「あ―っ、」
 思わず声を上げていた。

女性のパーカーの袖から若干見えた手首に痣が見えた。それは赤黒く、まるで拘束された跡のように見えた。
全身に鳥肌が立つのが分かった。

♢♢♢

「うーん、それだけじゃ…だって監禁されていたらそもそもうちに来ないでしょ?」
「そうですけど…」
「虚言じゃないのかな?」
「でも何のために?確かに手首に痣があったんです。まるで拘束されていたような…」

 あの件があってから数日後、三日ぶりの出勤日に由香里は思い切って店長に相談してみた。
あの日、すぐに警察に通報すべきか悩んだのだが二人はコーヒーを飲み終えると直ぐに店を出てしまったのだ。女性の注文したコーヒーはまだ半分ほど残っていたというのに。

 勇気を出すことが出来なかった由香里だったが、店長には相談しようと決意した。
しかし店長も由香里の話を信じている様子はない。
眼鏡越しに近づいたり引いたりして先ほど焼いたシフォンケーキの焼き加減を見ていた。


「でも…もしもあの女性に何かあったら」
「もう一度来店したら確認してみよう」
「本当ですか」
「うん、君がそこまで言うからね。でも変わった客はたくさんいるもんだよ。僕だってそういうおかしな客は何度も見てきたからね」
「…おかしな客」

 その話をもっと深く訊きたかったのだが、ちょうど店内に置かれた黒電話が鳴った。
店長の「はい、もしもし」という普段よりもワントーン明るい声色を聞きながら由香里は裏に入って短く息を吐いた。

 平日は常連客が多く、皆落ち着いた年代が多く滞在している。ゆったりした空気が流れていた。
今日は17時には終わりそのあとの予定は無かった。
そのため真っ直ぐ帰宅して大学の課題をやる予定だった。店内にお客が来たサインが響き渡り反射的に入り口へ向かう。

 営業スマイルをしたまま由香里は見覚えのある顔を見た瞬間思わず動きを止めていた。
そこには笑いながら入店するあの二人がいた。

「お席に案内いたします」

 一瞬驚いた顔をしてしまった由香里を不思議そうに見つめる男性に慌てて再度口角を上げてこの間と同じ席へ案内した。
女性の様子は至って普通だった。
 この間と同じように二人は長年連れ添った夫婦のような雰囲気を纏っている。

 それなのにあの紙を渡してきた女性の目は決して揶揄っているようにも見えないし冗談を言っているようにも見えなかった。真剣な目だったからこそ、由香里は違和感を覚えているのだ。