周囲の小鳥たちが集まってきた。
「ちゃんと餌をあげるから、そこに植えた麦の種は食べてはだめよ」
用意していた餌をまいてやると、小鳥たちは一斉についばみはじめた。言い聞かせが通じているのかは定かではないが、横の麦畑に小鳥たちは立ち入らない。
ふと空を見上げると、堂の陰から赤い鳥が一羽飛んできて、丹華の頭上を舞うように旋回した。
「あらピーちゃん、ごきげんよう」
ピーちゃんはこの棲鳳宮を寝床にしている美しい鳥だ。大きさは鵯くらいで、他のどの鳥とも姿かたちが違う。全体的に赤みがかっていて尾羽は長く、翼の内側は光の角度によって五色に輝いて見える。
音もなく丹華の腕に下り立ったピーちゃんは、手のひらをくちばしでつついて黒っぽい小石のようなものを数粒置いた。何かの種だ。
「まあ、くれるの? いつもありがとう。早速明日庭に植えてみるわ。どんな花が咲くかたのしみね」
微笑む丹華の面前で、ピーちゃんは大きく翼を広げてみせた。「とっても綺麗だわ」と褒めると、なんだか誇らしげだ。
「ふふ、あなたがくれた種から増やした麦、もしかしたらこの国の救いになるかもしれないわ。明日、工部侍郎に取れた麦を見せる約束をしているのよ」
ピーちゃんはよく、どこからか植物の種を運んできて丹華にくれる。一度だけ大きな宝石をくわえてきたこともあって、さすがにその時は困ってしまったけれど。
もらった種はいつも香華宮の庭に植えている。後宮では見られない花が咲いたり不思議な味の実がなったりと、四季折々の草花は丹華をたのしませた。その中のひとつが、麦の種だったのだ。
ピーちゃんのもたらした麦は暑さ寒さに強く、毎年立派な穂を実らせた。そのうち香華宮では手狭になってしまって、今は棲鳳宮の庭の隅を間借りして麦を育てている。今年は雨期が長引き国内の穀類が大不作だったにもかかわらず、ここに植えられた麦は枯れることなく元気に育った。
そこで丹華は考えたのだ。天候不順に強いこの麦の作付けを増やせば、民の助けになるのではないかと。
工部は国内の農墾や水利を担っている。その次官にあたる侍郎の李氏とは、以前から面識があった。
(もちろん、そう調子よく進むかはわからないけど……わたしも国のために、何かできることをしたいから)
この件を見届けたら、出家して道観で民の幸せを祈りながら暮らそう――。
丹華は密かに決意を固めつつあった。
時は少しさかのぼる。
「っくしゅん!」
ガタガタの木戸の隙間から冷たい風が吹き込んで、朝餉の薄粥を食べ終えたばかりの丹華は細い肩を震わせた。
丹華は緋祥国の公主、つまり皇帝の血を引く姫君である。――といっても、実の父である先帝は五年前に崩御し、現在は腹違いの弟が即位しているため正確な肩書きは長公主という。
「もう秋も終わりね……」
花頭窓から見える庭の木々はちらほらと黄や紅に色づきはじめている。中秋節からひと月が過ぎ、ここ数日で朝晩がぐっと冷え込むようになった。
「せめて窓や戸の建付けだけでも直してもらえないんでしょうか」
「無理無理。建物の整備は尚寝局の管轄でしょう。後宮の六局はすべて皇太后さまが掌握しておられるもの。わたしの要望が通りっこないわ」
侍女の詩詩が沸かしてくれた白湯をすすり、丹華はあきらめ顔で首を左右に振った。
ここは後宮のはずれにある香華宮。丹華の住まいだ。
建物の名前は大層だが、老朽化がひどくところどころガタがきている。室内は物が少なくがらんとしており、侍女は詩詩ひとりしかいない。
近ごろ後宮すべての建物の大改修が行われたばかりで、ひときわ古いこの香華宮も職人の手が入って屋根の雨漏りや壁のひびが直されるはずだった。「これで冬の隙間風に震えなくてすむわね」と、丹華と詩詩は手を取り合って喜んだものだ。
ところが蓋を開けてみれば、直されたのは外観の塗装だけ。その結果、香華宮は外から見ると派手派手しいのに中はボロのまま、というなんともちぐはぐな状態になってしまった。
十中八九皇太后の差し金である。
「あのクソ皇太后、いつか罰が当たりますわ!」
「そんな言葉、誰かに聞かれたら大変よ? いいのよ。『嫁き遅れの呪われ公主』に余計な費用を割く必要はないわ」
世間の風評を持ち出して、丹華は自嘲気味に笑った。
丹華は現在二十二歳。弟の代になっても未婚のまま後宮に留まっている公主は丹華ただひとりだ。
この国では公主含め女は遅くとも十七までに嫁ぐのが通例なので、二十を超えた丹華は完全な「嫁き遅れ」というわけである。
あっけらかんと白湯に口をつける丹華に対し、年上の詩詩はぎりぎりと己の衣の袖を噛みしめた。
「嫁き遅れだなんて……! 丹華さまはこれだけお美しいんですもの。邸のことだけでなく、もっと着飾るべきですわ」
「皇太后さまの機嫌を損ねて、お母様の形見を奪われたり食事に毒を盛られるのはもうこりごり。地味に過ごすに限るわ」
これまで受けた嫌がらせの数々を思い出して、ハァ、とため息をつく。
「皇太后さまったら、またわたしの嫁ぎ先を探してるらしいの。早くわたしを後宮から追い出したいけど、結婚して幸せになられるのは許せないみたい。だからできるだけみじめで屈辱的な相手を探しているんですって」
まったく失礼な話である。丹華にも、丹華の婿に選ばれる相手にも。
しかし皇帝の名で宣旨が下されてしまえば、丹華は従うしかなくなる。
「……やはり出家するしかないかしら……」
最後のつぶやきは、詩詩にも聞こえぬくらいの小声だった。
実はこれまで、丹華には三度の縁談があった。公主として生まれた以上、丹華は相手が誰であろうと粛々と従う覚悟でいた。
だがなぜか、いざ縁談がまとまって降嫁しようとした途端、相手がみな不幸な目に遭うのだ。
一度目の相手は当時の尚書令の長男だった。だが突然父親が失脚し、連座で責任を取らされた。父帝は信頼していた家臣に裏切られた心労が大きかったのか、この後すぐに亡くなってしまった。
二度目の相手は言葉も通じぬ蛮族の王で、落馬が原因で亡くなった。
三度目の相手は三十も年上の地方の県令だったが、丹華が輿入れのために禁城を発ったその日に火事で全財産を失った。しかも消し炭になった邸宅から横領の証拠だけが燃えずに出てきたというおまけつき。
ここまで不幸がつづくと、「丹華長公主は呪われているのではないか」という噂がまことしやかにささやかれはじめた。
ただでさえ丹華は皇太后に嫌われている。皇帝はまだ御年十二歳で、生母である皇太后がこの国の実権を握っているから、彼女に疎まれている丹華を進んで娶ろうという男が現れるはずもなく――。
そこに呪いの噂が追い打ちとなって、丹華は完全に嫁ぎ先を失ってしまった。
こうして、今も丹華長公主は弟帝の妃嬪たちが住まう後宮の隅で暮らしているのである。
「せめて冬に備えてあたたかいお召し物だけでも新調なさいませんか」
「今年は長雨で農作物が不作だったから、民はみんな苦しんでいるの。わたしひとりが贅沢するわけにはいかないわ」
皇太后が好き勝手に血税を使うせいで、弟帝は民から暗愚と呼ばれているそうだ。
丹華ひとりが節制したところで後宮が――あるいはこの城全体が浪費をやめねば意味がない。わかっているのに、やめさせるだけの力がないことが心苦しかった。
「そろそろ掃除の時間だわ。詩詩は室内をお願いね。わたしは庭と畑の様子を見て、ついでに棲鳳宮も掃き掃除してくるわ」
「主上の姉君が畑を作って自給自足の上に掃除までなさるだなんておいたわしい……」
詩詩の嘆きはもっともだが、丹華は土いじりも掃除もそれほど嫌いではない。暗い気持ちを切り替えて、ほうきを手に外へ出た。
丹華の黒髪は粗末な環境に置かれてもなお艶を失わない。つぶらな瞳に可憐な唇、薄紅色の頬は名の由来である月季花のように愛らしく、にこりと微笑めば彼女を齢より幼く見せた。
きちんと化粧をして着飾れば、「桃花の精」と喩えられた母以上の美姫になるに違いないのに……と詩詩は常々嘆いている。
もっとも、先帝の寵愛を独占していた母に似ているせいで、皇太后から恨まれてしまっているのだが。
丹華の母は皇太后にとって憎き恋敵だった。その憎悪は母が亡くなってからも消えることなく、そのまま娘の丹華へ向けられた。父帝が病に伏せたころから嫌がらせは悪化し、幼い息子を帝位に就けてからは害意を隠そうともしなくなった。
(なぜか、命にかかわるような目にだけは遭ったことがないんだけどね)
実のところ、毒や間者で暗殺を試みられた回数は両手では数えきれない。なのになぜか、それらの目論見はいつも必ず露見し、失敗に終わっていた。まるで不思議な力に護られているように――。
(鳳凰さまのご加護かもしれないわね)
慣れた手つきで香華宮の庭を掃き終えた丹華は、ほうきを片手に後宮の北へ向かった。
鬱蒼と茂る木々を掻きわけ、もはや段通といってもいいくらい降り積もった梧桐の落ち葉の向こうに、広い石造りの堂がある。
どこか厳かな雰囲気を持つその建物は、名を棲鳳宮という。
かつてこの国に神鳥たる鳳凰が現れた。鳳凰はその羽ばたきで、豊かな実りを地にもたらしたのだという。鳳凰の導きを得た初代皇帝は、鳳凰がこの緋祥国に長くとどまることを願って後宮に神のための住まいを設けた。それがこの棲鳳宮である。
ところが後宮の北のはずれにあるこの堂、近ごろあまり手入れされていない。別の場所に立派な鳳凰殿が建てられたから棲鳳宮はお役御免ということらしいのだが、庭や池も荒れ放題なのを見かねた丹華が時折掃除している。
丹華が池の落ち葉をほうきで岸に寄せていると、周囲の小鳥たちが集まってきた。
「ちゃんと餌をあげるから、そこに植えた麦の種は食べてはだめよ」
用意していた餌をまいてやると、小鳥たちは一斉についばみはじめた。言い聞かせが通じているのかは定かではないが、横の麦畑に小鳥たちは立ち入らない。
ふと空を見上げると、堂の陰から赤い鳥が一羽飛んできて、丹華の頭上を舞うように旋回した。
「あらピーちゃん、ごきげんよう」
ピーちゃんはこの棲鳳宮を寝床にしている美しい鳥だ。大きさは鵯くらいで、他のどの鳥とも姿かたちが違う。全体的に赤みがかっていて尾羽は長く、翼の内側は光の角度によって五色に輝いて見える。
音もなく丹華の腕に下り立ったピーちゃんは、手のひらをくちばしでつついて黒っぽい小石のようなものを数粒置いた。何かの種だ。
「まあ、くれるの? いつもありがとう。早速明日庭に植えてみるわ。どんな花が咲くかたのしみね」
微笑む丹華の面前で、ピーちゃんは大きく翼を広げてみせた。「とっても綺麗だわ」と褒めると、なんだか誇らしげだ。
「ふふ、あなたがくれた種から増やした麦、もしかしたらこの国の救いになるかもしれないわ。明日、工部侍郎に取れた麦を見せる約束をしているのよ」
ピーちゃんはよく、どこからか植物の種を運んできて丹華にくれる。一度だけ大きな宝石をくわえてきたこともあって、さすがにその時は困ってしまったけれど。
もらった種はいつも香華宮の庭に植えている。後宮では見られない花が咲いたり不思議な味の実がなったりと、四季折々の草花は丹華をたのしませた。その中のひとつが、麦の種だったのだ。
ピーちゃんのもたらした麦は暑さ寒さに強く、毎年立派な穂を実らせた。そのうち香華宮では手狭になってしまって、今は棲鳳宮の庭の隅を間借りして麦を育てている。今年は雨期が長引き国内の穀類が大不作だったにもかかわらず、ここに植えられた麦は枯れることなく元気に育った。
そこで丹華は考えたのだ。天候不順に強いこの麦の作付けを増やせば、民の助けになるのではないかと。
工部は国内の農墾や水利を担っている。その次官にあたる侍郎の李氏とは、以前から面識があった。
(もちろん、そう調子よく進むかはわからないけど……わたしも国のために、何かできることをしたいから)
この件を見届けたら、出家して道観で民の幸せを祈りながら暮らそう――。
丹華は密かに決意を固めつつあった。