緊急入院が四回を数えるようになると、親父は緊急入院にも慣れたのか、余裕さえ見えるようになった。初めての食道静脈瘤の破裂の激痛に比べれば小さなものだと開き直り、入院中に看護師をからかったり、院内のストアで商品を物色したりと持ち前の自由さを発揮した。

 それに比べて、俺は救急車のサイレン音が聞こえるたび、ドキリとせざるを得なかった。親父が見えない場所で耳にするサイレン音が、すっかり苦手になってしまっていた。

 共に暮らした方がいいのかもしれない。俺は、次第にそう考えるようになった。

 親父が住んでいるのは、古い一軒家である。救急車の担架が入りにくいほど廊下は細く、修理待ちの機械やその材料が積み上げられていて、救出の際には邪魔になる。夏は暑く、冬は寒い家では、親父の身体も辛いだろう。

 有り難い事に、俺は安月給ではなかったし貯金もあった。親父の闘病にかかる費用を含めても、もう少し広い場所に住めるくらいの余裕はあったのだ。だから、ある日、俺はそれとなく親父に打診してみた。

 すると、親父は、その提案を即座に却下した。