十代の(あやま)ちというか、意味もなく名もない思い立ちはいくらでも存在する。

 今を生きるのが辛いなら一度死ぬのもありかもしれない。無理に頑張らなくていい。でも来世はそう簡単には巡らない。なら今世を生き切ってみるだけだ。


「ままー! お手紙きてる!」

「はいはい。ありがとう」

「だあれー?」

「だれだろー。パパには内緒ね」

「うん! はっくんにはないしょー!」









 あれから十年が経った今、未だに年に一度、私が死んだ日には必ずポストに一枚の葉書が投函される。


 私たちはお互いにこの紙切れで生を共有するのだ。

 本当に伝えたいことがあるとき、きっとそこにとりわけ言葉などいらないらしい。メッセージも何もない、ただ宛先だけが書かれた無機質で素っ気ない葉書を見るたびに私は彼に奮い立たされる。



 今日を生きていますかと。