魔界から来た男、夜神怪《やがみかい》。
 現在、悪魔界で魔王をしているが、大魔王になるべく修行のため人間界に降り立った。人間は弱く無能だから、俺に危害を加えることもない。人間たちは安全で平和な暮らしをしている。魔王の能力を駆使して、人間を洗脳して人間としてこの世界で生活をしている。もちろん誰にも気づかれてはいない。洗脳の力で戸籍も職業も簡単に手に入るからな。

 修行の内容としては、人間界で何かしらの職業を無事やりこなすこと。そして、人間界で嫁を見つけること。大魔王になるのにはこれが大事なミッションだ。そこで俺は中学校の教師という職業を選択した。いわゆる教育実習とか職業体験みたいなものだ。人間界で苦労して一人前になることが大魔王への第一歩ということらしい。

 洗脳の力をフルに使い、矢樫《やかし》中学の教師として潜入することになった。魔王たるもの、人間の勉強程度は簡単に理解しているから、教えること自体は問題はない。このまちはこの国で一番あやかしの類が多いらしい。そして、この中学にはダントツで霊能力を持つ者が多い。それが、この中学にした決め手だ。

「あれ、夜神はこんなところでまたさぼっているの?」
 この声は養護教諭の照野ひかりだな。この女は正直苦手だ。俺に対していつも対等に接して来る。しかも、新参者に対しては呼び捨てか。魔王に対して呼び捨てとはいつか絞めてやらねばならぬな。

「あなた人間じゃないでしょ」
 出会い頭に言う台詞じゃないだろ。図星を突かれて面食らう。言い方を変えると、ストレートに正面からパンチをかましてくるような感じだ。

「なんて失礼なことを言うんだ。俺は人間だ。どうしてそんなことを言うんだ?」
「悪魔の角がみえるから」
 当たり前のように俺の頭の上の角を指さす。

「そんなわけないだろ。だいたい、おまえに見えるのか?」
 見えるはずはない。人間には悪魔の角を洗脳によって、みえなくしているんだ。たしかに俺の角は魔王だけあって立派なものだ。隠しきれていなかったのだろうか。

「私、妖魔力が強いのよ。あなた良からぬことを考えているでしょ。この傷は? また誰かとケンカしたの?」
「ちょっと怪我しただけだよ。この程度の傷はすぐ治るさ」
「いっつもあやかしの類とケンカしてるんでしょ。この学校に来た目的は何?」
「バカなこと言うな。俺は普通の人間だ」
「またまた、隠しているつもりかもしれないけれど、私には隠せないわよ」
 俺は慌てて隠したはずの頭の角を触る。この角は魔王だけあってかなり立派な代物だ。自慢の角を人間には見えないように隠していたのに、こいつはもしや人間じゃないのか?

「わかった。おまえにこの角が見えるならば、白状しよう。俺は、魔王だ。そして、大魔王になるための修行に来ている。まずは人間界で仕事をすること。そして、嫁を見つけることがミッションだ。ミッションクリアの暁には大魔王になる権利を授与される」

「なんだ、婚活かぁ」
「婚活?」
「結婚活動よ。あんた悪魔界で、もてないからここまで来たの?」
「失礼だな。代々魔王の嫁は人間界から来てもらっているんだ」
「でも、魔王のところに嫁ぎたい人なんていないでしょ」
 なんていう言い草だ。魔王を馬鹿にしているとしか思えん。

「誰か悪魔に興味のある人間でかわいい女はいないだろうか?」
「かわいい女がいてもあんたみたいな悪魔に紹介はできないわ。人間界に戻れないとかそういうのはかわいそうでしょ」
「ちゃんと結婚後も人間界との行き来は可能だ。俺は優しいからな。俺の嫁は世界一幸せだと思うぞ。生活に不自由は絶対にない。だから、あなたについていきますという感じの優しい女を求めている」

 ひかりは怪訝そうな顔をする。

「自分でみつけなさいよ。夜神は一見クールだけど、意外としゃべると内面はクールじゃないのね。残念な感じ。女子生徒ががっかりするわよ」
「ため息をつくな、おまえこそ思った以上に面倒な女だ。この自慢の角が見えるとはむしろ光栄だと思え」

 腕組みして言うと、さらに怪訝そうな顔をされる。

「出たー!! 俺様キャラ。ここには、いつまでいるつもり?」
「1か月程度だと思うが、仕事で成果を出せば短くなるかもしれない。俺ならばあっという間に成果を出せそうだがな」
「はぁー。面倒な同僚ができたって感じ。くれぐれも人間社会に迷惑かけないでよ」
 だから、いちいちため息をつくな。

「魔物が襲ってきたら俺様が守ってやる。それくらい俺は強く有能だ」
「守った後に、恩きせがましく言われるのは勘弁だなぁ」
「そんな器の小さい男に見えるのか?」
「見えるよ」

 そんなことをやりとりしていると保健室に若手男性教師の三浦がやってきた。三浦は人のよさそうな優しい人柄だ。

「ひかり先生、今夜、一杯どうですか?」
「いいわね。せっかくだから、夜神も行こうか」

 なぜだ、なぜ俺を誘う。巻き込もうとするんだ。

「強引だな。俺がいたら迷惑だろ」
「そんなことはないですよ」
 俺を邪険に扱わない平穏な性格は人のよさそうな三浦らしいな。本当はこの女と二人きりで飲もうと思ったんだろうがな。

「でも、やっぱり……」
 少し残念そうな素振りで断っておくか。そのほうが無難だろう。

「夜神先生行くっていってます。予約よろしく」

「わかりました。じゃあ、放課後にまた」
 三浦が部屋から退出する。

「おいっ、行くとは言ってないけどな。勝手に決めるな」
「いいから来なさいよ。最近三浦先生からあやかしの気配を感じるの。万が一のとき、あんたがいたほうがいいでしょ」
「わかった。その暁には、いい女を紹介してくれ」
「真面目な顔で、そういうこと言うとクールなイメージ崩れるなぁ」

 俺の性格は本来クールとは程遠いからな。勝手なイメージを作り出すな。

「これは、俺が大魔王になれるかどうかの話だぞ。真剣事項だ」
「万が一、あやかしがいたら、ちゃんとやっつけられるんでしょうね?」
「おう、まかせとけ」
 俺は魔界から持参した短剣をちらりと見せる。これは万が一のために持ってきた妖魔刀だ。

 放課後、校外に出たところで、あやかしと対峙する。
「三浦先生、最近肩のあたりが重くないですか?」
 心配そうに、ひかりが問いかける。

 肩にあやかしのもやが見える。なるほど、ストレスを人間に与える現代妖怪が憑いていたのか。
「妖怪ストレッサー、出て来いよ」
 俺はストレッサーに呼びかける。

「なんですか? 妖怪?」
 三浦先生は少し驚いた表情をする。妖怪を信じる人間はそうそういない。

「ストレスを発散してください。そうじゃないとそのうち現代妖怪ヒロー(疲労)とカロー(過労)に取り憑かれてしまいますよ」
 養護教諭は職員のストレスケアまで担うとは思った以上に人間界の仕事は大変だな。

「疲労、過労は働く大人のお友達ですから」
 三浦は当たり前だと嘆く。
 もしかして、疲労が日常的ならば、ストレッサーが思ったより大きくなっているかもしれない。

「さて、俺の出番だな」
 魔界から持ってきた妖魔刀を出す。これは、どんなあやかしも魔物も切り裂く王家伝統の有能な剣だ。

「出てこい、現代妖怪。俺がめったぎってやる」
 魔族の血が騒ぐ。戦いは嫌いじゃない。魔界特製の妖怪をおびき出す香煙を出す。
 すると――小さい妖怪が巨大化する。ストレッサーと言う形のない妖怪の黒い煙が次第に大きくなる。妖魔刀を構え、様子をうかがう。

「ストレスで人間を壊そうとしているのに邪魔をするとは、許さん」
 ストレッサーが低い声で攻撃する。

「まずい、三浦先生の本体を人質にしているみたい」
 ひかりが焦る。

「おまえも人質だ」
 黒い影がひかりを包む。俺の剣は本体が煙であるあやかしには通じない。魔物とは幾度も戦ってきたが、このような煙の妖怪とははじめてだ。気体である煙は、切り刻めない。すると、ストレッサーが俺の体に威勢よく風を吹き付けて体を吹き飛ばした。俺は、そのまま道路の壁にぶちあたる。久しぶりに感じる痛みだ。最近、ぬくぬく平和に暮らしすぎたらしい。心地いい痛みが俺を呼び覚ます。本来の魔の血が騒ぐな。ストレッサーを睨みつける。

 俺は、魔界の妖魔粉を取り出し、ストレッサーめがけてふりかけた。すると、気体だったはずの妖怪が個体となる。つまり、攻撃ができるということだ。

 にやりと笑って短剣を構えて走る。相手の目をめがけて剣を突きさす。これで、ストレッサーは消えるだろう。突き刺した瞬間、蒸発する音がする。ストレッサーがしぼんでいく。まるで穴が開いた風船のようだ。

「二人とも、無事か?」
「大丈夫です。それにしても、なんですか? あの巨大な黒い煙は」
 三浦が初めての妖怪をまじかに見て戸惑う。

「現代妖怪ストレッサーですね。人間にストレスを与えて苦しめる妖怪です。最後は心を壊すみたいですよ」
「僕、取り憑かれていたみたいで、助かりました。お礼におごらせてください。夜神先生、かっこよかったです。夜神先生って選ばれた人間なんですか?」
 三浦は相変わらずの澄んだ目をしている。

「あんた、意外とやるわね。感謝するわ」
「もう少し、しおらしい言い方があるだろう。言い方ひとつとってもかわいげに欠けるな。三浦先生はこの人のどこがいいんですか?」

「それは、外見の美しさと内面の優しさです」
 素直な三浦先生にひかりはにこりとする。

「あら、夜神と違っていいこと言うじゃない」

「三浦先生、視力が悪いんじゃないですか?」
 俺は、すかさず言いたいことを口に出す。本当に三浦はどうかしている。

「ちょっとどういう意味よ?」
 怒ると目力がきつくなる。

「三浦先生は見る目がないと言っているんだ。とりあえず用事も済んだから、俺は帰るよ」
「そんなこと言わずに、お礼をさせてください」
「今日は夜神のおかげで助かったんだしね」

 三浦先生がいいお店を紹介してくれるらしく、断ることもできずについていく。
 三浦先生とひかりがにこやかに談笑するのを尻目に一人で酒を飲む。

「お酒に酔った勢いで言わせてください。ひかり先生、是非僕と交際してもらえませんか?」
 突然の三浦の告白だ。やっぱり俺は邪魔者じゃないか。なんで呼んだんだよ。ため息しか出ない。

「……」
 カクテルを持ったまま固まるひかり。

「でも、まだ好きとかそういう気持ちになっていないし」
「でも、嫌いじゃないなら、一緒にご飯食べに行ったりしてください。その中で好きだと思えたら付き合ってください」

「この女にそこまで惚れるとは奇特な男だな。そういう奴はそうそう現れないかもしれない。この縁を大切にするべきだな」
「人を何だと思っているのよ。私の良さを分かってくれる三浦先生は素晴らしい人間だわ。夜神とは全然違う」

 俺たちはどうも相性が悪いらしい。会えばすぐ口喧嘩だ。

「じゃあ、俺はこれで。あとは二人で楽しんでください」
 俺はこれ以上彼の邪魔をするべきではないと判断した。そして、店を離れることにした。

 自宅としている部屋に戻る。これも一時的に洗脳で借りている部屋だ。わりと住み心地のいいマンションだ。しかし、一時的なのでほとんど家具も荷物もない殺風景な部屋。そこで、とりあえずシャワーを浴びて日誌をつける。日誌は修行中は毎日の日課だ。そして、布団に入る。しかし、慣れない生活で体が疲れる。しかし、そこまで眠くもない。そこで、しばらく今日のことを振り返る。久しぶりの妖魔刀を使って戦ったこと。3人で飲食を共にしたこと。このような機会は元の世界ではほとんどなかった。魔王はみんなで食事に行くとかそういう立場ではない。この世界の人間は弱く非力だ。安全だから留学させるような気持ちで俺は送り出されたのだろう。

 そして、ひかりという養護教諭が告白されていたこと。このまま二人は付き合うのだろうか。いや、俺が帰った後二人はどうしたのだろう。帰宅したというのがもっともらしい回答だが、実は遅くまで飲んでそのままどちらかの自宅に行くことになったとか、そのまま朝まで飲んでいたとか。まさかな、次の日仕事だからそれはないだろう。そんなことを一人で考えていると、なかなか寝付けなかった。きっと慣れない生活のせいだ。