家に到着してララノに水で濡らしたタオルを持ってくるよう頼んでからブリジットを二階の部屋へと運んだ。
洞窟を出てから十分ほどが経つけれど、彼女の意識はまだ戻っていない。
時折、苦しそうにうめき声を上げるくらいだ。
ベッドに寝かせたブリジットの額に手を当てると、かなりの熱が出ていた。
これは完全に瘴気による症状。
かなり危険な状態だ。
「サタ様」
部屋のドアが開き、ララノがタオルを持ってきた。
「水で濡らしたタオルをお持ちしました」
「ありがとう、助かるよ」
とりあえず冷えたタオルをブリジットの額に当てる。
気休め程度だけれど、何もしないよりはマシだろう。
「ブリジットさんの意識はまだ?」
「うん。時々目を覚ましてるけど、すぐに気を失ってる」
「街に行ってお医者様を連れて来ますか? 動物たちにお願いすれば半日程度でお連れできますが」
「ありがとう。けど、医者を呼んでも意味がないと思う」
魔導院で瘴気に関する論文をたくさん読んできたけれど、瘴気の毒素にやられた人間の治療法は確立されていない。
瘴気にやられた人間の治療が出来る医者は、この世界に存在しない。
だからこそ、毎年多くの人間が瘴気によって命を落としているのだ。
手足が軽く痺れる程度だったら自然治癒力でなんとかなる。だけれど、昏睡するくらいの重症では助かる可能性は極めて低くなる。
──だからといって、諦めるわけにはいかない。
「サタ様のお体は大丈夫ですか?」
「うん、僕は平気。少しだけ指先が痺れてるけどね」
右手を握ってみたけれど、指の感覚はまだ鈍いままだった。
この程度なら時間が経てば治るだろうけど、付与魔法で免疫力を向上させたマスクをしていても、あの短時間で瘴気にやられてしまうなんて。
改めて瘴気の怖さを実感する。
数ヶ月前にホエール地方を襲った「大海瘴」では、あのレベルの濃度の瘴気が広範囲に発生したというのだから恐ろしい。
「しかし、何か対処方法はないのか……」
苦しそうな表情で眠っているブリジットを見て思う。
怪我であれば「白魔法」でなんとかなるけれど、病気や瘴気に対しては無力。
この世界の医療技術でヒントになるものはないだろうか。
中世ヨーロッパでも行われていた血を排出させて症状の改善させる「瀉血」や薬草を使った民間療法がこの世界の主な医療だ。
だけれど、その分野に詳しいのはブリジット。
その彼女がこの状態ではどうにもならない。
やっぱりララノに頼んで街から医者を呼んできてもらったほうがいいかもしれない。
「あの、参考になるかわかりませんけれど」
と、前置きを入れてララノが声をかけてきた。
「私の集落で瘴気を吸い込んでしまったときはハーブをたくさん食べていました」
「ハーブ?」
「はい。キャラウェイにディル、バジルとかですね。どれも薬に使えるもので、体内にある『悪いもの』を除去する効果があるんです。獣人は元々瘴気への耐性が高いので効果があっただけかもしれませんけれど……」
「悪いものを除去、か」
確かにハーブには老廃物を排出させる効果があったり、殺菌力や炎症に効果があるものもある。
そういう効果を利用して瘴気の症状を中和させるって感じなんだろう。
「つまり、ブリジットが吸い込んで体内に蓄積されてしまった瘴気をどうにか浄化してあげれば助かる可能性が高いってことか」
「浄化……あっ」
ララノが何かを思いついたようにポンと手を叩いた。
「サタ様が私を助けていただいたときのこと、覚えていますよね?」
「助けた? って、アーヴァンクに襲われていたときのこと?」
「そうです。あのとき、サタ様の料理を食べて体調が良くなったのですが、あれって疲労回復じゃなくて、私の体に溜まっていた瘴気が浄化されたってことはないですかね?」
しばし記憶をたどってみる。
僕と出会う前、ララノは食べ物を探して放浪していた。
だけど、瘴気が降りた不毛の地で食べ物なんて見つからず、飢えを凌ぐために仕方なく瘴気に汚染された水を飲んでいた。
ララノの話だと、獣人は獣の血が流れているために瘴気に強い。
だけれど、動物と違って無症状でいられるというわけではない。
つまりあのとき、ララノはただ腹をすかせて衰弱していたのではなく、瘴気によって弱っていた。
そして彼女は、僕の付与魔法で作った野菜を食べて体の中に溜まっていた瘴気を浄化して元気になった。
「……あり得ない話じゃないか」
根拠があるわけじゃないけど、辻褄は合ってる。
種子や土壌に付与した魔法によって偶然「合わせ付与」が発生して、瘴気の浄化作用が現れた可能性はある。
とするなら、ララノに食べさせた野菜を使えば、浄化効果は再現できるかもしれない。
「……よし、あのときと同じ料理を作ってみよう。僕は料理の準備をするから、ララノは畑から野菜を採って来て欲しい」
「わかりました! すぐに!」
ララノと部屋で別れて、僕は一階のキッチンへと向かう。
あのときララノに食べさせたのは、サラダに野菜スープ、それとトウモロコシだったっけ。
どの野菜に浄化作用があるんだろう。
そういえば、ラングレさんのブドウから作ったワインで「病気が治った」という話もあったし、そこから共通点を探ってみるか。
ブドウ園でやったのは濾過器への付与だ。
濾過器は僕の農園でも使ってるし、第二属性の水を司る「水属性」が深く関わっているかもしれないな。
「……てことは、野菜スープか?」
スープに入っていたものはジャガイモ、ダイコン、干し肉、ニンジン辺りだったか。どれも俊敏力強化で成長促進させて収穫した野菜だ。
つまり水属性への持久力強化、免疫力強化、それと俊敏力強化。
さらに種子への生命力強化、免疫力強化、俊敏力強化で瘴気浄化の合わせ付与が発動する……のかもしれない。
ララノが戻って来る間に、水の準備をすることにした
家の外にある濾過器から出てくる水を汲んで、念の為にもう一度付与魔法をかけておく。
キッチンに戻ると、丁度ララノが畑から戻って来た所だった。
採ってきてくれたのは、主に俊敏力強化で成長を促進させている野菜たち。
早速彼女にも手伝ってもらって、ジャガイモ、ダイコン、ニンジンの皮むきをはじめる。ジャガイモはひとつ、ダイコン三分の一、ニンジンは半分。
それを沸騰させた鍋の中に入れて、干し肉とバターを投入。
しばらくグツグツと煮込んで、塩とコショウを振って完成だ。
早速、器に入れたスープをブリジットの部屋に運ぶ。
意識が戻っていないのでブリジットの上半身を起こし、スプーンを使って少しづつ食べさせることにした。
野菜はホロホロなので、スプーンで潰してスープと一緒に。
上手く食べさせることができるかと不安になったけれど、なんとか飲み込んでくれた。
「……どうだ?」
とりあえずスープの半分ほどを食べさせてからベッドに寝かせる。
予想が当たっていれば、これで効果が出るはず。
できることはやった。あとは神様に祈るのみ。
しばしベッドの傍で、ララノとブリジットの容態を静観する。
そうして五分ほどが経ったときだ。
「……あっ」
ララノが声を上げた。
「見てくださいサタ様! なんだかブリジットさんの顔色が良くなってきてないですか!?」
「…………」
じっとブリジットの顔を見る。
そう言われると、さっきまで蒼白だった顔色に少しだけ血色が戻って来たような気がする。
これはもしかして付与魔法が効いてきたのか?
そっと額に手を当ててみると、明らかに熱が下がっていた。
さらに浅かった呼吸が深くなり、苦しそうだった表情も少しづつ和らぎはじめる。
「やったぞ! 付与魔法の効果が現れたみたいだ!」
「良かった! 本当にサタ様の付与魔法に瘴気浄化の効果があったんですね!」
「効果に気づいてくれたララノのお手柄だ。本当にありがとう」
「……えっ!? や、わっ、私は何も」
ブンブンと顔を横に振るララノだったが、尻尾はちぎれんばかりに揺れていた。
しかし、とりあえずはこれで一安心だ。
安静にさせておけば、じきに目も覚ますだろう。
ああ、ホッとしたからか、なんだか急に疲れが出てきた。
「僕たちも野菜スープ食べておこうか。瘴気が体内に残ってるかもしれないし」
「そうですね」
ララノの顔にも疲労の色が窺える。ただの気疲れかもしれないけど、瘴気によるものだったら大変だ。
そうして僕たちは、ブリジットの部屋で彼女を見守ることにした。
ブリジットが目を覚ましたのは、それから二時間ほどが経ってからだった。
洞窟を出てから十分ほどが経つけれど、彼女の意識はまだ戻っていない。
時折、苦しそうにうめき声を上げるくらいだ。
ベッドに寝かせたブリジットの額に手を当てると、かなりの熱が出ていた。
これは完全に瘴気による症状。
かなり危険な状態だ。
「サタ様」
部屋のドアが開き、ララノがタオルを持ってきた。
「水で濡らしたタオルをお持ちしました」
「ありがとう、助かるよ」
とりあえず冷えたタオルをブリジットの額に当てる。
気休め程度だけれど、何もしないよりはマシだろう。
「ブリジットさんの意識はまだ?」
「うん。時々目を覚ましてるけど、すぐに気を失ってる」
「街に行ってお医者様を連れて来ますか? 動物たちにお願いすれば半日程度でお連れできますが」
「ありがとう。けど、医者を呼んでも意味がないと思う」
魔導院で瘴気に関する論文をたくさん読んできたけれど、瘴気の毒素にやられた人間の治療法は確立されていない。
瘴気にやられた人間の治療が出来る医者は、この世界に存在しない。
だからこそ、毎年多くの人間が瘴気によって命を落としているのだ。
手足が軽く痺れる程度だったら自然治癒力でなんとかなる。だけれど、昏睡するくらいの重症では助かる可能性は極めて低くなる。
──だからといって、諦めるわけにはいかない。
「サタ様のお体は大丈夫ですか?」
「うん、僕は平気。少しだけ指先が痺れてるけどね」
右手を握ってみたけれど、指の感覚はまだ鈍いままだった。
この程度なら時間が経てば治るだろうけど、付与魔法で免疫力を向上させたマスクをしていても、あの短時間で瘴気にやられてしまうなんて。
改めて瘴気の怖さを実感する。
数ヶ月前にホエール地方を襲った「大海瘴」では、あのレベルの濃度の瘴気が広範囲に発生したというのだから恐ろしい。
「しかし、何か対処方法はないのか……」
苦しそうな表情で眠っているブリジットを見て思う。
怪我であれば「白魔法」でなんとかなるけれど、病気や瘴気に対しては無力。
この世界の医療技術でヒントになるものはないだろうか。
中世ヨーロッパでも行われていた血を排出させて症状の改善させる「瀉血」や薬草を使った民間療法がこの世界の主な医療だ。
だけれど、その分野に詳しいのはブリジット。
その彼女がこの状態ではどうにもならない。
やっぱりララノに頼んで街から医者を呼んできてもらったほうがいいかもしれない。
「あの、参考になるかわかりませんけれど」
と、前置きを入れてララノが声をかけてきた。
「私の集落で瘴気を吸い込んでしまったときはハーブをたくさん食べていました」
「ハーブ?」
「はい。キャラウェイにディル、バジルとかですね。どれも薬に使えるもので、体内にある『悪いもの』を除去する効果があるんです。獣人は元々瘴気への耐性が高いので効果があっただけかもしれませんけれど……」
「悪いものを除去、か」
確かにハーブには老廃物を排出させる効果があったり、殺菌力や炎症に効果があるものもある。
そういう効果を利用して瘴気の症状を中和させるって感じなんだろう。
「つまり、ブリジットが吸い込んで体内に蓄積されてしまった瘴気をどうにか浄化してあげれば助かる可能性が高いってことか」
「浄化……あっ」
ララノが何かを思いついたようにポンと手を叩いた。
「サタ様が私を助けていただいたときのこと、覚えていますよね?」
「助けた? って、アーヴァンクに襲われていたときのこと?」
「そうです。あのとき、サタ様の料理を食べて体調が良くなったのですが、あれって疲労回復じゃなくて、私の体に溜まっていた瘴気が浄化されたってことはないですかね?」
しばし記憶をたどってみる。
僕と出会う前、ララノは食べ物を探して放浪していた。
だけど、瘴気が降りた不毛の地で食べ物なんて見つからず、飢えを凌ぐために仕方なく瘴気に汚染された水を飲んでいた。
ララノの話だと、獣人は獣の血が流れているために瘴気に強い。
だけれど、動物と違って無症状でいられるというわけではない。
つまりあのとき、ララノはただ腹をすかせて衰弱していたのではなく、瘴気によって弱っていた。
そして彼女は、僕の付与魔法で作った野菜を食べて体の中に溜まっていた瘴気を浄化して元気になった。
「……あり得ない話じゃないか」
根拠があるわけじゃないけど、辻褄は合ってる。
種子や土壌に付与した魔法によって偶然「合わせ付与」が発生して、瘴気の浄化作用が現れた可能性はある。
とするなら、ララノに食べさせた野菜を使えば、浄化効果は再現できるかもしれない。
「……よし、あのときと同じ料理を作ってみよう。僕は料理の準備をするから、ララノは畑から野菜を採って来て欲しい」
「わかりました! すぐに!」
ララノと部屋で別れて、僕は一階のキッチンへと向かう。
あのときララノに食べさせたのは、サラダに野菜スープ、それとトウモロコシだったっけ。
どの野菜に浄化作用があるんだろう。
そういえば、ラングレさんのブドウから作ったワインで「病気が治った」という話もあったし、そこから共通点を探ってみるか。
ブドウ園でやったのは濾過器への付与だ。
濾過器は僕の農園でも使ってるし、第二属性の水を司る「水属性」が深く関わっているかもしれないな。
「……てことは、野菜スープか?」
スープに入っていたものはジャガイモ、ダイコン、干し肉、ニンジン辺りだったか。どれも俊敏力強化で成長促進させて収穫した野菜だ。
つまり水属性への持久力強化、免疫力強化、それと俊敏力強化。
さらに種子への生命力強化、免疫力強化、俊敏力強化で瘴気浄化の合わせ付与が発動する……のかもしれない。
ララノが戻って来る間に、水の準備をすることにした
家の外にある濾過器から出てくる水を汲んで、念の為にもう一度付与魔法をかけておく。
キッチンに戻ると、丁度ララノが畑から戻って来た所だった。
採ってきてくれたのは、主に俊敏力強化で成長を促進させている野菜たち。
早速彼女にも手伝ってもらって、ジャガイモ、ダイコン、ニンジンの皮むきをはじめる。ジャガイモはひとつ、ダイコン三分の一、ニンジンは半分。
それを沸騰させた鍋の中に入れて、干し肉とバターを投入。
しばらくグツグツと煮込んで、塩とコショウを振って完成だ。
早速、器に入れたスープをブリジットの部屋に運ぶ。
意識が戻っていないのでブリジットの上半身を起こし、スプーンを使って少しづつ食べさせることにした。
野菜はホロホロなので、スプーンで潰してスープと一緒に。
上手く食べさせることができるかと不安になったけれど、なんとか飲み込んでくれた。
「……どうだ?」
とりあえずスープの半分ほどを食べさせてからベッドに寝かせる。
予想が当たっていれば、これで効果が出るはず。
できることはやった。あとは神様に祈るのみ。
しばしベッドの傍で、ララノとブリジットの容態を静観する。
そうして五分ほどが経ったときだ。
「……あっ」
ララノが声を上げた。
「見てくださいサタ様! なんだかブリジットさんの顔色が良くなってきてないですか!?」
「…………」
じっとブリジットの顔を見る。
そう言われると、さっきまで蒼白だった顔色に少しだけ血色が戻って来たような気がする。
これはもしかして付与魔法が効いてきたのか?
そっと額に手を当ててみると、明らかに熱が下がっていた。
さらに浅かった呼吸が深くなり、苦しそうだった表情も少しづつ和らぎはじめる。
「やったぞ! 付与魔法の効果が現れたみたいだ!」
「良かった! 本当にサタ様の付与魔法に瘴気浄化の効果があったんですね!」
「効果に気づいてくれたララノのお手柄だ。本当にありがとう」
「……えっ!? や、わっ、私は何も」
ブンブンと顔を横に振るララノだったが、尻尾はちぎれんばかりに揺れていた。
しかし、とりあえずはこれで一安心だ。
安静にさせておけば、じきに目も覚ますだろう。
ああ、ホッとしたからか、なんだか急に疲れが出てきた。
「僕たちも野菜スープ食べておこうか。瘴気が体内に残ってるかもしれないし」
「そうですね」
ララノの顔にも疲労の色が窺える。ただの気疲れかもしれないけど、瘴気によるものだったら大変だ。
そうして僕たちは、ブリジットの部屋で彼女を見守ることにした。
ブリジットが目を覚ましたのは、それから二時間ほどが経ってからだった。