ついに私の足下に火がつけられる。めらめらと真っ赤に燃え上がる炎は数十分後には私を焼き尽くす。ライカ、貴女を一人ぼっちにしてしまってごめんなさい。どうか貴女は生きて。そして私の分まで、運命の竜とタイヴァスで幸せになって。

 瞼を閉じた。やわらかな春の朝を知らせる鈴のような小さな声がかすかに聞こえた。

「ロヒカルメ ロヒカルメ
魂のペルヘ
ノイタ・ライカの名の下に
炎と青き血の盟約を
その猛き翼で妹を
タイヴァスへと誘え」

 どんなざわめきの中でも聞き間違えるはずがない。愛しいライカの歌声だった。慌てて目を開ければ、ライカが祈るように歌っていた。人前で魔女の歌を歌うだなんて。そんなことをしたら殺されてしまうのに。

「ライカ、やめてお願い」

 ライカはポシェットに忍ばせていた料理用ナイフを取り出すと、自らの左腕を切り裂いた。青い血を流しながら、歌い続ける。その声はどんどん大きくなり、終わらないクレッシエンドの果てに、ついには声が枯れた。

「あそこにも魔女がいるぞ!捕らえろ」

 男がライカの腕を掴んだ。それでも掠れた声でライカは歌い続ける。我を、ではなく妹の私をタイヴァスに連れて行くための歌を。いつか守ると誓った少女は追い詰められた私を助けるために、その身を犠牲にしようとしている。男は火刑台へとライカを連行した。やめろ、汚い手で私のライカに触るな。

 突如、全身の血が沸騰したかのような熱に襲われた。革製の靴越しに炎に触れている足よりも、心臓と脳が灼けるように熱い。眼球の激痛に目を開けていられなくなった。私はヒグマよりも獰猛な咆哮をあげた。自分の声域とも声量ともかけ離れた叫びだった。

 全身の痛みが嘘のようにすっと消えた。私を火刑台に縛り付けていた縄の感触がなく、随分と体が軽い。目を開けると、私は空から群衆を見下ろしていた。私は死んだのだろうか?

 くるりと体を一回転させると、青い鱗のついた長い尾が視界に入った。竜?まさか、ライカはあの土壇場で竜の召喚に成功したのだろうか。やはり、その身も魂も全てが美しいライカは神に愛されるべきだ。だから、運命の竜はライカの絶体絶命の危機に救世主として現れて当然なのだ。そのおこぼれで、私は助けられた。

 自由になった腕を見ると、太い腕はサファイヤのように煌めく硬い鱗で覆われ、鋼鉄のような鋭い爪が生えていた。全身の違和感。自身の胴体に視線を移すと、信じられないことだが、私自身が巨大な竜になっていた。私は庭のスズランから生まれた魔女ではなく、姉の姉を迎えに来た竜の炎から生まれた竜だったのだ。「魔女の運命の竜」なんて響きに惑わされ、人間の姿に擬態した竜はすべて男だという先入観を持っていた。

 翼をほんの少し動かせば、突風が吹いた。体の奥底から強大な力を感じる。きっと私自身の力が強すぎる故、竜としての私を目醒めさせるには莫大な魔力が必要だったのだろう。ライカにはいらない面倒をかけてしまった。でも、この力があればやっと私の手でライカを守れる。

 私がライカの運命の竜だ。

「処刑は続行する。代わりにその魔女を火刑台へ」

 竜の出現という天変地異にもかかわらず、気が動転したのか司祭はなおもライカを火あぶりにしようとする。させてたまるか。私は地上に降りると、太く長い尾でライカの腕を掴む輩をなぎ払った。感触的に肋骨を二本ほど折ったかもしれないが、死にはしないだろう。これ以上誰もライカに近づけさせない。翼で風を起こし、ライカに群がる聖職者気取りの悪魔達を吹き飛ばした。

 火刑台の前で慌てふためく司祭。下の方だけが燃えている忌々しい火刑台に向けて私は火を噴いた。人間が起こせる炎より遥かに熱い蒼炎は、一瞬で跡形もなく火刑台を白い灰にした。

 なぜ、竜の血は魔女と同じように青いのに竜は信仰され、魔女は竜をたぶらかす悪女として蔑まれるのか。それは、竜が人間など簡単に消し炭に出来る力を持つのに対し、魔女は人間に抵抗する術を持たないからだ。そうだ、強さこそすべてだ。強大な力を手に入れた私は思った。母を焼き殺した人間達を、一人残らず母と同じ目に遭わせてやる。

「待って、エリザ」

 怒りに震える私の体に小さな手が触れた。私の心の声が聞こえるのだろうか。

「ライカ」

 声が出た。母の話の通り、竜になっても人間の言葉は話せるようだ。

(お母さんは、そんなこと望んでないよ)

 ライカの心の声が聞こえた。優しい姉の澄んだ瞳は私を我に返らせた。そうだ、私達の母は生きとし生けるものを愛する優しい人だった。見渡せば一面のスズラン。この花は魔女が生まれる命の花。燃やし尽くすわけにはいかない。

 けれども、私は守らなければならない。私が噴いた炎の灰から生まれるであろう我が子を。このスズラン畑から生まれるかもしれないその片割れを。まだ見ぬ家族を。私は虚空へと青い火を噴いて、群衆を威嚇する。

「聞け。今後もし魔女狩りが行われるようなことがあれば、今度こそ人間を根絶やしにしてやる」

 司祭は怯えきって、「分かりました、どうか命だけは」と地面に頭をこすりつけている。群衆も誰一人として異を唱えない。恐怖による制圧が正しいのかは分からない。でも、私はライカのおかげで悪人の命さえ奪うことなく、私達の子ども達の未来を守れたのだ。まだ見ぬ我が子よ、どうか幸せで。そして、いつかタイヴァスで逢いましょう。

 いつの間にか日は落ちていた。黒紫と群青のグラデーションを描く空は、ライカが私を抱きしめてくれた夜の色と同じだった。私はこの世で一番愛しい魔女を連れて、彼女を傷つける者が誰一人としていない世界へと飛び立った。