やっぱり叔母さんの予想通り、お墓参りに行った次の日は、雨が降った。
しかも、羽奏と出会った日のような、優しい優しい静かな雨が。
しかし、なぜかその雨が空が泣いているような違和感を感じる。
この世界から、何か大切なものがまた消えてしまったような、そんな不思議な感覚が。
「羽奏……?」
心臓がどくりと跳ね上がる。
嫌な感じがする。
僕は慣れない自転車を使って駅に猛スピードで向かい、電車に乗り、東屋まで全力疾走をする。
雨にずぶ濡れになったけれど、どうでもよかった。
「羽奏っ!」
やっぱり、と言うべきか羽奏はいつもの場所にいなかった。
羽奏がいるはずの場所には、交換ノートがぽつりと置かれている。
僕はほぼ無意識でノートを開いた。

【遺書】

その言葉が目に入っただけで、僕の目からは訳もわからず涙が流れた。

【律くん。まず、謝ります。ごめんなさい。私はずっと律くんに嘘をついていました。
いや、優しい嘘を、かな】

羽奏もそっち側の人間だったなんて。
優しい嘘を、つく側だなんて。

【私はね、降雨症でした。
降雨症を知ってると信じて、ここには説明は書かないことにします。
もし分からないなら、スマホで調べてみて】

僕の心臓はまたどくんと跳ね上がる。
降雨症、とは最近有名になりつつある、原因も対処法もない、難病だった。
発症のサインは、左てのひらに青い数字が刻まれること。
雨が降るたびにその数字は減っていき、ゼロになったら死ぬ、という恐ろしい病気だ。
確かに、羽奏は決して左てのひらを見せようとはしなかった。
ー握手を、しようとした時でさえも。

【私も最近知ったんだけど、私の家の女性はみんな降雨症で二十歳になる前に亡くなってるんだ。
私のお母さんも、すごく長生きした方】

公表していないだけで、夕凪優羽花さんも降雨症だったのか。
羽奏はそれを知った上で、お母さんが外国で公演することを応援していたのか。

【そろそろ本題に入ろう。
私はね、引きこもりだった。
最初に現れた数字はたったの十五。
統計がとれる中でだったけど、一番早く死ぬことになっちゃってたの。
それから十日間は、外に出なかった。いや、正確に言うなら、外に出たくなかった。
でもね、何を思ってか、数字が五になったら、外に出てみたくなったんだ。
死ぬ間際に、誰かに存在を知っていてほしかったのかも。
そんな時に出会ったのが、あなた、律くんでした】

「…………羽奏」
僕はぽつりと呟く。
どれだけその名を呼んでも、もう遅いことが分かってしまった。

【律くんと過ごす時間はね、すごく楽しかった。
私が諦めてた、きらきらした青春が訪れたみたいで、嬉しかった。
でも、律くんは雨が降る日しかここに来なかったじゃない?
それがとてつもなく寂しくて、苦しかった。
学校があるのも知っていたけれど、あなたを独り占めしたかったんだ。
ごめんね、ずるい私で】

僕は自分を殴りたくなった。
羽奏がこんなにも苦しんで、苦しんで、僕を思ってくれていたのに、僕は雨を待ち望んでいたなんて。

【律くんが私の絵を描いてくれた時、すごくすごく嬉しかった。
律くんの絵の中では、こんなにもずるくて、ダメダメな私が輝いていたから。
だから、コンテストに応募したいからモデルにしていいって聞かれた時は、不安だったけど、光栄だった。
完成した絵を見た時は、感動しすぎて涙が出そうになったよ。
それでね、思ったんだ。
私は、律くんに描かれるために、この世界に生まれてきたんだなって。
運命を感じて素敵でしょう?】

くすっ、と僕は笑った。
羽奏らしくて、泣かしてもくるけれど、ちゃんと笑いを入れてくる遺書だ。

【私は律くん、あなたのことが好きです。
あんなに嫌だった病気のことも忘れられるぐらい、大好きです。
あなたが自慢げに笑う姿、楽しく笑う姿、絵を描いている時の真剣な表情、全てに惹かれていました。
そんなあなたが大好きな女の子から、ひとつ、お願いがあります】

僕は急いでページをめくった。
羽奏の遺書が、もうすぐ終わってしまう。

【この世界を、憎まないでください。
私は今までこの世界が嫌いでした。でもね、それ以上にあなたといる世界は美しかった。
だから君には、世界を愛してほしいんだ。
世界を愛した上で、私の分まで生きてください。
また、会える日を待っています。
さようから、律くん】

僕はノートから顔を上げた。
そこには、もう、羽奏がいない世界が広がっていた。
そして、雨だけがただただ降り続いていた。
この雨で、君は死んでしまったの?
この雨を憎めば、君は帰ってくるの?
きっと羽奏なら、寂しく笑いながら首を振るんだろうな。
羽奏に、好きだと伝えればよかった。
ちゃんとありがとうって、言えばよかった。
色んな後悔が僕に襲いかかる。
「……羽奏ぁ、あぁっ、なんでっ、なんで」
僕がちゃんと気づいてあげられれば。
羽奏の苦しみに。哀しみに。
「ごめんっ……ごめん、ごめん」
こんなに謝っても、君はもう帰ってこない。
「……好きだよ、羽奏」
風に揺られて、ノートのページが捲れた。

【追伸。
私は律くんと出会えたことを、とっても誇りに思っています。
では質問。
君と私を引き合わせたのは何?
そう、雨だよね。
じゃあ、私が死んじゃう原因になったのは何?
そう、雨だよね。
私が律くんに最後に伝えたいのはね。
雨を、憎まないでほしいってこと。
私は律くんが来てくれるから、雨が大好きだった。
律くんの絵の中で輝く雨が、大好きだった。
だからね、お願いだから雨を憎まないで。
そして、あなたの絵の中で雨を輝かせて。
あなたの幸せを祈っています】

「……羽奏っ」
羽奏は最後まで、羽奏らしかった。
自分を死ぬ原因を作った雨を憎むどころか、綺麗だと愛した。
僕と言う一人の人間の人生を明るく、静かに照らし続けた。
いつかまた、羽奏と出会える日が来るのなら。
以前のように、冗談を言い合える日が来るのなら。
僕は真っ直ぐに生きなければならない。
優しい優しい嘘つきの君のために。
母さんや、父さんのために。
「羽奏、見ててよ」
雨を、世界を、愛してやる。
君と見るはずだった景色を、この瞼の裏に焼き付けてやる。
僕にできることは、それだけだと思うから。
「よしっ!」
立ち上がると、涙は自然と止まった。
雨も、いつのまにか止んでいた。

あれから、五年ー
「律ももう大人だね」
叔母さんは、嬉しそうに笑った。
今日は大学卒業の日。
「ありがとう」
僕は、羽奏の願う通り、もっと雨の素晴らしさを世界の人に伝えたいと思った。
だから、本格的に画家になることを目指し、専門の大学に入学した。
「りーつ!お前相変わらずの才能だなっ!」
「お前は相変わらず声がでかいな」
大学に入り、親友もできた。
「響だって卒業制作入賞してたじゃんか」
「卒業制作のコンテストで金賞とったやつに言われたくねーなぁ」
あははっ、と僕らは笑い合う。
僕は、高校時代、コンテストで入賞することは出来なかったが、卒業制作は、羽奏をイメージして描いた。
それは見事金賞を獲り、初めて大きな賞を貰ったのだ。
絵の評価として『雨の描写が素晴らしい』との声もいただき、僕としてはこの上ないほどの喜びを味わった。
「なんだっけ?奏ちゃんも喜んでくれてるんじゃねーの?」
「羽奏な。うん、多分大喜びだよ」
響には、羽奏のことを話したこともある。
「いつかさ、羽奏ちゃんに見せてやれるといいな」
「……恥じないように生きなきゃな」
今からまた、新しい生活が始まる。
僕は絵を描き続ける。
羽奏が愛した世界を、守り続けるために。
羽奏が愛した雨を、この世界に生きる人全員に伝わるように。
そして。

優しい優しい嘘つきの君のために。