「今お持ちしますね」
「頼むね」

 そのまま踵を返そうとすると、「あの…すみません」とか細い声が背後からした。
振り返ると先ほど入店した女性が小声で由香里を呼ぶ。
由香里は何かありましたか?と訊く。正面にいた男性はトイレに立っているのだろうか、この場にはいなかった。

「ホットコーヒーはもう少しでお持ちします」
「いいえ、違います…あの、これを…!今、あの人が来てしまいますのですぐに戻ってください」
「…はい?」
「早く!」

 眉の間に深い皺を刻み、震える手から何か紙きれのようなものを由香里に渡す。
切羽詰まった様子の女性に由香里はただ言われた通りに奥に下がることにした。

「何?あの人…」

 意味不明な言動をした先ほどの女性からもらった紙切れを開いてみることにした。

 思わず小さな声を漏らした由香里にもう薄手のコートを羽織って帰るところだった高塚が「どうした?」と心配そうに訊く。しかし由香里は目の前の紙切れに書かれた言葉が衝撃的過ぎて声が出ない。

「何それ?どうしたの?」
「…わかりません。三番テーブルの夫婦?の奥さんだと思うんですけど…女性が私にこれを手渡してきたんです。しかもかなり切羽詰まった様子で」
「え?本当?」

 高塚は由香里にもう一度様子を見てくるように言う。しかしちょうど店長がコーヒーを淹れ終わったようでタイミングよく三番テーブルにコーヒーを運ぶように言われた。
由香里は白い湯気をたてるブラックコーヒーとカフェオレをお盆の上にせて先ほど紙を手渡してきた女性のもとへ向かった。
あの紙切れにははっきりと書かれてあったのだ。

―助けてください、監禁されています

と。

 悪戯とも思えないほどにあの女性の目は本気だった。
心拍数が上昇するのを感じながら、由香里は三番テーブルに近づいた。
先ほど席を立っていた男性は既に戻ってきているようで女性と男性の間にぴりついた雰囲気は一切ない。
だからこそ矛盾を感じてしまうのだ。悪戯なのだろうか。

「お待たせしました、コーヒーです」
「ありがとうございます」

 女性と男性の前にそれぞれ注文していたコーヒーを置く。
その際に特に女性に注意して一瞥するが、先ほどとは違って穏やかな笑みを浮かべている。
まるで別人だった。切羽詰まった様子のあの目は演技には見えないのに。

「ご注文は以上でお間違いないでしょうか」
「はい、大丈夫です」

 男性は軽く頭を下げてそう言った。
由香里はお盆を抱えたまま席を離れる。女性は由香里に目もくれずにコーヒーを口にしていた。

「美味しいね」
「そうだね。ここは最近見つけたお気に入り喫茶店なんだよ」
「教えてくれてありがとう」

 もし事件性があれば通報すべきだ。しかしこれといった決め手がない。本人が渡してきた紙切れ以外にない。
去り際、もう一度女性に目をやる。その時にあることに気がついた。