「りんご飴ある! あっ、こっちには綿飴があるよ!」

 大会が終わり、やって来た念願の夏祭り。わたしの浴衣の袖をちょんと引っ張りながら飛び跳ねる可奈は、黄色の地に真っ白な百合が咲いている浴衣を着ている。髪には浴衣に合った、可愛らしい花の髪飾りをつけていて、彼女が跳ねるたび、控えめに揺れている。
 穢れない彼女の象徴である純白は、夜の暗さにも溶けずに、その存在を美しく主張していた。

「そんなに急がなくても、りんご飴も綿飴も逃げないから」

 苦笑しつつ、手を引かれるまま彼女についていく。するすると人混みをすり抜けていく彼女が目指すのは、かき氷屋台のようだった。

「え、かき氷?」
「うん!」
「りんご飴と綿飴は?」
「それも食べるよっ」

 にっこりと笑った可奈は、列の最後尾に並んだ。ワクワクを隠しきれていない顔で「何味にしよう」と悩んでいる。彼女はわたしが思っていたより、意外と食いしん坊なのかもしれない。そんなことを思いながら、彼女の後ろに並ぶ。

「イチゴひとつお願いします!」
「じゃあわたし……ラムネで」

 王道なイチゴを頼んだ可奈は、満面の笑みでかき氷を受け取った。わたしもラムネを受け取り、人が少ないところに腰掛けて、かき氷を口に運ぶ。

「んっ! 美味しい!」
「ほんと。美味しいね」

 しゅわっとした感覚が口の中に広がり、夏らしい爽やかな味がした。かき氷を食べるのは何年ぶりだろうか、と頭の片隅で考えながら、イチゴのかき氷を食べる可奈を見つめる。

「……そんなに見られると、恥ずかしい、っていうか」

 わたしの視線に気付いた可奈が、ほんのりと顔を赤くさせて瞳を揺らした。

「ごめん。見惚れてた」

 かき氷を食べる可奈が、女のわたしから見てもあんまりにも可愛かったから、ついじっと見つめてしまった。きっと彼氏の前でもこんな感じなんだろうな、と思う。可奈の彼氏は毎日この可愛さと真正面から向き合わないといけないってことだ。可愛さを感じる分、自らの命の危機も感じて生きていかなければならないだろう。そこまで考えて、ふと思いついてしまった。

「可奈……今さらだけど、お祭りに一緒に来るの、わたしでよかったの?」

 可奈に彼氏がいるとかいないとか。そういう恋愛系の話はわたしたちの間では皆無だ。それは、やめようね、などと話したわけではなく、不思議と感覚的に話してはいけないような、独特なオーラというか雰囲気のようなものがある。

 可奈の恋愛話に全く興味がないと言えば嘘になるけれど、無理して聞き出そうとするくらい気になるわけでもなかったので、そのあたりはぼかして曖昧にしていた。可奈もわたしのことについて何も訊いてくることはなかったので、お互いにあまり干渉しないようにしていたのだ。けれどわたしが聞かされていないだけで、こんなにも可愛い可奈には当然彼氏がいるだろうから、年に一度のお祭りにわたしなんかと来ていてよかったのか、さすがに心配になった。

「どうして? もしかして私とは嫌だった?」
「いや、そんなことはないんだけど。可奈は彼氏がいるだろうし、その人とじゃなくてよかったのかな、って……」

 そう言った瞬間、ふっと可奈の顔に影がかかったように見えた。けれどそれは一瞬で、可奈は口角を上げて首を横に振った。

「ううん、いいの。栞ちゃんがいいの!」
「ほんとに? ……いや、嬉しいんだけどさ。こんなふうにはっきり言われるとさすがに照れる」

 えへへ、と笑った可奈は「栞ちゃん、ラムネ一口ちょうだい」とわたしに向き直った。

「うん。いいよ」
「やった! じゃあ……」
「はい、あーん」

 氷をすくって差し出すと、可奈はピタリと動きを止めた。パチパチと何度も目を瞬かせて、まっすぐにわたしを見つめてくる。絡まる視線のなか、時が止まったような気がした。

「なに、どしたの」

 ゆら、と可奈の瞳が揺れる。驚いたように硬直する可奈に、こっちまで何かあったのかと不安になってくる。もしかして、間接キスとかを気にするタイプなのだろうか。

「可奈?」
「……あ、ごめんっ。いただきます」

 そんなわたしの不安をよそにパクッとかき氷を食べた可奈は「……美味しい」と呟いて視線を逸らした。
 以前お弁当の卵焼きをもらったとき、箸のことをあまり気にしているふうではなかったから、今回はたぶん、わたしの思い過ごしだ。差し出したかき氷のストローを、不恰好になってしまった氷にさしたそのとき。


小鞠(こまり)さん……?」

 小さくて控えめな声が横から聞こえて、声がした方をパッと振り向く。カップから小さな氷の塊が地面に落ち、すうっと地面で溶けて消えていった。

「なん……で」

 可奈の苗字を呼んだ彼よりも先に、彼の隣にいる男子に視線が吸い寄せられて、思わずそんな呟きが洩れる。目に入る信じ難い光景に目を見開くわたしに、"彼"は軽く手を上げていつものようにへらりと笑った。

「よう」
「どうして……」
「どうしてってなんだ。俺だって祭りぐらい来る」

 何度かの言葉のラリーをしているわたしたちの横で、さっき可奈に声をかけた彼────香山(かやま)くんが照れたように頭を掻いた。

「こんなところで会うなんて……奇遇だね。小鞠さん」
「えっ、あ、うん。そうだね」

 にわかに困惑気味の可奈にふわりと笑いかける香山くんは、自らのとなりにいる男子に「な、星野?」と同意を求めた。星野は小さく頷いた後、肩をすくめて天を仰ぐ。そんな適当な返しで満足したのか、香山くんは可奈の方を向いてにっこりと笑い「会えて嬉しいな」と告げた。

「小鞠さん、今日はどれくらいまでいるの?」
「あ……えっと、花火が上がるまでは、いるつもりだけど……」
「そっか」

 香山くんの視界には、わたしのことなどまるで入っていないのだろう。言葉が向かうのも、瞳が向けられるのも、すべて可奈だけだ。

(そりゃそうだよね。そんなの分かりきったこと)

 何の需要もないわたしなんかを見るより、思わず抱きしめたくなるくらい可愛らしい可奈を見た方がいい。お祭りというイベントだからこそ、普段話しかけることができない分、勇気を出す場でもある。それは分かっているけれど、それでも少しだけ……さみしい。劣等感はそれなりに抱くから、可愛い子のそばにいると余計に自分が惨めに思えてきてしまう。

 可奈のことは大好きだけど、羨望の眼差しを向けてしまうのも事実。となりを歩きたくない、なんて。そんな身勝手で理不尽なことすら浮かんできてしまうときがある。可奈は何も悪くない。わたしにとって、大切な親友なのに。彼女のとなりに並ぶと、周りから比較されて嘲笑われているような気がして、ひどく落ち着かなくなってしまうのだ。

「もしよかったらだけど……」

 自らのズボンの裾を掴んだ香山くんが、まっすぐに可奈を見つめている。星野はそのとなりで黙って空を見上げて、これから続く言葉を悟っているような顔をしていた。なんだか居心地が悪くて、わたしも同じように空を見上げる。もう暗くなってしまった空には、小さく星が輝きだしていた。
 今日の花火は、綺麗に見えるだろうか。
 そんなことを思いながら、耳だけは意識を香山くんの言葉に集中させる。

「花火、一緒に見ない? もちろん成瀬さんも一緒でいいんだ」

 おお、と心の中で声が洩れる。なんだかわたしだけ雑な扱いをされた気がするけれど、まあ聞こえなかったことにしよう。香山くんの真意は正確には分からないけれど、可奈を誘うという行為自体、とてもハードルが高いことなので驚きが隠せない。勇気ある行動に、内心で大きな拍手を送った。

「え、と……栞ちゃん、どうする?」

 困ったように眉を寄せて訊ねてくる可奈。誘われたのはあなたなんだよ、と思うと同時に、わたしにきちんと訊いてくれるところがまた彼女らしいなと思った。ちらと香山くんに視線を遣ると、祈るような目でこちらを見ている。わたしに承諾してほしいという気持ちが前面にあらわれていた。

「可奈は、どうしたいの?」

 ここはやはり、本人の気持ちがいちばんだ。もし可奈が嫌なら、それは十分断る理由になる。

「私は……栞ちゃんに選んでほしい」

 上目遣いで言われてしまえば、誰だって簡単に断ることなどできない。男性からの誘いをまったく関係ないわたしが決めるなんて、まったくもって理解不能すぎる話だけれど、可奈がそれを望むのなら仕方がない。もう一度香山くんに目を向ける。香山くんは顔の前で手を合わせて、ガバッと頭を下げた。

「……あー、じゃあ一緒でいいんじゃない? 大人数で見た方が楽しいだろうし」

 結局、圧に負けてしまった。小さく息を吐きながら言うと、香山くんは「ありがとう」と途端に目を輝かせた。

「可奈、ほんとにわたしが決めてよかったの?」
「うん。ありがとうね、栞ちゃん」

 どこか寂しげに目を伏せる可奈を「あっちに座ろうよ」と香山くんが促す。そのまま図々しくも、ノーリアクションの可奈の肩を抱いて、ずんずんと歩き出してしまった。

「可奈……」

 呟きが、果たして届いたのか否か。あっという間に香山くんに連れていかれてしまった可奈は、人混みに紛れて消えてしまった。一瞬見えた(かげ)りは、きっとわたしが生み出してしまったものだ。途端に罪悪感に苛まれる。香山くんにとってはいいことをしたかもしれないけれど、可奈にとってあれが果たして良い選択だったのか、きっぱりと頷けるわけではない。


「……浴衣」

 残されたもの同士、気まずい沈黙を破ったのは星野だった。「ん?」と聞き返すと「それ、向日葵(ひまわり)か」とまた返される。

「いや、どうやったらこれが向日葵に見えるの」
「じゃあ、何の花だ」
「……菖蒲(あやめ)だよ」

 ふうん、と呟いた星野は、くるりと背を向けて歩き出す。涼しそうな白いTシャツから伸びる白い手を頭の後ろで組んで、空に顔を向けながら足を進める星野。モデル顔負けのスタイルが一際目立っていて、私服に少しときめいてしまった自分が悔しい。

「待って……! 場所分かるの?」
「香山から連絡きてる」

 片手でスマホを振る星野に追いついて、となりに並ぶ。星野はわたしにスマホの画面を見せて苦笑した。

「いいベンチが空いてたんだとさ。座る順番もほら、決められちまってる」

 そこには添付されたベンチの写真と、『星野、成瀬さん、小鞠さん、僕の順番でよろしく!』というメッセージが表示されていた。一応わたしと可奈が隣になるように配慮してくれたみたいだけど、それにしても可奈のとなりをがっつりキープしようとしている姿勢に、星野と同じく笑いが洩れる。もっとも、それは呆れからくる笑いだ。

 星野が歩くたび、周りの可愛い女の子や綺麗なお姉さん方がきゃあっと小さな悲鳴をあげているのがうかがえた。ちらちらと控えめに視線を向けているようだけれど、残念ながらバレバレだ。本人はまったくと言ったように気にしておらず、ああそうか、普段から慣れているんだな、と格の違いというものを見せつけられたような気分だ。

 嫉妬に溢れた視線を受け、逃げ出したくなっているわたしに星野が視線を移す。思わず「ひぇっ」と間抜けな声が飛び出した。
 何か変な箇所があるのだろうか。彼の視線は、わたしの浴衣に向いている。

「その色……いいんじゃねえの」
「え?」

 その色、がわたしが着ている浴衣の地の色のことだと気づいたのは、言われてから少し後のことだった。まさか褒められるとは思っていなかったからだ。
 淡く紫を帯びた青。暗くて深いこの色は、深海をあらわすときに使われる紺青色(こんじょういろ)。一目見ただけで心惹かれるほど綺麗で、落ち着きがあって、わたしはものすごく気に入っている色だ。

「なんか大人っぽくて、お前に合ってる」
「……え、なんか今日、変だよ。酔ってる?」
「まだ飲めねえよ馬鹿」

 頭を小突かれそうになるけれど、星野は振り上げた左手を止めて、何もしないままおろした。いつもの星野とは違う不可解な行動に首を傾げると、「今日はさすがにだめだろ」と返ってくる。

「え?」
「……綺麗にしてんだろ。崩れたりしたらいけねえから」

 トクン、と決して鳴ってはいけない音が鳴ったような気がして、慌てて視線を空に投げる。

 どうか、聞こえていませんように。
 この気持ちが、勘違いでありますように。

 そっと目を閉じてそんな祈りを、静かに煌めく星々に込めた。