パルメザン周辺の土地を領主に代わって管理しているという肩書通り、土地区画管理ギルドの建物は近くで見ても立派だった。
かつて「栄華を極めた宝石都市」と呼ばれ、大勢の人が集まっていた時代もあったわけだし、ホエール地方では土地区画の管理は重要だったのかもしれない。
大きな扉を開けると、これまた豪華な装飾が施されたシャンデリアがお出迎えしてくれた。
しかし、意外と建物の中ががらんとしていた。
客らしき人影はなく、カウンターで暇そうに髪の毛をいじっている受付嬢がいるくらいだ。
「あ、いらっしゃいませ」
受付嬢が僕に気づいて声をかけてきた。
「あの、ホエール地方の土地を紹介して欲しいのですが」
「土地ですか?」
「はい。王都からこっちに引っ越してきまして」
「土地の委任状をお持ちでしょうか?」
「いえ、何も」
委任状というのは、商人や職人が集まる「組合」が発行している土地権利を委任する証明書のことだ。
この世界で土地を買うのは「商売をする人間」というのが一般的。
なので、土地を買うにはどこかの組合に所属する必要があって、組合が土地を購入して個人に譲渡するというのが常識なのだ。
「申し訳ありません、委任状をお持ちでない方にご紹介できるのは瘴気が降りた『呪われた地』のみになります」
「構いません。むしろそっちのほうが良いというか」
「……はい?」
「実は、呪われた地で農園を開きたいと思っていまして」
そう答えると、受付嬢はまん丸く目を見開いた。
「の、呪われた地に農園を作るんですか?」
「はい」
「失礼ですが、瘴気の特性をご存知で?」
「ええ、もちろんです」
院でも研究していたので、良く知っています。
「呪われた地で農作物を育てる技術は持っていますのでご安心を」
「し、しかし、呪われた地には危険なモンスターも数多く生息していますが……」
「問題ありません」
「…………」
言葉の代わりに、胡乱な目を向けてくる受付嬢。
見た目からして強そうじゃないから、そんな反応になっちゃうよね。
でも僕には付与魔法があるし、危険なモンスターが襲ってきたとしても問題なく撃退できる。
しばしの沈黙。
どうやら本気で僕の身を案じてくれていたらしい。だけど、本人がそれでいいと言うのなら反論する必要はないと判断したのだろう。
受付嬢はコホンと咳払いをして続ける。
「そういうことでしたらご紹介出来ると思います。何かご希望はありますでしょうか?」
「そうですね……なるべく人里離れた土地で、水源が確保できる場所でしょうか。土地が安ければ安いに越したことはありません」
「それではこちらはどうでしょう」
受付嬢が出してくれたのは、一枚の紙。
そこには土地区画の情報が記載されていた。
「こちらはパルメザンから馬車で二日ほどの場所にある区画でして、すぐ傍にフラスト川の支流が流れています。広さは二十アールほど。瘴気が降りる数ヶ月まで麦畑をやっていたので、農園を開く広さは十分にあると思います」
「おお、良いですね」
二十アールだと、だいたい二千平方メートルくらいか。
うん、十分すぎる広さだ。
「ただ、『大海瘴』以降、管理ギルドの職員が視察に行けていないので、現状がどうなっているのかは分かりかねます」
「え……ホエールで大海瘴が発生したのですか?」
「はい。数ヶ月前に」
初耳だった。
大海嘯というのは「連鎖的に濃度が高い瘴気が広範囲に発生する事象」のことを指す。
一般的に瘴気は突発的で予測が難しいのだが、局地的に発生することが多く、被害は最小限にとどまるケースがほとんどだ。
だけど、場合によってその被害が国を揺るがすほどの甚大なものになる場合がある。それが大海瘴だ。
瘴気が連鎖的に広がっていく大海瘴は、これまで王国内外で数回確認されていて、数年前に東の小国で発生した大海瘴では国がひとつ滅んでいる。
なるほど。ホエール地方のほとんどの土地がだめになったのは、大海瘴の影響だったのか。
ちなみに、瘴気に関しては解明できていない部分が多く、特に「発生要因」に関してはまだ特定されていない。
学会では「気候が影響している」という説が有力なんだけど、僕はその説を否定している。
「ええと、この土地の値段はいくらくらいなんですか?」
「大海瘴の兼ね合いもあって、譲渡費は手数料込みで金貨二枚です」
「き、金貨二枚!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
日本円に換算すると、だいたい二十万円くらいだ。
ベランダ菜園をやっていたときに調べたことがあるけど、日本で同じ大きさの農地を買おうとすると三百万円くらいかかったはず。
安い。これは安すぎる。
でもまぁ、それくらい危険な土地ってことなんだろう。
「すごい魅力的ですけど、他に似たような候補はありますか?」
即決したいところだけど、念には念を押して。
だってほら、他にも良いところ見つかるかもしれないじゃない?
それから受付嬢に十ほどの候補を提案され、じっくりと吟味することにした。
モンスターの群れに襲われて廃村になった区画。
戦乱の巻き添えを食らって焼け野原になった農地。
運悪く四度の瘴気被害にあってしまった区画、などなど。
どれも魅力的な候補だった。
熟考に熟考を重ねた結果、最初に紹介してもらった区画にすることにした。
「それでは、こちらが土地権利書になります」
「ありがとうございます」
「こちらの区画は『特例地』になりますので、納税優遇を受けることができます。詳しくは……ええと、こちらの資料をご確認ください」
めんどくさくなったのか、紙を手渡されただけで説明を省略された。
ふと窓の外を見ると、さっきまで青々としていた空が茜色に染まりつつあった。
これは一、二時間レベルじゃないな。げんなりされて当然か。
長々と居座ってしまってごめんなさい。
僕は心の中でそう謝罪して、土地区画管理ギルドを後にした。
「よし、早速農地に向かう……前に、準備をしなきゃな」
僕には付与魔法があるとはいえ、手ぶらで農園を作ることなんてできないし。
でも、準備費用にお金を回せるのはありがたいな。
予想では手持ちのお金の半分以上を土地代で使うつもりだったけど、ほとんど残ったままだ。
「……これは、呪われた地を格安で提供してくれているパルメ子爵様のおかげだな」
ありがたや、ありがたや。
僕は心の中で領主様に手を合わせながら、街の雑貨店へと向かった。
かつて「栄華を極めた宝石都市」と呼ばれ、大勢の人が集まっていた時代もあったわけだし、ホエール地方では土地区画の管理は重要だったのかもしれない。
大きな扉を開けると、これまた豪華な装飾が施されたシャンデリアがお出迎えしてくれた。
しかし、意外と建物の中ががらんとしていた。
客らしき人影はなく、カウンターで暇そうに髪の毛をいじっている受付嬢がいるくらいだ。
「あ、いらっしゃいませ」
受付嬢が僕に気づいて声をかけてきた。
「あの、ホエール地方の土地を紹介して欲しいのですが」
「土地ですか?」
「はい。王都からこっちに引っ越してきまして」
「土地の委任状をお持ちでしょうか?」
「いえ、何も」
委任状というのは、商人や職人が集まる「組合」が発行している土地権利を委任する証明書のことだ。
この世界で土地を買うのは「商売をする人間」というのが一般的。
なので、土地を買うにはどこかの組合に所属する必要があって、組合が土地を購入して個人に譲渡するというのが常識なのだ。
「申し訳ありません、委任状をお持ちでない方にご紹介できるのは瘴気が降りた『呪われた地』のみになります」
「構いません。むしろそっちのほうが良いというか」
「……はい?」
「実は、呪われた地で農園を開きたいと思っていまして」
そう答えると、受付嬢はまん丸く目を見開いた。
「の、呪われた地に農園を作るんですか?」
「はい」
「失礼ですが、瘴気の特性をご存知で?」
「ええ、もちろんです」
院でも研究していたので、良く知っています。
「呪われた地で農作物を育てる技術は持っていますのでご安心を」
「し、しかし、呪われた地には危険なモンスターも数多く生息していますが……」
「問題ありません」
「…………」
言葉の代わりに、胡乱な目を向けてくる受付嬢。
見た目からして強そうじゃないから、そんな反応になっちゃうよね。
でも僕には付与魔法があるし、危険なモンスターが襲ってきたとしても問題なく撃退できる。
しばしの沈黙。
どうやら本気で僕の身を案じてくれていたらしい。だけど、本人がそれでいいと言うのなら反論する必要はないと判断したのだろう。
受付嬢はコホンと咳払いをして続ける。
「そういうことでしたらご紹介出来ると思います。何かご希望はありますでしょうか?」
「そうですね……なるべく人里離れた土地で、水源が確保できる場所でしょうか。土地が安ければ安いに越したことはありません」
「それではこちらはどうでしょう」
受付嬢が出してくれたのは、一枚の紙。
そこには土地区画の情報が記載されていた。
「こちらはパルメザンから馬車で二日ほどの場所にある区画でして、すぐ傍にフラスト川の支流が流れています。広さは二十アールほど。瘴気が降りる数ヶ月まで麦畑をやっていたので、農園を開く広さは十分にあると思います」
「おお、良いですね」
二十アールだと、だいたい二千平方メートルくらいか。
うん、十分すぎる広さだ。
「ただ、『大海瘴』以降、管理ギルドの職員が視察に行けていないので、現状がどうなっているのかは分かりかねます」
「え……ホエールで大海瘴が発生したのですか?」
「はい。数ヶ月前に」
初耳だった。
大海嘯というのは「連鎖的に濃度が高い瘴気が広範囲に発生する事象」のことを指す。
一般的に瘴気は突発的で予測が難しいのだが、局地的に発生することが多く、被害は最小限にとどまるケースがほとんどだ。
だけど、場合によってその被害が国を揺るがすほどの甚大なものになる場合がある。それが大海瘴だ。
瘴気が連鎖的に広がっていく大海瘴は、これまで王国内外で数回確認されていて、数年前に東の小国で発生した大海瘴では国がひとつ滅んでいる。
なるほど。ホエール地方のほとんどの土地がだめになったのは、大海瘴の影響だったのか。
ちなみに、瘴気に関しては解明できていない部分が多く、特に「発生要因」に関してはまだ特定されていない。
学会では「気候が影響している」という説が有力なんだけど、僕はその説を否定している。
「ええと、この土地の値段はいくらくらいなんですか?」
「大海瘴の兼ね合いもあって、譲渡費は手数料込みで金貨二枚です」
「き、金貨二枚!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
日本円に換算すると、だいたい二十万円くらいだ。
ベランダ菜園をやっていたときに調べたことがあるけど、日本で同じ大きさの農地を買おうとすると三百万円くらいかかったはず。
安い。これは安すぎる。
でもまぁ、それくらい危険な土地ってことなんだろう。
「すごい魅力的ですけど、他に似たような候補はありますか?」
即決したいところだけど、念には念を押して。
だってほら、他にも良いところ見つかるかもしれないじゃない?
それから受付嬢に十ほどの候補を提案され、じっくりと吟味することにした。
モンスターの群れに襲われて廃村になった区画。
戦乱の巻き添えを食らって焼け野原になった農地。
運悪く四度の瘴気被害にあってしまった区画、などなど。
どれも魅力的な候補だった。
熟考に熟考を重ねた結果、最初に紹介してもらった区画にすることにした。
「それでは、こちらが土地権利書になります」
「ありがとうございます」
「こちらの区画は『特例地』になりますので、納税優遇を受けることができます。詳しくは……ええと、こちらの資料をご確認ください」
めんどくさくなったのか、紙を手渡されただけで説明を省略された。
ふと窓の外を見ると、さっきまで青々としていた空が茜色に染まりつつあった。
これは一、二時間レベルじゃないな。げんなりされて当然か。
長々と居座ってしまってごめんなさい。
僕は心の中でそう謝罪して、土地区画管理ギルドを後にした。
「よし、早速農地に向かう……前に、準備をしなきゃな」
僕には付与魔法があるとはいえ、手ぶらで農園を作ることなんてできないし。
でも、準備費用にお金を回せるのはありがたいな。
予想では手持ちのお金の半分以上を土地代で使うつもりだったけど、ほとんど残ったままだ。
「……これは、呪われた地を格安で提供してくれているパルメ子爵様のおかげだな」
ありがたや、ありがたや。
僕は心の中で領主様に手を合わせながら、街の雑貨店へと向かった。