「ああそうだ。ねぇ、アンジュと呼んでもいいかい? ずっとね、色々と君の愛称を考えていたのだけど……どれも良くて選び難かったんだ。この結婚が決まってからは毎日のように君の名前を呼ぶ練習をしていたんだけど、アンジェリカとアンジュがどちらもしっくり来たものだから。君が許すならば、二人きりの時などはアンジュと呼ばせて欲しいんだ」

 毎日わたくしの名前を呼ぶ練習をしていた……!?
 一体全体どういう事ですの、何がしたいんですの?! わたくしなんて所詮肉親に厄介払いされた面倒な女なのよ、それも世間では悪女だと揶揄されている!
 それなのにどうしてこの御方はこんな風に──、まるでわたくしを愛しているかのようにペラペラと愛を囁くの?!
 一度も会った事無いのに……結婚式当日まで会わなかったのに! 一体何が目的なの…………っ、わたくしに差し出せるものなんてもう何もありませんわよ!!

「……」
「いいんだね? ありがとう、アンジュ。アンジュ、アンジュ…………ふふ、一言一言を噛み締めているけれど、本当に今とても幸せだな」

 先程の答えにと恐る恐る頷いてみると、辺境伯様はこれまた嬉しそうに笑った。何と眩しい笑みなのか。
 本当にどうして、こんなにも整った顔の御方が仮面を被り、その素顔が醜悪だなんて噂が流れたの……? その噂を流した人は見る目が無いわ。そもそも目があるのかも怪しいわ。
 辺境伯様の異常な態度に怯えながらも素朴な疑問が頭に湧く中、物凄い勢いで部屋の扉が開け放たれた。
 そこには肩で息をする妹がいて、妹はわたくしをキッと睨んでから辺境伯様にしなだれかかる。

「伯爵様! この結婚、本当はあたしがお受けする筈だったんです……っ、それなのにお姉様が誰にも相手にされないからってあたしから強引にこの結婚を奪って、それで伯爵様と結婚したんです!」

 悲劇のヒロインのように涙を流し、妹は辺境伯様に訴えかける。
 もしかして、この妹、辺境伯様の噂が嘘だったと分かって手の平を返したわね? この結婚話が来た時なんて、絶対嫌! と駄々を捏ねた挙句わたくしに結婚を押し付けてきたのに?
 本当にどこで育て方を間違えたのかしら……花嫁としてだけでなく、人としても恥ずかしいわ、この子。

「あたしは伯爵様を慕っておりました! それを知った上で、お姉様があたしの邪魔をしたんです! お姉様は酷い事ばかりをする悪女で、社交界でも凄く評判が悪くて……そんなお姉様と結婚したら、伯爵様のイメージも悪くなりますわ!!」

 まあ、とんでもない事を言い始めましたわね。そんな事、わたくし全く知らなかったわ。
 妹によるあたし可哀想でしょう劇場の緊急公演が始まったので、観客気分でそれを眺めていると、いつの間にか辺境伯様の顔が酷く冷めきっていて。