好きになった人は吸血鬼でした。―さくらの血契1―【完】


「え……黎、もう逢えないの……? さっき、一緒に生きるって……」

「最期のときには逢う。でも、真紅は俺みたいな奴とは近づかない方がいいんだよ。それが人間の生き方だ」

「でも、さっき――私の血だけって……」

「言ったけど、正直俺はあんま血ぃいらないんだよ。半分だけだからかな」

「でも、まずい血を飲まされてたって」

「俺を支配下に置くために、な。血を与える、それは俺にとって主みたいなモンになるから、そいつがそういう存在である限り、俺はそいつらに反旗を翻せない。そういう意味」

「……もう、逢えないの……?」

淋しいよ。真紅の唇は小さく動いた。

「……それは、今だけしか思わない。暁(あかつき)になれば消える。だからな、真紅。……少しだけ、楽しかったよ」

「れ

「最期のときに、また逢おう」

真紅の目の辺りに手をかざして、影を作る。

「俺はお前に憧れたよ。綺麗な子」

――ふっと、真紅は意識を失って俺の腕に倒れて来た。

半分だけの吸血鬼。

こんなに綺麗な血をした子は、こんなに綺麗な心は、知らなかった。真紅が小埜の一族の中にいればよかったのにと思う。そうしたら俺は迷わず真紅を主に選んで、一生を傍にいたのに。

でも、真紅は人間。徒人(ただびと)。血をもらうなんて、それは禁忌。殺してしまいかねない。俺は純血の母と違って混血だから、吸血した相手を吸血鬼にすることがない。ただの人間を主にして血を求めれば、いつか殺してしまうかもしれない。主にした相手が吸血鬼ならば、不死の能力を持つ吸血鬼ならば、問題は薄れてくるけど。

恋しい人は求めても飽き足りない。殺してしまうほど、愛するしかない吸血鬼。愛する人の血を。

……血を失えば、人間は死んでしまう。ならば真紅は死なせたくない。恋しいから。慕わしいから。……愛しいから。

すきになりかけているかもしれないと言われたときは、それこそ心臓が止まるかと思った。自分が真紅に惹かれている理由は、その血だけだと思っていたから。


吸血鬼が主を得るとき、対象に恋させることが手っ取り早い。体面上は主従関係になるが、恋した相手を死なせたくないと思うのも人の心というものだ。

だから、真紅が自分をすきになってくれるのなら、それを利用して真紅を生涯の主に出来るかもしれない。……そんな邪な思いが身の内を過って、しかし頭を振った。駄目だ。俺はこの子を失いたくない。失いたくないから、離れていなければ――離れなければ。

憧れた少女。生きて恋して、自分じゃない生涯の伴侶を持って、その人との子を授かって、憧れた生き方をしてくれ。そして最期の時だけ、俺のもの。

最期に手をつないでいるのは、俺だ。

……それだけの約束があれば、俺は生きていけると思うんだ。

もしも今、自分の中にある感情に名前がつくのなら。

感情に名前がつく前に、ここを去らなければ。

……結ばれない多くの恋の中に、今、沈もう。


泣いていた。

やわらかな熱が離れていくのが淋しくて。

あたたかな瞳が閉ざされるのが淋しくて。

その熱で手を握って。

その瞳に私を映して。

それだけが、今の気持ち。今の私の全部。

全部全部、私は黎だけになっていた。

朝は当たり前のように来た。夜が続くことを願ったのは初めてだ。遮光カーテンの向こうに見えた朝焼けの色に、絶望の光もあるのだと教えられた。

離れることを嫌だと思った人と出逢ったのは、夜だった。

逢いたい。逢いたい。

でも、あの人が私に架けた願い。人間として、生きる。……それも叶えたい。

「真紅ちゃん、顔色悪いよ?」

「え? あ、おはよう」

義務感? わからないけれど、多分彼はこういう人間の生活はしていなかったのだろう。ならば私が叶えなくては。だって、ね。

「おはよう。昨日も梨実(なしみ)さんのとこ?」

登校途中の私の隣に立って歩くのは、苗字が同じというだけでよく構われて、それがちょっと迷惑なクラスメイト、桜城架(さくらぎ かける)くん。

と言っても、彼に問題があって迷惑しているわけではない。明るく社交的な性格で友達は多く、サッカー部の人気者。つまりは人目を集める容姿と性格と才覚のため、架くんを好きな女子生徒は多くて、その中に含まれない私は、構われるとついでに女子の嫉妬というおまけもついてきてしまうので困惑している。

架くんを拒絶してしまうのは申し訳ないし、かと言って女子たちの嫌がらせを甘んじて受けているのもしんどい。彼氏でもいれば女子たちの誤解は解けるのかもしれない――

――黎が彼氏になってくれたらいいのに。

そうだと名案が思い付いて、その一秒後には絶望の朝に還ってしまう。黎には逢わないと言われてしまった。そんな人にどうやって彼氏なってほしいと言えるの。

どこにいるのかもわからない人なのに。

背中には引っ掻き傷一つない。ただ、首筋に残った牙の痕しか、私にはない。

「真紅ちゃん、怪我した?」


ふと、架くんが顔を覗き込んできた。はっと意識を現実に戻せば、学校の門は間近。架くんは心配そうな顔をしている。怪我? それなら昨日、致死量の怪我をしたみたいだ。黎によって綺麗に消されたけれど。

「ううん。ないけど?」

あの傷は、何と説明していいのかわからない。あまりにも大きな問題なので、あの死にかけた傷はなかったものにしよう。あるのは、生かしてくれた黎の証だけでいい。

「そう? ならいいんだけど」

そこで、架くんに取り巻く女子生徒たちが見えたので、私は先生に呼ばれているからと適当に理由をつけて一人足早に校門をくぐった。


+++


「桜城くん? 別に来なくてもいいけど」

「だからすきだよ、海雨(みう)」

放課後、私は病院にいた。私立でかなり大きな病院。入院している幼馴染に逢うためだ。

梨実海雨(なしみ みう)。私の幼稚園からの友達。

海雨は今、ドナーを待つ身。元々身体が弱く、高校に入学しても入退院を繰り返していた。薬治療をしているが、根本解決するなら器官を取り換えるしかない。

私はその、適合者だった。

医者を脅して調べさせた。医者は半泣きだった。私は強きだった。海雨のためならそのくらい何のそのだった。

窓の方を見るように、ベッドのふちに並んで腰かける。海雨は髪を左肩に寄せて緩い三つ編みにしていた。

「んー、イケメンなのはわかるけど、何であそこまで騒ぐんだろうね」

「優れた遺伝子どうのってんじゃないの? わかんないけど」

私は、海雨とはこういったところで気が合うからすきだった。騒ぐところが似ている分、騒がないところも似ている。

「でも真紅、桜城くんに変なことされてるわけじゃないんだよね?」

「変なこと?」

「言い寄られたりしてない? 口説かれたり」

「いや、あるわけないでしょ」

「そうかなー? 一応用心しなよ? 真紅、フリーなんだから」

「用心する理由もないと思うけどなー」

もうすきな人はいるし。


…………。あれ?

今サラリと思ったけど、あれは――やっぱり黎は、私の中で『すきな人』にカテゴリーされている? だって今、そう思っちゃったし。

……けれど黎は、違うと言った。

私のその感情――黎に抱いているもの――は、生存本能がそうさせるのだと。

……でも、誰かを『すきだ』って思ったの、初めてなんだよ。誰かを、恋愛対象として。

「真紅? どした?」

「………」

どうしよう……どうしようもなくやっぱりすきだ。暁なんかで消えてはくれなかったんだよ。

言われた通りじゃないと言い張りたい。本当に、すきなのだと。大すきなのだと。

一緒にいたいのは最期のときだけじゃなくて――

「真紅―? 大丈夫? どっか痛い?」

「……えっ?」

痛そうな顔をしているのは海雨だった。

私の顔を覗き込んでいる。

「……うん。怪我はしてないよ」

「……真紅?」

私のヘンにに落ち着いた表情と声に、海雨は不安げな声を出した。

「真紅……すきな人でも出来た?」

「……うえっ!?」

いきなり核心を衝かれて、それまでの平静が消えた。海雨は俄然ノリノリだ。

「ねえっ、そうだよねっ? 真紅恋してるよねっ? 誰? あたし知ってる人? もしかして桜城くん? だからあんなこと訊いてきたの?」

矢継ぎ早な質問に、顔が火照るのばかりを感じる。海雨の目は鋭い。

たった今気づいた自分の心は、もう親友に見透かされている。

「~~っ、わ、私飲物買ってくる!」

「あっ! 逃げるなー!」

逃げさせてくれー!

心の中で叫んで、海雨の病室を飛び出した。



「はー……」

時間を稼ぐためと、同じ階にいては海雨に見つかってしまうと思ったので、自販機で買うのではなく売店のある一階まで降りた。はー……困った。

海雨の分もお水買っていこ。

海雨は過度の糖度やカフェインの摂取が制限されているので、ミネラルウォーターを選ぶ。

自分も同じもの手にして、会計を済ませた。けど、海雨も普通の女子なんだよねぇ。

恋バナ大すきか。

でも、まさか黎のことは何と説明していいのだろうか。助けられた、だけなら言えるけど……。

海雨のことだから、いつ、どこでどんな状況で――と話を掘り下げてくるだろう。

そうしたら言える言葉がない。

もう逢えない人なのだと。

どこにいるかも知らない人なのだと。

「え」

思わず声を出してしまった。

すれ違った人がいた。

「れ」

背中しか見えない。でも、

追いかけた。

「………いな、い……?」

その先には誰もいない。

「ま……そだよね……」

こんな偶然で都合よく逢えるわけがない。

そんな物語の中を生きてはいない。

そこに大すきな人がいるなんて。

妄想が見せた幻だろう。

………。

どこにいるの?

淋しく、そう思う。


背中を張り付けた壁に、自分の脈動が移ってしまったようだ。

今目にした、愛しい子。

「何でここにいんだ……」

ここは紛れもなく病院。しかもかなりの病床数を誇る大病院だ。

「まさか……傷、治らなかったとか……」

いや、あの折の傷は完治させたし、今も調子が悪そうなところはなかった。

「にしても」

何で。

逢わないと決めた子に、逢ってしまうのだろう。

そこにいたのは間違いなく真紅だった。

昨日、気紛れに見つけて本心から助けた子。

真紅に似た長い黒髪を見ただけで心臓が跳ねた。まさか本人ではないだろうと思って、でも真紅だったら……そんなことを思い、書類に顔を伏せ気味に廊下の端を通り抜けた。

真紅は何やら売店の袋を下げて、憂い気な顔をしていた。

……もしかして自分を?

そんなことを思ってしまった。

あの憂いの理由が自分だったら?

もう逢えないものと思っているから? ――いや、だからそんなことを。

考えるな。

考えては駄目だ。

あの子とは一緒にいてはいけない。

恋しいなら、愛しいなら。

だからあの子に逢うことは出来ない。

愛したら殺してしまいかねない自分の血。

もう、感情についた名前は知っている。だから、ここで止まれ。


「……はー」

息を吐いた。

この吐息に混じって今、胸にうずまく気持ちも流れ出てしまえばいいのに。

こんなにも自分に恋が似合わないと思わなかった。

何で自分は人間じゃないのか、とか、考えればいいのかもしれない。

でもそんな益体(やくたい)もないことを考えても時間潰しにもならない。

真紅。

たった二つのその音ですら、こんなに愛しい。

それが姿を伴って目の前に現れたら。

狂おしいほど愛してしまいたい。

……つったって、ここサボったらじじいがうっせーしな。

俺がここを離れることはできない。だから真紅は今日たまたま、病院にいただけであってくれ。





「黎、何してんの」

呆れた声をかけられ、意識は覚醒した。

「え、……ああ」

そこは院長秘書室の一角。

俺を《監視している》人物の息子がこの病院の院長を務めていて、俺は更に家にいる以外の時間も目のつくところに――ということで、病院で働かされていた。

大学に通い、時間が空けば病院にいる。

仕事は院長の補佐、そして心療医見習い。

血に触れることは赦されないので、けれど耐性をつけろとか意味のわからない理論を持ち出され、心療医を目指す身になっていた。

俺自身、望んだ自分がなかったから将来をどう決められようと構わない。

――はずだった。昨日までは。

「仕事遅いと怒鳴られるよ」

傍らに立つ長身の人物は、俺が「じじい」と呼ぶ人の孫。小埜澪(おの みお)。怜悧な声で言い置き離れようとしたが――

「……黎?」


ぼけーっとしている俺を不審に思ってか、振り返った。

「黎」

返事をしないでいると、また澪に名を呼ばれた。

「なんだよ?」

無視してるとうるさいので、眼鏡を押し上げ応じた。今は、瞳の色は銀ではない。

さっきまでぼけーっと書類に視線を落としていたけど、澪に呼ばれて意識ははっきりしている。

「ねえ黎。何かあった?」

……ありまくったよ。

「なんも」

素っ気なく返したけど、小さい頃から一緒に育った澪に隠し事、は意味のないことだった。

「……明後日で、いいんだよね?」

それは、じじいの決めた俺の食事の日。毎日ではなく、数日置いて与えられている。

たまに間隔を空けたり狭めたりして、じじいは俺を観察している。

「あー」と曖昧に肯いておいた。澪は顔を渋くする。

……何かしら、悟られたかもしれない。

好きになった人は吸血鬼でした。―さくらの血契1―【完】

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