雪蓉が、図々しくて生意気で、挙句の果てに無理やり人の唇を奪った失礼千万な不埒(ふらち)な男を助けてから一か月後。

 雪蓉はすっかり元の生活に戻っていた。

というのも、男の頬を渾身の力で平手打ちし、「死ね! 馬鹿! 変態! 下衆野郎!」と思いつく限りの罵詈雑言を浴びせ小屋を飛び出し、次の朝行ってみると、男は忽然と姿を消していたのだ。

 あれだけの大怪我を負って、一人で山を下りるなど自殺行為なはずだ。

確かに死ねとは言ったけど、本当に死んでいたら心地が悪い。

あんな最低な奴でも、助けた手前無事だろうかと気に病んでいる。

(もういい! 大丈夫よ、なんでか知らないけど、凄まじい回復力だったし。急に記憶を思い出して帰ったんでしょうよ)

 そうであればいいと、雪蓉は密かに願う。

蒼玉色の瞳、整った顔立ち、見上げるほど高い背丈……。

雪蓉の作った料理をとても美味しそうに無我夢中になって食べる姿。

思い出すと、少し寂しくなる。

軽快な軽口を交わし合い、互いに口は悪かったけれど、本気で腹は立たなかった。

(元気だと、いいな……)

 雪蓉は大きな入道雲を見上げながら、心の中で呟いた。

 今日も無事に饕餮に食事を捧げ、洞窟から帰る道すがら、騒がしい物音がした。

馬の鳴き声や、騒々しい人の声。

それらは雪蓉たちの住む家屋から聞こえてきた。

 小さな女巫たちと何事かと目を合わせ、急いで家屋へと走る。

 そこには馬に乗り、鎧で身を固めた武官が大勢列挙していた。

物々しい雰囲気に、小さな女巫たちは震えあがる。

 仙の居宅を取り囲むようにして、武官たちは馬上から周囲を見回していた。

そして、腰の曲がった小さな仙が居宅から外に出て、一人で対応しているようだ。

(何を話しているの……?)