好きになった人は吸血鬼でした。―さくらの血契1―【完】


美愛さんは誠さんのことを、愛称で『マコ』と呼んでいる。その呼び方を聞いてドキッとした。今の今まで失念していたけど、真紅と同じだった。

真紅……。

俺には、その子だけ。

「……恋い得る(こいうる)人がいます。その子の傍にいてやりたいんです」

自分と真紅は、多分出逢ってはいけない者同士だったのかもしれない。でも出逢ってしまったし、触れてしまった。

逢いたいと、思ってしまった。

今は、逢いに行きたい。

「そのために桜城であることは邪魔である、と?」

「……はい」

誠さんは一つ息をついた。

「架のことはそろそろかとは考えていた。黎はここへ戻る気はないようだったしな」

「父さんっ、だから俺も跡継ぎとかは――」

「弥生。黎がここまで言ったんだ。お前ももう反対しないだろう?」

架は誠さんの視線一つで黙らされ、その隣の弥生さんに言葉がかけられた。

「……ええ。黎がそう望むのなら、反対しないわ。美愛、いいかしら?」

弥生さんは嘆息気味に言って、最後は美愛さんを見て困ったように小首を傾げた。

一人不満顔を続ける美愛さんは、むぅと唇を引き結んでいる。

「レイがここを離れることは、桜城の人間でないわたしに言えたことはないと思うの。でも……ねえレイ? いつかその子と、レイも一緒にここで暮らせたりはしないかしら?」

美愛さんの言葉に虚を衝かれたけど、少しだけ口角をあげた。

「……そう出来たらいいな、とは、思っています」

……叶わないと知っている架は、唇を噛んでそっと視線を逸らした。



結局、俺が桜城姓を離れることを最後まで反対し続けたのは架だけだった。

弥生さんが反対しなくなっても異議を唱え続けた辺り、架は本気で俺が跡取りに相応しいと考えているようだ。

だが、架と弥生さんを護るためにも、次期当主は架であるべきだ。

架の出生が知れることは、恐らくないだろう。けれど、鬼人の血も、そろそろ絶えていいころだ。

このまま家に残れと粘る架を引きはがして、一人病院へ向かっていた。

特に仕事が残っているわけではないけど、なんとなく小埜の家に帰る気にはなれなかった。雑務でもしていよう。

いつもは通らない道だ。桜城の家へ戻ったのも久しぶりのことだから。

――見つけてしまうのは、それが道理だからのように訪れた。

「……黎?」

「―――」

その華奢な姿を見て足が縫い止められていた俺に、紅(あか)の名を持った少女が呼びかけた。

「っ……」

いきなり目元を潤ませた真紅に驚いて慌てて駆け寄る。

「真紅? どうした。こんな時間に出歩いちゃ危ないって言っただろ?」

もう夜明けの時間も近い。なんでこんな時間に一人で――

「………」

『………』

一人、じゃなかった。

真紅の肩にちょこんと乗った紫色の小鳥と視線がかち合った。

俺の胡乱な視線を受けて、慌てて姿を隠そうとしている。

……ほんとーにもう関わっていやがったか、あのガキは。

すかさず紫色の小鳥を鷲掴みにする。

「おい鳥。まさかお前が真紅をそそのかして連れ出したんじゃねえだろうな?」

『のーっ! のーっ!』

「ちょっ、黎! るうちゃんに何するのっ!」

握りしめられて悲鳴をあげる紫色の小鳥を真紅が取り返した。

大事そうに掌に載せるのを見て、もやっとする。しかもるうちゃんとか呼んでんのか。


「私がお願いしたの。白ちゃんのとこに連れて行ってって」

「はくちゃん? ……まさか月御門のガキのことか?」

「そうだよ。るうちゃんは、黒藤さんが私のとこに置いてくれてるの」

「………」

はくちゃんにくろとさん。

…………。

「なんでお前はそうガシガシ踏み込んでくる。こっちの話は危ないことばかりだぞ」

「私の問題だからだよ。……黎がどこまで知ってるかは知らないけど私は――わっ!?」

真っ直ぐに睨んでくる真紅の瞳を見たくなくて、思い切り抱き寄せた。間で潰された紫色の小鳥が『のーっ!』と悲鳴をあげたが、無視。

俺の突然の行動に驚いたのか、真紅は怒る余裕もないように泡喰った。

「あ、あああの? 黎? お、怒ってる? よね? でも、その――」

「なんでお前はそう――……ただ護られていてくれない」

大事だから、安全な場所にいてほしいと思っては駄目なのだろうか。

真紅の言う通り、確かに真紅の問題でもある。

真紅は影小路の娘。始祖の転生。真紅の将来も、小路流の将来も関わってくる問題だ。

「……私は、護られ過ぎてたんだよ」

まだ離したくない。

「ママにも、紅緒さんにも、黒藤さんにも。……私のことを知ってる影小路の人たちにも。月御門の人にさえ。……だからね」

そっと、真紅が俺の胸を押して距離を取った。真っ直ぐに見上げてくる瞳。……そんな強い瞳をしてくれるな。

「今度は私が護りたい。護られているだけの場所にはいられない」

「―――……」

なら、この手は必要ないのか? 真紅には、もう……。

「だからね、今度は私が黎をもらいに行く」

「………は?」

も、もら……?

「影小路の家に入って、自分で立って見せる。影小路と桜城の家は繋がりがあるから、私が桜城にお願いしに行く。黎のこと、私にくださいって」

「………」

な、なんと……?


真紅が話すことに頭がついていかない。

ぼけらんとしてしまった俺の胸倉を摑んで、真紅が頬に口づけて来た。

「言いに行くから、絶対に生きて。死ぬことに諦めないで。……私のこと、ほしいって思ってくれてるんなら、そう思ってて」

呆気に取られる俺に言い放ってから、手を放した真紅は一気に顔を真赤にさせた。

「そ、そういうことだから! 簡単に言うと私、影小路に入るから! それじゃ!」

そのまま、すぐ近くのアパートに駆け込んでいった。

…………。

真紅が触れた頬を押さえる。

「……行動が全然読めねえ……」

俺、近い将来婿にもらわれるらしい。


「見―ちゃった」

「! ま、ママっ!?」

ママを起こさないようにと静かに部屋に入ったつもりだったんだけど、ママは起きていてにまにまと私を見て来た。

「あの人が桜城くんのお兄さん? イケメンじゃない。真紅ちゃんやるわね」

「へっ、ヘンなこと言わないでよっ。って言うか全部見てたの……?」

「だって真紅ちゃんがこんな時間に出て行っちゃうんだもの。黒ちゃんの式がいるからとか、たぶん黒ちゃんか白ちゃんのどっちかの所とは思ってたから止めなかったけど、心配で寝てられなんかしないわ」

「う……ごめんなさい……」

非は私にあるので、反論なんかできようはずもない。

小さくなって叱責を待っていると、しかしママは怒ったりはしなかった。

「桜城の子ねえ……告白したの? されたの?」

「え? そんなことないけど……」

「でも真紅ちゃんちゅーしてたじゃない?」

「っ」

そ、そうだけど……。…………。うわあああああっ! 今頃恥ずかしくなってきた! ってか私何やってんの!? 付き合ってるわけでもないのに結婚申し込んだの!? どんだけイタい人だよ私! 黎が嫌がってたらどうしよう……!

真赤な顔で噴火したあと落ち込んだ私を見て、ママは「あららー?」とにやにやする。

「って言うかママどこまで見てんの!」

「変質者だったら警察突き出さなきゃじゃない」

「………」

う……当初、黎を変質者扱いしたのは他ならぬ自分だ。

「ママは、反対はしないわよ? 真紅ちゃんが本当にすきなひとならね?」

「………」

こっくり、肯くことで応えた。

本当に、すきな人だと。

ママが抱き付いて来た。

「やーん真紅ちゃん可愛い~っ。お兄さんと早く付き合っちゃいなさいよ~」

頬をスリスリしてくるママ。恥ずかしさで顔をあげられなかった。


少し寝ておきなさいという紅亜嬢の提案に、真紅嬢は大人しく従った。

本当に眠かったのだろうと、枕元のカゴで丸くなった涙雨は考えた。

今日は土曜日で、学校とやらは休み、真紅嬢は特にぶかつというものはやっていないということだ。

黒の若君や白の姫君は陰陽師という性質上、夜に強いが、真紅嬢は普通の人間として生きてきたのだ。

……縁(ゆかり)殿……仕組みおったな。

真紅嬢と黎明の子どもの予期せぬ再会。仕組んだのは、黒の若君の式の一である縁殿だ。

縁殿はその名からわかるように、縁(えにし)の妖異だ。

人と人との『えにし』を繋ぐ妖異。あるいは、絶つ妖異。

真紅嬢と黎明の子どもの再会は、縁殿の――もっと言えば主である黒の若君の企みだろう。

……まったく。何回か死ぬかと思うたぞ。

こっそり主に毒を吐く。

涙雨とも顔見知りである黎明の子どもは、涙雨に容赦なんかしない。二回ほど潰されかけたぞ。

………。

涙雨の主は黒の若君だ。今は、黒の若君の命で真紅嬢の護衛をしている。

……真紅嬢の力は、徐々に開花しつつある。

先ほど、黎明の子どもに調子の悪そうなところはなかった。真紅嬢の血に退鬼されていないと考えられる理由は三つ。


一つ目、本当に真紅嬢には退鬼師性はなく、影小路の血しか効力を持っていないこと。

二つ目、紅緒嬢によって封じられているものに桜木の血も含まれていて、血の持つ退鬼の力ごと封じられているために、黎明の子どもにはまだ影響が見られない。

三つ目に、なんらかの理由によって黎明の子どもには桜木の退鬼師の血が効果を発揮せず、今までも、今後も影響を与えない可能性。

……どれにしても真紅嬢よ、黎明の子どもを伴侶に望むのなら、一番の敵は桜城一族じゃぞ。

涙雨は黎明ののことを、『黎明の子ども』と呼んでいる。幾年(いくとせ)を生きる涙雨からすれば、百歳の人間だって子どもじゃ。

――桜城は鬼人の一族。そして真紅嬢は、主家の姫。

黒の若君が当主の確定を許していない以上、真紅嬢にも話は持ち上がる。

過去の始祖の転生は、ことごとく当主となってきたらしいしの。

現在小路流派だけでなく、陰陽師の世界で最強と言われているのは黒の若君だが、正式な後継者であるにも関わらず、何度も当主への就任を蹴っ飛ばしている主様だ。

そして真紅嬢が本気で陰陽師としての人生を選べば、その地位は黒の若君を脅かすだろう。

涙雨や無月殿、縁殿は、黒の若君が当主となることへ固執はしていない。

黒藤(あるじ)が興味ないのなら、式も興味を持たない。

黒の若君がどのような立場であろうと。それぞれ『影小路黒藤』の式に下ったのじゃ。『影小路の後継者』の式になった覚えはない。

真紅嬢が小路流に入れば、そして始祖の転生と知れれば、当然のように当主への道も話として出てくるはずだ。

当主の伴侶が、鬼人の一族の出身か……。

笑える話じゃ。

黒の若君が当主となることはないだろう。自分がそんなものになるくらいなら、流派ごと滅ぶ道を選ぶのが涙雨の主様だ。

ならば有力となるのは、やはり真紅嬢でしかない。

現状、黒の若君に次ぐ能力の持ち主と言えば、白の姫君と、今は眠っている先代の紅緒嬢となってしまうくらい、小路内外で見ても黒の若君の力は突出している。


……人間(ひと)のさだめの、なんと憐(あわ)れなことか。

長い年月を生きる妖異が、主と共に生きるのはほんの瞬(またた)きほど。

何人もの主を持ったものもいる。一人にさえ仕えない妖異もある。

黒の若君は、涙雨が初めて主とした人間だ。

涙雨は時空の妖異。その翼で駆け抜ける。黒の若君のもとにいる、今は羽休めの時間だ。

ほんの瞬き、人に寄ってみようと思ったのだ。そして黒の若君はそう思わせるだけの存在だった。

黒の若君の式に下って、涙雨は面白い毎日しかない。

権威と権力をぶっ飛ばして突き進む主様。その先には惚れた女子(おなご)がただ一人。

……白の姫君のもとへ行く前に、天音殿の大鎌(おおがま)に貫かれて終わりな気しかしないがの。

天音殿もまた、白の姫君が初めての主だと聞く。

天女のような麗しい姿で、身の丈より長い大鎌を振るう天音殿。

鬼神(きしん)と呼ばれなくなっても、唯一『姫』と呼ぶ人との約束のため、白の姫君を護るためにそれを捨てようとはしないと黒の若君が言っておった。

護りたいもの、というやつか……涙雨にはわからんな。

羽を仕舞い直して、涙雨もしばし眠ることにする。

意識の一端はいかなる時も覚醒しているので、真紅嬢が目覚めれば涙雨も起きる。

……今は、おやすみじゃ。


「真紅ちゃん。今日はちょっと出かけてもいい?」

「うん? いいよ。じゃあ私はあっちから荷物持ってきて、あと海雨んとこに――

「じゃなくて、真紅ちゃんも一緒に」

九時前に目を覚ました私は、ママの提案に瞬いた。

昨日は何も持たずにママのところへ来たから、私が住んでいたアパートから荷物の移動をしないといけない。

ママは用事があるのなら、今日と明日の休日中にそれを済ませて、海雨にも逢いに行こうと思ったのだけど――。

「黒ちゃんのところへ呼ばれたの」

楽しそうなママに、私は瞬きを返した。





「いらっしゃいませっ」

ママに連れられてやってきたのは、住宅街も離れた、少し山の中へ入りかけるような場所だった。

近いとは言えないけど、歩ける距離に黒藤さんも白ちゃんもいたのか。

生垣で囲まれた敷地の間から見えた入り口辺りから、大学生風の女性が私たちに手を振っていた。初めて見る人だ。ショートパンツにオフショルダーのトップス、靴はスニーカー。動きやすさ重視のような恰好だけど、肩より長い髪はそのまま垂らしている。二十歳前後に見えるけど化粧っ気はない。素で綺麗な人だ。

ママは黒藤さんに呼ばれていると言っていたから、この人は影小路の人だろうか。

私たちが女性の前まで行くと、女性は膝に手を置いて大きく頭を下げて来た。それから顔をあげて微笑んだ。あ、瞳の色が紫色――

「お初に御目文字(おめもじ)仕(つか)まつります。紅亜様と真紅お嬢様でいらっしゃいますね。黒藤が式の一、縁(ゆかり)と申します」

黒藤さんの式だった。……青春謳歌中の学生かと思った。

「初めまして、桜木真紅です。……えーと、縁さんのことはママも見えてるの?」

隣を見ると、ママは肯いた。なんで自分にも妖異が見えているのかと、不思議そうな顔をしている。

「あたし、一応黒藤の姉ってことでご近所さんには話してあるんです。黒藤の一人暮らしって言いながら周りに式がいるのも、説明が難しいかなってことで。ですから、いつも顕現(けんげん)して人の姿を取っていて、姉弟二人暮らしってことになってます」