翌朝、いつも通り、職員室の側で時間を潰していると、三鶴がやってきた。ランドセルは教室に置いてきたようで、手ぶらだ。

「日永さん」

 呼びかけても返事はない。今日も三鶴はうつむき加減で、表情が見えない。

「家族にサワリがあると思う」

「サワリ?」

 唐突な会話の始め方に美咲は戸惑った。次の言葉を待って黙っていたが、三鶴はそれ以上話すことなく、美咲に背を向けた。

「待って!」

 三鶴は足を止めたが振り返りはしない。

「霊とかサワリとか、見えるとかって、なに?」

「教室に行こう」

 それだけ言うと、三鶴は歩きだした。美咲は三鶴に不気味なものを感じたが、大人しく付いていく。

 二人並んで席につくと、三鶴はランドセルから一冊の本を取り出した。『心霊写真の世界』というタイトルで、ものものしい表紙だ。タイトルの文字も歪んで恐怖を掻き立てようとしている。
 栞が挟んであるページをぱらりと開いて、三鶴が差し出す。美咲はこわごわと本を覗き込んだ。

「えっ!?」

 そこにはよく知った景色が写されていた。

「うちの庭……。どうして?」

「ここに、写ってる」

 三鶴が指さしたのはハクモクレンの根方。白い影のようなものがわだかまっている。

「この霊はいつも見てる。家の中に入りたがってる」

 ざあっと血の気が引いて、美咲はめまいを覚えた。三鶴には本当に恐ろしいものが見えるのだろうか?

「私たちと同じくらいの年の男の子」

 見えているのだ。間違いなく、三鶴は本当のことを見抜いている。

「日永さん、サワリってなに?」

「霊障というもの。霊的な力にあてられて、人がおかしくなる」

「おかしくなるって、たとえば?」

「突然、人が変わったみたいに暴力的になったり、叫びだしたり、いろいろ」

「どうしたら、サワリはなくなるの」

「霊を祓えば。ただし、呪われないように」

 美咲は霊を祓う方法など知らない。そもそも幽霊が実在するということを必死に否定しつづけて生きてきたのだ。

「行こう」

 三鶴が美咲の顔を覗き込む。

「見たい。その霊」

 ニタリと笑う三鶴を、もう気味悪いとは思わない。恐怖に溺れている美咲を救ってくれるかもしれない、一本の藁だ。


 いつもなら憂鬱な帰宅路が、人と一緒に歩いているだけで心が軽くなるようだ。これなら庭を見ても震えなくて済むかもしれない。

「日永さん、どうしてうちの写真が、心霊写真の本に載ってたのかな」

「庭好きな人が撮影して、たまたま心霊写真を見つけた。面白半分で投稿したら採用された」

 まるで見てきたかのように言うが、それが正しいのだろうと思えた。近所の人が庭を見に来て写真を撮っている姿を何度も見た。
 そのたびに誰かあれに気付いてくれないだろうかと思い続けたが、誰もなにも言ってくれなかった。心霊写真の本に投稿する前に、うちになにか知らせてくれたらよかったのに。

「突然、近所の人が『おたくには霊がいますよ』って言ってきたら、怖い」

 確かにそうだ。納得しかけて、ハッとした。美咲は声に出してはいなかった。それに心霊写真の家が美咲の家だとどうして分かったのだろう。三鶴は心も読めるのだろうか。

「少しだけ」

 ゾッとした。頭の中を覗かれているなんて、こんな怖いことがあるだろうか。三鶴のことを気味悪いと思ったことも、無愛想で付き合いづらいと思ったことも、たった今、三鶴に嫌悪感を持ったことも、全て筒抜けなのだ。自分の醜い感情を見られて、  もしそれを暴露されたとしたら。

 そっと横目で三鶴を見たが、なにも考えていないような無表情で歩いている。その反応の無さも恐ろしくて、美咲は一歩下がって歩いた。



「あれ」

 家につくと三鶴は真っ直ぐ庭に向かって、ハクモクレンを指さした。

「散るまでになんとかしないと」

 ハクモクレンの蕾は二、三日で開花しそうだ。散るまでというと、一週間くらいだろう。

「なんとかって、どうするの?」

「縁を断ち切る」

 三鶴は振り返って美咲の手に小さなおはじきのようなものを乗せた。ガラスに青い模様が描かれているのだが、目玉のようで、不気味だ。

「持ってて。邪気を跳ね返す」

 三鶴は美咲に背を向けて歩き出した。どこへ行くのかと見ていると、二つ先の角を曲がろうとした。

「日永さん!」

 振り返った三鶴に追いつこうと美咲は駆け出した。

「帰る」

 また心を読まれたのか。びくっと身が竦んで立ち止まる。三鶴はふいっと顔を背けると、角を曲がって姿を消した。

「縁を断ち切る……」

 どうすればいいのか思いもよらない。そもそも、あれとの間に縁があるとは思えない。思いたくもなかった。
 とぼとぼと重い足取りで家まで歩く。庭を見ないように地面を見つめて通り過ぎようとしたが、もしかしたら三鶴が祓ってくれたのではないかと期待した。ハクモクレンの根方には相変わらず、あれがいた。慌てて駆け出し、家に飛び込んだ。