そして、花茶会当日。
 悲しげに手を振る子鬼たちに「終わったらすぐに帰ってくるからね」と言い置いて、撫子の屋敷へと向かった。
 到着した撫子の屋敷は、以前のように清浄な空気を感じる。
 空気が澄んでいるのだ。
 とても心地よく、なんだか体に力がみなぎってくるかのよう。
 これも屋敷内に社があるからなのだろうか。
 神聖な雰囲気は元一龍斎の屋敷で見つけた社と同じものを感じる。
 他の人たちも柚子と同じ感覚でいるのか気になった。
 本社へ訪れた日以降、できるだけ本社へ参るようにしている。
 学校のある日にはほぼ毎日参っている。
 そのせいだろうか。
 これまで以上に感覚が研ぎ澄まされてように、社から発せられる清流のような清らかな力の流れを感じるのだ。
 龍によると、それは神の力なのだという。
 神子としての力が強まっている証拠だとも言われた。
 柚子にはよく分からないが、悪いことではないらしいので放置している。
 神子の力が強まったところで柚子にはなにが起こるわけでもないのだから、関係ないだろう。
 しかし、本社へあれだけ通っているのだから、撫子の屋敷内にある社にも参っておくべきだろうか。
 その辺りのことは、のちほど撫子に問うとして、柚子は屋敷の家人に案内されて参加者が集う部屋へ案内された。
 今回は手伝いとしてやって来たので、招待客が来る時間より早く訪れていた。
 しかし、部屋にはすでに桜子の姿があるので、柚子は慌ててしまう。
「すみません、桜子さん! 遅れてしまいましたか?」
「いいえ。私も今来たところですよ」
 ふんわりと上品に笑う桜子に、やはり鬼の中でも特に美しいなと改めて実感しながら、桜子の品のよさはどうしたら身につくのだろうかと、何度となく感じた疑問を浮かべる。
「他の方もまだいらしておりませんから焦らなくても大丈夫です」
「それならよかったですが、お手伝いと言われると初めてのことにどうしていいやらで、昨日から緊張してしまって」
 すると、桜子は口に手を添えてふふふと小さく笑う。
「たいしたことはしません。皆様の話を聞きながら配膳をするぐらいです。いずれは主催者として、中心になって話を回していかねばなりませんが、今はまだ見習いと思っていらしたらよろしいのではないでしょうか」
「見習い……。でも、そのうち主催者だなんて、私には大役すぎて上手にまとめられそうにないです……」
 すでに負け戦のような気持ちである。柚子は頭を抱えた。
「前回の花茶会を思うと、余計にやっていけるか心配で……」
 初めての花茶会は柚子のトラウマ回と言ってもいい。
 新婚で浮き足だっている柚子を現実に引き戻した花嫁たちの本音。
 まだ知らない花嫁の実態。
 今日もまた前回の花茶会のように不穏な雰囲気にならないだろうか。
 柚子はそれだけが心配だった。
 撫子には自慢をしろと言われたが、穂香のようにあやかしを明らかに憎んでいる人を相手に、旦那の惚気なんてなんの罰ゲームなのか。
 苛立たせること間違いない。
 玲夜には気丈に振る舞って、強気な発言をしていたが、内心では憂鬱で仕方なかった。
 そもそも柚子は元来打たれ弱い方なのである。
 透子の図々しさが心底羨ましい。などと本人の前で言ったら怒られてしまうだろうか。
 けれど、本気で思っている。
 と、あーだこーだと余計なことを悩んでいると、続々と招待客がやって来た。
 沙良と撫子もそろい、花茶会が始まった。
 柚子は花嫁たちの会話に相づちをしながら、桜子とともに配膳を手伝う。
 雰囲気は始終穏やかなもので、前回のあの暗雲とした空気はどこにもない。
 しかも、旦那への愚痴が飛び交うものの、そこに嫌悪感は含まれていなかった。
「私の旦那様ったら、娘にもやきもち焼いてしまうのよ。困ったものだわ」
「あら、うちなんてペットの犬に嫉妬していたわよ」
「ほんと困った旦那様だこと」
「独占欲が強すぎるわ。そんなに私が信用できないのかしらね。まったくもう」
 不満をぶつけ怒っているようでいて、これはただの惚気だと柚子でも分かる。
 あれ?と思った柚子はなにもおかしくはない。
 ここに透子がいたとしても、柚子と同じく首をかしげたに違いないのだから。
 あまりにも会の雰囲気が別物なのだ。
 前も同じようにあやかしの花嫁が呼ばれたはずなのに、どうしてこうも違うのかと、柚子は戸惑ってしまう。
 時折柚子の話となり、玲夜との惚気話を挟んだり、料理学校へ行っている話もした。
 だが、玲夜との話題では一同から微笑ましそうに見られ、料理学校へ通っていることは驚かれたものの、穂香のように過剰に反応する者はいなかった。
 むしろ応援するような言葉をかけられたぐらいだ。
 平和すぎて逆に困惑してしまう。
 すると、なにかを察した沙良に声をかけられる。
「柚子ちゃん。今、思ってたのと違うって考えてたでしょう?」
「はい……」
 的確に柚子の心の声をついた沙良の言葉に、柚子は頷くしかできない。
「あら、どういうことですか、沙良様?」
「柚子ちゃんが初めて参加した前回は、穂香ちゃんたちを呼んだ回だったのよ」
「あらあら、それは。新人の洗礼ですわね」
「大変でしたでしょう?」
 花嫁たちが憐憫を含んだ眼差しで柚子を見た。
「あ、えーと……」
 柚子は反応に困り曖昧な言葉しか出てこない。
 そんな柚子に花嫁たちはクスクスと笑った。
「穂香様を中心とした一部の花嫁はあやかしである旦那様を嫌って……いえ、憎んでいますからね。自分をなにより不幸だと感じていらっしゃるのですわ」
「でも、決して穂香様たちの被害妄想とも言えないので、私たちも穂香様たちと会をご一緒する時は言葉に気をつけているんですの」
「穂香様たち一部の花嫁の旦那様はなんというか、過激と言ったらいいのでしょうか……。うまい言葉が出てこないのですが、とりあえずすごいのです」
「ええ、すごいのですよねぇ」
 別の花嫁が同意すると、まだ別のひとりが頬に手を当てて頷く。
 すごいってなに!?と柚子は思ったが、それ以上の言葉が花嫁たちから出てこない。
「あの、それってどういうことでしょうか?」
「思わず語彙力を失ってしまうすごさなのですよ。柚子様もいずれどこかのパーティーで彼女たちの旦那様にお会いしたら分かりますよ」
「はあ……」
「あの方たちとお会いするたびに、自分の旦那様の懐の大きさを感じるのですが、そうでなくとも柚子様の旦那様は懐がたいそう大きな方のようですものね」
「ええ。働くのを許すなんてなかなかできることではありませんわ。きっと旦那様を惚れ直してしまうのではないかしら」
 うふふふと、花嫁たちは微笑ましそうな眼差しで笑った。
 柚子はよく分からなかったため、愛想笑いをするに留める。
 どうやら穂香の旦那が他の花嫁の旦那と比べてかなりヤバイということはなんとなく伝わってきた。
 前回、花茶会に参加した穂香を始めとする花嫁たちは特に旦那からの締めつけが強く、この場にいる花嫁たちの旦那は比較的自由にさせたくれるらしいことが伝わってきた。
 会えば分かるらしいが、できるなら会いたくないなと柚子は思った。
 話は変わり、いつまで撫子と沙良が主催者としているのかという話題に。
「できればいつまでもおふたりに会を率いてほしいですが……」
「私もそうしたいのだけど、撫子ちゃんも当主として忙しいし、年々花茶会を開く回数が減ってきているのを私も撫子ちゃんも気にしているのよ」
 沙良がそう言うと、花嫁たちは残念そうにしたが、それ以上を求めることはしなかった。
「大丈夫よ。しばらくは私たちが続けるし、その後はちゃんと柚子ちゃんと桜子ちゃんが花茶会を続けていってくれることになっているから」
 中には少々不安そうな表情をわずかに見せた花嫁もいたが、比較的好意的に受け入れられているようで、嫌な顔はされなかったのが幸いだった。
 ほっとした表情を浮かべた者がいるところを見るに、やはり花嫁にとって花茶会という存在は彼女たちにとって息抜きになっているのだろう。
 惜しんでいるのがよく伝わってくる。
「あの、それについて質問してもいいですか?」
 思い切って柚子がおずおずと手をあげる。
「あら、どうしたの、柚子ちゃん?」
「いつも送られてくる招待状のことなんですけど……」
「撫子ちゃんが送ってるものよね。それがどうかしたの?」
「私じゃあ、撫子様のように狐をお使いに出せないんですが、あれってどうしましょう?」
 予想外の発言だったのか、沙良は目を丸くしている。
 撫子も一瞬の沈黙の後、「ほほほほ」と楽しげに笑い声をあげた。
「柚子はそのようなことを気にしてたのかえ? かわいらしいものよ」
「あらあら、柚子ちゃんったら」
 沙良と撫子があまりにも笑うものだから、柚子は自分の発言が恥ずかしくなってきた。
 しかし、ここで思いもせぬ助け船が出る。
「柚子様の気になる気持ちは分かりますわ。私も毎回送られてくる狐の折り紙を楽しみにしておりますもの。折り紙が狐へと変身する様は何度見ても不思議でなりませんものね」
「私もです。いつ見てもかわいらしいですもの」
「確かにあの狐さんがなくなってしまうのは悲しいですね」
 次々に花嫁から狐を惜しむ言葉が続く。
 やはりあの狐を愛らしく思っていたのは自分だけではなかったと知って柚子は嬉しかった。
 同志を得た気分だ。
「どうやらわらわが思っているよりあの狐を楽しんでくれておるようじゃな。わらわも作りがいがあるというものよ」
「確かにあの使役獣は人間には作れないものね」
 東吉にも作れないと昔言っていたので、弱いあやかしにも作るのは難しいだろう。
「だったら桜子ちゃんに作ってもらえばいいわ」
 名案だと言わんばかりに、沙良は両手を合わせた。
「えっ、桜子さんもああいうのが作れるんですか?」
 桜子に視線が集まると、桜子はにっこりと微笑んだ。
「撫子様のように上手に作れるかは分かりませんが、似たようなものは作れると思いますよ」
「だそうよ。よかったわね。柚子ちゃんが主催者になった時には、桜子ちゃんに招待状を作ってもらえばいいわよ」
「ええ。お任せください」
 問題は解決したというように、沙良は笑顔で手を叩いた。
 それに追随するように、他の花嫁も喜びを表して手を叩く。
「桜子様が作られるなら狐ではなく小さな鬼なのかしら?」
「あら、全然違う子かもしれませんよ?」
「どんな使役獣がお使いにくるのか今から楽しみですね」
 柚子と桜子が後を引き継ぐことは、受け入れられた様子。
 この日の花茶会はなんとも平和な空気のまま終わりを告げた。

 花茶会が終わり、招待客が帰った後、撫子に呼び止められる。
「柚子。せっかくこの屋敷にきたのだから、ここの社にも参っていっておくれ」
「私などが、いいんですか?」
 神から与えられた社だと知った今、部外者である自分が安易に近づいていいものか分からなかった。
「うむ。その方が喜ばれると、そこの龍にも言われたのでな」
 柚子の腕には、花茶会の最中どこかへ消えていた龍が戻ってきて巻きついていた。
「喜ぶって神様がですか?」
 何故に自分だと喜ばれるのか、柚子はいまいち分からない。
「その通りじゃ。ここへ来たら必ず参っていっておくれ」
「分かりました」
 撫子がそう言うのなら、断る理由もない。
 平日はほぼ毎日本社へ参っているのだから、やることは一緒なのだ。
 撫子について屋敷内にある社へ向かうと、手をパンパンと鳴らして静かに参った。
 それ以上特になにをするわけではなかったが、以前に来た時より違和感を覚えた。
 強い気配とでもいうのだろうか。
 そこになにかがいるような、ただの直感。
 けれど、決して悪いものではないとなんとなく思えた。
『……ず……』