***
「あたし、ちゃんと見てたよー? 可奈が香山に告られてるとこ」
「あ、ウチも見た見た!」
布団を敷き終わった頃。
旅館の一室、枕を抱えるようにして布団の上に座った白雪さんが、にんまりしながら可奈を見た。寝転がったままの涼風さんも、口許を緩めて可奈に視線を遣る。
「やっぱモテ女は違うね」
「どこ行ってもモテるんだもん。そりゃ人生大変だなー」
ケラケラと笑いながら身体を起こす涼風さん。
「せっかくの修学旅行だし? 学年一のモテ女もいることだし?」
「やるしかないっしょ、恋バナ!!」
おーっ! と盛り上がってしまった二人。
ちらと可奈を見ると、その横顔に一瞬スッと影が落ちた────ような気がした。けれど、二人はそんな可奈のようすに気付くことなく、話を弾ませていく。
「まず、結果から聞きたいよね。オッケーした? それとも振った?」
「……」
「なんでそんなにだんまりしてるの、可奈ちゃーん」
「教えてよ可奈。恋バナしようよ」
二人に圧されて、可奈は力なく首を横に振った。
「え、まじ? 振った?」
「香山おつじゃん」
ケラケラと笑う二人。わたしも告白の結果を気にしていた部分はあった。だからこの手の話になったこと自体、少し二人に感謝するところはある。
「でも、どうして? 可奈好きな人いんの?」
白雪さんの言葉に、可奈は少し目を伏せる。それから「いないよ」と呟いた。そのようすに、どこか違和感を覚えてしまう。あまり言及しないほうがいいんじゃないか、と唐突に思った。
「ま、まあ誰でも色々あるよ。これ以上きくのはやめよう。ね?」
「そういう栞はどうなのよ」
慌てて口を挟むと、今度は突然わたしに話の矛先が向いた。内心、やばい、と思いつつも笑顔を崩さないよう集中する。
「彼氏いる? そもそも好きな人とかいるの?」
ぐっと言葉に詰まる。まさかこんな展開になるとは。
「いないよ。彼氏も好きな人もいない」
小さく息を吸ってから、はっきりと告げる。返答が遅くなったり、声が震えたりは決してしなかったはずだ。上手くやり切れたはずだ。
その瞬間、となりにいた可奈がこちらに視線を向けた。綺麗な瞳がゆら、と揺れる。何かに怯えるように、何度も。それから小さく強い光をその目に宿して、可奈は口を開いた。
「星野くんは……?」
その瞬間、悟った。
やっぱり、思っていた通りだった。薄々、というより、だいぶはっきりと気付いていた。
星野を見つめるあの熱を含んだ眼差し。わたしがやむなく星野と過ごした次の日は、いつも少ししつこく感じるくらい問い詰めて。星野がわたしに話しかけてきたときに、となりからにわかに感じていた悋気だって。
すべて、彼女の想いが星野に向いているのなら、納得できる。
彼女とは、"恋バナ"というものをあまりしてこなかった。可奈が男子から人気であることは知っていたから、きっと少女漫画のような、綺麗で美しくて楽しい恋愛をたくさん経験しているのだと思っていた。だから、わざわざ訊く必要もないだろうと思った。その方が、彼女にとっても楽だろうと。
星野と可奈。文句の付けようがない美男美女カップルだ。
……その方がいい。その結末の方が綺麗だ。初めから、分かりきったことじゃないか。
どうせわたしは、人を好きになってはいけないのだから。そういう人間として生まれてしまったのだから。だったら、わたしにできることは決まっている。わたしは可奈に向き直って、とびきりの笑顔を見せた。
「ないない! 星野でしょ? あんなやつ、あるわけないよ」
あはは、とそれはもう豪快に笑ってみせた。首を振って。両手も振って。
違うよ、と全力で表すように。
「でもさ、星野と栞ってめっちゃ仲良くない?」
「なんか二人だけの世界というか、雰囲気があるよね」
白雪さんたちが顔を見合わせてそう呟く。やめて、言わないで。これ以上話さないで。心の中では叫んでいるのに、実際に声に出す勇気はなくて、わたしは曖昧に笑みを貼り付けた。この場をしのぐための、苦しくてどこか歪な笑みを。
それでも、わたしが照れ笑いを浮かべていると誤解した白雪さんが、「そういえば!」と声を上げる。
次は何を言われてしまうのだろう。耳を塞いでしまいたい気持ちを必死に堪えて言葉を待っていると、
「今日二人でデートしてたらしいね。他のクラスで噂になってたらしいよ」
と、案の定爆弾が投下された。白雪さんの言葉に、涼風さんもうなずいて同調する。どくどく、と自分の鼓動が速まっていくのを感じた。
これはまずい。
白雪さんがいうような『デート』はきっと、恋人同士の甘い雰囲気に包まれた空間のことだろう。星野とわたしはまったく違って、デートの『デ』の字もないけれど、一緒に歩いていたのは紛れもない事実だった。
どう訂正しても、興味津々なようすで身を乗り出す彼女たちを説得できそうにはなかった。
「別に、星野とわたしはそんなんじゃないから」
逃げ出したくなるのを抑えて、あくまで冷静な口調でわたしは言う。すると、「本当に?」と口許をニヤつかせた涼風さんが、
「そもそも、星野って栞としか喋らないし」
と、ぼやく。すかさず、白雪さんが
「たしかに、女子に興味なさそうだもんね」
とうなずいた。わたしは「そんなことないと思うけど」と消え入りそうな声でつぶやいて、身体を丸める。この空間から今すぐにでも消えてしまいたかった。
ふと、可奈と視線が合う。
「……栞ちゃん」
「やめて」
焦って、可奈の声を思わず遮ってしまった。その瞬間、可奈がハッと息を呑む。まるで言い訳をするように、早口でまくし立てる。
「たぶん可奈もみんなも、勘違いしてるから。ほんとに、わたしと星野はなんでもないの。恋人とか、好きだとか、あいつがそんな対象になるわけないじゃない」
「でも……だったらどうして」
可奈が顔を歪めて、わたしの頬に手を伸ばした。ひやりと触れた可奈の手は、ひどく冷たかった。
「そんなに悲しい顔をしているの……?」
そう言った可奈は、今にも泣き出しそうだった。眉を下げて、唇を噛み締めて。それでもまっすぐにわたしを見つめている。
「悲しくなんかないよ全然。見間違いだよ、こんなに元気だもん」
へへ、と笑ってみせる。彼女はいつだってわたしを見ていてくれるから、この中途半端な気持ちだってとっくにバレているのかもしれない。そう思うと、とても怖かった。
「……それより、ひとつ疑問があるんだけど。星野と香山くんっていつからあんなに仲が良いの?」
気持ちを見透かされるのが怖くて、わたしは強引に話題を変えた。ずっと気になっていたことだったから、なんとか話題につなげることができてよかったと心底安堵した。
星野と出会ったのは高校生になってからで、それまでの彼の交友関係はまったく知らない。白雪さんと涼風さんは偶然にも星野と小学校から同じということを聞いていたから、何か知っているのもしれないと思ったのだ。
「あー、あそこは前から仲良いよね」
「うん。たしか小三の冬……? くらいからだったかな」
中途半端な時期に違和感を覚えて首を傾げると、白雪さんは「星野って…」と涼風さんと顔を合わせた。
「小学一、二年は学校来てなかったんだよ。ずっと不登校って感じで」
「入学式から長く休んでる男の子、ってことでまあまあ噂になってた気がする。いったいどんな子なんだろうって誰もが気になってて。一時期、あんまり学校に来ないから病気なんじゃないかって噂もたって」
「えっ、病気……?」
いつも元気そうな星野とはまったく結びつきそうにないワードに、心臓がドクッと嫌な音を立てる。ぶるぶると身体が震えだし、呼吸が浅くなっていく。目を見開いたわたしに、白雪さんは慌てて首を横に振った。
「でも結果的に星野は普通に冬から登校してきたし、今までずっと元気そうだから大丈夫だと思うよ。きっと家庭の事情か何かなんだと思う。本人も何も言わないから、みんなもそれほど気にしてないし。どうしても入学式から休んでると周りと壁ができちゃったり孤立しちゃうじゃん? そのときに、いちばんに話しかけにいったのが香山なんだよ。だから、その時から二人は仲が良いってわけ」
「そう、なんだ……」
────よかった。安堵の息を洩らすと、涼風さんは「やっぱり気になってるんじゃん」と笑った。わたしは慌てて手を振り、否定する。
「ち、違うよ。誰だって不安になるでしょ。ほら、病気とか、普段の生活の中で聞かないし」
「……ふっ、動揺しすぎ」
「違うってばっ」
声が明らかに裏返っていて、顔が紅潮していくのが分かる。これでは、動揺が伝わってしまう。
「栞は星野のこと本当になんとも思わないの? 好きとかじゃなくても、気になるとか、みんなとは違うとか、特別とか」
────特別。
その言葉だけが引っかかって、やや言葉に詰まると、やっぱりと言った様子で涼風さんが畳み掛けてきた。涼風さんの言葉に白雪さんも続く。
「なんとも思ってないことないんじゃなーい? ねえねえ栞、どうなの?」
「好きなんでしょ、星野のこと。ウチが見る限り、たぶん星野も栞のこと────」
「やめてってば!!」
自分でも驚くほどの大きな声が出て、二人がハッと息を呑むのが分かった。ドッドッと鼓動がうるさい。
どうしよう……どうしよう。またやってしまった。とうとう抑えきれずに出してしまった。わたしは何度やっても、冗談を上手く流せないし、物事を穏便に済ませることができない。
「……ごめん、言いすぎた。二人のことなのに、余計な口挟みすぎた」
「つい楽しくて調子に乗っちゃった。ごめんね、栞」
申し訳なさそうに眉を下げる二人。
違う、悪いのは二人じゃない。恋バナは修学旅行の夜の醍醐味だ。許容できないわたしがすべて悪いのだ。
「────ちょっと外出てくるね」
いくら頑張って変わろうとしても、結局は失敗してしまう自分が情けなくて、みじめで、その場に残るのはさすがに耐えられなかった。
力なく首を振って部屋を出る。どこまでも続く薄暗い廊下は、怖いくらいに静かだった。
「……栞ちゃん」
ひゅうっと冷たい風が吹き、あまりの寒さに身震いする。ふいに後ろから声がかかり、ゆっくりと振り返る。
「可奈。こんなところに来たら風邪ひくよ」
旅館の中で、唯一風に当たれるスペース。ベランダのようになっているここは、ちょうど先生たちの部屋から見えない角度にある。とはいえ見回りに来られたらいっかんの終わりだ。
「だから迎えにきたの」
ふわっと微笑む可奈は、フェンスに寄りかかるわたしのとなりに並んだ。ふう、と息を吐いて、揃って空を見上げる。
「夜風って冷たいんだよ? こんなところにずっと居たら体調崩しちゃうよ」
「……うん。もう少ししたら戻る」
「じゃあ私も栞ちゃんが戻るまでここにいる」
まるで決定事項とでもいうかのように微笑む可奈は、遠くの方に視線を投げた。
「迷惑かけてごめん。格好悪いとこ見せちゃったよね」
「ううん。全然そんなことないよ。栞ちゃんはいつだって格好よくて可愛い、私の憧れの人だから」
ぶんぶんと首を横に振る可奈。優しい言葉までかけてくれて、心の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じた。
「……ねえ、可奈」
「ん?」
「────特別、って何だと思う?」
ふと口をついた言葉に、自分自身でもびっくりする。無意識のうちに、わたしはあの言葉の答えをずっと考えていた。妙に引っかかりをおぼえた『特別』を見つけたくて、ついそんな質問をしてしまった。けれど友達に訊くなんてどうかしている。わたしは慌てて、答えなくていいよ、と首を横に振る。
「あれ、何言ってるんだろ。ごめん、なんでもな────」
「失っちゃだめなもの」
「……え?」
ゆっくりと視線を向けると、そこにはひどく切ない表情をした可奈がいた。その顔がひどく大人びて見えて、ドクンッと鼓動の音がする。夜風が頰を優しく撫でた。
「この人がいないと私はきっと生きていけない。忘れようと思っても忘れられない。その人のためなら何だってできる。特別な人って、そんな人……かも」
最後の方は恥ずかしさが込み上げてきたのか、徐々に声が小さくなっていく可奈。いつのまにか"特別"が、"特別な人"に限定されている。
「可奈にも、そんな人がいるの……?」
視線を流すと可奈は唇を噛んで、星が輝く空を見上げた。きれいな横顔が、夜空に紛れる。溶けてしまいそうなほど儚かった。
「────いるよ」
可奈は夜空から瞳を流してわたしを見つめた。それからふわっと、砕けるように笑う。奥深くに憂いが混ざっているような瞳がわたしを映している。
「……栞ちゃんの気持ち、分かるよ。好きになっちゃいけないのに、どうしても好きなんだよね」
「えっ」
心を読まれたかと思った。必死にとどめている気持ちを見破られてしまったかと思った。暴れだす心臓を抑えるようにして、深呼吸する。それから頭に手をやって、そのまま下にすうっと指を滑らせる。
「……なんて、ね?」
あははっ、と悪戯っぽい笑みを浮かべた可奈。
「なんだ、驚いたじゃん」
同じように笑ってみせると、可奈はより笑みを深めてくるっと身体の方向を変えた。
「寒いし、そろそろ戻ろっか。嫌だって言っても問答無用で連れていくからね」
「……うん。そうする」
特別。
わたしはいつかこの答えを見つけることができるのだろうか。正解のないこの世界で、自分なりの、自分だけの正解を見つけることができるだろうか。
戻ろうとする可奈の小さな背中を、後ろから包み込むように抱きしめる。可奈が小さく息を呑んで「なぁに……?」と呟いた。
「ありがとう、可奈」
「……なにが?」
「────ぜんぶ」
こうして迎えにきてくれたこと。もしわたしの気持ちに気付いていたとしても、気付かないふりをしてくれていること。誰よりもそばで見守ってくれていること。わたしのそばにいてくれること。わたしに、出会ってくれたこと。
まだ伝えきれていないたくさんのありがとうを込めて。
わたしはそっと、大切な存在を抱きしめる力を強めた。
「あたし、ちゃんと見てたよー? 可奈が香山に告られてるとこ」
「あ、ウチも見た見た!」
布団を敷き終わった頃。
旅館の一室、枕を抱えるようにして布団の上に座った白雪さんが、にんまりしながら可奈を見た。寝転がったままの涼風さんも、口許を緩めて可奈に視線を遣る。
「やっぱモテ女は違うね」
「どこ行ってもモテるんだもん。そりゃ人生大変だなー」
ケラケラと笑いながら身体を起こす涼風さん。
「せっかくの修学旅行だし? 学年一のモテ女もいることだし?」
「やるしかないっしょ、恋バナ!!」
おーっ! と盛り上がってしまった二人。
ちらと可奈を見ると、その横顔に一瞬スッと影が落ちた────ような気がした。けれど、二人はそんな可奈のようすに気付くことなく、話を弾ませていく。
「まず、結果から聞きたいよね。オッケーした? それとも振った?」
「……」
「なんでそんなにだんまりしてるの、可奈ちゃーん」
「教えてよ可奈。恋バナしようよ」
二人に圧されて、可奈は力なく首を横に振った。
「え、まじ? 振った?」
「香山おつじゃん」
ケラケラと笑う二人。わたしも告白の結果を気にしていた部分はあった。だからこの手の話になったこと自体、少し二人に感謝するところはある。
「でも、どうして? 可奈好きな人いんの?」
白雪さんの言葉に、可奈は少し目を伏せる。それから「いないよ」と呟いた。そのようすに、どこか違和感を覚えてしまう。あまり言及しないほうがいいんじゃないか、と唐突に思った。
「ま、まあ誰でも色々あるよ。これ以上きくのはやめよう。ね?」
「そういう栞はどうなのよ」
慌てて口を挟むと、今度は突然わたしに話の矛先が向いた。内心、やばい、と思いつつも笑顔を崩さないよう集中する。
「彼氏いる? そもそも好きな人とかいるの?」
ぐっと言葉に詰まる。まさかこんな展開になるとは。
「いないよ。彼氏も好きな人もいない」
小さく息を吸ってから、はっきりと告げる。返答が遅くなったり、声が震えたりは決してしなかったはずだ。上手くやり切れたはずだ。
その瞬間、となりにいた可奈がこちらに視線を向けた。綺麗な瞳がゆら、と揺れる。何かに怯えるように、何度も。それから小さく強い光をその目に宿して、可奈は口を開いた。
「星野くんは……?」
その瞬間、悟った。
やっぱり、思っていた通りだった。薄々、というより、だいぶはっきりと気付いていた。
星野を見つめるあの熱を含んだ眼差し。わたしがやむなく星野と過ごした次の日は、いつも少ししつこく感じるくらい問い詰めて。星野がわたしに話しかけてきたときに、となりからにわかに感じていた悋気だって。
すべて、彼女の想いが星野に向いているのなら、納得できる。
彼女とは、"恋バナ"というものをあまりしてこなかった。可奈が男子から人気であることは知っていたから、きっと少女漫画のような、綺麗で美しくて楽しい恋愛をたくさん経験しているのだと思っていた。だから、わざわざ訊く必要もないだろうと思った。その方が、彼女にとっても楽だろうと。
星野と可奈。文句の付けようがない美男美女カップルだ。
……その方がいい。その結末の方が綺麗だ。初めから、分かりきったことじゃないか。
どうせわたしは、人を好きになってはいけないのだから。そういう人間として生まれてしまったのだから。だったら、わたしにできることは決まっている。わたしは可奈に向き直って、とびきりの笑顔を見せた。
「ないない! 星野でしょ? あんなやつ、あるわけないよ」
あはは、とそれはもう豪快に笑ってみせた。首を振って。両手も振って。
違うよ、と全力で表すように。
「でもさ、星野と栞ってめっちゃ仲良くない?」
「なんか二人だけの世界というか、雰囲気があるよね」
白雪さんたちが顔を見合わせてそう呟く。やめて、言わないで。これ以上話さないで。心の中では叫んでいるのに、実際に声に出す勇気はなくて、わたしは曖昧に笑みを貼り付けた。この場をしのぐための、苦しくてどこか歪な笑みを。
それでも、わたしが照れ笑いを浮かべていると誤解した白雪さんが、「そういえば!」と声を上げる。
次は何を言われてしまうのだろう。耳を塞いでしまいたい気持ちを必死に堪えて言葉を待っていると、
「今日二人でデートしてたらしいね。他のクラスで噂になってたらしいよ」
と、案の定爆弾が投下された。白雪さんの言葉に、涼風さんもうなずいて同調する。どくどく、と自分の鼓動が速まっていくのを感じた。
これはまずい。
白雪さんがいうような『デート』はきっと、恋人同士の甘い雰囲気に包まれた空間のことだろう。星野とわたしはまったく違って、デートの『デ』の字もないけれど、一緒に歩いていたのは紛れもない事実だった。
どう訂正しても、興味津々なようすで身を乗り出す彼女たちを説得できそうにはなかった。
「別に、星野とわたしはそんなんじゃないから」
逃げ出したくなるのを抑えて、あくまで冷静な口調でわたしは言う。すると、「本当に?」と口許をニヤつかせた涼風さんが、
「そもそも、星野って栞としか喋らないし」
と、ぼやく。すかさず、白雪さんが
「たしかに、女子に興味なさそうだもんね」
とうなずいた。わたしは「そんなことないと思うけど」と消え入りそうな声でつぶやいて、身体を丸める。この空間から今すぐにでも消えてしまいたかった。
ふと、可奈と視線が合う。
「……栞ちゃん」
「やめて」
焦って、可奈の声を思わず遮ってしまった。その瞬間、可奈がハッと息を呑む。まるで言い訳をするように、早口でまくし立てる。
「たぶん可奈もみんなも、勘違いしてるから。ほんとに、わたしと星野はなんでもないの。恋人とか、好きだとか、あいつがそんな対象になるわけないじゃない」
「でも……だったらどうして」
可奈が顔を歪めて、わたしの頬に手を伸ばした。ひやりと触れた可奈の手は、ひどく冷たかった。
「そんなに悲しい顔をしているの……?」
そう言った可奈は、今にも泣き出しそうだった。眉を下げて、唇を噛み締めて。それでもまっすぐにわたしを見つめている。
「悲しくなんかないよ全然。見間違いだよ、こんなに元気だもん」
へへ、と笑ってみせる。彼女はいつだってわたしを見ていてくれるから、この中途半端な気持ちだってとっくにバレているのかもしれない。そう思うと、とても怖かった。
「……それより、ひとつ疑問があるんだけど。星野と香山くんっていつからあんなに仲が良いの?」
気持ちを見透かされるのが怖くて、わたしは強引に話題を変えた。ずっと気になっていたことだったから、なんとか話題につなげることができてよかったと心底安堵した。
星野と出会ったのは高校生になってからで、それまでの彼の交友関係はまったく知らない。白雪さんと涼風さんは偶然にも星野と小学校から同じということを聞いていたから、何か知っているのもしれないと思ったのだ。
「あー、あそこは前から仲良いよね」
「うん。たしか小三の冬……? くらいからだったかな」
中途半端な時期に違和感を覚えて首を傾げると、白雪さんは「星野って…」と涼風さんと顔を合わせた。
「小学一、二年は学校来てなかったんだよ。ずっと不登校って感じで」
「入学式から長く休んでる男の子、ってことでまあまあ噂になってた気がする。いったいどんな子なんだろうって誰もが気になってて。一時期、あんまり学校に来ないから病気なんじゃないかって噂もたって」
「えっ、病気……?」
いつも元気そうな星野とはまったく結びつきそうにないワードに、心臓がドクッと嫌な音を立てる。ぶるぶると身体が震えだし、呼吸が浅くなっていく。目を見開いたわたしに、白雪さんは慌てて首を横に振った。
「でも結果的に星野は普通に冬から登校してきたし、今までずっと元気そうだから大丈夫だと思うよ。きっと家庭の事情か何かなんだと思う。本人も何も言わないから、みんなもそれほど気にしてないし。どうしても入学式から休んでると周りと壁ができちゃったり孤立しちゃうじゃん? そのときに、いちばんに話しかけにいったのが香山なんだよ。だから、その時から二人は仲が良いってわけ」
「そう、なんだ……」
────よかった。安堵の息を洩らすと、涼風さんは「やっぱり気になってるんじゃん」と笑った。わたしは慌てて手を振り、否定する。
「ち、違うよ。誰だって不安になるでしょ。ほら、病気とか、普段の生活の中で聞かないし」
「……ふっ、動揺しすぎ」
「違うってばっ」
声が明らかに裏返っていて、顔が紅潮していくのが分かる。これでは、動揺が伝わってしまう。
「栞は星野のこと本当になんとも思わないの? 好きとかじゃなくても、気になるとか、みんなとは違うとか、特別とか」
────特別。
その言葉だけが引っかかって、やや言葉に詰まると、やっぱりと言った様子で涼風さんが畳み掛けてきた。涼風さんの言葉に白雪さんも続く。
「なんとも思ってないことないんじゃなーい? ねえねえ栞、どうなの?」
「好きなんでしょ、星野のこと。ウチが見る限り、たぶん星野も栞のこと────」
「やめてってば!!」
自分でも驚くほどの大きな声が出て、二人がハッと息を呑むのが分かった。ドッドッと鼓動がうるさい。
どうしよう……どうしよう。またやってしまった。とうとう抑えきれずに出してしまった。わたしは何度やっても、冗談を上手く流せないし、物事を穏便に済ませることができない。
「……ごめん、言いすぎた。二人のことなのに、余計な口挟みすぎた」
「つい楽しくて調子に乗っちゃった。ごめんね、栞」
申し訳なさそうに眉を下げる二人。
違う、悪いのは二人じゃない。恋バナは修学旅行の夜の醍醐味だ。許容できないわたしがすべて悪いのだ。
「────ちょっと外出てくるね」
いくら頑張って変わろうとしても、結局は失敗してしまう自分が情けなくて、みじめで、その場に残るのはさすがに耐えられなかった。
力なく首を振って部屋を出る。どこまでも続く薄暗い廊下は、怖いくらいに静かだった。
「……栞ちゃん」
ひゅうっと冷たい風が吹き、あまりの寒さに身震いする。ふいに後ろから声がかかり、ゆっくりと振り返る。
「可奈。こんなところに来たら風邪ひくよ」
旅館の中で、唯一風に当たれるスペース。ベランダのようになっているここは、ちょうど先生たちの部屋から見えない角度にある。とはいえ見回りに来られたらいっかんの終わりだ。
「だから迎えにきたの」
ふわっと微笑む可奈は、フェンスに寄りかかるわたしのとなりに並んだ。ふう、と息を吐いて、揃って空を見上げる。
「夜風って冷たいんだよ? こんなところにずっと居たら体調崩しちゃうよ」
「……うん。もう少ししたら戻る」
「じゃあ私も栞ちゃんが戻るまでここにいる」
まるで決定事項とでもいうかのように微笑む可奈は、遠くの方に視線を投げた。
「迷惑かけてごめん。格好悪いとこ見せちゃったよね」
「ううん。全然そんなことないよ。栞ちゃんはいつだって格好よくて可愛い、私の憧れの人だから」
ぶんぶんと首を横に振る可奈。優しい言葉までかけてくれて、心の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じた。
「……ねえ、可奈」
「ん?」
「────特別、って何だと思う?」
ふと口をついた言葉に、自分自身でもびっくりする。無意識のうちに、わたしはあの言葉の答えをずっと考えていた。妙に引っかかりをおぼえた『特別』を見つけたくて、ついそんな質問をしてしまった。けれど友達に訊くなんてどうかしている。わたしは慌てて、答えなくていいよ、と首を横に振る。
「あれ、何言ってるんだろ。ごめん、なんでもな────」
「失っちゃだめなもの」
「……え?」
ゆっくりと視線を向けると、そこにはひどく切ない表情をした可奈がいた。その顔がひどく大人びて見えて、ドクンッと鼓動の音がする。夜風が頰を優しく撫でた。
「この人がいないと私はきっと生きていけない。忘れようと思っても忘れられない。その人のためなら何だってできる。特別な人って、そんな人……かも」
最後の方は恥ずかしさが込み上げてきたのか、徐々に声が小さくなっていく可奈。いつのまにか"特別"が、"特別な人"に限定されている。
「可奈にも、そんな人がいるの……?」
視線を流すと可奈は唇を噛んで、星が輝く空を見上げた。きれいな横顔が、夜空に紛れる。溶けてしまいそうなほど儚かった。
「────いるよ」
可奈は夜空から瞳を流してわたしを見つめた。それからふわっと、砕けるように笑う。奥深くに憂いが混ざっているような瞳がわたしを映している。
「……栞ちゃんの気持ち、分かるよ。好きになっちゃいけないのに、どうしても好きなんだよね」
「えっ」
心を読まれたかと思った。必死にとどめている気持ちを見破られてしまったかと思った。暴れだす心臓を抑えるようにして、深呼吸する。それから頭に手をやって、そのまま下にすうっと指を滑らせる。
「……なんて、ね?」
あははっ、と悪戯っぽい笑みを浮かべた可奈。
「なんだ、驚いたじゃん」
同じように笑ってみせると、可奈はより笑みを深めてくるっと身体の方向を変えた。
「寒いし、そろそろ戻ろっか。嫌だって言っても問答無用で連れていくからね」
「……うん。そうする」
特別。
わたしはいつかこの答えを見つけることができるのだろうか。正解のないこの世界で、自分なりの、自分だけの正解を見つけることができるだろうか。
戻ろうとする可奈の小さな背中を、後ろから包み込むように抱きしめる。可奈が小さく息を呑んで「なぁに……?」と呟いた。
「ありがとう、可奈」
「……なにが?」
「────ぜんぶ」
こうして迎えにきてくれたこと。もしわたしの気持ちに気付いていたとしても、気付かないふりをしてくれていること。誰よりもそばで見守ってくれていること。わたしのそばにいてくれること。わたしに、出会ってくれたこと。
まだ伝えきれていないたくさんのありがとうを込めて。
わたしはそっと、大切な存在を抱きしめる力を強めた。