「ナイシュー!」
「次ディフェンス、マーク捕まえて!」

 インターハイ初戦、第四クォーター残り五分。大きな声がコート上を飛び交い、声援が響き渡る。点差は二点差でうちのチームが負けているけれど、五分五分(ごぶごぶ)の勝負。接戦であるため、わたしを含めるいつものレギュラーメンバーで構成されたスタメンがずっと起用されている。
 当然体力的にキツく、何度も諦めたいと思ってしまうけれど。今までのわたしなら、力を抜いていたかもしれないけれど。それでも、今は。

「頑張れ、頑張れっ!」

 耳に届く声援。汗を拭って、懸命に足を動かす。
 可奈、中山さん、麗華先輩、真波先輩、星野。

 負けるわけにはいかない。諦めるわけにはいかない。みんなの思いを背負ってたたかうために、わたしはコートに立っている。

「リバウンド!」

 身体をぶつけてマークマンを押し出して、ボールに向かって思い切りジャンプする。指先まで神経を集中させた、そのときだった。

「……った……」

 ドンッ、と身体に衝撃が走る。そのままぐらっと視界が揺れて、コートに倒れ込んだ。相手選手と接触したんだ、と気付いたときには、すでに足首に鈍い痛みが走っていて、視界には茶色い床しか映っていなかった。

 ……嘘でしょ。
 わたしはいつも間が悪い。どうして、こんなときに。

 涙が溢れそうになる。笛によって試合が中断され、誰かがこちらに走ってくる音がした。それは数人のもの。可奈と、あとは誰だろう。ぼんやりとそんなことを考えていたときだった。

「立てる?」

 聞こえてきたのは、可奈とはまったく違う響きで。驚いてその姿を瞳に映す。
 彼女は。いや、彼女たちは。

「……中山さんたち……?」

 支えられるようにしてコートから出る。隅の方に座らされて、救急セットを持ってきた中山さんは黙って処置を始めた。

「どこが痛い?」
「……あ、足首」

 素早く様子をみた中山さんは、テーピングテープを取り出した。

「成瀬。お前、大丈夫か」

 状態を見にきた監督に迷いなく頷く。お前はこの先まだ出れるのか、そう問われている気がした。

「出れます。まだやれます」

 監督は静かに考えていたけれど、わたしの目を見つめ返すとこくりと頷いた。

「そうか。だが、無理だけはするな」
「はいっ」

 そう言った監督はベンチに戻っていく。

 今しか、ない。ここしかないんだ。

 わたしは静かに中山さんに向き直った。伝えなければならないことがある。
 ずっと後悔していた。あんなふうに八つ当たりをしてしまったこと。

「中山さん、あのときはごめ────」
「今謝罪とかいいから」

 ピシャリと言い放たれて、言葉を呑み込む。言わせてもくれないのか、彼女は。足首に巻かれるテープを見つめながら、その手際のよさに驚く。

「……ベンチメンバーは、これしかしてあげられないから」
「えっ」
「……コート上で活躍するのは、あたしたちにはできないことだから」

 ぽつりと。それだけ言って、口を結んで処置を施してくれる中山さん。見ていたら、分かる。こんなに綺麗にテーピングできるのは、たくさん練習したからだ。巻き方を調べて、覚えて、練習したからだ。
 わたしたち選手が試合に少しでもコンディションよく出れるように、サポートするために。

 ……ああ。
 わたしはどうしてあんなに酷い言葉をぶつけてしまったのだろう。つくづく自分が嫌になる。

 裏方にまわることは、誰もが葛藤なくできることではない。上の人を支える、なんて簡単な言葉だけれど、実際に快くできる人はほとんどいないだろう。

「マネージャーがいない分、テーピングはうちらの仕事だし。あんたは気にせず試合してきなさいよ。……はい、終わり」
「……うん」

 こくりと頷くと、苦い顔をした中山さんはわたしを横目で睨んだ。けれどそれは以前のようなものではなくて、少しだけ優しさが含まれているような。

「すっごい変な顔してるよあんた。スタメンは堂々としていないと」
「……ありがとう。それと、本当にご────」
「ああ、もういいってば! ほんと学習しないねまったく……それなりに頭いいんじゃないっけ」

 ふいに視線が絡まる。数秒間見つめ合って、中山さんは茶色い瞳をふっと柔らかく細めた。

「次、交代でしょ」

 突き出された拳におずおずと拳を合わせる。
 崩れた人間関係の再構築は不可能だとずっと思っていた。一度仲が悪くなってしまえば、もう終わりだと。けれど、それはわたしの勝手な思い込みで。

「栞……がんばれ」

 気づけていないだけで。
 わたしの周りには、優しさが溢れているのかもしれない。



 わたしが抜けている間に点差は離され、まもなく十点差になろうとしていた。ピーッという審判の笛を合図に、他の選手と入れ替わる。

 わたしの背中を押してくれる人がいる。
 可奈に、麗華先輩に、真波先輩。中山さんに、星野。そして、大好きな人。

 真波先輩からボールを受け取って、中に切り込んで確実に二点を取る。こうやってディフェンスを崩していけば、勝機は十分にあるはずだ。ゴールにボールを入れるたび、ナイシューとベンチから声があがる。

 残り三十秒、三点差。相手がスローインを入れようとしている。

「か、かて……」

 勝てる。小さくても、そんなことを口に出すだけでいい。それだけで、いいのに。

「だめだ……言えない」

 唇が震えて、吐きそうになる。何も言えないまま、相手のオフェンスが始まってしまう。
 ファウルゲームに持ち込まなければならない。必死にファウルをしにいくのに、上手くボールを回されてどんどん時間だけがすぎてゆく。焦りが募れば募るほど、強引な動きが増えてしまって。やっとファウルしたときには、時間は十秒を切っていた。
 監督によってタイムアウトがとられる。水分をとりながら監督の指示を聞き、返事をしてコートに戻る。

「栞。あんたなら大丈夫。何があってもカバーするから」

 コートに入る直前、真波先輩がわたしの背中を叩いて、となりを通り過ぎていく。

「……っ、ありがとうございます!」

 いつも怖い先輩なのに。苦手なはずなのに。今は誰よりもわたしを励ましてくれる、心強い背中だった。ドクン、ドクンと鼓動がうるさい。

 緊張感に包まれる中、放たれるフリースロー。ガコン、という音が響き、生まれた安堵と落胆、わずかな焦り。二本目がガコン、と音を立てたとき、身体は動き出していて。

 必ず、とってくれる。先輩は、とってくれるはずだ。必死に自分のチームのコートに走る。
 残り、五秒。

「栞────!」

 ロングパスを受け取って、スリーポイントラインギリギリに足を揃える。
 完全フリー。こんな機会、そうそうない。決めなければ、絶対に。これを外せば────。

 ぶわっと脳内に先輩方の顔、中山さんたちの顔、そして可奈の顔が浮かんだ。手から力が抜けるような嫌な感覚がして、足が震える。
 それでも必死に己を奮い立たせて、オレンジ色目掛けてボールを放った。ボールは弧を描いてまっすぐにゴールに飛んでゆく。

 うだるような暑さのなか、誰もが息を呑んでボールの行く末を見守るなか。一瞬の静寂に響くリングの音とともに。


────夏が、終わった。