年初めの定期検診の日、俺は医者から、親父の余命が二年だろうと伝えられた。
次は三年に伸びるのではないかと、俺はころころと変わる余命宣告に、そんな事を思った。
◆◆◆
年が明けても、俺と親父の暮らしは闘病を基盤として変わらず続いた。
親父は減塩とカリウムと脂質の制限、出来れば炭水化物も減らすようにといわれた食事を自分から行った。
俺は朝に親父の家に顔を出して会社に行き、定時には上がって、夕飯のメニューを考えながらスーパーに立ち寄り、親父のところまで行く。週に三度は、夕食後に彼の買い物に付き合って車を出すのが習慣になった。
親父の家には入り用な物が多く、古い家電製品も一つずつ買い替えていった。火花が散るドライヤーや、半壊したタコ足配線電源には呆れさせられた。うまく米が炊けなくなった炊飯器や動かなくなったビデオデッキの他にも、入手経路が非常に気になるタイヤがパンクした自転車も処分した。
次は三年に伸びるのではないかと、俺はころころと変わる余命宣告に、そんな事を思った。
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年が明けても、俺と親父の暮らしは闘病を基盤として変わらず続いた。
親父は減塩とカリウムと脂質の制限、出来れば炭水化物も減らすようにといわれた食事を自分から行った。
俺は朝に親父の家に顔を出して会社に行き、定時には上がって、夕飯のメニューを考えながらスーパーに立ち寄り、親父のところまで行く。週に三度は、夕食後に彼の買い物に付き合って車を出すのが習慣になった。
親父の家には入り用な物が多く、古い家電製品も一つずつ買い替えていった。火花が散るドライヤーや、半壊したタコ足配線電源には呆れさせられた。うまく米が炊けなくなった炊飯器や動かなくなったビデオデッキの他にも、入手経路が非常に気になるタイヤがパンクした自転車も処分した。