追放されたチート付与師の辺境農園スローライフ ~僕だけ農作物を成長促進できる付与魔法が使えるようなので、不毛の地に農園を作ろうと思います~

 家に到着してララノに水で濡らしたタオルを持ってくるよう頼んでからブリジットを二階の部屋へと運んだ。

 洞窟を出てから十分ほどが経つけれど、彼女の意識はまだ戻っていない。

 時折、苦しそうにうめき声を上げるくらいだ。

 ベッドに寝かせたブリジットの額に手を当てると、かなりの熱が出ていた。

 これは完全に瘴気による症状。

 かなり危険な状態だ。

「サタ様」

 部屋のドアが開き、ララノがタオルを持ってきた。

「水で濡らしたタオルをお持ちしました」
「ありがとう、助かるよ」

 とりあえず冷えたタオルをブリジットの額に当てる。

 気休め程度だけれど、何もしないよりはマシだろう。

「ブリジットさんの意識はまだ?」
「うん。時々目を覚ましてるけど、すぐに気を失ってる」
「街に行ってお医者様を連れて来ますか? 動物たちにお願いすれば半日程度でお連れできますが」
「ありがとう。けど、医者を呼んでも意味がないと思う」

 魔導院で瘴気に関する論文をたくさん読んできたけれど、瘴気の毒素にやられた人間の治療法は確立されていない。

 瘴気にやられた人間の治療が出来る医者は、この世界に存在しない。

 だからこそ、毎年多くの人間が瘴気によって命を落としているのだ。

 手足が軽く痺れる程度だったら自然治癒力でなんとかなる。だけれど、昏睡するくらいの重症では助かる可能性は極めて低くなる。

 ──だからといって、諦めるわけにはいかない。

「サタ様のお体は大丈夫ですか?」
「うん、僕は平気。少しだけ指先が痺れてるけどね」

 右手を握ってみたけれど、指の感覚はまだ鈍いままだった。

 この程度なら時間が経てば治るだろうけど、付与魔法で免疫力を向上させたマスクをしていても、あの短時間で瘴気にやられてしまうなんて。

 改めて瘴気の怖さを実感する。

 数ヶ月前にホエール地方を襲った「大海瘴」では、あのレベルの濃度の瘴気が広範囲に発生したというのだから恐ろしい。

「しかし、何か対処方法はないのか……」

 苦しそうな表情で眠っているブリジットを見て思う。

 怪我であれば「白魔法」でなんとかなるけれど、病気や瘴気に対しては無力。

 この世界の医療技術でヒントになるものはないだろうか。

 中世ヨーロッパでも行われていた血を排出させて症状の改善させる「瀉血」や薬草を使った民間療法がこの世界の主な医療だ。

 だけれど、その分野に詳しいのはブリジット。

 その彼女がこの状態ではどうにもならない。

 やっぱりララノに頼んで街から医者を呼んできてもらったほうがいいかもしれない。

「あの、参考になるかわかりませんけれど」

 と、前置きを入れてララノが声をかけてきた。

「私の集落で瘴気を吸い込んでしまったときはハーブをたくさん食べていました」
「ハーブ?」
「はい。キャラウェイにディル、バジルとかですね。どれも薬に使えるもので、体内にある『悪いもの』を除去する効果があるんです。獣人は元々瘴気への耐性が高いので効果があっただけかもしれませんけれど……」
「悪いものを除去、か」

 確かにハーブには老廃物を排出させる効果があったり、殺菌力や炎症に効果があるものもある。

 そういう効果を利用して瘴気の症状を中和させるって感じなんだろう。

「つまり、ブリジットが吸い込んで体内に蓄積されてしまった瘴気をどうにか浄化してあげれば助かる可能性が高いってことか」
「浄化……あっ」

 ララノが何かを思いついたようにポンと手を叩いた。

「サタ様が私を助けていただいたときのこと、覚えていますよね?」
「助けた? って、アーヴァンクに襲われていたときのこと?」
「そうです。あのとき、サタ様の料理を食べて体調が良くなったのですが、あれって疲労回復じゃなくて、私の体に溜まっていた瘴気が浄化されたってことはないですかね?」

 しばし記憶をたどってみる。

 僕と出会う前、ララノは食べ物を探して放浪していた。

 だけど、瘴気が降りた不毛の地で食べ物なんて見つからず、飢えを凌ぐために仕方なく瘴気に汚染された水を飲んでいた。

 ララノの話だと、獣人は獣の血が流れているために瘴気に強い。

 だけれど、動物と違って無症状でいられるというわけではない。

 つまりあのとき、ララノはただ腹をすかせて衰弱していたのではなく、瘴気によって弱っていた。

 そして彼女は、僕の付与魔法で作った野菜を食べて体の中に溜まっていた瘴気を浄化して元気になった。

「……あり得ない話じゃないか」

 根拠があるわけじゃないけど、辻褄は合ってる。

 種子や土壌に付与した魔法によって偶然「合わせ付与」が発生して、瘴気の浄化作用が現れた可能性はある。

 とするなら、ララノに食べさせた野菜を使えば、浄化効果は再現できるかもしれない。

「……よし、あのときと同じ料理を作ってみよう。僕は料理の準備をするから、ララノは畑から野菜を採って来て欲しい」
「わかりました! すぐに!」

 ララノと部屋で別れて、僕は一階のキッチンへと向かう。

 あのときララノに食べさせたのは、サラダに野菜スープ、それとトウモロコシだったっけ。

 どの野菜に浄化作用があるんだろう。

 そういえば、ラングレさんのブドウから作ったワインで「病気が治った」という話もあったし、そこから共通点を探ってみるか。

 ブドウ園でやったのは濾過器への付与だ。

 濾過器は僕の農園でも使ってるし、第二属性の水を司る「水属性」が深く関わっているかもしれないな。

「……てことは、野菜スープか?」

 スープに入っていたものはジャガイモ、ダイコン、干し肉、ニンジン辺りだったか。どれも俊敏力強化で成長促進させて収穫した野菜だ。

 つまり水属性への持久力強化、免疫力強化、それと俊敏力強化。

 さらに種子への生命力強化、免疫力強化、俊敏力強化で瘴気浄化の合わせ付与が発動する……のかもしれない。

 ララノが戻って来る間に、水の準備をすることにした

 家の外にある濾過器から出てくる水を汲んで、念の為にもう一度付与魔法をかけておく。

 キッチンに戻ると、丁度ララノが畑から戻って来た所だった。

 採ってきてくれたのは、主に俊敏力強化で成長を促進させている野菜たち。

 早速彼女にも手伝ってもらって、ジャガイモ、ダイコン、ニンジンの皮むきをはじめる。ジャガイモはひとつ、ダイコン三分の一、ニンジンは半分。

 それを沸騰させた鍋の中に入れて、干し肉とバターを投入。

 しばらくグツグツと煮込んで、塩とコショウを振って完成だ。

 早速、器に入れたスープをブリジットの部屋に運ぶ。

 意識が戻っていないのでブリジットの上半身を起こし、スプーンを使って少しづつ食べさせることにした。

 野菜はホロホロなので、スプーンで潰してスープと一緒に。

 上手く食べさせることができるかと不安になったけれど、なんとか飲み込んでくれた。

「……どうだ?」

 とりあえずスープの半分ほどを食べさせてからベッドに寝かせる。

 予想が当たっていれば、これで効果が出るはず。

 できることはやった。あとは神様に祈るのみ。

 しばしベッドの傍で、ララノとブリジットの容態を静観する。

 そうして五分ほどが経ったときだ。

「……あっ」

 ララノが声を上げた。

「見てくださいサタ様! なんだかブリジットさんの顔色が良くなってきてないですか!?」
「…………」

 じっとブリジットの顔を見る。

 そう言われると、さっきまで蒼白だった顔色に少しだけ血色が戻って来たような気がする。

 これはもしかして付与魔法が効いてきたのか?

 そっと額に手を当ててみると、明らかに熱が下がっていた。

 さらに浅かった呼吸が深くなり、苦しそうだった表情も少しづつ和らぎはじめる。

「やったぞ! 付与魔法の効果が現れたみたいだ!」
「良かった! 本当にサタ様の付与魔法に瘴気浄化の効果があったんですね!」
「効果に気づいてくれたララノのお手柄だ。本当にありがとう」
「……えっ!? や、わっ、私は何も」

 ブンブンと顔を横に振るララノだったが、尻尾はちぎれんばかりに揺れていた。

 しかし、とりあえずはこれで一安心だ。

 安静にさせておけば、じきに目も覚ますだろう。

 ああ、ホッとしたからか、なんだか急に疲れが出てきた。

「僕たちも野菜スープ食べておこうか。瘴気が体内に残ってるかもしれないし」
「そうですね」

 ララノの顔にも疲労の色が窺える。ただの気疲れかもしれないけど、瘴気によるものだったら大変だ。

 そうして僕たちは、ブリジットの部屋で彼女を見守ることにした。

 ブリジットが目を覚ましたのは、それから二時間ほどが経ってからだった。
 オルトロス事件から二日が経った。

 一時はどうなることかと思っていたブリジットだけど、すっかり回復して元気になっていた。

 むしろ前よりもエネルギッシュになっている雰囲気すらある。

「サタ先輩っ!」

 収穫を終えたトマトの撤去をしていると、家の方から猛烈な勢いでブリジットが走ってきた。

「頼まれた薪割りは終わったぞ!」
「……え? もう?」

 農作業に出る前に薪割りをお願いしたのだけれど、まだ十分も経っていない。

 動物たちが山から持ってきた丸太は十本くらいあったし、流石にこの時間で終わらせるのは無理じゃないか?

「十本全部?」
「もちろんだ」
「ちょっと凄すぎませんか?」

 気のせいかと思っていたけど、やっぱり前よりパワフルになってる。

 これも瘴気浄化の合わせ付与の効果なのかな?

「あの洞窟での事件があってから、体の奥から力が湧き出てくるのだ。これもサタ先輩の付与魔法で作った作物の効果だろうか?」
「いや、僕の付与魔法っていうより瀕死の状態から回復したから戦闘力がアップしたんじゃないかな?」

 ほら、某漫画の戦闘民族みたいにさ。

 ブリジットなら有り得そうじゃない? 

「……? すまない、どういうことなのだろう?」
「なんでもないから気にしないで」

 そんなネタ、解るわけないよね。

「それじゃあ、収穫を手伝ってくれる?」
「ああ、お安い御用だ」

 ブリジットにナイフを渡して収穫をお願いして、僕はキュウリの摘芯作業をやることにした。

 摘芯作業は伸びてきた脇芽を切る作業で、摘芯をすることで上に伸びていこうとする栄養を実の成長に回すことができる。

 これ如何で収穫量が大きく変わる、とても大事な作業だ。

「しかし、なぜオルトロスの体から瘴気が吹き出してきたんだろうな?」

 ピーマンとシシトウを収穫しながら、ブリジットが尋ねてきた。

「そんな話は魔導院でも聞いたことがなかったが」
「そうだね……」

 院の職員は呪われた地に赴くことを禁止されているが、一方で王国各地から様々な情報が流れてきていた。

 瘴気が人体に与える影響。

 作物を枯れさせる時間。

 食べ物を介した瘴気の二次感染。

 だけれど、「モンスターから瘴気が出た」なんて話は一度も聞いたことがない。

「あの状況から推測するに、オルトロスの体内に尋常じゃない量の瘴気が溜まっていて、死んだことでそれが解放されたんじゃないかな?」
「しかし、あの量の瘴気を体内に蓄積していたら、普通は生きていられないぞ?」
「まぁ、普通ならね」

 相手は普通じゃないモンスターなのだ。常人なら一瞬で死んでしまう量の瘴気を抱えていてもなんら不思議じゃない。

 それに、モンスターは瘴気に耐性がある動物や亜人だったという推論が当たっているとしたら、十分あり得る話だ。

「何にしても、今回の件で瘴気を浄化できることがわかったのは収穫だったよ」
「そうだな。先輩が今回の件を論文にまとめてみてはどうだろう?」
「やらないよ。僕はもう研究者じゃないんだし」
「……そうか」

 ブリジットの声には、どこか落胆の色が見えた。

 その話はそこで終わり、僕たちは黙々と作業を続けた。

 一時間ほどで収穫と摘芯作業を終え、大量の野菜を持って自宅へと帰る。

 採れた野菜は家の地下にある貯蔵庫に運ぶことにしている。

 ララノも知らなかったみたいだけど家の地下に小さな部屋があって、そこを貯蔵庫として利用しているのだ。

 地下なので陽が当たらず、湿気もないので野菜の保管に最適な環境なんだよね。

「……そういえば、どうするの?」

 野菜を貯蔵庫にしまっているとき、ふと思い出してブリジットに尋ねた。

「どう、とは?」
「いつまでここにいるのかなって」

 ブリジットの今後については、オルトロス事件があったので保留になっていた。

 結局、開くつもりだった晩餐もまだだ。

「もちろん、ずっといるつもりだが?」

 当たり前のことを聞くな、と言いたげに即答するブリジット。

「本気で院には戻らないつもりなの?」
「何度も言っているが、サタ先輩が院に戻るというのなら一緒に帰るぞ」
「…………」

 やっぱり平行線。

 う〜む。どうやって説得すればいいのだろう。

 叱りつけて追い返すことはできるけど、そんなことはしたくないし。

 結局、このときも彼女を説得できる妙案は浮かばなかった。

 重い足取りでリビングに戻ると、ララノがお昼ごはんの準備をしてた。

 そうだ。ララノに協力してもらおう。

 ブリジットのおもてなしをすることには賛成してくれたけど、滞在することには否定的な感じだった。

 面と向かってララノに拒否されたら流石に引き下がるかもしれない。

「ララノ、ちょっといいかな?」
「……はい? なんでしょう?」

 ララノが料理の手を止めて首をかしげる。

「ブリジットの件なんだけど、キミはどう思う?」
「ブリジットさんの件?」
「この農園に住みたいって話しだよ。ブリジットをもてなす話はしてたけど、ここに住ませるかどうかの話はしてなかったじゃない? だからララノの意見を改めて聞きたいと思ってさ」
「そうですね……」

 そう言ってララノはしばし天井を見上げて考える。

 僕たちの間をグツグツと煮込みの美味しそうな音だけが流れる。

「私は居候なので偉そうに言える立場ではありませんが、ブリジットさんがここに住みたいというのなら歓迎したいと思います」
「……えっ?」

 予想外の返答だった。

「い、いいの?」
「もちろん構いませんよ。はじめは少し嫌だなって思ってましたけど、でも、地位も名誉も擲って追いかけてきた人を追い返すのって、なんだか可哀想じゃないですか」
「ラ、ララノ……っ!?」
「……ひゃいっ!?」

 ブリジットが柱の陰から飛び出してきて、後ろからララノをハグした。

 どうやら聞き耳を立てていたらしい。

「ちょ、ちょっとブリジットさん!?」
「すまない、私はお前のことを酷く勘違いしていたようだ。てっきりララノは私の敵だと思っていた」
「て、敵!?」
「そうだ。私とサタ先輩の恋路を邪魔する、いわゆる『恋敵』だ」
「こっ、恋っ……ちちち、違いますからっ! あと離れてくださいっ!」
「あ、以外と尻尾がもふもふしていて気持ちいいな」
「く、くすぐったいですってば!」

 怒っているのかボワッと膨れているララノの尻尾にブリジットが顔を埋める。

 少しだけ僕もやりたい。

「と、とにかくですね!」

 ララノは尻尾をモフられながら、続ける。

「ブリジットさんが農園で暮らしたいというのなら、私は反対なんてしません。でも、この農園の主はサタ様なので、サタ様のお気持ちを優先させてください。もしブリジットさんを追い返したいと仰るなら、私はその意見に賛成します」
「……なっ!?」

 ブリジットがララノの尻尾の中でギョッとする。

「や、やはり貴様は敵だったのか!?」
「だから違いますってば! というか、尻尾から離れてくださいっ!」

 やいのやいのと騒ぎ出すブリジットとララノ。

 そんな彼女たちをよそに、僕はララノに言われたことを静かに考える。

 僕の気持ち、か。

 そう言えば、一番大事な部分を深く考えていなかったな。

 ブリジットに「ここに住ませて欲しい」と言われたとき、彼女の使命や周りの事ばかり考えていた。

 周りのことは一旦忘れて、僕自身はどう思っているのだろう。

 僕は一体、どうしたい?

 一番大切なのは、僕の気持ちだろう。

「……わかったよブリジット」

 結論は、意外とあっさり出てきた。

「キミを歓迎しよう」
「……っ!?」

 そう答えた瞬間、ブリジットが猛烈な勢いで詰め寄ってきた。

「ほっ……ほ、ほ、本当か!?」
「ただし、キミにもちゃんと農作業とか手伝ってもらうからね? まぁ、仕事ってわけじゃないから、のんびりやってもらっていいんだけど」
「ああ、もちろんだとも! 私のことは奴隷だと思ってこき使ってくれ!」
「いや、だからのんびりやってもらって大丈夫だって言ってるじゃない」

 僕の話をちゃんと聞いてくれ。

 それに、やんごとなき名家のご令嬢をこき使えるわけないでしょ。

 デファンデール家の人たちに知られたら殺されてしまう。

「とにかく。ええと、改めてよろしくね、ブリジット?」
「……ふおぉっ!?」

 握手しようと手を差し出したら、両手でがっしりと掴まれた。

 馬鹿力で掴まれたのでちょっと痛い。

「サ、サタ先輩っ! こっ、こっ、これはプロポーズの言葉として受け取っていいやつかっ!?」
「全然よくない」
「なわけないでしょ」

 ウザすぎる勘違いに、僕とララノが同時に突っ込んだ。

 う〜ん、どうしよう。

 つい許可しちゃったけど、やっぱりブリジットには王都に帰ってもらったほうがいいかもしれないな。
 猛暑も影を潜め、夕方になると時折、心地良い涼しい風が窓から流れこむようになってきた。

 日本だと、そろそろヒグラシが鳴く季節。

 異世界アルミターナには「暦」というものが存在しないけれど、多分、立秋あたりだろうか。いや、雰囲気的にもう過ぎているかな?

 ブラック企業に勤めていたとき、休憩時間にボーッと日本の暦を見たりしていたけれど、立秋はお盆前くらいだったっけ。

 この時期の旬の野菜はトウモロコシ。

 トウモロコシは収穫後、一日で甘さも栄養価も半減するのでその日のうちに食べてしまうのが鉄則だ。

 とはいえ、その鉄則は魔法がない現代での話。

 自宅の地下に保管している大樽三つ分ほどのトウモロコシは、「生命力強化」の付与魔法を定期的にかけているおかげで、一週間経った今でも採れたての美味しさを維持している。

 トウモロコシだけではなく、夏野菜のキュウリやトマトも食べきれなかった分は付与魔法をかけて保存している。

 一方の畑では、夏野菜が終わって秋野菜の準備をはじめている。

 キャベツ、ブロッコリー、赤ダイコンにミズナ、ニンジン、カブ、ホウレンソウ、ロマネスコなどなど。

 畑は更に拡張され、畝の数は今や五十を越えた。

 この数になるとちょっと管理が大変かなと思ったのだけれど、動物たちの協力や肉体派のブリジットの加入おかげで意外と苦労なくこなせている。

「……う〜む」

 まだ朝露が消えきっていない、一日が始まったばかりの農園。

 広大な畑で何やら難しそうなブリジットの声が聞こえた。

 ロマネスコの苗を植えていた僕は手を止めて、声がしたほうを見る。

 ブリジットは畑の一角──彼女に「自由に使っていいよ」と貸している畝──で首を捻っていた。

「どうしたの?」
「いや、どうにも上手くいかなくてな」
「……上手くいかない?」

 もしかして野菜でも育ててるのかな。

 そう思って覗いてみると、ブリジットの足元に枯れてしまった苗のようなものがあった。

 これはブロッコリーの苗?

「それ、ブリジットが植えたの?」
「ああそうだ。サタ先輩の付与魔法の効力を再現できないかと錬金術で精製したポーションで土壌改良してみたのだが……この有様だ」

 ブリジットが言うには、錬金術で精製した「成長薬」と「強化薬」のポーションを土に混ぜて耕し、そこにブロッコリーの苗を植えたらしい。

 成長薬はその名の通り植物の育成促進に使うポーションで、強化薬は身体能力強化に使うポーションだ。

「魔導院でやったときはこのふたつを使えば、一定の成果が見られたのだがな」
「院に運ばれてきた土の瘴気度が低かったとか?」
「その可能性はある。だが、それを見越してミズノハとガジュを多めに使ってポーションを精製してみたのだ」
「ミズノハ? ガジュ?」
「成長薬の効力を高める効果がある霊草だ。大変希少な薬草で、これを使った成長促進薬を使えば、養分が乏しい痩せた土でも作物が育つ」
「なるほど。ポーションを使って作物に多くの栄養を与えれば、瘴気の毒素をある程度跳ね除けられるかもしれないって考えたわけか」
「おお、流石はサタ先輩。そのとおりだ」

 確かにいいアイデアだとは思う。

 だけど、結果は失敗。痩せた土でスクスク育つほどの栄養を与えても、瘴気の毒素を退けることはできなかった。

「しかし、改めてサタ先輩の凄さを実感したぞ。最高級の薬草を使ったポーションでも無理なことをさらっとやってのけるなんて」
「凄いのは僕じゃなくて付与魔法だけどね」

 野菜の知識もアマチュアに毛が生えた程度のものだし。

 ブリジットは院を辞めたけれど、錬金術と瘴気に関する研究は続けるようで、こうして農作業の傍らで実際に作物を育てながら実証研究をしている。

 今のところ失敗続きだけれど、すぐに成功させるに違いない。

「……ん? そういえば今日の収穫物はないのか?」

 畝の傍に置いてある空の荷車を見てブリジットが尋ねてきた。

「そうだね。ちょっとだけシシトウが残ってるから、それを採るくらいかな。ロマネスコの苗も植え終わったし、残りの収穫をしたら今日の作業は終わりだ」
「なるほど。ちなみにサタ先輩の午後の予定は?」
「ん〜、特に決めてないよ。農具のメンテナンスをして部屋でホエールワインでも飲みながらひとりでのんびりしようかな」

 先日、ラングレさんのブドウ園に行ったときにパルメザンに寄ってホエールワインを樽買いしてきたのだ。

 街に流通しているのは三番煎じの安物ワインだけど、それでも十分美味い。

「それはいい考えだな。実に贅沢な時間の使い方だ」
「だよね。燻製チーズもあるし、つまみもバッチリなんだよね」
「素晴らしい。では、お昼ご飯を食べたらサタ先輩の部屋に集合だな」
「オッケー。じゃあ、僕はブリジットのワインを用意……って、なんで来ようとしてるの?」

 危なく了承するところだった。

 ひとりでのんびりするって言ってるのに、さらっと混ざろうとするんじゃない。

「別に構わないだろう? 私のことは置物だと思えば十分のんびりできる」
「その置物、絶対にウザ絡みしてくる」
「分かった分かった。では、ホエールワインの飲み比べで先に酔いつぶれたほうが何をされてもいいというゲームをやろう」
「のんびり要素はどこに行ったの?」

 それに、僕を酔い潰して何か変なことしようと企んでるでしょそれ。絶対やりたくない。

 というか、いつも思うけどブリジットって本当に心が折れないよね。そういう話を振られるたびに突き放してるのに。

 呆れたような感心したような複雑な感情を抱きつつ、不屈の心を持つブリジットを連れて家へと戻った。

 まずは地下の貯蔵庫に収穫したシシトウを保管してから一階のリビングへ。

 ハクビシンやウサギたちがくつろいでいるリビングを見て、改めて随分と雰囲気が変わったなぁと思った。

 小洒落た革のソファーに、落ち着いた絵柄のカーペット。

 白樺の木で作られた棚にテーブル。

 動物たちが作ってくれたものと凄くマッチしているこれらのお洒落な家具は、少し前にパルメザンで注文したものだ。

 それが先日ようやく届いたのだけれど、ぐっと素敵度が増した。

 我ながらナイスチョイスだったな。

「……あっ」

 と、何やら動物たちとテーブルの上を見ていたララノが僕たちに気づく。

「お疲れ様です。サタ様、ブリジットさん」
「お疲れ様。何を見てるの?」
「これですよ」
「……あっ、キノコ?」

 ララノが手にとったのは、まんじゅうみたいな傘がついた実においしそうなキノコだった。

 テーブルの上のカゴには、大小様々なキノコが山盛りになっていた。

「それって何ていうキノコなの?」
「こっちがパルチーナにダロール、この木の実みたいな見た目のキノコがマリーヌですね」
「……へぇ」

 つい気の抜けた返事をしてしまった。

 聞いてみたは良いものの、全く知らない名前だった。

 多分、同じキノコでも現代とは名前が違うんだろうな。ダロールと言ってたキノコの見た目は椎茸っぽいし。

「食べられるんだよね?」
「もちろんです。特にパルチーナはパスタ料理にも使えて、すっごくおいしいんですよ」
「パルチーナは私が大好きなキノコのひとつだ」

 健啖家ブリジットが、ここぞとばかりに会話に混ざってくる。

「パルチーナはパスタと混ぜても美味いが、リゾットにしてもうまいぞ。パルチーナの甘い香りと凝縮された旨味が絶品なのだ。ワインともよく合う」
「あ〜、いいですねパルチーナリゾット……」

 ララノがキノコ片手にうっとりとした顔をする。

 彼女も意外と健啖家だからな。

 そんなララノにふと浮かんだ疑問を投げる。

「でも、そんなにたくさんのキノコをどこで手に入れたの?」
「オルトロスがいたあの洞窟ですよ」
「……え?」

 あの瘴気が発生してた洞窟?

 そんなところにキノコが生えてたの?

 というか、ララノはそんな所で何をやっていたんだ?

「……あっ」

 僕の胡乱な視線に気づいたララノが慌てて続ける。

「ちち、違います。このキノコを見つけたのは私じゃなくて動物たちですよ? ほら、動物たちに農園の見回りをしてもらっているじゃないですか。それで洞窟にキノコが生えている苗木を見つけたみたいで」
「ああ、そういうことか」

 ホッと一安心。

 てっきりララノがひとりで洞窟探索したのかと思っちゃった。

 あのオルトロス事件があってから、動物たちに敷地内の巡回をお願いしている。

 また危険なモンスターが農園に居座っちゃったら面倒だし、気づかないうちに洞窟から瘴気が噴出してました──なんてことになったら大変だ。

 でも、問題を発見する前にキノコの苗木を発見するなんて素敵すぎるな。

「しかし、苗木かぁ」

 生前にベランダ菜園と一緒に、原木の椎茸栽培をやったことがあった。

 椎茸は栄養を与え続けると半永久的に収穫ができると聞いてやったんだけど、上手く行かずに失敗したっけ。

 失敗してから解ったんだけど、原木の広葉樹の中に含まれる栄養素が菌に回らずに失敗することがあるらしい。

「……ん? てことは付与魔法を使えばいけるのかな?」

 成長促進の「生命力強化」と、育成速度を上げる「俊敏力強化」あたりを付与すれば栄養素が菌にしっかりと行き届くかもしれない。

 いや、魔法を使わなくてもブリジットの「成長促進薬」で事足りそうだな。

 物は試しだ。あとでブリジットを連れて洞窟に行ってみて──と、考えていたら誰かのお腹が盛大に鳴った。

「ふふ……私だ」

 ドヤ顔でブリジットが名乗り出る。

 実に清々しい。

 いや、別に良いんだけど、キミは名家のご令嬢なんだしもう少し恥じらいを持ったほうがいいんじゃないかな?

「……ふふっ」

 そんなブリジットを見て、ララノが楽しそうにクスクスと小さく肩を震わせる。

「ブリジットさんもだいぶお腹が空いているみたいですし、お昼はこのパルチーナを使ったリゾットにしましょうか」
「本当かララノ! 是非お願いしたい!」

 目を爛々と輝かせるブリジット。

 ララノみたいに尻尾があったら、嬉しそうに振り回してそうだ。

「ではブリジットさんは濾過器からの水汲みと、お皿の準備をお願いします」
「承知した!」
「サタ様は……料理を手伝っていただけますか?」
「もちろん」

 この家に住みはじめてから、ララノの料理の手伝いをすることが増えている。

 ──と言っても、僕の料理の腕を見込まれて……なんて理由じゃなくて消去法で僕になっただけだけど。

 ブリジットに頼むと、食材をバラバラにしちゃうのだ。

 早速、山盛りキノコのカゴを持って、ララノとキッチンへと向かう。

「作るのはリゾットだけ?」
「そうですねぇ……それだけじゃ寂しいので、シンプルにダロールを焼いた『ダロールステーキ』と、マリネサラダも作りましょうか」
「ダロールステーキ……」

 なんとも美味そうな響きだ。

 ダロールは見た目が椎茸っぽくてボリューミーだし、バターと一緒に焼くだけで凄く美味しくなりそうだ。

 というわけで、ララノがリゾットを作り、僕がダロールステーキとマリネサラダを作ることになった。

 早速かまどに火を灯し、フライパンが温まる間にダロール石づき──軸の先にある硬い部分──を切り取って、傘の部分に切り込みを入れる。

 温まってきたフライパンにオリーブオイルを薄く伸ばし、ダロールを投入。

 さらにバターを入れて蓋をして、じっくりと蒸し焼きする。

 すぐに美味しそうなキノコが焼ける音と芳ばしい香りが漂ってきた。

 その香りに食欲を刺激されながら、ララノに何気なく尋ねる。

「毎回思うけど、ララノって本当にレシピの幅が広いよね。獣人ってみんなララノみたいに料理が得意なの?」
「そういうわけじゃないですよ。集落に住んでいた人たちは、狩ってきたシカやイノシシばかり食べてましたし。料理が好きなのは私だけでした」
「そうなんだ。じゃあ、料理は独学で?」
「ほとんどレシピ本ですね。子供の頃、家族でパルメザンに行ったときに料理のレシピ本を買ってもらったんです」
「おお、それは凄いな。レシピ本って料理人が読むやつだよね?」
「そうですね。ちょっと値が張りましたけど、すごく勉強になりました」

 王都にも書店はあったけど、本を買うのは職人か暇を持て余している富裕層というのがお決まりだった。

 というかララノって文字が読めるんだな。

「プロの料理人並に料理が作れるなら、そのうち敷地内にお店でも開いちゃう?」

 そう尋ねると、ララノは首をひねった。

「お店?」
「ララノの料理が食べられるお店だよ」
「……えっ! 本当ですか! すごく楽しそう!」
「まぁ、農園に来るお客さんなんてプッチさんくらいだから商売にはならないとは思うけど」

 あまり客が来ないほうがのんびりできるから、そっちのほうが良いかな?

 そういう所から噂になれば、ララノの家族の耳にも届くかもしれない。

「……ワウっ」

 リビングにやってきた狼が小さく吠えた。

「え? 馬車?」

 ララノが小首を傾げる。

 どうやら、今の鳴き声で内容がわかったらしい。

「サタ様、どうやら敷地内に馬車がやってきたみたいです」
「馬車? プッチさんかな?」

 プッチさんは定期的に農園にやってきて、農園の野菜を買い取ってくれたり必要な物資を卸してくれる。

 前回から結構時間が経っているし、彼女がやってきたのかもしれない。

 そう思ったのだが──。

「いえ、プッチさんじゃなさそうです」
「……え、違うの?」

 狼曰く、どうやらプッチさんとは違う匂いがするらしい。

 嗅覚が鋭い狼が言うのだから間違いない。

 とすると、誰だろう。

 プッチさん以外で農園にやってくる馬車なんて、運び屋ギルドくらいのものだけれど。

 などと首を傾げていると、馬車が家の前に停まるのが見えた。

 とりあえず出迎えたほうが良いかと、ララノと一緒に玄関先に出る。

 馬車は人を運ぶ乗用馬車ではなく、荷物を運ぶ荷馬車だった。

 ということは、商人さんかな。

「あっ……!」

 御者台に座っている男性を見て、声が出てしまった。

 ふくよかな体格に優しそうな顔。

 そして、一番特徴的な、ふさふさとした眉毛。

「お久しぶりです、サタ様」
「サ、サクネさん?」

 馬車から降りてきたのは、以前にパルメザンの街のあれこれを僕に教えてくれたサクネさんだった。
「いやいや、本当にご無沙汰しております」

 馬車から降りてきたサクネさんが嬉しそうに僕の手を握ってきた。

 本当にご無沙汰だ。

 サクネさんと別れてから何度もパルメザンに行っているけど、結局一度も顔を合わせていない。連絡手段がないので会えなくて当然といえば当然だけど。

「ええと、そちらの方は……サタ様の奥方様ですか?」
「ちっ、違うます!」

 ピンと耳を立てるララノ。

 ララノさんってば、慌てすぎて噛んじゃったよ。

「彼女はララノ。元々はこの近くの集落に住んでいて、今は農園を手伝ってもらっているんです」
「おお、そうでしたか。これは失礼なことを」
「い、いえ、失礼なことなんて何も。むしろ光栄というか」
「……はい?」

 光栄って何が?

 首を捻っていると、ララノは顔を真っ赤に染めて続ける。

「そ、そんなことよりも、この方を紹介していただけますか?」
「あ、そうだね。この方はサクネさん。王都からパルメザンに向かってる途中で偶然知り合って街まで送ってもらったんだ。あ、ほら、街でホエールワインが飲める居酒屋を教えてもらった人って言えばわかるかな?」

 そう説明すると、ララノは「ああ、あの方ですね!」と手を叩いた。

 パルメザンでホエールワインが飲めているのはサクネさんのお陰なのだ。

「サクネさんとはあれ以来なので、二、三ヶ月ぶりくらいですかね?」
「もうそんなに経ちますか。いやはや、時間が流れるのは実に早いものですね」
「全くです」

 でも、凄く充実した穏やかな数ヶ月だった。

 オルトロス事件は少し肝を冷やしたけど。

「噂でサタ様の活躍は伺っていますよ。なんでも廃業寸前のブドウ園を救ったとか?」
「え、そんな噂が流れてるんですか?」
「はい。王都からやってきた学者先生がブドウ園を再生させて、多くの関係者を救ったと」
「お恥ずかしい限りです」
「何をおっしゃいます。誇るべき偉業じゃないですか」

 ニッコリと微笑むサクネさん。

 ああ、その笑顔に癒やされる。

「それで、どうしてサクネさんがここに?」
「ああそうでした。実は、プッチさんから言付けを頼まれましてね」
「え? プッチさんに?」
「はい。実は私とプッチさんは以前に同じ商人組合に所属していたことがありまして、今でも交流があるんですよ」

 商人組合は商人同士が相互に扶助しあう組織のことだ。

 商会と個人で取り引きできるような実績を持っていない商人は、組合の後ろ盾を使って商売をする必要がある。

 プッチさんは組合に所属していないフリーの商人だと言っていたので、フリーになる前にサクネさんと同じ組合にいたのだろう。

「そうだったんですね。それで、プッチさんは何と?」
「はい。『いつもの倍の額で買い取るので、規定の作物を持ってパルメザンに来てくれませんか』とのことです」
「……街に?」

 流石に訝しんでしまった。

 これまでそんなお願いをされたことはない。

 何か街を離れられない事情があるのだろうか。

「何かあったんですかね?」
「プッチさんに何かあったというわけじゃないと思います。プッチさんだけじゃなくて、私を含めて商人はてんやわんやになっていますからね……」

 小さくため息を漏らすサクネさん。

 一体、どういうことだろう。

 不思議に思っていると、サクネさんは言いにくそうに続けた。

「サタ様に隠していても仕方ないのでお話しますけれど、実は先日、パルメザンに瘴気が降りたんですよ」
 前回パルメザンに来たのはラングレさんのブドウ園の仕事のときだったので、約一週間ぶりになる。

 前に来たときは街の様子に変化はなかった。

 「栄華を極めた宝石都市」なんて言われていた頃のパルメザンを知る人間からすると寂れた印象を持つのかもしれないけれど、その時もいつも通りに人が行き交い、適度な賑わいを見せていた。

 だから、激変してしまった街の様子に言葉を失ってしまった。

 まず目につくのは、半壊した建造物の数々。

 街を守る巨大な門は崩れ落ち、馬車や人が行き交っていた舗装された道には瓦礫が積み上がっている。

 街の中心を通る大通りに並ぶ建物の被害はさらにひどく、倒壊した家屋からは今も煙が登っている。

「……モンスターですか?」

 荷台からサクネさんに尋ねた。

 彼は無言でうなずく。

「丁度街を離れていたので実際に見たわけではありませんが、瘴気が降りると同時に十匹ほどのモンスターが現れたそうです。すぐに冒険者さんたちが対処にあたったらしいのですが、突然すぎて被害が拡大してしまったようで」

 冒険者というのは王宮魔導院・護国院の下部組織、「冒険者協会」に登録している傭兵たちのことだ。

 世界中の街には「冒険者ギルド」という出張所があって、冒険者はそこでモンスター討伐や素材採取などの依頼を受けている。

 街にモンスターが現れて、領主パルメ様が討伐依頼を発注したのだけれど、手続きをしている間に被害が拡大してしまったらしい。

「……クソっ、歯がゆいな」

 荷台で街の様子を見ていたブリジットが顔をしかめる。

「こんな惨劇が近場で起きていたなんて。私が街にいれば被害を抑えることもできたはずなのに」
「悔しいけど仕方ないよ。近場って言っても馬車で二日はかかる距離なんだし。それに、サクネさんが農園に来たときはもう襲われた後だった」

 サクネさんから話を聞いた僕たちは、一刻も早くパルメザンに行きたかったけれど、しっかりと準備をしてから向かうことにした。

 プッチさんは「街に来ないで欲しい」じゃなく、「農作物を持って街に来て欲しい」と頼んできたのだ。

 彼女が僕の作物を必要としている可能性は高い。

 だとしたら農作物を多めに用意して万全の準備で街に向かうべき。

 そう思って、ブリジットやララノにも同行をお願いしたのだけれど──。

「…………」 

 鎮痛の面持ちで街の様子を見ているララノの姿が目に映った。

 やっぱり彼女は農園に残しておくべきだったかもしれない。

 なにせララノは故郷を瘴気によって壊滅させられてしまったのだ。

 瘴気やモンスターによって破壊された街を見たら、辛い記憶が蘇ってしまうかもしれない。

「……大丈夫?」

 声をかけると、ララノはハッとして笑顔を覗かせた。

「は、はい、平気です」

 しかし、その声はいつもよりも弱々しい。

 何か彼女を元気づけられる方法はないかと考えたけれど、そんな気の利いた言葉は浮かばなかった。

 ガラガラと馬車の音だけが僕たちの間に流れる。

 馬車がゆっくりと止まったのは、見覚えのある建物の前だった。

 麦と硬貨の紋章が入った旗が掲げられた、お城のような立派な建物。

 以前に一度だけ来た、リンギス商会の商館だ。

「ここにプッチさんがいます」

 御者台からサクネさんが声をかけてきた。

「荷はプッチさん名義で商会の荷揚げ夫に預けておきますので、後で職員に声をかけてください」
「わかりました。助かります」
「私もしばらく街に居ます。広場にある宿屋に部屋を取っているので、何かありましたらいらっしゃってください」
「ありがとうございます」

 わざわざ農園まで来てくれたサクネさんに重ねて礼を伝えて、僕たちは馬車を降りた。

 前にここに来たときは武装した衛兵が入り口を守っていた。

 だけれど、彼らの姿はどこにもない。

 守り人が不在になった商館の扉をゆっくりと開く。

 中の様子を見て驚いてしまった。

 前回ここに来たときは、さながら戦場のような慌ただしさがあった。

 大海瘴の影響で農園が大打撃を受け、商人たちが周辺地域から作物をかき集めていたからだ。

 なので、今回も同じような雰囲気なのだろうと思ったのだけれど──中はガラガラだった。

 カウンターには職員すらおらず、周りのテーブルにはポツポツと商人風の男がいるだけ。活気に満ちた声もなく、しんと静まり返っている。

「……あっ! サタさん! それにララノさんにブリジットさんも!」

 と、商館に聞き覚えのある声があがった。

 プッチさんだ。

 モンスターの襲撃を受けて怪我でもしているのではと心配したけれど、いつもと変わらない元気な姿だった。

 それを見て、まずはほっと胸をなでおろす。

「いやぁ、救世主が到着するのを、首を長くして待ってましたよっ!」
「……っ!?」

 しかし、続けてプッチさんの口から放たれた言葉に顔をしかめてしまった。

 ざわつく商人たちからの視線を背中に感じながら、急ぎ足でプッチさんの元へ向かう。

「ちょ、ちょっといきなり何ですか、救世主って」
「本っ当にサタさんたちの到着を待ってたんですから。農園の作物、持ってきてくれましたよね?」
「は、はい。とりあえず商館の荷揚げ夫さんに預けていますけど……」

 そう伝えると、商館にいる商人たちから「おおっ」と歓声があがった。

 どういうこと? と首を傾げていると、プッチさんはニコニコ顔で「ひとまず座って下さい」と椅子を勧めてきた。

「えと、街の状況はなんとなくご存知ですよね?」

 僕たちが席につくと、おもむろにプッチさんが口を開く。

「ええ、道中にサクネさんから伺いました」
「でしたら話は早い。実はモンスターの襲撃によって街の貯蔵庫が燃えてしまったんです」
「貯蔵庫?」

 尋ねたのはララノだ。

 プッチさんはコクリと頷いてから続ける。

「パルメザンにある商会の貯蔵庫です。そこが燃えてしまって、街は深刻な食料不足に陥っているんです」

 プッチさん曰く、貿易の要所と言われるパルメザンに運ばれてきた物資は、まず商会が持つ貯蔵庫に保管されるらしい。

 そこを経由して王国各地に運ばれていくのだけれど、その中には住民の生活を支える食料や物資、それに領主パルメ様に治める物も含まれているという。

 そして、今回のモンスター襲撃でその貯蔵庫のほとんどが燃え落ちてしまった。

「なので、先日の大海瘴のときのように周辺地域から食料をかき集めているところなのですが……ちょっと成果が芳しくないんですよ。まぁ、大海瘴からあまり時間が経っていないので仕方ないんですけどね」
「それでサタ先輩の農作物が頼りだったということか」
「ご明察ですブリジットさん」

 僕が持ってきた農作物の量は、失った分を補填できるようなものではないけれど、周辺地域からの援助が見込まれない以上、頼らざるを得なかったんだろう。

「というわけですみません。今回はサタさんの農園に回せる物資が無いんです」
「……え?」

 キョトンとしてしまった。

 何を言ってるんだと思ったけれど、あれか。いつもプッチさんが僕の農園に持って来てくれている物資のことか。

 こんな状況なんだし、外部に回す余裕なんてないよね。

「次回はなんとか確保しますので、なにとぞお許しくださいっ!」
「何を言っているんですか。僕たちのことは気にしないでください。お渡しする農作物も今回はお代はいりませんよ。微力ですが、街の復興に使ってください」
「ふ、ふわぁああぁ……ありがとうございますサタさんっ!」

 みるみる涙目になっていくプッチさん。

 そんな彼女を見て、ララノが切り出した。

「あの、私たちに出来ることは何かありませんか? 周辺地域から食料を集めることはできませんが、お手伝いならなんでもやりますよ」
「ラ、ララノさん……」
「そうだな。私も農園からいくつか薬草を持ってきているから、精錬できる錬金台を貸してくれればすぐにでもポーションを作れるぞ」
「ブリジットさんも……っ! うわぁん!」

 プッチさんはついに滝のように涙を流し始めた。

「皆さんのそのお言葉……はいっ! プライスレスッ!」

 ペシッとテーブルを叩くプッチさん。

「……冗談言えるくらい余裕があるなら、援助はいらないですか?」
「あややっ!? 違いますよサタさん! これはただの空元気ですからっ! 職員さんたちに被害が出てるせいで、やったこともない各所の調整役をやらされて、もういっぱいいっぱいなんですっ!」

 なるほど。だからプッチさんは街から出られなかったわけか。

 周辺地域からの援助が滞っているのは、そういう「人的被害」が出ていることも大きいかもしれないな。

 食料を確保する商人、それに街を守る衛兵や職人。

 もしかすると、住民にも多くの被害が出ているのかも。

「怪我をした方たちは、今どこに?」
「負傷者は教会に集められて治療を受けています。でも、瘴気を吸い込んだ人たちの治療ができる医者がいなくて」
「なるほど……」

 多分、気休め程度の施術しかできないのだろう。

 とすると、患者の体内から瘴気を浄化してあげれば、街の復興の助けになるかもしれないな。

「すみませんが、プッチさんに納品する作物の一部をいただいてもいいですか?」
「え? あ、ええっと」
「もちろん僕たちが食べるわけじゃありませんよ。教会に搬送されている瘴気を吸い込んだ方たちに食べてもらおうかと」
「それなら問題ありませんが……でも、どうしてそんなことを?」
「実は先日、瘴気の浄化方法が判明しまして」
「……はい?」

 プッチさんは折れてしまうんじゃないかと思うくらいに首をかしげた。

 まぁ、突然そんなことを言われても困惑しちゃうよね。

 一から説明しようとしたけれど、実際に効果を見てもらったほうが早いと考えた僕は、プッチさんと一緒に作物を持って教会へと向かうことにした。
 馬車に野菜を載せ、向かった街の教会にはたくさんの人が集まっていた。

 怪我人だけが運ばれていると思っていたけれど、家を失った人たちもここに避難しているようだ。

 教会は人々に教えを説いたり医療行為が行われる場所だけではなく、「砦」としての役割も持っている。

 献金や高価な寄付品が集まる教会は、外敵の侵入を拒むためにお城並に堅牢な作りをしていることが多いのだ。

「……え? 料理を振る舞わせて欲しい?」

 そんな彼らに温かいものを振る舞おうと、炊き出しをしている司祭さんたちに声をかけた。

「はい、火と調理器具を貸していただけないかなと」
「ありがたい申し出なのですが、料理に使える食材が残っていなくて」
「あ、大丈夫です。食材は僕たちが持ってきましたから」

 丁度ブリジットが馬車から野菜が満載になっている樽を降ろしてきた。

 それを見て、司祭さんが目を丸く見開く。

「す、凄い! こんなにたくさんの作物をどこで!?」
「僕の農園で作った野菜ですよ」
「……つ、作った?」

 司祭さんは二重の困惑といった感じだった。

「とりあえず、焚き火と鍋をお借りしてもいいですか?」
「あ、え……と、もちろん大丈夫ですけど、あの、私たちも野菜の運搬をお手伝いしましょうか?」
「ありがとうございます、助かります」

 結構な量を持ってきたので、手伝ってもらえるのは素直に助かる。

 荷降ろしはブリジットと司祭さんたちに任せて、僕とララノ、それと一緒に来てくれたプッチさんで料理の準備をすることにした。

 焚き火にかけられた鍋にはスープが入っていた。

 具があまり無いのは食料不足のせいだろう。

 栄養を取ってもらうためにも、野菜は多めに使ったほうがいいかもしれないな。

「それで、何を作る予定なの?」

 樽から野菜を出しながら、まな板とナイフを準備しているララノに尋ねた。

「そうですね……できるだけ多くの人に食べてもらえるように、シンプルに野菜スープを作りましょうか」
「野菜スープか」

 確かにそれが良いかもしれない。

 野菜スープなら入れる野菜を選ばないし、旨味が出ているスープを飲むだけで瘴気の浄化作用が現れるかもしれない。

 というわけで司祭さんから鍋を借りて、手分けして野菜を切り始める。

「サタ先輩、最後の野菜を持ってきたぞ」

 ブリジットが焚き火のそばにひときわ大きい樽を降ろした。

 一緒に樽を運んでくれていた司祭さんたちはヘロヘロになっているのに、彼女の表情には全く疲れが見えていない。

 流石は最強剣士だな。

「次は何をすればいい?」
「街の井戸で水を汲んで来て欲しい。飲料水が心もとなくなってるみたいだから」
「承知した」
「もしかすると瘴気の影響で井戸が使えなくなってるかもしれないから、そのときは居酒屋に行って飲料水を確保してくれると助かる」
「わかった。まかせてくれ!」

 と、意気揚々と出発しようとしたブリジットだったけれど、全く検討違いの方向に走り出したので、慌てて引き止めて司祭さんに案内をお願いすることにした。

 僕とプッチさんは引き続き野菜を切っていく。

 ララノは僕たちがカットした野菜を鍋に入れ、オリーブオイルと一緒に炒める作業だ。

「プッチさんの野菜、使っちゃってすみません」

 隣で黙々と野菜を切っているプッチさんに、何気なく話しかけた。

 彼女はしばらくキョトンとしていたが、すぐに笑顔を覗かせる。

「何を言ってるんですか。こういうときに役立ててこそですよ」
「でも、商会に卸せなくなるのは結構痛いですよね? 付与魔法を使えばすぐに野菜は出来るので、また同じ量をプッチさんに──」
「そこはお気になさらず。調整役のお仕事でお金はリンギス商会からたんまりと貰ってますから」

 ニッシッシと、少しだけ邪な笑みを浮かべるプッチさん。

 その周到さというか強かさに感心してしまった。

 流石は商人だ。非常事態とはいえしっかりしている。

 などと話していると、鍋の野菜に油が周ったのかいい香りがしてきた。

 ララノが司祭さんが作ったスープの出汁を投入する。肉を煮たスープでそのまま出汁に流用できそうなので使うことにしたらしい。

 塩コショウを適量入れてから蓋をして、グツグツと煮込む。

 十分ほど待って、僕の「免疫力強化」の付与魔法で味付けをして完成だ。

 ちょっと味見をしてみたけれど、野菜のコクがアクセントになって凄く美味い。

 こんな環境でも美味しい野菜スープが作れるなんて、流石はララノだ。

「お待たせしました。野菜スープの完成です」

 近くで怪我人の治療に当たっていた司祭さんに声をかけた。

「おお、ありがとうございます。早速皆さんに振る舞って──」
「あ、このスープは瘴気浄化の効力がありますので、瘴気を吸い込んでしまった方たちから食べさせてあげてください」
「……え? 瘴気、浄化?」
「あ〜、ええっと……とにかく、瘴気で苦しんでいる人たちからお願いします。説明は後ほどしますので」
「は、はい、わかりました」

 困惑する司祭さんだったが、言われたとおりに教会の座席をベッド代わりにしている瘴気にやられた人たちにスープを運んでいく。

 僕たちも他の司祭さんと一緒に、スープを持って別の患者さんの所へ。

「できれば重傷者から食べさせてくださいね」
「わ、わかりました」

 司祭さんが意識を失っている患者の口に恐る恐るスープを運ぶ。

 しっかりと飲み込んだのを確認して、しばし様子を見る。

 すぐに死人のようだった患者さんの顔に血色が戻った。

 さらに、浅かった呼吸もゆっくりとした寝息のようなものに変わる。

「すっ、凄い! 一体この料理は何なんですか!? どうしてこんなことが!?」
「特殊な魔法を使って育てているので、瘴気浄化の効力があるんですよ」
「…………」

 司祭さんは理解不能と言った感じで黙り込んでしまった。

 だけど、理由はわからなくても、このスープを食べさせれば瘴気にやられた人たちを救えるということは理解できたのだろう。

 司祭さんたちは率先して患者さんたちにスープを配って周った。

 僕たちも、水汲みから戻ってきたブリジットと一緒にスープを振る舞っていく。

 次第に教会の中がざわめきはじめ、やがて大きな騒ぎになっていった。

 元気になった人たちが助かったことを喜びあい、中には僕に握手を求めてくる人もいた。

「……本当に瘴気を浄化しちゃったんですね」

 そんな人たちを見て、プッチさんがしみじみと言う。

「呪われた地で野菜を育てられるだけじゃなく、瘴気まで浄化してしまうなんてこれは相当なお金になる……じゃなくて、本当の救世主じゃないですか」
「今、お金になるって言いました?」
「いえ、言ってません」

 プッチさんの目が金貨になっているような気がするけど、見間違いかな。

「……失礼します」

 などと他愛のないことを話していると、背後から誰かが声をかけてきた。

 振り向いた僕の目に映ったのは、ひとりの男性だった。

 司祭さんたちに囲まれているその弾性は、ひときわ目立つ白いポンチョのような祭服を身にまとっていて、いかにも責任者っぽい雰囲気がある。

「この度は私どものためにご尽力下さり、誠にありがとうございます。私はこの教区を任されておりますフォーデンと申します」

 フォーデンと名乗った男性がやうやしく頭を下げた。

 教区を任されているということは、この方が教会の長である司祭様か。

 流石に恐縮してしまった。

 司教様は年に数回ある催事のときにしかお目にかかれない存在なのだ。

 隣を見ると、ブリジットやララノ、プッチさんまで目をまん丸くしている。

「あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」

 フォーデン様が尋ねてくる。

「僕はサタと言います。こっちはララノとブリジット。それにプッチです」
「お会いできて光栄です、フォーデン司教様」

 即座にペコリと頭を垂れたのは、プッチさんだ。

 流石はフリーで世界を渡り歩いている商人だ。こういう場面には慣れているのかもしれない。

「サタさんにララノさん、ブリジットさんにプッチさんですね。重ね重ねありがとうございます」

 フォーデン様は頭を下げたあと、優しい微笑みを携えながら続ける。

「ときにサタさん、あなたがお持ちになった野菜を食べた者の体から瘴気が消えた……という話を伺ったのですが?」
「そうですね。僕が作った野菜を食べて瘴気が浄化されたんだと思います」
「たまたまあなたが育てた野菜にそういう効果が?」
「いえ、浄化の効果が出るように魔法をかけてあります」
「魔法」
「ええっと……付与魔法という魔法の効果です。その魔法を使えば呪われた地で作物を育てられたり、瘴気浄化の効果がある野菜を作ったりできるんです」
「…………」

 じっと僕の顔を見るフォーデン様。

 疑われている感じがする。

 まぁ、付与魔法なんて聞いたこともないだろうし、疑われて当然か。

 感謝されるために彼らを助けたわけじゃないし、妙な勘違いをされる前にお暇したほうが良いかもしれない。

 などと考えていると、フォーデン様がおもむろに口を開いた。

「ご無礼を承知で、サタさんにお願いがあります」
「は、はい、なんでしょう?」
「ホエール地方の民を救うために協力しては頂けませんでしょうか?」
「……へ?」

 ホエール地方の民を救う?

 いきなりデカイ話を振られて、戸惑ってしまった。

 相手は司教様だし、嘘偽りなく付与魔法のことをお伝えしたほうが良いかなと思ったけど……これって、ちょっと面倒な話になってきた感じじゃない?
「……ここってもしかして」
「はい、ホエール地方を治める領主パルメ子爵様の居城です」

 教会を離れて十分ほど。

 フォーデン様に案内されたのは、街の北にある大きなお城だった。

「サタさんのことをパルメ様にお伝えしたところ、直接お話を聞きたいと」
「……え? 領主様が?」
「はい」

 唖然としてしまった。

 ホエール地方の民を救うなんて言っていたので、てっきり「教会から施しを受けている貧しい人たちを助けたい」みたいなものかと想像していた。

 だけどまさか、パルメ様の名前が出てくるなんて。

 要するにこれって、今から領主様に謁見するってことだよね。

 子供の頃に両親と一緒に王都に住む貴族に会いに行ったことはある。魔導院時代には貴族の護衛の仕事もした。

 だけれど、面と向かって会話なんてしたことはない。

 考えただけで足が震えてきた。

 ララノとブリジットには宿に戻ってもらったけれど、こんなことなら一緒に来てもらったほうがよかったかもしれない。

「……今更そんなことを言っても遅いか」

 心を落ち着けさせるために深呼吸をしてから、フォーデン様とお付きの司祭さんたちの後を追ってお城の中に入っていく。

 モンスターの事件があったからか、城内は物々しかった。

 商人っぽい服装の人たちが行き交い、そこかしこに立っている甲冑を着た衛兵が彼らににらみを利かせている。

 入り口で所持品の検査をされてから広間を抜けて二階へと向かう。

 物々しい雰囲気からか、自分がどこにいるのか忘れてしまいそうになる。

 だけれど、天井にあるブロンズのシャンデリアや煌びやかな装飾が、ここが領主様の居城だということを思い出させる。

 厳戒態勢のせいか、フロアをまたぐたびに身体チェックをされながら、ようやく目的地らしき部屋に到着した。

 ようやく謁見の間に到着かな……と思ったけど、違っていた。

 ここは客間か。

 部屋の壁面には演劇か何かのワンシーンが描かれていて、天井からは広間と同じようなシャンデリアが下がっている。

 部屋の中央には巨大な円形のテーブルが置いてあって、いかにも貴族然とした方たちがぐるっとテーブルを囲んでいた。

 さらに、壁際には甲冑を身にまとった兵士がずらり。

 僕たちが部屋に入った瞬間、恐ろしい形相で彼らに睨まれた。くしゃみでもしたらすぐに取り押さえられそうな雰囲気だ。

 なんだろう、この物々しい雰囲気は。

 フォーデン様たちが一緒にいてくれて本当によかった。

「フォーデン司教」

 と、円卓を囲んでいたひとりが手を上げた。

 年齢は四十代半ばといったところだろうか。ざっと見る限り、テーブルを囲んでいる人たちの中で一番若い気がする。

 短髪の黒髪で、ラングレさんと同じカイゼル髭を蓄えた紳士っぽい男性。

 一番若く見えるけれど、この場所で一番威厳があるように思える。

「子爵様、先刻ご報告させて頂きました、例の男性をお連れいたしました」

 フォーデン様が頭を垂れた。

 子爵。ということは、あの人がパルメザンとホエール地方を統治している領主パルメ子爵様か。

「その者が話にあった男か」
「左様でございます」
「そうか。よくぞ参った。近くに来るがいい」

 パルメ様が手招きする。

 フォーデン様を先頭に、司祭さんたちとパルメ様の近くへと向かう。

 近くで見るパルメ様の威圧感は凄かった。返答を間違うと即座に首を斬られてしまうんじゃないかという怖さがある。

 フォーデン様と司祭さんたちが膝を折ったので、僕も習って床に膝をつく。 

「……ふむ」

 パルメ様はそんな僕を値踏みするように見ていた。

「意外と若いな。名は何という?」
「……あ、えと」
「良いぞ、発言を許可する」
「サ、サタ、と申します」

 緊張のあまりちょっと声が裏返ってしまった。

「サタ、か。お前が街に持ち込んだ農作物を口にした者の体から瘴気が消えたという話を耳にしたが、|真(まこと)か?」
「は、はい。その通りでございます」
「瘴気の毒はあらゆる薬を跳ね除け、治療することができない呪いだと聞いている。なぜお前が持ち込んだ農作物でそのようなことができるのだ?」
「私の魔法によるものでございます」

 そうして僕はここに至るまでのことをパルメ様に説明した。

 僕が持っている付与魔法の加護のこと。

 元々は王宮魔導院で付与魔法や植物、瘴気の研究をしていたこと。

 院をやめてホエール地方で農園を開いたこと。

 そして、その中で「瘴気浄化」の合わせ付与の効果を発見したこと。

 周囲の貴族っぽい人たちから「そんなことがあり得るのか?」という疑問の声が上がっていたが、パルメ様は静かに僕の言葉に耳を傾けていた。

「……というわけでございます」
「…………」

 一通り説明を終えたけど、パルメ様は口を閉ざしたままだった。

 しばし張り詰めたような沈黙が部屋に流れる。

 コソコソと何やら耳打ちをしあっている貴族たちの視線が痛い。

「ひとつ尋ねたいことがある」

 重苦しい空気の中、パルメ様が口を開く。

「瘴気浄化の効果があるという農作物は、量産可能なものなのか?」
「はい。瘴気浄化の仕組みは解明しておりますし、呪われた地での農作物を育てる方法も確立しております」
「そうか」

 あっさりとした返事。

 これは信じてもらえていない感じか?

 そう思ったのだが──。

「サタ。お前も知っているとは思うが、先日、パルメザンが瘴気とモンスターに襲われた」

 パルメ様がそう切り出す。

「だが、瘴気の被害を受けたのはパルメザンだけではない。北のキロット、西のアインクラッド、オリドールも同時に瘴気の被害を受けたと報告が上がっている」

 まさか、と思った。

 今、領主様の口から出たのはホエール地方にある街の名前だ。そのどれもが数ヶ月前の大海瘴の被害を免れた場所でもある。

 そこに同時にモンスターが現れて瘴気が発生したということは、つまり──。

「大海瘴の前触れではないか、というのが識者たちの見解だ」

 背筋に寒いものが走った。
 数ヶ月前にホエール地方を襲った大海瘴。

 その影響で多くの街や村、農園が壊滅的被害を受け、多くの命が失われた。

 その大海瘴が、またやってくるというのだろうか。

「……何か言いたいことがあるようだな?」

 パルメ様がジッと僕を見つめる。

 喉奥から小さな悲鳴が出そうになった。

 僕はそれをぐっと飲み込んでから口を開く。

「あ、あの、魔導院に援助の打診はしたのでしょうか?」
「魔導院? ああ、王宮魔導院のことか。とっくに報告はしたし、返答も貰っている。『ただ過ぎ去るのを待つべし』とな」
「……え?」
「別に驚くような内容でもあるまい。魔導院は自分たちにメリットがないことには絶対に首を突っ込まない。お前もあの場所に居たのなら、良くわかっているはずだろう?」
「あ、いえ……も、も、申し訳ありません」

 パルメ様の口調に怨色を感じてしまい、謝ってしまった。

 もしかするとパルメ様も無意識で口に出てしまったのかもしれない。

 彼は自戒するようにため息を漏らす。

「……すまない。失言だ。お前に当たっても仕方がないことだな」
「い、いえ、そんなことは……」
「どうやら向こうも色々ゴタついているようだ。地方領主の面倒まで見る余裕はないのだろう」

 ゴタついているってなんだろう。

 僕が追放されたこと……じゃないのは解るけど、まさかブリジットの件じゃないよね?

「しかし、過ぎ去るのを待てというのはあながち間違いでもない。我々としてもトリトンが来れば大海瘴の危機は去ると見ている」

 トリトン。ホエール地方に毎年訪れる巨大な嵐の名前だ。

 毎年トリトンによって各所に被害が出るらしいけれど、大地に降りた瘴気も吹き飛ばしてくれるというわけだろう。

 なるほど。確かに理にかなっている。

 となれば、トリトンが来るまで如何にして被害を抑えられるかが焦点になる。

「トリトンが来るまでなんとしても耐えねばならん。そのために、前回の大海瘴同様に、大規模なモンスターの討伐依頼を冒険者ギルドに発注した」

 大規模なモンスターの討伐。

 その言葉に引っかかりを覚えてしまった。

 瘴気被害の一端を担っているのは間違いなくモンスターだ。

 モンスターのせいでパルメザンも大きな被害を受けたわけだし、被害を軽減させるためにモンスターを狩ろうというのは間違いじゃない。

 だけど、広範囲で大規模なモンスター狩りをするとなると話は変わってくる。

 先日のオルトロス事件。

 あのとき、オルトロスは死ぬと同時に高濃度の瘴気を放出した。

 もし、体内に高濃度の瘴気を抱えている瘴気の苗床のようなモンスターが他にもいたら、各地で高濃度の瘴気を発生させてしまう可能性がある。

 それこそ、モンスター狩りがきっかけに大海瘴クラスの災害に──。

「……大海瘴クラス?」

 ぞわっと背中に冷たいものが降りた。

 大規模なモンスター狩りは、下手をすると広範囲に瘴気を発生させる。

 だとしたら──その大規模なモンスター狩りが大海瘴の引き金になるんじゃないだろうか。

 パルメ様は「前回同様にモンスターの討伐依頼を発注した」と言っていた。

 つまり、前回も大規模なモンスター討伐作戦を実行したということ。

 討伐作戦で瘴気の苗床になっている個体を各地で倒し、高濃度の瘴気を発生させてしまった結果、大海瘴に発展した。

 とするならば、大海瘴を防ぐ手段はひとつ。

 モンスターの体内にある瘴気を浄化してやることだ。

 パルメ様は静かに続ける。

「お前の瘴気浄化の力があれば、前回よりも効率的にモンスター討伐を進めることができる。故にサタ。私たちに協力してくれ」
「状況は理解できました。そういうことであれば是非協力させていただきたい……のですが……」

 言葉を濁してしまった。

 流石に領主様に「あなたがやろうとしているのは逆効果です」なんて言えない。

 モンスターが瘴気の発生源になっている証拠は無いし、パルメ様の意見を批判なんてしたら、周囲の兵士たちが押し寄せて来そうだ。

「何だ? 何か不安要素があるのか?」
「あ、いや……ええと」
「忌憚なく言ってくれ。些細なことでも障害になるものは払拭しておきたい」

 ちょっと驚いてしまった。

 この世界は現代以上に立場や身分が集団構成の原理になっている、閉鎖的な社会なのだ。

 統べる人間が「カラスは白い」と言えば、それが正解になる。

 なのにパルメ様は、どこの馬の骨とも知れない僕なんかに忌憚のない意見を求めてきた。

 この人は本気でホエール地方を大海瘴から救いたいと考えているんだろう。

 だとしたら、ここではっきりと言ってやるのがパルメ様のためになるのかもしれない。

「……パルメ様」

 意を決して口を開く。

「お言葉なのですが、モンスター討伐はお辞めになったほうが良いかと存じます。大海瘴を防ぐどころか、呼び水になってしまう恐れがあります」
「……っ!?」

 悲鳴のような声をあげたのは、青い顔をしたフォーデン様だった。

 ざわついていた円卓に、凍りついたような沈黙が降りる。

「……なぜそう思う?」

 しばしの沈黙ののち、パルメ様が切り出す。

 その声には、体の芯に響くような重さがあった。

 はっきり言ってめちゃくちゃ怖い。

 できれば今すぐここから逃げ出したい。

 ──でも、ここまで来たら最後まで言うしかない。

 僕は小さく深呼吸して、続ける。

「モンスターが瘴気の発生源になっている可能性があるからでございます。先日、私の農園に現れたモンスターを討伐した際に、死体から高濃度の瘴気が発生しました。そのような『瘴気の苗床になっている個体』がいた場合、それをきっかけに大海瘴に発展する可能性があります」

 パルメ様が何かを言おうと口を開いた。

 だが、すぐに苦虫を噛み潰したような表情をして、言葉をグッと飲み込む。

 隣に座っている貴族がパルメ様に何やら耳打ちをしたが、邪魔だと言わんばかりに払い除けられた。

「……お前の話は解った。が、どうやってモンスターを無力化させるつもりだ? まさか指を咥えて街が破壊されるのを眺めていろとは言うまいな?」
「浄化です」

 僕は即答する。

「モンスターに私が作った瘴気浄化作用がある作物を食べさせて、彼らの体内にある瘴気を浄化するんです。そうすれば、危険なモンスターは無害なただの動物に戻るはずです」
「な、何だとっ!?」

 パルメ様が鬼の形相で立ち上がる。

 壁際で待機していた兵士たちが一斉に動いた。

 フォーデン様や司祭さんたちが止めようと慌て出し、貴族たちも喚き出す。

 騒然となる客間で、僕は震えながらも確信した。

 あ、これは終わったな──と。
「……これで終わりなのか?」

 ハンマー片手にブリジットが額から流れる汗を拭った。

 彼女の周りには、四箇所に大きな杭が打ち付けられている。

 自宅裏の庭とも言えるスペースに、僕はブリジットと一緒にいた。

「ありがとう。これくらいスペースがあれば問題なく鶏舎が建てられると思うよ」

 こうして自宅裏に来ているのは、養鶏用の鶏舎建築場所を確認するためだ。

 最初はララノに手伝ってもらおうと思ったんだけど、彼女には畑作業をお願いしてブリジットを連れてきた。

 だってブリジットって、こういう力仕事が向いてそうじゃない?

 二日前、パルメザンを出発するときにマヨネーズ作りのことを思い出した僕は、「畜産ギルド」に立ち寄って養鶏の準備をしてから帰ることにした。

 畜産ギルドとは、種子や肥料を売っている種苗ギルドの畜産版で、家畜や家畜用の資材を販売している。 

 もちろん鶏や養鶏用の資材も売っていて、それを買うついでに店員さんに養鶏について色々と聞いてみた。

 僕が気になっていたのは鶏舎の建築場所だったんだけど、なんでも日当りがよく、冬の北風が避けられる場所に建てるのが好ましいらしい。

 農園の敷地には木が生えておらず、風を避けられるところは限られている。日当りがいい場所と言えば、家の裏しかなかった。

 なのでこうして建築予定地を確認しておこうと考えたというわけだ。

 できれば畑の近くに建てたかったのだけれど、今日から忙しくなるので家に近いほうが逆に助かる部分はある。 

「……忙しくなる、か」

 つい、口に出てしまった。

 それを聞いたブリジットが首をひねる。

「忙しくなると言っても、そう面倒なものでもあるまい? 鶏の餌は野菜の残りで良いと言っていたし、少々面倒なのは時折貝殻や石をあげないといけないことくらいだろう?」
「……あ、いや、忙しくなるっていうのは養鶏じゃなくて、野菜のほうね」
「ああ、そっちか」
「ひと月でいつもの十倍の野菜を作らないといけないからね。それに、『あの問題』も解決しないと……モンスター浄化作戦は失敗しちゃう」

 モンスター浄化作戦。

 ホエール地方に生息するモンスターに、僕が作った瘴気浄化作用がある野菜を食べさせて周るという作戦だ。

 この作戦は、数日前にパルメ様から正式に発令された。

 ──そう。パルメ様は僕の提案を受け入れてくれたのだ。

 あのとき、僕の発言がパルメ様の逆鱗に触れたと思ったけど、どうやら彼はただ驚いただけだったらしい。

 本当にやめて欲しいと思った。

 凄まじい形相だったし、軽く死を覚悟しちゃったじゃないか。

 パルメ様曰く、モンスターと動物の関係は寝耳に水だったようだ。

 魔導院で瘴気に関する論文を読み漁っていた僕ですら知らなかったんだし、研究員でもないパルメ様は知らなくて当然だろう。

 というわけでパルメ様主導の元、冒険者ギルドと共同でモンスター浄化作戦がスタートした。

 作戦成功の鍵になるのが、瘴気浄化作用がある僕の野菜。

 ホエール地方全域で行われる浄化作業には、相応の量の野菜が必要になる。

 その量はいつもプッチさんに卸している量の十倍ほど。

 それを作戦開始のひと月後までにプッチさんを通じてパルメザンの冒険者ギルドに納品する必要が出てきた。

 とてつもなく大変だけど、できないことはないと正直、思った。

 付与魔法があれば畑を拡張するのは簡単だし、動物たちの協力があれば収穫も問題なく行ける。

 それに、パルメ様が相応の金額で買い取ってくれることになっているので、金銭面でも問題はない。

 ただ、ひとつだけ解決しないといけない「とある問題」が発覚した。

「あの問題というのは、野菜を日持ちさせる方法か」
「……うん」

 僕はこくりと頷く。

「私はホエールの地理に疎いのだが、全域に野菜を行き届かせるにはどの程度時間がかかるのだ?」
「一週間くらいかな。パルメザン近郊だと、一日二日でいけると思うけど」

 例えば、先日瘴気が降りたホエール地方の西の端にある「アインクラッド」という街で浄化作業を行う場合、移動時間だけで一週間はかかってしまう。

 付与魔法をかけて長持ちさせているとはいえ、一週間も放置していたら確実に傷んでしまうだろう。

 そうなったらモンスターでも口にしてくれなくなる。

 そう。ホエール地方全域で浄化作業をするには、いつも以上に野菜を長持ちさせなければいけない。

「例えばサタ先輩が冒険者ギルドに赴いて、野菜に付与魔法をかけるというのはどうだろう?」
「出発する冒険者たちに付与魔法をかけてまわるってこと?」
「そうだ。そこで野菜に再度付与魔法をかければ、長持ちするんじゃないか?」
「ん〜……ギルドで再付与しても一週間持たせるのは無理だよ。冒険者に同行して定期的に魔法をかけないと」

 例えばアインクラッドに行く場合、道中で二回ほど付与魔法をかければ持つと思う。

 だけど、冒険者はホエール各地で手分けして浄化作業を行うわけだし、全員に同行するのは物理的に無理だ。

「サタ先輩は唯一無二の偉大すぎる絶対神のような存在だから、すべての冒険者に同行するのは不可能か」
「そこは普通に『ひとりしかいない』って言って?」

 いちいち表現が大げさすぎるんだよ。

「とにかく、どうにかして野菜を日持ちさせる方法を考えないと」
「私の知識は役に立たないか?」
「ブリジットの知識? って錬金術ってこと?」
「そうだ。農園に来てサタ先輩の付与魔法と同等の効力を持つポーションの研究をしているが、その技術が何か役に立つかもしれない」
「……あ、なるほど」

 思わず膝を叩きたくなった。

 瘴気浄化作用を持つ野菜をポーションに錬金できれば、保存期間は飛躍的に向上する。

 ホエール地方はもとより、王国全土で流通させることも可能だろう。

 そんなことができればの話だけど──物は試しだな。

「よし、農作業が終わったら早速やってみようか。ありがとうブリジット。少しだけ光明が見えた気がするよ」
「気にする必要はない。この礼は……そうだな。私たちの結婚指輪のグレードを少しだけ上げてくれればそれで」
「よおしっ! 頑張って畑を拡張するぞぉ!」

 兎にも角にも、野菜がないと始まらないからね。

 空に向かって拳を突き上げる僕。

 そんな僕を、ブリジットは至極不満そうな顔で見ていた。