気の合う親しい友人の遥子(ようこ)がいて、爽やかで優しい隼人くんがいて、日々はソツなく動き、将来は約束されている。


 だからこそ沸々と沸き起こるものがあった。


 胸の中のそれを蟠りだとか、がらんどうだとか、なんだかうまい言い回しが出来ずに私は「あれ」と心の中で読んだ。名前を付けるにはどうにもいじらしい存在だったからだ。


 あれは時に私の中すべてをせしめ、悪さをし、表立って出てきそうになっては理性で抑制し、涙を流して堪えてみたり、歯嚙みをして布団を被った。間に合わない時は周りに気づかれない程度に行動に移してしまい、後になってから何度も悔やみ続けることになる。


 SNSなんかのボイスで他者と共有してみれば、執着だとか、理由や、動機付けを色濃くすべきなんじゃないかと言われた。そういう問題なのかと、日常を捉えてみようとするも、上手くいかないがほとんどだ。


 だって充実しているから。私の人生はあまりに順風満帆だから。
 だから日常のスパイスに私は彼を見つめる他なかった。新見燿一郎は、私の心のどこか深いところに潜む「あれ」そのものに近しい存在であると、私自身が確信していた。






 今日、ボイスで知り合ったひとと落ち合う約束をしている。

 他にも「    」のは二人いるよ、と言われたので安心した。駅前のファーストフード店だし大丈夫だろう。人も多いし。

 安堵のつま先に、私は驚愕した。