* *

 私が生まれて初めて好きになった人は。

 世界一可愛くて、格好よくて。

 優しくて、強くて。

 大切で、特別な。

 ────女の子だった。

* *

可奈side


『好きです。俺と付き合ってください!』

 あるときは直接言葉で。

『あなたに一目惚れしました』

 あるときは手紙で。

『付き合ってくれない?』

 あるときはネット上で。

『付き合ってほしいんだってさ。どうする?』

 あるときは友達伝えで。

 拒んでも拒んでも、何度も何度もその言葉は贈られてきた。


『人の彼氏取るとか、ほんと最低』

『調子にのってんじゃないわよ』

『お前の顔なんて二度と見たくない。この男たらし』


 違う、私は何もやってない。


『もしかして、アイツと付き合ったのか……?』

『そのネックレス、男から?』

『いい加減俺のこと見てくんねえかなぁ』


 違う、全部ぜんぶ、違う。

 こんなこと、私は望んでいなかった。
 彼氏とか、彼女とか。付き合うとか、別れるとか。好きとか、愛してるとか。本当に興味がなかったのだ。まったくと言っていいほどに。
 カップルを見るたび、幸せになってほしいと純粋に思っていた。だって、肩を並べる男女はどちらも嬉しそうに笑っている。こんなに幸せなことってない。

 恋人が欲しいから羨ましいんじゃなくて、綺麗な恋愛をしていることが羨ましかった。私の中での恋愛は、黒くてどろどろしていて、引き込まれてはいけない闇。それなのに、足掻けば足掻くほど足を取られて、深く、深く()まっていく。

 容姿は整っている方だという自覚はあった。過去の出来事を遡ってみると、認めなければ少しは嫌味になるくらいには。けれどそれを自慢しようとかそういうふうには思っていなかったし、肌の手入れや髪の巻き方、メイクの研究も怠らずにちゃんと努力していた。だから、みんなとなんら変わらない、普通の学生なんだよ、私は。

 成長すればするほど、恋愛の話は増えて、誰が付き合ったとか別れたとか、デートだとか浮気だとか。話を聞くことはあっても自分がしようとか、彼氏を作ろうとか。そうは思わなかったし、そもそも『恋人をつくらないと』という思考に辿り着くこと自体、あまり理解ができなかった。今まで想いを伝えてくれた男の子たちは、私の何を知っていて、どこを好きになったのだろう。そんな、単純な疑問をいつも抱きながら、相手が誰であろうと断っていた。


 新天地、春。誰もが新しい出会いに胸を躍らせ、入学する季節。
 どうせ今までと同じなんだろう。何も変わることなく、わたしは断り続けるだけ。好きな人や恋人なんて、一生できないまま終わるのかもしれない。

「え、まって? めっちゃ可愛くね?」
「うわマジじゃん。ねえ、名前なんて言うの? 何組?」

 ふいに両サイドから挟むように声をかけられ、足が止まる。こういうときは足を止めたらだめだったな、と止まってから思った。遅すぎた、何もかも。
 耳に入ってくる声は低くて。先輩なのか同級生なのかは分からなかったけれど、とにかく大きくて屈強そうな男子ふたり。

「あっれ、無視? 教えてよー」
「怖がられてんじゃん俺ら。優しーのになあ」
「……や、やめてください」

 鞄を握りしめて俯く。それでも、彼らは一向に離れようとしなくて、むしろこの状況を楽しんでいるようだった。

(……さいあく)

やっぱりマスクをしてくるべきだったかもしれない。眼鏡だけでは足りなかった。

「眼鏡、とってみてよ」
「絶対可愛いパターンじゃん」
「やっ……」

 顔に手が伸びてくる。何をするつもりなのか、そんなものは一瞬で分かった。必死に眼鏡を守るけれど、相手は男子、それも二人だ。力の差は歴然で、どう頑張っても敵うはずなかった。眼鏡がずれて、視界にあった囲いがなくなりかけた、その時。

「何してるんですか」

 飛んできた声に、男子たちの動きがピタリと止まる。その声は強いのに、それでもどこか震えていて。まっすぐに、こちらに飛んでくる。

「あ? 何だよお前」
「その子、嫌がってるじゃないですか。離してください」
「なんでお前に指図されなきゃなんねえんだよ」

 男たちの身体の隙間からちらりと見えたのは、長い髪を風に揺らし、まっすぐな瞳でこちらを見る女の子。しばらく黙っていた女の子は、ゆるりと口の端を上げると、片眉をあげて挑発するような笑みを浮かべた。

「入学式からナンパですか。だっさいなあ、もう」
「は? てめえやる気かよ」
「いいですけどわたし、武道を嗜んでいるんです。容赦手加減、できませんよ?」

 ぐっと言葉に詰まった男子たちは、私を掴む手を緩めて「覚えてろよ!」とお決まりの台詞を吐きながら去っていった。

「大丈夫?」

 すぐに駆け寄ってきたその女の子は、私の顔を覗き込んだ。琥珀色の瞳が光を受けて煌めいている。

「あの……武道、やっているんですか」

 助けてもらったお礼よりも先に口をついたのはそんな疑問だった。その子はパチパチと何度か瞬きをした後で、ペロッと舌をだす。

「あんなの嘘だよ。背が高いから強そうに見えるっていう謎理論を利用してみたの。あの男子たちは嘘だって見抜けなかったんだね。ラッキーだった」

 へへ、とお茶目に笑う彼女を見た瞬間、ドクッ、と大きな音が頭に響く。感じたことのないような、世界から音が消えたような感覚になる。

「……助けてくれて、ありがとうございます」
「全然! 可愛いからああいうのまくの大変でしょう。……一年生だよね?」

 こくりと頷くと、花が咲いたような笑みを浮かべる彼女。ぱあっと世界が華やぐような、そんな笑顔。

「わたし、成瀬栞。同じ一年生だから、タメ口でいいよ。あなたの名前は?」
「……小鞠、可奈」
「可奈、可愛い名前だね。よろしくね」

 差し出された手をおずおずと握ると、ぎゅっと強く握り返される。血液がものすごい速さで全身を駆け巡るような感覚がする。

「……その眼鏡」
「え」
「伊達?」

 こてん、と首を傾げて眼鏡を見つめる彼女。

「……うん、伊達」
「じゃあ目が悪いわけじゃないんだ。てことは、さっきみたいな(やから)が寄り付かないようにするためかな?」
「ふふっ……そう」

 自然と笑みが洩れてしまう。なるほどね、と呟いた彼女は、急に私の眼鏡に手を伸ばしてそれをさらってしまった。

「わっ……」
「やっぱ、こっちの方が可愛いよ。眼鏡したって可愛さ隠せてないし。何かあったらまた守ってあげるから、眼鏡外して学校来なよ。そっちの方がいい」

 微笑む彼女が、ふいにある人物と重なる。ドクッ、と一度。その高鳴りだけで十分だった。経験なんて一度もなくて、ずっとずっとわからなかったはずなのに。
 わかってしまったのだ、これがどういう気持ちなのか。

 ひらひらと桜が舞う春。出会いの、春。
 これが、私が人生初めての恋をした成瀬栞との出会い。そして私の、恋のはじまりだ。


『いつかあんなふうになりたいなあ』

 栞ちゃんの瞳に映れる存在に。
 知ってる?
 星野くんを見る栞ちゃんの目は、いつだってキラキラしているんだよ。

『星野くんは……?』

 お願いだから、頷かないで。
 頷いてしまったら、私の勝算はなくなってしまうから。

『栞ちゃんはいつだって格好よくて可愛い、私の憧れの人だから』

 世界で一番、特別な人。
 世界で一番、近くて遠い人。

『……栞ちゃんの気持ち、分かるよ。好きになっちゃいけないのに、どうしても好きなんだよね』

 ごめん、止められない。分かっているのに、もうどうしようもないの。
 この気持ちは本物で。

────あなたのことが、好きで好きでたまらない。


『あっ、星野くんこっちくる!』

『うわっ、腹チラとかご褒美じゃん。ねえ、栞ちゃん』

『星野くんと一緒のバスなんて最高!』

 バレたくなかった。気持ちが溢れてしまわないように、わざとそんな言葉を言って……なんて、そんなのは半分本当で半分嘘。

 確かめたかった。栞ちゃんが、星野くんに興味があるのかどうか。栞ちゃんがどんな反応を示して、私の言葉に同調するのかどうか。いつも冷たい態度をとる栞ちゃんを見て、安堵していたけれど、それでも、気付いてしまった。その冷たさは、本物じゃない。自分自身を抑え込むようなものだから、本当は、逆なんだって。
 だから私が星野くんを好きだって思わせるように振る舞ったら、諦めてくれるんじゃないか、なんて。そんな汚い考えすら浮かんで。

 人を好きになるということは、こんなにも幸せなのだと。そしてこんなにも苦しいのだと。私に教えてくれたのは、紛れもなくあなただった。

 好きな人のことは、嫌でも分かってしまう。ずっと、誰よりもそばで見ているから。表情の変化や、仕草。照れたときや何かを誤魔化す時に髪を触る癖だって知ってる。修学旅行の日、私の質問に対して答えながら髪を触っていたのだって、見てた。

 分かっていた。好きになってはだめだと。気付いていた。あなたがその瞳に映すのは、私じゃないと。
 それでも、止められなかった。抑えられなかった。
 恋という感情を知らなかった過去の私が聞いたら、いったいなんて言うのだろう。

『……栞ちゃんはさ。長い髪と短い髪、どっちが好き?』

 まだ私の髪が長かったとき。そう訊いたとき、あなたはちょっと止まって、それから柔らかく微笑んで。

『なにそれ。髪切るの?』

 手を伸ばして、私のミルクティーベージュの髪をさらりと梳いた。
 ねえ、知ってる?
 私がこの髪色でいる理由。

『なんか手放せないのよね。ずっと愛飲してるの』

 二人で向かい合ってとる昼食。あなたの手には、いつも紙パックのミルクティーがあった。

『でも、流石に糖分過多かなぁ。可奈は真似しちゃだめだよ』

 口角を上げて可笑しそうに笑い、ストローに口をつけてミルクティーを飲むあなたを見ていると。

……羨ましいな。

 ここまできてしまった私は、もうとっくに手遅れだ。それでも、あなたに愛されているのが羨ましかった。だから私も、あなたの好きなものに少しでも近付きたいと思った。
 この髪は、伝えられない想いの象徴。

『可愛い』

 明るく染められた私の髪を見て、そう言ってくれたとき。

……あなたのものになりたい。

 はっきりと思ってしまった。
 あなたが望むのなら、いくらでも男の子になろうと思った。髪を切って、身体を鍛えて、頑張って身長だって伸ばそうと思った。
 でも、本当は。

────女の子のままの私を、好きになってほしかった。

 だから。

『なにそれ。髪切るの?』

 そう言って、答えを返してくれなかったことがすごく嬉しかった。

 でも、現実はそう上手くはいかないね。
 素敵なヒロインのとなりには、いつだって格好いいヒーローがいて、可愛いお姫様のそばには、イケメンな王子様がいる。きっとあなたは優しいから、それでも私をそばに置こうとしてくれるでしょう? 困って、どうしていいか頭を悩ませて、傷つけないように細心の注意を払って。

 男の子同士、女の子同士の恋愛。
 だんだん受け入れられつつある世の中だけど、それでも非難の声はある。完全に誹謗中傷をなくすことは、不可能だ。
 ただもし、ひとつだけ願いが叶うのなら。

────ずっと、あなたのそばにいたい。

 そう思ってしまうのは、だめですか……?

 返事を聞くのが、怖い。自分で伝えたはずなのに、拒絶されるのが怖い。全部自分のせいなのに。関係を変えようと思って、動いたのは私だ。見ているだけでいい、となりにいるだけでいい。それだけで満足できなくなって、いちばんになりたいと願ったのは私だ。それなのに、勇気がでなくて。
 今まで自分に想いを伝えて、返事を聞いてくれた彼らがいかに凄かったのかを実感した。

 男子だからとか、女子だからとか、そんなのは関係ない。
 結ばれるのは奇跡だ。想いを伝えるのは難しい。同じように苦しいし、届いた時の嬉しさだって同じだ。

 たまたま私が女の子で、栞ちゃんが女の子だっただけ。
 ただ、それだけだ。それだけ、なんだ。

 笑ってしまうほど単純な話。人が人を好きになる。そこに理由や制限なんてない。

 栞ちゃん、しおりちゃん。
 大好き。大好きだよ。世界でいちばん好き。
 必ず、返事を聞きにいく。だけど、今はまだ勇気が出ないの。だから、もう少しだけ待っていてほしい。

 好きになって、ごめん。

 そして────ありがとう。