「………」

黒藤さん一人ということは、ママの存在はどう認識されているんだろう……。

「……ママ――お母さんが、影小路姓に戻ることはないの?」

「紅亜様が復帰されるということか?」

つと、黒藤さんはママに視線を遣った。

「……恐らくは、ないな。出来ていたら、母上が当主であった間にやっている」

「それはどうかしら」

黒藤さんの言葉に、ママは首を傾げた。

「どういう意味です?」

黒藤さんが問い返すと、ママは難しい顔で答えた。

「黒ちゃんがどの程度知ってるかはわからないけど、紅緒は誰より影小路が嫌いな子だったわ。何度も家出して、私のところへ来ていた。けれど、正統後継者という地位からは逃れられないで、当主に就いた。……無涯を連れて行ったのは、影小路への意趣返しでもあったと思うわ」

「……姉君様から見てもそういう母でしたか……」

黒藤さんは糸目になってむずむずするような顔をしている。

私の生まれに合わせて眠ったと言うのなら、黒藤さんがお母さんと過ごせたのはほんの一年ほどだ。

「影小路が嫌いって……後継にならないっていう選択肢はなかったの?」

私が疑問を口にすれば、黒藤さんは表情を変えないで答えた。

「あったには、あった。だが、母上は無涯を連れて来て、なおかつ家にいさせたいがために取引条件を出して当主になったと聞く」

また出た。『むがい』。ママは知っているようだけど、私は知らない名だ。

「……何回かその、むがいって名前を聞いたけど……」

「俺の父の名だ。今はいない。母上はよく、永遠(とわ)の恋人だと言っていた」

「………」

永遠の恋人。

「……映ったな。真紅、見えるか?」

黒藤さんに問われて、沈みかけていた意識がはっとする。

黒藤さんが示した水鏡を、黒藤さんとは反対側から覗き込む。

そこには、ママと同じ顔の女性が――祭壇? のようなところに横たわっていた。この人が……

「紅緒様……」

ふと口をついたのはそんな呼び方だった。

今まで誰かを『様』扱いなんてしたことないし、そういう家風とは縁遠かったのに、この女性はそう呼ぶ対象な気がした。