「……まさかこんな所に洞窟があったなんて」

 ララノから報告を受けて三十分ほど。

 動物たちに案内されたのは、水を汲んでいる川と自宅の中間地点にある崖の片隅だった。

 そこにひっそりと佇むように、人がひとり入れるくらいの穴が空いていたのだ。

 ララノが動物たちから受けた報告によると、ここから高濃度の瘴気が漏れ出していたらしい。

 今のところ瘴気っぽいものは何も出ていないようだけど、ツンとした瘴気の匂いが残っている。

 動物たちが見たものは、間違いなく瘴気だったのだろう。

 元々ここの土地は瘴気が降りている「呪われた地」なので、新たに瘴気が発生しても土壌には何も影響はない。

 だけど、ここに住んでいる僕たちの人体への影響は看過できない。

 瘴気濃度が高ければマスクで防げなくなってくるし、何より、外での活動時間が制限されてしまう。

 スローライフを守るためにも、瘴気が発生している原因を特定して対処しておきたいんだけど──。

「なんでこんな所から瘴気が出てるんだろう?」

 僕の頭に浮かんだのは、根本的な疑問。

 現在、瘴気が発生する原因については解明されていない。いつどこで、どんなふうにして猛毒の瘴気が発生しているのかは解っていないのだ。

「私にも原因はわかりませんが、もしかすると洞窟の中に瘴気の発生源になっている『何か』があるのかもしれません」
「うん、その可能性は高いね。その『何か』がわかれば、今後の瘴気対策に活用できるかもしれないな」

 この地に住んでいる以上、瘴気の脅威は今後も続くことになる。

 もし、瘴気の原因を多少なりとも特定できれば、今後の対策がぐっと楽になるかもしれない。

 しかしと、ぽっかり開いている洞窟の入り口を見て思う。

 少し前にララノと農園の敷地調査をしたはずなのに、こんな洞窟があるなんて気づかなかった。

 ぱっと見た所、見落としそうな場所でもないんだけど。

 もしかして新しく出来た洞窟なのかな?

 洞窟は雨水が石灰岩を溶かして出来るという話を聞いたことがある。

 元々ここに洞窟が走っていて、地割れか何かで入り口が出てきた。

 あり得ない話じゃない。

 一応、農園マップにメモをしておくか。

 そう思ってリュックから地図を取り出そうとしたら、不敵な笑みを浮かべているブリジットが目に止まった。

「……な、何で笑ってるの?」
「血が騒いでいるのだ」
「え? 血? もしかして洞窟好きとか?」

 初耳だな。

 大自然が作り出した絶景に出会える洞窟を巡っている愛好家は多いと聞くけど、まさかブリジットにそんな趣味があったなんて。

「……そうではない」

 ブリジットに冷めた目で睨まれた。

「ようやく私の剣の腕をサタ先輩に披露できる時が来たという意味だ」
「あ、そういうことか。確かに洞窟にモンスターがいるかもしれないね」
「そうだ。先日のオルトロスのときはかっこいい姿を見せられなかったし、今度こそサタ先輩の前で鮮やかにモンスターを仕留めてみせる。期待していてくれ」
「や、別にそういうの期待してないけど」
「……なっ!?」

 ギョッと目を見張るブリジット。

「な、なぜだ!? 華麗にモンスターを討伐する私を見て、『きゃ〜! かっこいいブリジットさん! 僕と結婚して!』となるのがお決まりのパターンじゃないのかっ!?」
「そうはならないでしょ」

 乙女じゃないんだから。

 というか、モンスターなんていないに越したことはない。

 瘴気が発生している原因が解って「ああよかった〜、これでもう安全だね」って一件落着になるのが平和的で良い。

「サタ様は、そういうのが好きなんですか?」

 おもむろに尋ねてくるララノ。

 僕は小さく首をかしげた。

「そういうの、とは?」
「強くてかっこいい女性に憧れている的な」
「…………」

 なんだろう。洞窟探索はまだ始まっていないのにドッと疲れが吹き出してきた。

 ララノは僕の返答を心待ちにしているみたいだった。

 なので「まぁ、そうかもしれないね」と答えると、「私もがんばります」と元気よく返してきた。

 それを聞いて、再びため息が漏れる。

 ごめんねララノ。

 そういうのは別に頑張らなくていいから。

+++

 携帯してきた松明に火を灯し、警戒しながら洞窟の中へと入っていく。

 洞窟の中は思いの外広かった。

 天井が高く、ところどころにできている窪みから陽の光が差し込んできている。

 多分、あそこから入ってきた雨水で石灰岩が溶けてこの洞窟ができたのだろう。

 その証拠に、地下水が川になって流れている。

 流れている川の水は、赤紫色に変色していなかった。

 どういう理屈なのかはわからないけれど、汚染されていない土から滲み出てきた雨水が川になっているんだろう。

 その水のせいか、洞窟内は結構肌寒い。

 これは、天然の冷蔵庫として使えるかもしれないな。

「……何だか瘴気の匂いがします」

 先頭を歩くララノがそっと囁いた。

 瘴気特有のアンモニアに似た刺激臭。人間の僕には全く感じないけど、嗅覚が鋭い獣人のララノにははっきりと感じるようだ。

「どっちから臭ってるか分かる?」
「もちろんです。先導しますね」

 しんと静まり返った洞窟の中に、僕たちの足音だけが響く。

 歩けば歩くほど、天井は更に高くなっていく。

 こんな洞窟が敷地の下にあったなんて驚きだ。

 ひょっとすると他にも似たような洞窟があるのだろうか。

 モンスターが潜んでいたら大変なことになりそうだし、改めて敷地内を調査する必要がありそうだな。

「……グルルルゥ」

 などと考えていたそのときだった。

 洞窟の奥から、動物の唸り声のようなものが響いてきた。

 とっさに剣を構えるブリジット。

 僕も思わず腰の短剣に手を伸ばしてしまった。

「……今のは?」
「わ、わかりません。でも、声がした方から瘴気の匂いを感じます」

 緊張の面持ちでララノが答える。

 となると十中八九、モンスター。

 モンスターは瘴気があるところに現れる。この先に瘴気が溜まっている場所でもあるのだろうか。

 洞窟には時折毒ガスが滞留している「ガスだまり」があると言うし、そんなふうに瘴気が溜まっているのかもしれない。

 瘴気の中での戦闘を想定してララノたちにマスクを付けるよう促してから足を進めていると、ツンとした匂いが漂ってきた。

 マスク越しにもわかる瘴気の匂い。

 僕の鼻でもわかるということは、相当近いはず。

「グルルルルゥ」

 再び唸り声が聞こえた。

 今度は近い。

 辺りを見渡して声の主を探す。

 壁、岩陰……さらに天井を見上げたとき──。

「あれは……」

 せりあがった石灰岩の柱の上に、双頭の巨大な狼の姿があった。