親父の身体は、もうぼろぼろで、心臓マッサージの際にあばら骨が折れてしまうだろうと医者は正直に話してくれた。それは痛く苦しい延命処置であり、とても残酷なもののように俺には思えた。

 それでも生きていて欲しいから、延命処置を望む家族もいるだろう。

 けれど俺は、それらの処置は望まない方向で答えた。発作もなく静かな永眠を迎える事が、一番いい結末だと担当医は言う。俺も、それを見届けられたらいいなと、静かに本心を吐露して、その話し合いはしまいになった。


 それからというもの、俺は余計に救急車のサイレン音に怯えるようになった。親父が入院していても、していなくとも、いつかやってくるであろう別れの日が、確かな恐れの形となって俺の足元に影を忍ばせ始めた。


 約三週間の入院と、一ヶ月ほどの自宅療養が繰り返された。親父は少し歩けば息を切らせるようになり、あまり仕事も出来ず、外出もしなくなった。買い物は、ほとんど俺一人になった。