不平不満があれば、軽い口喧嘩が起こるのは日常茶飯事だった。闘病生活前までは自由気ままな生活を送っていた事もあって、親父もストレスがあったのだろう。一日に飲む薬の種類も粉、固形、ゼリータイプと十二種類以上あり、飲むタイミングをきっちり確認しなければならなかった。

 病気は、金もかかれば時間にも縛られる。だから俺達は、互いの鬱憤を晴らすように言葉で喧嘩した。俺は病人相手に本気で怒鳴る事はしなかったが、苛々が積もると無言で過ごす事もあった。


 けれど親父の闘病が始まって二年が経った頃、彼が勝手に車を運転して接触事故を起こす事があり、俺達は再会後はじめて、本気で大喧嘩をした。


 思わず俺は、「お前のせいで人生が台無しだ」と怒鳴り散らし、これ以上迷惑をかけるくらいなら縁を切る、とまで啖呵を切って親父の家を後にした。

 闘病生活が始まって二年が経過していたから、互いに考える時間が必要だったのかもしれない。一日会わない時間を置いた後、俺達の間に微妙な変化がうまれた。