ほうっと白い息が暗い空にのぼって消えていく。

「すっかり暗くなっちゃったね」
「うん。冬だから日没早いよね」

 積もっている雪を踏みながら、二人で並んで歩く。冬は日が沈むのが早いので、部活が終わった頃にはもう外は真っ暗だ。

「わ……雪だ」

 空を見上げた可奈がつぶやく。同じように見上げると、暗い空からふわり、ふわりと桜の花びらのような雪が舞い降りてきた。

「……きれい」

 可奈は、淡いピンク色の手袋をはめた手で粉雪をつかもうとする。何度も何度も手を伸ばす可奈はまるで、雪の上を踊る天使のようだった。あるいは、小雪を降らせる雪の精霊かもしれない。きっと可奈に好意を寄せている男子たちが見たら、あまりの可愛さに卒倒してしまうだろう。

「可奈、あんまりはしゃぐと転ぶよ」

 大丈夫!と返す可奈は、夢中で雪をつかまえようとしている。本当に大丈夫かな、と心配になったそのときだった。

「わっ……!」
「可奈っ」

 雪に足をとられて転びそうになった可奈の腕を咄嗟に掴む。けれど、足場が安定していないせいか見事にバランスを崩し、二人して雪の上に倒れ込んでしまった。
 救いだったのは、雪が柔らかくふかふかだったということと、汚れひとつない真っ白な雪だったということだ。

「ほら、やっぱり転んだ」
「ごめん栞ちゃん」

 へへ、と笑う彼女はきっとさほど悪いとは思っていない。むしろこの状況を楽しんでいるように見える。

「……ふふ」
「あははっ」

 同時に噴き出す。くるりと寝返りを打つと、同じように寝返りを打った可奈と至近距離で目が合った。互いの吐く息が鼻先にかかってしまうくらいの距離に、思わず息を呑む。しん、と静まり返った世界はまるで二人きりになってしまったかのようで。ふわりふわりと降りてくる雪さえも空気を読んだかのように、静寂の世界に音を消して舞い降りてくる。

 間近で見た可奈の顔は、驚くほどに綺麗だった。白い肌は、雪よりも白く透き通っていて、色素の薄い瞳や鼻筋が通った小さい鼻も、潤った薄い唇も。何もかも、溶けてなくなってしまいそうなくらいに儚くて、綺麗だった。
 少しでも触れてしまえばこの雪に紛れて消えてしまうんじゃないか、なんて。そんなことを思ってしまうほどに美しい。ずっと可愛いと思っていたけれど、この子は"美少女"でもあるのだと。今この瞬間に、そう実感させられた。
 瞳を揺らした可奈は、目を伏せてきゅっと唇を結んでから、仰向けになって空を見上げた。

「栞ちゃん」

 赤い頬を緩めて、ふ、と可奈が白い息を吐く。二人きりの世界の中で、ふわり、ふわりと雪が舞い降りてくる。

「……私、好きな人がいるの」

 その言葉は、はっきりとわたしの耳に届いた。決定的な言葉を告げられると同時に、これで良かったじゃないか、と思った。これで、きっぱり諦められる。
 宣言をするということは、その人に対して本気を出す、ということを示唆している。好きとか好きじゃないとか、蛙化現象だとか。そんな自分の問題以前に、ライバルがこんなにも可愛くて優しくて人気者の可奈である時点で、最初から勝ち目なんてなかったのだ。

 ……そしてきっと、星野の好きな人は可奈だ。ううん、きっとじゃなくて、絶対。
 可奈はいつだって可愛くて、明るくて、性格が良くて、とても素敵で魅力的な女の子だから。男子からも女子からも人気が高くて、みんなの憧れの的だから。
 三人で会う時、なんとなく二人の間に不思議な雰囲気があることを知っている。阿吽の呼吸というか、互いが互いをわかっているような、形容できないそんなものが。もし二人が仲良くしていても、それはわたしが知るべきことではない。もし二人が同じ想いなら、わたしは素直におめでとうを告げるべきだ。やがて二人は付き合うことになるだろう。誰からも応援される美男美女カップルになって、ますます人気が出るだろう。

 ちらりと視線を流して可奈を見る。頬を赤く染めている可奈は、女のわたしが見ても、見惚れるほど可愛かった。数々の男子が惚れるのも分かる。そしてそこには星野も含まれているのだろう。空を見上げたまま、「栞ちゃん」と可奈が名前を呼ぶ。白い息がのぼっていくのを見つめていると、やや長めの沈黙が降りてくる。

「……可奈?」

 名前を呼ぶと、ふ、とわずかな吐息の後、可奈はまたわたしの方を向いた。少しでも近付けば鼻先が触れ合ってしまうくらいの距離で、色素の薄い大きな瞳が、わたしをまっすぐに捉えている。
 白い雪の上にのっていた手を握られる。手袋越しに伝わってくるのは、冷たさだった。それは果たして雪の冷たさなのか、それとも。

「────好き」

 まっすぐに向けられた瞳は、不安げにゆらゆらと揺れていた。これは、可奈がふと見せる瞳。

 とられたくない。

 そんな思いが強く出たときに現れる瞳だ。

「……えっ……?」

 可奈の瞳に映るのは紛れもなくわたしで、紡がれたのは本来星野に言うべき言葉で。息をするのも忘れて、その瞳を見つめ返した。

「私、栞ちゃんのことが好きなの。ずっと好きだったの────」

 どういうこと。いや、そういうこと?
 言葉のそのまま受け取っていいのか分からなくて、どうしていいのかも分からなくて、え、と小さくか細い声が唇からこぼれ落ちる。ぎゅっ、とわたしの手を握る可奈の手に力がこもった。強く、それでいて優しく。彼女はいつもこうだったな、と思う。

「好きになって、ごめん……」

 こうしていつも相手のことを考えて自分を押し殺して、それでも無理していつかは溢れてしまう。思いが口から出るときには、とうに限界は通り越していて。可奈はいつだって、誰かに助けを求めることをしないのだ。自分を責めて、責めて、せめて。
 するりと離れた手。ガバッと立ち上がった可奈は、振り返ることなく走り去っていく。

「……っ、可奈!」

 そんな叫びは────届かず。
 小さくなっていく背中を、降り積もる雪が静かに包み隠していった。