「───…栞ちゃん! 昨日部活来なかったけど、どうしたの!? 大丈夫だった?」
教室に足を踏み入れた途端、わたしに気付いた可奈が駆け寄ってくる。明るめのミルクティーベージュのボブヘアを、今日は綺麗に外ハネにしている彼女。彼女がわたしのそばに来ると同時に、甘い余韻を残すシャボンの香りが鼻腔をついた。
「今日、外ハネなんだ。可愛いね」
そう言うと、彼女は「ありがとう」と目を細めて嬉しそうに口角を上げた。こういう素直なところも、彼女の魅力の一つだと思う。しばらく頬を緩めていた彼女は、突然思い出したように顔を固くした。
「……って、そうじゃなくて! 連絡もくれないし、返信もこないし。すっごく心配したんだからね?」
唇を尖らせる可奈を見て、たしかに連絡してなかったな、と思い出す。
「私嫌われちゃったかと思ったんだから!」
あの後、どうやって家に帰ったのかよく覚えていない。
気付いたら一人で部屋にいて、泣き腫らした目のままベッドに倒れ込んで、そして朝を迎えていた。スマホを構う時間なんてなかったのだ。
けれど、返信がなかなかこなかったら不安にもなる。わたしだって、可奈から返信が戻ってこなかったら、きっと不安になるだろう。嫌われたと思ってしまうかもしれない。
……悪いこと、しちゃったな。
傷つけてしまったという罪悪感が心を支配する。息を吐き出して、不安げに瞳を揺らす存在をぎゅっと抱きしめた。
「可奈のことを嫌うわけないでしょ。でも、返信できなかったのはごめん。それは良くなかったと思う」
素直に謝罪すると、可奈は腕の中で「いいよ」と呟いた。顔を上げた可奈は、花が咲くようなとびきりの笑みを浮かべた。
「事故にあってたりしたらどうしようって、部活中ずっと不安だったんだ。でも、そんなことなくてよかった。私の思い過ごしで、本当によかった」
「ごめん。ちょっと色々あっただけだから」
「……色々?」
眉を寄せた可奈に、曖昧に頷く。一瞬、彼女の顔にふっと影がかかったように見えた。
(まずい。余計なことを言ってしまった)
途端に後悔に襲われる。今、わざわざ意味深な発言をする必要なんてなかったはずだ。それなのに、ふと口をついてしまった言葉は簡単に取り消すことができない。
「それよりさ、可奈。今日のお昼は、中庭で食べない?」
突然の話題転換に、可奈が「え」と目を丸くする。それでも彼女は優しいから、「うん、そうする!」とすぐに快諾してくれた。
「でも、どうして?」
「いつも教室だとつまらないじゃない? たまには景色を変えてみてもいいかもって」
「たしかに。ナイスアイデアだよ、栞ちゃん」
本当は、星野と同じ空間にいる時間を、少しでも減らしたかっただけ。でも、そんなことは可奈に言えるはずもなく。にこにこと笑みを浮かべている可奈を見ると心が鈍く痛むけれど、それさえも自分の中で正当化して、「でしょ?」と無理やり口角を上げた。
『……ほ、しの。ほしのっ────』
『お願い、どこにもいかないで……っ』
昨日の自分が、いったい何をしてしまったのか。夜が明けて、日が昇って。ようやく落ち着いて、あまりの羞恥でどうして良いかわからなくなる。
なんてこと、したんだろう。
勝手にしがみついて、名前を呼んで。大号泣して、挙句の果てには「いかないで」だ。
いったい誰に人生最大の醜態を晒しているんだと、昨日の自分を殴り倒したい気分だ。
『言ったろ。俺はここにいる。お前の────栞のそばにいるよ』
芯のある強い声が、頭の上で響く。思い出した途端、顔に熱が集まっていく。
羞恥とはまた違う意味で。
きっと昨日は、お互いどうかしていたのだ。そもそも、一緒に帰ることになったこと自体が、はじめから大きな間違いで。一瞬で消えてしまう夢のようなものだったのだ。どちらにとっても。たいして気にするようなことではない、そんなもの。
「お、星野!」
そんな声で、視線が教室の戸に引き寄せられる。いつものように、特にセットすることない髪を無造作にかき上げながら、一直線に席に着く星野。一瞬目があったような気がしてドキリとしたけれど、たいして反応を示さないまま着席してしまった。
ほら、やっぱり。星野にとっても、そんなもの。
だから、わたしがいちいち気にする必要なんてない。昨日の出来事はどうせ夢だったのだから。
彼のことだからわざわざ話をしてこないだろうし、わたしだって記憶から消してしまいたいような出来事をいちいち掘り起こしたくもない。
普段なら少し苛立たしく感じてしまう彼の無頓着さも、今日ばかりは逆にありがたかった。
***
「成瀬ちゃん」
昼休み、可奈とともに中庭に向かっている途中で、突然後ろから声をかけられた。振り向いてその姿を認識し、反射的に頭を下げる。
「こんにちは」
「こんにちはっ」
わたしに続くようにして、可奈もペコリと頭を下げた。
「そんなに丁寧にしなくていいのにー。ねえ、麗華?」
「ほんとほんと。気遣わないでいいよ?」
あはは、と笑う彼女たちは、我が女子バスケ部のキャプテン麗華先輩と、副キャプテンの真波先輩。ずっと頭を下げていると「顔あげて」と声が降ってきた。ゆっくりと顔を上げる。
「昨日、部活に来なかったのはどうして?」
あくまで穏やかな口調で、その裏に鋭い棘を潜めて。怖いほどに満面の笑みで、真波先輩が訊ねてくる。
覚悟は、していた。どうせ言われるだろうなと。
それでもせめて部活中だと思っていたのに、よりによってこんな昼休みに。
「今、どれくらい大切な時期か分かってる?」
「……はい」
「私たちはね、もうすぐ引退するの。この夏が終わったら、引退。だから負けるわけにはいかないの。それは分かってるよね?」
「……はい」
夏が終わる。それはすなわち、負けるということ。
もうすぐやってくる夏の大会が、三年生の集大成、引退試合だ。予選、そしてインターハイで勝ち進めなければ、先輩たちは引退する。だから、こんな時期にスタメンのわたしが休んでいる暇などなかった。そんなことは分かっていた。
そしてそれはまた、星野も同じ。でも、彼はきっと大丈夫だろう。先輩からも、後輩からも、顧問の先生からも厚く信頼されているから。
「すみません」
うつむくと、小さく舌打ちが聞こえたような気がした。でもこれは、仕方のないこと。休んだのはわたしが悪いし、先輩にどうこう言える立場じゃないのが後輩だ。
「ったく、ちゃんとしてよね」
「ま、成瀬ちゃんには期待してんだからさ」
うわべだけの言葉を言ってわたしの肩をポンと叩き、彼女たちは去っていった。嵐が過ぎ去っていき、安堵でほう、と息をつく。横に視線を遣ると、可奈が青白い顔をしてわたしを見ていた。
「ごめん、栞ちゃん……」
「え?」
泣きそうな顔で、そんなことを洩らす可奈。これではまるで可奈のほうが叱られたみたいだ。
「どうしたの」
「守れなくて……」
唇を噛み締める彼女は、どうやら罪悪感を感じていたらしかった。そんなもの、彼女が感じる必要などないのに。可奈は優しすぎるのだ。わたしのことをまるで自分のことのように思ってくれる。
一緒に笑って、泣いて、喜んで、怒って。高校に入って知り合って友達になり、さらに友情を深めて親友になった。彼女は知り合ってからずっとこうだ。いつもわたしのそばにいてくれる唯一の存在。わたしにとって、なくてはならない大切な存在だ。
「大丈夫だよ可奈。可奈が謝る必要なんて、少しもないから」
「でも、麗華先輩たち言い方きついし……何も言い返せなくてごめん」
「気にしてないから大丈夫だって」
可奈は少し……いや、かなり心配性だと思う。先輩に言われるのは日常茶飯事でなんでもないことだし、さっきのはまだ優しい方だった。ベンチメンバーである可奈はあまり見たことがないのかもしれないけれど、試合の時のスタメンへの口調はあんなものとは到底比にならないほどだ。
厳しい実力の世界だということを知っているからこそ口調だって荒くなってしまうだろうし、思いが強いからこそ怒鳴ってしまうことだってある。でもそれは、正しいキャプテンと副キャプテンの在り方。
過ぎてしまったことはもうどうしようもない。昨日の自分はサボるという道を選んだ。この事実は変えようがないのだから、反省したらもう割り切って前に進むしかない。
「わ、美味しそうな卵焼きだ」
中庭に鎮座するベンチに並んで座り、なおも暗い顔をしている可奈のお弁当を覗き込む。そこには美味しそうな卵焼きが二つ入っていた。
どうにかして彼女の沈んだ気持ちを上げないと。その一心で、思ったことを声に出してみる。さらりと吹く風に髪が揺れ、石鹸の香りが鼻先をかすめた。
「……一個、いる?」
消えそうな声で訊ねてくる可奈。ここで断ってしまったら、彼女はもっと落ち込んでしまうような気がして、慌てて口の端を上げて笑みをつくった。
「うん。いる」
その言葉に、わずかに目を開いた可奈。少しだけ頰が緩んでいる気がして、小さく安堵する。
「あ……箸、ないや」
しかし、いつも昼食を購買のパンで済ませているわたしは、今日もいつも通り箸を持っていなかった。
(手掴み、はさすがにダメだよね)
そう思うけれどそれしか方法がなく困惑していると、横からスッと箸が差し出された。
「使って」
「いいの? ありがと」
箸を受け取って、卵焼きを掴む。そのまま口に運ぶと、ふわふわの食感と、ふんわりとした甘さが口内に広がった。
「甘っ。美味しい」
「そう、かな」
「うん。めっちゃ美味しい。わたし、これくらい甘い方が好き」
素直に感想を告げると、可奈はパァッと顔を明るくした。思いが顔に出やすいところも、可奈の魅力の一つだ。面を被ることなく、感情と表情が直結している。時にそれは難点になる場合もあるだろうけれど、そんな性格がわたしは結構好きだ。
嬉しいことは全力で表現してほしいし、嫌なことは包み隠さず顔に出してほしい。言葉だけの飾りの関係ではなくて、心から「親友」と呼べる関係性をこれからも続けていきたいから。
「私も……好きだよ」
これくらい甘い方が、と続ける可奈に箸を返して、「ありがとう」と卵焼きのお礼を言った。可奈は丸い目を少しだけ細めて、うん、と呟く。
毎日飲んでいるせいで、もはや相棒とも言える甘めのミルクティーを喉に流し込みながら、頭上に広がる青空を見上げる。
今日の空も、青一色だ。雲一つない、澄み渡る綺麗な空。
「……綺麗」
となりで同じように空を見上げた可奈がぽつりと呟いた。それからわたしに視線を戻して、にこりと笑う。
「栞ちゃん、中庭に誘ってくれてありがとう。こんなに綺麗な空が見られて、私今すごく幸せ」
「こちらこそ、快諾してくれてありがとう」
星野から離れたいがために咄嗟に提案した嘘だったのに、何も言うことなくこんなにも素直に頷いてくれて、お礼まで言ってくれる。まるで自分が悪いことをしているような、モヤモヤとした感覚になる。罪悪感を感じずにはいられなかった。けれど。
「また誘ってね」
そう言って彼女がふわりと笑うから、わたしはいつだって、その優しさに甘えてしまうのだ。
教室に足を踏み入れた途端、わたしに気付いた可奈が駆け寄ってくる。明るめのミルクティーベージュのボブヘアを、今日は綺麗に外ハネにしている彼女。彼女がわたしのそばに来ると同時に、甘い余韻を残すシャボンの香りが鼻腔をついた。
「今日、外ハネなんだ。可愛いね」
そう言うと、彼女は「ありがとう」と目を細めて嬉しそうに口角を上げた。こういう素直なところも、彼女の魅力の一つだと思う。しばらく頬を緩めていた彼女は、突然思い出したように顔を固くした。
「……って、そうじゃなくて! 連絡もくれないし、返信もこないし。すっごく心配したんだからね?」
唇を尖らせる可奈を見て、たしかに連絡してなかったな、と思い出す。
「私嫌われちゃったかと思ったんだから!」
あの後、どうやって家に帰ったのかよく覚えていない。
気付いたら一人で部屋にいて、泣き腫らした目のままベッドに倒れ込んで、そして朝を迎えていた。スマホを構う時間なんてなかったのだ。
けれど、返信がなかなかこなかったら不安にもなる。わたしだって、可奈から返信が戻ってこなかったら、きっと不安になるだろう。嫌われたと思ってしまうかもしれない。
……悪いこと、しちゃったな。
傷つけてしまったという罪悪感が心を支配する。息を吐き出して、不安げに瞳を揺らす存在をぎゅっと抱きしめた。
「可奈のことを嫌うわけないでしょ。でも、返信できなかったのはごめん。それは良くなかったと思う」
素直に謝罪すると、可奈は腕の中で「いいよ」と呟いた。顔を上げた可奈は、花が咲くようなとびきりの笑みを浮かべた。
「事故にあってたりしたらどうしようって、部活中ずっと不安だったんだ。でも、そんなことなくてよかった。私の思い過ごしで、本当によかった」
「ごめん。ちょっと色々あっただけだから」
「……色々?」
眉を寄せた可奈に、曖昧に頷く。一瞬、彼女の顔にふっと影がかかったように見えた。
(まずい。余計なことを言ってしまった)
途端に後悔に襲われる。今、わざわざ意味深な発言をする必要なんてなかったはずだ。それなのに、ふと口をついてしまった言葉は簡単に取り消すことができない。
「それよりさ、可奈。今日のお昼は、中庭で食べない?」
突然の話題転換に、可奈が「え」と目を丸くする。それでも彼女は優しいから、「うん、そうする!」とすぐに快諾してくれた。
「でも、どうして?」
「いつも教室だとつまらないじゃない? たまには景色を変えてみてもいいかもって」
「たしかに。ナイスアイデアだよ、栞ちゃん」
本当は、星野と同じ空間にいる時間を、少しでも減らしたかっただけ。でも、そんなことは可奈に言えるはずもなく。にこにこと笑みを浮かべている可奈を見ると心が鈍く痛むけれど、それさえも自分の中で正当化して、「でしょ?」と無理やり口角を上げた。
『……ほ、しの。ほしのっ────』
『お願い、どこにもいかないで……っ』
昨日の自分が、いったい何をしてしまったのか。夜が明けて、日が昇って。ようやく落ち着いて、あまりの羞恥でどうして良いかわからなくなる。
なんてこと、したんだろう。
勝手にしがみついて、名前を呼んで。大号泣して、挙句の果てには「いかないで」だ。
いったい誰に人生最大の醜態を晒しているんだと、昨日の自分を殴り倒したい気分だ。
『言ったろ。俺はここにいる。お前の────栞のそばにいるよ』
芯のある強い声が、頭の上で響く。思い出した途端、顔に熱が集まっていく。
羞恥とはまた違う意味で。
きっと昨日は、お互いどうかしていたのだ。そもそも、一緒に帰ることになったこと自体が、はじめから大きな間違いで。一瞬で消えてしまう夢のようなものだったのだ。どちらにとっても。たいして気にするようなことではない、そんなもの。
「お、星野!」
そんな声で、視線が教室の戸に引き寄せられる。いつものように、特にセットすることない髪を無造作にかき上げながら、一直線に席に着く星野。一瞬目があったような気がしてドキリとしたけれど、たいして反応を示さないまま着席してしまった。
ほら、やっぱり。星野にとっても、そんなもの。
だから、わたしがいちいち気にする必要なんてない。昨日の出来事はどうせ夢だったのだから。
彼のことだからわざわざ話をしてこないだろうし、わたしだって記憶から消してしまいたいような出来事をいちいち掘り起こしたくもない。
普段なら少し苛立たしく感じてしまう彼の無頓着さも、今日ばかりは逆にありがたかった。
***
「成瀬ちゃん」
昼休み、可奈とともに中庭に向かっている途中で、突然後ろから声をかけられた。振り向いてその姿を認識し、反射的に頭を下げる。
「こんにちは」
「こんにちはっ」
わたしに続くようにして、可奈もペコリと頭を下げた。
「そんなに丁寧にしなくていいのにー。ねえ、麗華?」
「ほんとほんと。気遣わないでいいよ?」
あはは、と笑う彼女たちは、我が女子バスケ部のキャプテン麗華先輩と、副キャプテンの真波先輩。ずっと頭を下げていると「顔あげて」と声が降ってきた。ゆっくりと顔を上げる。
「昨日、部活に来なかったのはどうして?」
あくまで穏やかな口調で、その裏に鋭い棘を潜めて。怖いほどに満面の笑みで、真波先輩が訊ねてくる。
覚悟は、していた。どうせ言われるだろうなと。
それでもせめて部活中だと思っていたのに、よりによってこんな昼休みに。
「今、どれくらい大切な時期か分かってる?」
「……はい」
「私たちはね、もうすぐ引退するの。この夏が終わったら、引退。だから負けるわけにはいかないの。それは分かってるよね?」
「……はい」
夏が終わる。それはすなわち、負けるということ。
もうすぐやってくる夏の大会が、三年生の集大成、引退試合だ。予選、そしてインターハイで勝ち進めなければ、先輩たちは引退する。だから、こんな時期にスタメンのわたしが休んでいる暇などなかった。そんなことは分かっていた。
そしてそれはまた、星野も同じ。でも、彼はきっと大丈夫だろう。先輩からも、後輩からも、顧問の先生からも厚く信頼されているから。
「すみません」
うつむくと、小さく舌打ちが聞こえたような気がした。でもこれは、仕方のないこと。休んだのはわたしが悪いし、先輩にどうこう言える立場じゃないのが後輩だ。
「ったく、ちゃんとしてよね」
「ま、成瀬ちゃんには期待してんだからさ」
うわべだけの言葉を言ってわたしの肩をポンと叩き、彼女たちは去っていった。嵐が過ぎ去っていき、安堵でほう、と息をつく。横に視線を遣ると、可奈が青白い顔をしてわたしを見ていた。
「ごめん、栞ちゃん……」
「え?」
泣きそうな顔で、そんなことを洩らす可奈。これではまるで可奈のほうが叱られたみたいだ。
「どうしたの」
「守れなくて……」
唇を噛み締める彼女は、どうやら罪悪感を感じていたらしかった。そんなもの、彼女が感じる必要などないのに。可奈は優しすぎるのだ。わたしのことをまるで自分のことのように思ってくれる。
一緒に笑って、泣いて、喜んで、怒って。高校に入って知り合って友達になり、さらに友情を深めて親友になった。彼女は知り合ってからずっとこうだ。いつもわたしのそばにいてくれる唯一の存在。わたしにとって、なくてはならない大切な存在だ。
「大丈夫だよ可奈。可奈が謝る必要なんて、少しもないから」
「でも、麗華先輩たち言い方きついし……何も言い返せなくてごめん」
「気にしてないから大丈夫だって」
可奈は少し……いや、かなり心配性だと思う。先輩に言われるのは日常茶飯事でなんでもないことだし、さっきのはまだ優しい方だった。ベンチメンバーである可奈はあまり見たことがないのかもしれないけれど、試合の時のスタメンへの口調はあんなものとは到底比にならないほどだ。
厳しい実力の世界だということを知っているからこそ口調だって荒くなってしまうだろうし、思いが強いからこそ怒鳴ってしまうことだってある。でもそれは、正しいキャプテンと副キャプテンの在り方。
過ぎてしまったことはもうどうしようもない。昨日の自分はサボるという道を選んだ。この事実は変えようがないのだから、反省したらもう割り切って前に進むしかない。
「わ、美味しそうな卵焼きだ」
中庭に鎮座するベンチに並んで座り、なおも暗い顔をしている可奈のお弁当を覗き込む。そこには美味しそうな卵焼きが二つ入っていた。
どうにかして彼女の沈んだ気持ちを上げないと。その一心で、思ったことを声に出してみる。さらりと吹く風に髪が揺れ、石鹸の香りが鼻先をかすめた。
「……一個、いる?」
消えそうな声で訊ねてくる可奈。ここで断ってしまったら、彼女はもっと落ち込んでしまうような気がして、慌てて口の端を上げて笑みをつくった。
「うん。いる」
その言葉に、わずかに目を開いた可奈。少しだけ頰が緩んでいる気がして、小さく安堵する。
「あ……箸、ないや」
しかし、いつも昼食を購買のパンで済ませているわたしは、今日もいつも通り箸を持っていなかった。
(手掴み、はさすがにダメだよね)
そう思うけれどそれしか方法がなく困惑していると、横からスッと箸が差し出された。
「使って」
「いいの? ありがと」
箸を受け取って、卵焼きを掴む。そのまま口に運ぶと、ふわふわの食感と、ふんわりとした甘さが口内に広がった。
「甘っ。美味しい」
「そう、かな」
「うん。めっちゃ美味しい。わたし、これくらい甘い方が好き」
素直に感想を告げると、可奈はパァッと顔を明るくした。思いが顔に出やすいところも、可奈の魅力の一つだ。面を被ることなく、感情と表情が直結している。時にそれは難点になる場合もあるだろうけれど、そんな性格がわたしは結構好きだ。
嬉しいことは全力で表現してほしいし、嫌なことは包み隠さず顔に出してほしい。言葉だけの飾りの関係ではなくて、心から「親友」と呼べる関係性をこれからも続けていきたいから。
「私も……好きだよ」
これくらい甘い方が、と続ける可奈に箸を返して、「ありがとう」と卵焼きのお礼を言った。可奈は丸い目を少しだけ細めて、うん、と呟く。
毎日飲んでいるせいで、もはや相棒とも言える甘めのミルクティーを喉に流し込みながら、頭上に広がる青空を見上げる。
今日の空も、青一色だ。雲一つない、澄み渡る綺麗な空。
「……綺麗」
となりで同じように空を見上げた可奈がぽつりと呟いた。それからわたしに視線を戻して、にこりと笑う。
「栞ちゃん、中庭に誘ってくれてありがとう。こんなに綺麗な空が見られて、私今すごく幸せ」
「こちらこそ、快諾してくれてありがとう」
星野から離れたいがために咄嗟に提案した嘘だったのに、何も言うことなくこんなにも素直に頷いてくれて、お礼まで言ってくれる。まるで自分が悪いことをしているような、モヤモヤとした感覚になる。罪悪感を感じずにはいられなかった。けれど。
「また誘ってね」
そう言って彼女がふわりと笑うから、わたしはいつだって、その優しさに甘えてしまうのだ。