ふと、神様の話をしていて茉結は、神使のことについて話されていないことに気づいた。
「ねぇ、ゆうくんが言ってた神使の代表って?」
「ああ、その話もしておかないとだったね」
神使には、哺乳類や爬虫類、鳥類に想像上の生物など様々な種類がいる。
一般的に多く見られるのは狛犬だが、狐や兎、蛇なども数多く存在する。
他にも、数は少ないが狼や猫の神使もいるらしい。
神使の役割は、その神社の神を守護すること。
また、場合によっては神の代わりに使いとして人間の前に姿を現すこともあり、予言や助言をすることがある。
「──と言っても、滅多に予言なんてしないけどね。それに最近は、僕たちの姿が視える人が少ないから」
「神社の人でも見えないの?」
「宮司さんとかとは、たまに目が合うけど……。最近は僕たちみたいな存在が否定されてきてるから」
「そっか……」
「だから、珍しいんだよ」
何が珍しいのだろう、と茉結は首を傾げる。
「茉結ちゃんには、僕が視えてたでしょ?」
「あっ!」
──あれ? でも……。
裕太が助けてくれたあの時は、茉結以外にも見えていたはずだ。
「私以外の人にも視えてたのは?」
「あれは、誰にでも視えるようにしてたんだ。それが無くても視えるのは、茉結ちゃんだけだよ」
「どうして、私には視えるのかな」
「ああ、それは……」
裕太はどこかバツが悪そうに、目線を逸らした。
「は、話を戻すね!」
「? うん」
「えっと、神使の話だったよね」
「あ、うん。神使の代表?がまだ、かな」
「ああ、そうだったね。──神使の代表には、必ず苗字に『神』の文字が入ってるんだ」
「神……」
それは、その神使一族の中で、神に選ばれた者に苗字に付けられるという。
その選ばれ方は、神使によって異なる。
「狛犬の場合は、『強さ』かな」
「強さ?」
「身体的強さ、心の強さだったり。あやかしの場合は霊力も入るかな。他にもあるだろうけど。当時一族の中で一番強かったのが、うちだったんだろうね」
「今は違うの?」
「今もそうだよ。一族に限らず、狛神家と張り合える神使はいない。僕個人になると、ひとりだけいるけど……。でも、あいつ神使じゃないからなぁ」
後半は上手く聴き取れなかったが、裕太が強いのに間違いは無さそうだ。
──凄いなぁ。小さい頃は、一緒に遊んでくれてたお兄ちゃんみたいだったのに。今は……。
「どうかした?」
「えっ?」
「僕の顔ずっと見てたから、何かついてるのかなって」
「う、ううん! なんでもないの。ちょっと考え事してただけ」
「そう?」
茉結はこくこくと、頷いた。
裕太は少し納得のいかない表情をしたが、「そっか」とすぐに笑顔に戻った。
「じゃあ、次はどこに行こうかな。連れて行きたいところが沢山あるんだ」
「ふふ。楽しみにしてるね」
裕太から「はぐれないように」と繋がれた左手が、とても熱く感じた。
「おかえりなさいませ。裕太様、茉結様」
「うん。ただいま」
「あ、えっと、ただいま、です……」
夕方頃に帰ると、出迎えてくれたのは難波と鈴煉と数人の従者。
昨日のような多さではないため、茉結は少しほっとした。
「茉結様。お荷物をお持ちいたします」
「えっ、だ、大丈夫です。そんな重たいものでもないですから」
「そうですか……」
しゅん、と昨日のようにどことなくしょんぼりしているのは、気のせいなのだろうか。
鈴煉は表情にあまり変化がないため、とても分かりにくい。
── なんでだろう……。耳と尻尾が見えそうな気がする。
「ええっと……やっぱりお願いします」
「! はい。かしこまりました」
表情に変わりはないのだが、もし仮に今、彼女に尻尾がついていたら、嬉しそうに揺れていそうだ。
荷物を持って行った鈴煉の背を見ながら、茉結はぽつりと呟く。
「鈴煉さんって実は、中身も結構可愛いのかな……?」
「茉結ちゃん」
「ひゃっ」
驚いておかしな声が出てしまった。
「ご、ごめんね、考え事してて……」
「ああ、大丈夫。こっちもごめんね」
「ううん。それで、どうかしたの?」
「茉結ちゃんに会いたいってひとがいるんだけど……」
「えっ?」
客間のひとつに、裕太と一緒に難波に連れて行ってもらう。
「こちらでお待ちです」
「ありがとう。下がっていいよ」
「かしこまりました」
「あ、ありがとうございます」
難波は深く頭を下げて、その場を去った。
「入るよ?」
「うん」
──私に会いたい人って、誰だろう……。
まさか、と嫌な予感が頭を過ぎるが、そんなはずないと首を横に振る。
「失礼します」
裕太が襖を開けた先にいたのは、ふたりの男女だった。
「あらぁ、来たのね」
「…………」
薄桃色のふわふわとした長い髪に、紅葉のような紅い瞳。
小柄で守りたくなるような可愛らしい風貌の女性が、ちょこんと座っていた。
その隣には、座っているだけでも凄い威圧感があり、立ったら熊くらいはありそうな体格の男性。
裕太と同じ、白銀の髪と透き通る湖のような青い瞳をしている。
──あれ? このひと、もしかして……。
「久しぶり〜、裕太。元気にしてた? 秋雫は元気?」
「……母さん。来る時は前もって連絡してっていつも言ってるよね?」
「だって〜、裕太の“伴侶”が来るって訊いたんだもの。ねぇ、祐貴さん」
祐貴と呼ばれた男性は、女性の方に柔らかく微笑みかけながら静かに頷いた。
「相変わらずだな……」
「あ、の……ゆうくん、私に会いたいひとって」
「ああ、ごめん。紹介するよ。僕の両親だ」
「初めまして〜。あなたが茉結ちゃんね! お話で訊いてたけれど、すっごく可愛いわねぇ」
茉結よりも十センチ近く背の低い女性が、小走りでこちらへやって来る。
「あ、えっと……」
「ああ、ごめんなさい。名乗るのが先ね。初めまして。裕太と秋雫の母の春雫です。よろしくねぇ、茉結ちゃん」
「よ、よろしくお願いしますっ」
ふふ、と春雫は少女のようなあどけない可愛らしい笑みを浮かべる。
「ほら、祐貴さんもずっと座ってないで挨拶してくださいな」
「…………」
しかし、祐貴はぴくりとも動かない。
それどころか、段々と目つきの鋭さが増していく。
──え、わ、私なんかしたのかな?
こちらを恐ろしい形相で、見つめてくるので、この数分間で知らず知らずのうちに何かやってしまったのかと、茉結は内心慌てる。
「もう、祐貴さんったら。緊張して言えないからって、目で訴えかけないでくださいな。ちゃんと自分で言ってください」
──あれ、緊張なんですか!?
とても緊張しているようには見えないほど、鬼の形相をして、こちらを見ている。
「…………」
祐貴は無言のまま、首を横に振った。
「まったくもう……」
「父さんも相変わらずだね」
狛神家では見慣れた光景らしい。
裕太と春雫は呆れて苦笑した。
「ごめんなさいね。この人、熊みたいな体格なのに、極度の人見知りなのよ。だから私が代わって紹介するわね。裕太の父の祐貴さんよ」
「よ、よろしく、お願いします」
祐貴の方に向かって頭を下げると、彼も頭を下げてくれた。
──よかった。嫌われてはない、みたい。
「茉結ちゃんに会えてよかったわ。──それで、式はいつなの?」
「へ? しき……?」
満面の笑みで、春雫は問いかけてきたが、茉結には一体何の話なのかさっぱり分からない。
「母さん」
「……まさか、話してないの?」
「こっちにも色々あるんだ。まだ茉結ちゃんの気持ちが落ち着くまでは話せないよ」
「まあそう。残念ねぇ」
「?」
何も分からず、茉結はますます混乱する。
「ごめんなさいね。茉結ちゃん。裕太が話していないのなら、私たちからは何も言えないわ」
「そう、なんですか……?」
春雫は困ったような笑みを浮かべた。
ちらり、と茉結は裕太の方に目をやる。
「ゆうくん……」
「ん?」
「話して、ほしい……」
「!」
裕太が、茉結のためを思ってくれているのは分かる。
──本当にとこまでも優しいひと……。
「私、もう大丈夫だよ。だから話してほしい」
「……分かった。話すよ」
春雫と祐貴には、帰ってもらうことになった。
裕太の意向で、ふたりきりで話をしたいから、と。
ふたりは快く了承してくれて、また後日来てもらうことになった。
「……今から、話すことは茉結ちゃんにとっては嫌なことかもしれない。もしその時は、僕のこと嫌ってくれて構わないから」
「よく、分からないけど……。ゆうくんのことを、嫌いになったりなんてしないよ」
裕太は少し目を見開いたが、すぐに柔和な笑みを浮かべた。
「ありがとう」
裕太は茉結にも分かりやすいように、説明してくれた。
「僕たち獣人系のあやかしは、必ず“伴侶”が存在するんだ」
「伴侶……」
「そう。それは、同じあやかしにいることがほとんどなんだけど、稀にあやかしじゃなくて人にいる時があるんだ」
──そういえば、ゆうくんのお母さんも伴侶って言葉を言ってた気がする。
「例に出すと、僕の両親もお互いに伴侶同士なんだ」
「そうなの?」
「伴侶は、お互いが魂で繋がっている存在だからね。強く惹かれ合うんだよ」
「でも、その話と私に何の関係が……?」
裕太は少し頬を赤く染めて、言いずらそうに口を開いた。
「実は、僕の伴侶が……茉結ちゃんなんだ」
「えっ……?」
──ゆうくんの、伴侶……? 私が……?
裕太の言葉を理解した途端、茉結は全身がじわじわと熱を持ち始めたのを感じた。
「私とゆうくんが、伴侶、なの?」
「ああ、そうだよ」
「は、伴侶ってことは、結婚するの?」
「そう、だね。僕は出来れば茉結ちゃんと結婚したいかな」
茉結は両手を、真っ赤になった頬を隠すように置いた。
──け、結婚!? 私とゆうくんが? い、いくら小さい頃はゆうくんのお嫁さんになる! って言っていたとはいえ、まさか本当に……?
「茉結ちゃんは、嫌じゃない?」
「え?」
言われてみれば、茉結は先程から微塵も嫌だとは感じなかった。
むしろ……。
「むしろ、嬉しいかも……」
「えっ」
「全然、嫌だって感じなかった。むしろ、ゆうくんの伴侶が私なんて、嬉しくて死んじゃいそう……」
「死ぬのは困るなぁ。でも──」
裕太は、茉結の両手を自身の両手で包むように握る。
「よかった。嫌われなくて……」
「嫌うわけないよ。でも、本当に私でいいのかな?」
「魂の伴侶だよ? 誰も反対なんて出来ないよ。それに、僕に口出しできる奴なんていないから大丈夫」
裕太に左手を取られて、左手の薬指がそっと彼の口元まで近づく。
「必ず僕が幸せにすると誓います。だから、僕の生涯の伴侶になってくれませんか?」
「はい。不束者ですが、どうかよろしくお願いします」
裕太が、薬指にキスをする。
ふたりは顔を見合せて、幸せそうに微笑み合った。
とある昼下がり。
紅葉が見頃な狛神家の庭で女性陣の親睦会が開かれていた。
「まあ! では、兄様がプロポーズしたのですね!」
「ぷ、プロポーズ……」
改めて言われると、恥ずかしくて、茉結は頬を赤く染める。
「あ、秋雫ちゃんにはそういうのはないの?」
「わ、私ですか!?」
自分だけは恥ずかしい、と秋雫に矛先を向ける。
急に話を振られた秋雫は、顔が赤面する。
「わ、私はその……」
「秋雫にも、伴侶がいるのよ〜」
「そうなんですか?」
「か、母様!」
春雫は悪びれる様子もなく、「ふふふ」と上品な笑みを浮かべる。
「お、幼馴染なんです。彼の方が二歳上ですけど」
「幼馴染かぁ。素敵だね」
秋雫は、嬉しそうにはにかんだ。
「そのひとも、かくりよに?」
「いいえ」
「え?」
──じゃあ、私と同じ人間になのかな? でも幼馴染って言ってたし。
どういうことだろう、と茉結は首を傾げる。
「地獄にいます」
「…………」
秋雫の口から出た言葉に、耳を疑った。
「ご、ごめんね。秋雫ちゃん。もう一回言ってくれないかな? 上手く聞き取れなかったみたいで……」
「地獄にいるんです!」
どうやら、聞き間違いではなかったようだ。
一切曇りのない笑顔で言われると、疑う余地もない。
「秋雫、ちゃんと説明してあげなさい。茉結ちゃんが困っているわよ」
「あっ、えっとですね。私の伴侶は鬼なんです。鬼の一族は地獄の番人なので、地獄にいるんです」
「な、なるほど」
確かに、舌を切ることで有名な閻魔大王や昔の絵巻などに出てくる地獄の絵が描かれた物には鬼が多くいた。
──ということは、角が生えて金棒持ってて、結構恐ろしめな見た目だったり……?
しかし、裕太たちは人の姿をしており、見目も大変麗しい。
ということは、きっと秋雫の婚約者もそうなのだろう。自分の解釈が間違っていなければいいが……。
「あやかしのことは、まだ茉結ちゃんには難しいわよねぇ」
「でも、お姉様もこちらに住むことになるのですから、知っておいた方がよろしいのではないですか? 例えば、狛犬一族と敵対する一族とか」
「え、敵……?」
「敵というより、昔から反りが合わない一族がいくつかあってねぇ」
「そうなんですか」
「うちみたいに歴史があって大きな一族になるとね、よくあるのよ」
比較的に温厚を好み争いを嫌うのが、狛犬を中心とした兎や狼、鳥に亀などの一族。
その反対で好戦的で争いを好むのが、狐や龍などの一族。
意外なことに、鬼の一族は温厚派らしい。
「ほとんどの一族は、争いを好まないの。力や権力を持たない一族は特にね」
「あと最近は、時代に合わないからという理由でこちら側につく者もいます」
「でも、最近特に厄介なのは“蛇一族”よねぇ……」
蛇一族は弁才天に使える一族であり、温厚を好む一族だったのだが、一年ほど前から突然好戦的な態度を取るようになったそうだ。
「蛇神家の当主が病に倒れてね。今も療養中なんだけど床から起き上がれないくらい酷いらしくて。その代理当主が酷くて結構大変なのよ」
蛇神家現当主の代わりとして表舞台に出たのは、当主の息子だった。
彼は自己顕示欲や思想が強いようで、周囲からも煙たがられているようだ。
「“あやかしは人間たちに力を示して支配するべきだ”なんて、いつの時代のことを言っているのかしら。それに一度だってあやかしが人間界を支配したことなんてないのに。馬鹿は嫌ね」
はあ、と春雫が溜息を着く姿は本当に二児の母なのかと思うほど可愛らしい。
言っていることはやや物騒ではあるが。
──あやかしって皆そうなのかな? お父様も若々しいし。
「茉結」
心地の良い柔らかな声に名前を呼ばれて振り向くと、縁側に裕太が立っていた。
茉結は椅子から立ち上がり、裕太の方に駆け寄る。
「おかえりなさい。裕太君」
「ただいま」
「兄様ったら、もう帰ってきたんですか」
「早いわねぇ。もうお仕事終わったの?」
「まあ、一応今日の分はね」
「またそんなこと言って。どうせお姉様に会いに来ただけでしょう」
「そりゃそうだろ」
「少しは否定しなさいよ。バカ狛犬」
ちょっとした兄妹喧嘩を始めたふたりに、あわあわするが、春雫は「あらあら」と慣れた様子で見ているので日常茶飯事なのだろう。
すると、裕太の後ろからくすくすと笑い声が聞こえた。
「ふふ。君たちはいつも仲良しだね」
「!」
ほんのりと赤みがかった黒髪、眼鏡をかけていて少し分かりづらいがきりっとした奥二重の目には燃え上がる炎のような瞳がある。鼻は高く鼻筋も通っており、形の良い唇から出される声はきっと人々を魅了するだろう。
──誰かしら。裕太君の知り合い、よね? わっ、美形が並ぶと絵になる!
「と、とと灯真さま……?」
「やあ。元気にしていたかい? 俺の伴侶殿」
「ふぇ……」
「あ、秋雫ちゃん!?」
「おっと」
灯真、と呼ばれた彼が秋雫の伴侶だということにも驚いたが、今はそれどころではない。
彼の優しい笑顔と甘い声にキャパオーバーした秋雫が、膝から崩れ落ち──かけていたのだが、一体全体何が起きたのか。
先程まで裕太の少し後ろにいたはずの灯真が、庭に出ているではないか。しかもしっかり、秋雫の腰を支えて。
「大丈夫?」
「ひゃい……」
顔を真っ赤にして、完全に恋する乙女の表情をしている。
──秋雫ちゃんのあんな顔初めて見た。可愛い……!
普段の「姉様、姉様」と仔犬のように懐いてくれる姿も愛らしいが、これはまた違った可愛いらしさだ。
「久しぶりね、灯真君。ご両親は元気?」
「お久しぶりです。春雫様。相変わらず元気ですよ。またお会いしたいと母が言っておられました」
「まあ、嬉しいわ。また夫と会いに行くわね」
「その方がよろしいかと。あそこはいつも危険ですから。今日もあまり長居は出来ないのですが……義兄に呼ばれたので」
「もしかして兄様が無理やり連れ出したのですか? ごめんなさい。ただでさえ忙しいのに……」
「いいんだよ。今日は目的があってここに来たからね」
優しく頭を撫でている彼の表情は、秋雫に対する愛情がとても伝わってくる。
「……灯真」
「ああ。ごめんごめん」
まるで悪びれる様子もなく、にこりと微笑んだ灯真が茉結の方に体を向ける。
「初めまして。秋雫の伴侶の阿保灯真です」
背筋を伸ばし、しっかりと頭を下げられたので茉結も同じように挨拶をする。
「は、初めまして。裕太君のは、伴侶の、希ノ宮茉結です……」
まだ自分から伴侶と口にするのは慣れないため、恥ずかしくて少し詰まってしまう。
ふと、灯真がじっとこちらを見てくるので、何だろうと首を傾げる。
「あんまり見るな。減るだろ」
すぐ隣にいた裕太がむすっとした表情で、茉結の腰を抱いて引き寄せる。
「いや、犬の牽制は凄いなぁって」
「これくらいは普通だ」
「やりすぎじゃない?」
「お前だって似たようなこと秋雫にやってるだろ」
「俺のはまた別だからいいの」
「灯真さまも兄様も何を言ってらっしゃるの?」
「茉結は気にしないでいいからね」「秋雫が気にするようなことじゃないよ」と同時に言われ、ふたりは「は、はい……」と頷くしかなかった。
その様子を春雫は、「若いっていいわねぇ」と優雅にお茶を飲みながら眺めていた。
***
とある豪華な貴賓室に、ふたりの男がいた。
長いテーブルを挟み、向かい合わせで長椅子に座っている。
「──も、申し訳ございません! あのあとすぐに探したのですが……見つけることが出来ず……。く、加えて謎の力で家からも追い出されて……!」
顔面蒼白で深く頭を下げているのは、茉結と無理やり結婚をしようとしていた成哉だった。
「ご安心を。それについてはしっかりと原因を突き止めてあります」
「ほ、本当ですか?!」
「ええ」
人良い笑みを浮かべている男は、長い銀髪をなびかせていた。
しかし、その表情からは何を考えているのかも予想がつかない。
「忌々しい妖怪め……! 俺の婚約者を奪いやがって……。絶対許さない」
──こいつ、私の前で……まあいい。こいつにはまだ利用価値がある。終わったら始末すればいい話。
丸い顔を歪めて苦い顔をするのを見て、実に滑稽だと思うがそれを顔に出すわけにはいかない。
「成哉さんの言う通りです。貴方の婚約者を奪う奴など、許す必要ありません」
にこにこと笑みを絶やさない男に、普通ならぞっとするはずだが成哉は彼を信頼しきっている。
この男に任せれば全て上手くいくと思っているのだ。今までもそうだったから。──自分が掌で転がされているとも知らずに。
──あの男を殺せば、俺はあやかし界の頂点に立てるんだ……!
男は自分の輝かしい未来を想像して、ひっそりと気味の悪い笑顔を浮かべた。
***
茉結がかくりよへ来て、おそらく二週間程経った。
おそらく、と不明瞭なのはこの世界には時間の定義がない。
“空”と呼ぶのが正しいのか分からない所は、いつも朝方か夕方に見えるような色合いをしている。
時計もなければ、日付を確認する術もない。
それでも何となく時の流れが分かるのは、ご飯が一日三食あるからなのかもしれない。
──みんな、元気にしてるかな……。
ふとした時に考えるのは、自分の家族のこと。
狛神家の庇護にあるらしいので、身の安全は問題ないと聞いていても不安は拭えない。
はあ、と小さくため息を着くと「大丈夫ですか」と気配もなく言われて驚いた。
「あ、鈴煉さん」
「申し訳ございません。ため息を着いていらっしゃいましたので」
「ごめんなさい。大きかったですか?」
「いえ。ただ先程から何度も着いていらしたので。何か困ったことでもございましたか?」
──そんなにため息着いてたの!? 全然気づかなかった。恥ずかしい……。
熱くなる頬に手を当てて、気持ちを落ち着かせる。
「困ったこと、というか……家族のことで」
「茉結様のご家族ですか」
「その、やっぱり護られていると分かっていても不安で……」
「茉結様が不安になられる気持ちもわかりますが、今お会いになさるのは少々危険でして……」
「危険、ですか?」
「茉結様のご家族含め住居は、旦那様の強固な結界で守られておりますし、複数の護衛も付けております。ですが、茉結様ご自身が会いに行くのに少々問題がございます」
鈴煉は苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
「茉結様を狙う塵……いえ、身の程を弁えない阿呆な輩がおりまして」
──今、ゴミって聞こえたような?
気のせい、と言うには結構はっきり聞こえたものの、本人は真顔なので何も言えない。
「えっと、私を狙う人って……?」
思い出したくもない人物が頭をよぎる。
「おそらくですが、無礼にも茉結様に婚姻を迫った豚と気色の悪い蛇ですね」
鈴煉は相当苛立っているのか普段より口が悪いものの、茉結のことを思ってくれているのが伝わる。
──だけど、どうして蛇も?
何か関係があるのだろうかと頭を捻るも、何も思い当たる節がなかった。
「──ご安心ください」
「え?」
「茉結様のことは、旦那様と我々が必ずお守り致します」
「ありがとうございます」
“必ず守る”その言葉が茉結の心に深く染み込んだ。
お茶の用意をしてくれていた鈴煉の手が止まり、体を起こしてこちらに向き直る。
「茉結様。旦那様がお帰りになられるようです」
「あ、はい」
鈴煉は耳がとても良いようで、足音で誰なのかが分かるらしい。
裕太が帰ってきたと分かると、すぐに教えてくれる。
「おかえりなさい! 裕太君」
「ただいま。茉結」
裕太は両手を広げて茉結を抱きしめようとしたが、ハッとした表情をして腕を下ろした。
「裕太くん?」
「茉結をすぐにでも抱き締めたいけど、着替えてからだね」
「え、あ……」
抱きしめてもらえると思っていた自分が恥ずかしくなり、顔を赤く染める。
裕太は笑いを堪えるように、喉の奥でくくっと笑う。
「すぐに行くから、部屋で待ってて」
「ハイ……」
茉結の部屋には、三人以上は余裕で座れるほどの大きなソファがある。
先日、裕太が買ったもので、「茉結と一緒に並んで座りたい」と思って買ってきたらしい。
和室の部屋に置いていても違和感のないデザインで、高級感のあるソファだ。
値段は怖くて聞けていないが、絶対に高いのには間違いない。
そして今、そのソファに裕太が座り、裕太の膝の上に横抱きのような形で茉結も座っていた。
「ねぇ、裕太君。私やっぱり隣に座るよ」
疲れているであろう裕太を心配して言ったのだが、「やだ」と言われてしまう。
「茉結とこうしててると疲れが取れるんだ」
そう言って、先程よりも強く抱きしめられる。
上半身を少しかがめて、こてん、と首を傾げて上目遣いをして悲しそうな目をしてこちらを見てくる。
「もしかして、嫌だった?」
「うっ……」
美形の仔犬ような姿に、胸がきゅんとしてしまうのも仕方がないだろう。ましてや、好きな人なら尚更。
「全然、嫌じゃない……」
「本当?」
ぱあっ、と嬉しそうな表情にまた胸が高鳴る。
ないはずの耳と尻尾が、嬉しそうに動いているように見える。
──歳上のはずなのに可愛いなんて。あんなこと言われたら甘やかしたくなっちゃう……。
はあ、と溜息を漏らすと裕太から心配された。
「やっぱり、嫌だった?」
「ううん! そうじゃなくてね、その……」
ぽつり、と小さく呟くように「これからも裕太君への好きがどんどん増えていくのかなぁ、って思ったの……」と言った。
小さな囁き声だったが、裕太は全て聞き取ったようだ。
「……茉結」
「?」
名前を呼ばれて、見上げるようにして裕太の方を向くと裕太の顔が目と鼻の先にあり、唇に感じる柔らかい感触があった。
それを理解するまで、数秒を要した。
理解した途端、茉結は目を見開き顔を真っ赤に染め上げた。それを裕太は、目を細めて愛おしそうに見ていた。
どれくらい、そうしていただろう。茉結にとってはそれが、永遠にも感じられた。
互いの顔が離れても、どこか夢見心地のままだ。
「茉結。息が止まってるよ」
「ぇ……あっ」
「ふふ。そんなに喜んで貰えたなら、もう我慢しなくてもいいね」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
──もう、ってどういう……? いやまってそれよりも! ファーストキス……!
嬉しいやら、恥ずかしいやらで茉結の頭はパンク寸前だった。
そして、食事の用意が出来て呼びに来た鈴煉に、ほぼ全ての内容を聞かれており、ガッツポーズされていたことを、茉結は知らない。