夜は感情の波が激しい。
 たとえ自分がどんなに幸せでも、つらいことがなくても、なぜか涙があふれてくる夜がある。自分自身、いったい何が哀しくて泣いているのかわからないのに、あとからあとから涙が出てきてしまって。誰もいない世界に自分だけポツンと取り残されてしまったような不安に襲われて、眠りにつけない夜がある。
 決して人には言えない。どうせ共感してもらえないから。

『なにそれ、病んでるふり?だっさ』

 痛いやつ認定されて、そんな言葉を言われてしまうのが目に見えているから。


 共感してもらえない孤独というものは、はかりしれないと思う。自分のものでさえよくわからないのに、ましてや相手の孤独を理解(わか)ってあげることなんて不可能だ。いつなんどきも孤独はその人のそばにいて、少しでも隙を見せると(むしば)もうとしてくる、深い深い闇。

 うう、と変な呻き声が洩れた。
 自分が情けなくなる。それと同時に、いつも楽しげに笑っているクラスメイトが猛烈に羨ましくなった。自分を見失ってしまうほどの闇も、苦しみも、何一つ背負っていないように見えてしまう。それは単に隠すのが上手いのか、本当に何も持っていないのか。後者の方が多いのだろうと考えてしまう自分の卑屈さと嫌らしさに、また涙が溢れてきた。

 ついさっきまで花火に感動していたのに、今抱いている感情は真逆だ。我ながら情緒が不安定すぎて、呆れと同時に笑いが込み上げてきた。

 泣きながら笑っている。笑っているのに泣いている。

 はたから見ると本当にどうしようもなく変人だ。
 そう思いながらひたすら走っていると、家の玄関まであっという間に着いてしまった。家の前のあかりすら灯っていない。目を瞑って、ゆっくりと深呼吸をする。

 ……きっと今日も、いつもと何も変わっていない。

 それはいいことであり、悪いことでもある。それでも、どうしようもないからわたしは同じような毎日を繰り返していくしかない。真っ暗な玄関には一足の靴が綺麗に揃えられていて、心の中で、やっぱり、とため息をついた。落胆に近いけれど、これはもはや諦め。期待の欠片すら、そこにはなかった。

「ただいま……」

 無駄だと分かっていても、一応リビングに顔を出す。電気もエアコンもついていない部屋の中で、お父さんが一人、静かに座っていた。カラカラ、と年季の入った扇風機がらしくない音をあげて回るのが視界に入る。わたしの声にゆっくりと振り返った父の顔は、暗くてよく見えない。助かった、と思った。

「おい、凪海(なみ)

 自室へ行こうと身をひるがえした途端、飛んできた声にビクリと肩が跳ねる。久しぶりにきいた父の声は、ひどく掠れていて聞き取りづらかった。驚いて硬直していると、さっきよりも大きな声で再び「凪海」と呼ばれる。

「わたしは……お母さん、じゃないよ」

 震える声で言うと、「そうか」と小さな呟きが返ってきた。ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたような感覚になる。

「……ごめんね、わたしで」

 そんな言葉を置いて、自分の部屋に飛び込んだ。


 どんなにいいことがあっても、楽しいことがあっても、その二倍悲しいことや辛いことが増えていく。学校にも家にも、居場所があるようで、ない。一瞬でもいいから、すべてから解放されるような場所に行ってみたい。きっとそこは、以前わたしが望んだ何もない世界。

「苦しい……」

 どこにいても苦しくて、何をしていても呼吸がうまくできない。

 幸せそうに見える人はきっと、幸せを見つけるのが上手なんだと思う。ごくありふれた日常の中で幸福を得ることができる人は、長い人生の中でも両手で抱えきれないほどの幸せを感じながら生きていくのだろう。

 暗い部屋で静かに目を瞑る。まぶたの裏に、さっき見た花火の情景が浮かんだ。花火が上がった瞬間、たしかに心が動いたはずなのに、もうその感動は薄れてしまって思い出すことができなくなってしまっている。楽しい記憶がつらい感情で塗り替えられてしまったことにまた哀しみを感じるくらいなら、初めから楽しい思いなんてしないほうがいい。
 どんどん暗い気持ちに陥っていくのを打ち消すように、部屋のあかりをつけた。

「まぶし……」

 明るい、何もかも。
 暗い部屋に急にあかりがついたとき、しばらく眩しすぎて目を開けていられないように。暗い世界に慣れてしまったわたしにとって、周りの世界は明るすぎる。眩しすぎて、目を開けていられないほどに。

 きっと今日の出来事だって、星野の中ではほんの些細なことにすぎなくて、この先思い返して語り合うことなんてないだろう。それは分かっているのに、わたしの中でなかったことにできるかと問われたら、その答えは否だ。

 かすかな胸の高鳴りも、たしかな感動も、ついしてしまった拒絶も、小さく生まれた哀しみも。すべてわたしの心の中に残って蓄積されていく。

 蓋のない箱の中に、ゆっくり、ゆっくりと。