「火を使ってもいいんですか?」
「まあ、駄目なんだけどね、でもこんな雨だからばれないだろ」
「そう、でしょうか」
「そうそう。それでお兄さん、仕事はわりとうまくいってるだろ?」
「ええ、まあ」

 仕事……。
 仕事運を頼んだけれど、特に何か気になることがあるわけでもなかった。うまくいっているような気はする。少なくとも大きな失敗はない。比較的順調に生きてきて、このままうまくいけばそれなりには……。
 ぼんやりと将来のことを考えている間にも占い師は俺の手首やら指を順番に揉みほぐしていく。慣れないぬるぬるした気持ち悪さと、マッサージの気持ちよさ。でもこの香りで少しだけリラックスしたような心持ち。
 将来か。

「お兄さん、占い興味ないだろ」
「はい、あっ」
「くふふ、いいさいいさ。まあここに来たのも何かの運命の気まぐれだろ」
「はぁ」
「そうだなぁ。お兄さんはこのままだとそれなりに出世して、それなりに幸せに結婚して、それなりに幸せな老後を過ごすだろうさ」
「やけにざっくりですね」

 少し呆れた気分になる。占いというのはこんなにざっくりしたものだろうか。誰にでもいえるような、そして誰にでも当てはまるような。でも前に占ってもらった占いも確かにもっともらしく言い繕ってはいたけれど、それっぽいことを言うだけだった気がする。
 なんとなく特別な気分だったのがなにか少しバカバカしくなった。
 そんな空気を読んだのか占い師は続ける。

「ふふふ、困ってない人にはあまり言わない方がいいのさ。占いなんざちょっとした歯車の掛け違いで結果が変わっちまうもんだからね」
「そんなものですか」
「そうだよ。そうだな、さっきのは色々隠さず言っちまったとこもあるが、例えば私が『あなたはこれから1時間以内に電車に乗るでしょう』と言ったとする。でも聞いちゃった以上、予定になくてもこのへんで1時間時間をつぶすことができてしまう。聞かなきゃ乗ってたはずなのにね。本当に当たる占いっていうのはそんな量子力学みたいな微妙なもので、本当に必要な時以外は真実を聞かせちゃだめなんだよ。ねじ曲がっちゃうからね」
「量子力学ですか」
「そうそう、観測すると未来が変わるのさ。だからどうでもいいことはなんだかよくわからない言葉で煙に巻く。ほら、反対の手も」

 腑に落ちない気分で左手を差し出す。
 けれどもこころなしか、右手は先程よりは随分柔らかくぽかぽか温まっていて、少しだけ緊張が解れたように思えた。

「じゃあ占いってのは当たらないものなんですか?」
「いいや、当たるよ。でも人生なんてたいていの場合は当てても意味がないのさ」
「ふふ」

 占い師なのにその物言いはなんだか面白かった。

「信じてないね?」
「まぁ、当たるのでしょう?」

 占い師の女は怒るでもなく優しげに口角を少し上げてに俺の目を見た。

「じゃぁ、当たる占いをしてやる」
「当たる占い?」
「そのかわり、当たったら、私の言うことを一つ聞くこと。これは仕事運の話じゃないからお代はいらない」
「当たったら?」
「そう、当たったらでいい。世の中にはね、明らかで告げてもいいものっていうのはままあるものさ」

 占い師は悪戯っぽく笑って、さあどうする? と問いかけた。
 そしてぱちりと青りんごの香りが弾けた気がした。

「いいですよ。何を当てるんです?」
「天気さ」
「天気、ですか?」
「最初に言っただろ? じゃあ当たったら、私の言う通りにするかい?」
「いいですけど、明日晴れる、とかはなしですよ。一日中空を見張ってはいられないんだから」
「ふふ、もちろんだ」

 占い師はそう笑って俺の左手から指を離し、パチリと一拍手を叩く。妙に真剣な、全てを見通すような視線で目の前の何もない空間を睨みつけてから両手のひらで顔を塞いでその隙間から何かを祓うようにスゥと息を吐き出した。
 わずかな時間だけれども、その所作の美しさと神々しさは妙に俺の心を打った。

「3分後に雨がやんで、12分後にきっちり晴れ上がる。そしてキレイな橋が描けられて男女は再び巡り合うだろう。東の魔女オステンスが天地神明に誓って」
「は? え?」

 面食らう。3分後? 12分後? さきほどのふわふわとのれんに腕押しな返答と違って妙に具体的なその時間。困惑している間に魔女は続ける。

「ちゃんと晴れるから。晴れたら約束通りお兄さんはすぐにこのアーケードを出てまっすぐ進んで、最初の大通りで駅の方に向かわずに右に行くんだ。これが最後のチャンスだから。そうしないと、お兄さんはいつまでもぐじぐじと後悔するよ」
「右に?」
「そう。右」

 ふいに、音がやんだ。振り向いた。
 背中にぞわりと何かが駆け抜けた。
 雨が、あがった。
 外を見るとまだ雲はもくもくとしていたけれども雨は確かに止んでいた。さっきまで絨毯爆撃のように雨が降り注いでいたのに。呆然とする。

「さて、もうあまり時間がないから精算を済ませてしまおうか」
「精算」
「そうそう、私は占い師で、お兄さんはお客。でも困ったね。時間としては30分くらいだから3000円と思っていたのだけど、ご依頼のお兄さんの仕事運はろくに占ってないな。うーん」

 魔女は細い眉毛をあげてウンウン唸っている。
 仕事運。仕事運というかさっきの占いにはお金を払う気持ちにはならないのだけど雨が上がったのは当たった。占いは当たったのだ。
 それに、12分後、つまり9分後なんてすぐに来てしまう。そしてきちんと晴れるなら俺はすぐにアーケードを出ないといけない。そうすると、確かに精算時間はない。
 これが最後のチャンスならば。

「あの」
「ううん、どうしたものかねぇ。ここは一つ、お兄さんのお気持ちでってことでどうだろう」
「俺の気持ち」

 彼女と別れてぐじぐじした気持ちで俺はこの椅子に座った。誰かと話がしたかった。この気持ちを、これからを、どうしていいのかわからず心にどろどろとした渦を巻いていた。
 でもさっきからこの魔女と話していて、アロマの効果もあるのだろうけど、青りんごの香りと相まってなんとなく気持ちが少し落ち着き軽くなっていた。雨が上がって爽やかな夏の風がその表面を吹いたように。

 きちんと雨がやんだなら、そしてきちんと空が晴れたなら、急いでいけば、間に合うのかもしれない、彼女に。なんとなく、そう思えた。

 わぁ、と小さな歓声があがった。
 思わず振り返ると雲は強い風に次々と吹き飛ばされ、見る間に星の瞬きに塗り替えられていく。まるで魔法のようだ。そしてその真中にきれいな天の川がみえて、今日必要な3つの星が白く明るく輝いた。
 そう、今日は七夕で、とても特別な日だ。彼らは1年後に会えるかもしれないが、今会わなければ俺は彼女にもう会えない、2度と。
 夕立が上がって晴れたからには、会いに行かなくては。

「ほら、もうお代はいいから早くいきな」

 あわただしく財布をいじくる。一万円札を机の上に投げつけてアーケードの外に飛び出すと、背中から、お代は確かに、という声がきこえた。

Fin