追放されたチート付与師の辺境農園スローライフ ~僕だけ農作物を成長促進できる付与魔法が使えるようなので、不毛の地に農園を作ろうと思います~

 ホエール地方に来て一週間が経った。

 昨日は生憎の雨だったので、厚手の外套を羽織って野菜の収穫をした後、農具のメンテナンスに時間を費やした。

 メンテナンスと言っても、土汚れなんかを落とす簡単なやつだ。

 定期的にかけている付与魔法のおかげで鍬やナイフは刃こぼれしなくなっているので、街の鍛冶屋に持っていく必要はない。

 だけど、やっぱり泥まみれの農具で作業するのは嫌だからね。

 昨日の雨はホエール地方に来てはじめての雨だった。

 この時期は日本でいう「梅雨」の時期で結構雨が降るはずなんだけど、もしかするとホエール地方はあまり雨が降らないのかもしれないな。

 あまりに勢いよく降るもんだから飲み水にできないかと試そうとしたけれど、ララノにあわてて止められた。

 やっぱり雨にも瘴気が含まれているらしい。

 まぁ、雨雲がいかにも瘴気まみれですって感じの赤紫色をしていたのでなんとなく予想はしていたけど。

 僕がメンテナンスをしている間、ララノは料理をしていた。

 雨のせいでいつもの場所で焚き火ができなかったので、テントのひさし部分で火を起こしてもらった。

 危ないかなとは思ったけど、他に焚き火ができる場所はなさそうだったし。

 しかし、そろそろ住居問題もどうにかする必要があるな。

 ララノには予備のテントを使って生活してもらっているけど、暴風雨でテントがダメになったら大変困ったことになる。

 備蓄用のテントは収穫した野菜や消耗品で一杯だから使えない。

 となると、僕のテントで寝起きして貰うことになるんだけど、やっぱりそういうのってダメじゃない?

 だってほら、ララノって年頃の女の子だし。

 一応、ララノにそれとなく「嫌だよね?」と聞いてみたら「私、がんばりますから!」みたいな斜め上の回答が返ってきた。

 けど、絶対にダメだと思う。

 というわけで、土壌改良や飲水確保が終わった現状、次に片付けるべき問題は住居問題──なのだけれど、どうやって解決すればいいのか見当もつかない。

 危険なモンスターが多く、いつ瘴気が発生してもおかしくない「呪われた地」に大工さんなんて呼べるわけないし。

「……え? 住居ですか?」

 地図を見ていたララノが首をかしげた。

 昨日の悪天候とは打って変わり、気持ちが良い快晴の朝。

 僕とララノは、農園敷地の状況確認のために地図を片手に周囲探索をしていた。

「うん。昨日みたいな雨が続いたら料理とか色々と大変じゃない? 前からちゃんとした住居を確保したいとは思ってたんだけど、早急に解決したほうがいいかなって」
「確かにそうですね。『トリトン』が来る前に頑丈な家を建てたほうがいいかもしれません」
「……トリトン?」

 ってなんだろう。はじめて聞く名前だ。

「夏の終わりに吹く嵐のことをホエール地方では『トリトン』って呼んでいるんですよ。瘴気ほどではありませんが、大きな被害が出ることもあります」

 夏の終りに吹く嵐──台風みたいなものだろうか。

 王都も年に数回程度激しい暴風雨に襲われていたけど、特に名前はついていなかった。多分、ホエール地方独特の文化なんだろうな。

 しかし、台風が来るんだったら住居問題はすぐにでも解決しないと。

「となると、やっぱり住居問題は早急に解決しておきたいね。何か良いアイデアは無いかな?」
「アイデアですか? ん〜、そうですね……美味しい料理を作るために広いキッチンは欲しいですし、地下に野菜が保管できる場所も欲しいですね」
「キッチンに貯蔵庫か」

 貯蔵庫は言わずもがなだけど、確かに広いキッチンは重要だな。

 ララノの美味しい料理がさらに美味しくなりそうっていうか──って、いやいや、そういうことじゃなくて。

「ごめん。そういう問題じゃなくて、どうにかして家を建てられないかな? ほら、街の大工さんとか呼べなさそうじゃない?」
「…………あっ」

 勘違いに気づいたのか、ララノの耳がピコンと反応する。

「す、すみません! せ、せ、盛大に勘違いしていましたっ!」
「いやいや、僕の質問も悪かったと思うから気にしないで」
「でも、そういうお悩みならお力になれると思います」

 ララノがふんすと胸を張る。

「あ、何か良いアイデアがあるの?」
「ええ、ありますとも! このララノめに、まるっとお任せくださいっ!」
「おお?」

 何だ何だ?

 いきなり変なテンションだけど、やけに自信満々だな。

「なんだか声に力が漲ってるね」
「はい! サタ様のお力になれそうなので嬉しいんです!」
「あ、そういうこと」

 なるほど。

 うん、見た目だけじゃなくて理由も可愛いな。

「わかった。それじゃあ住居問題はララノに解決してもらおうかな」
「承知しました! それでは早速……アオォォォォン……!」

 ララノが空に向かって狼のような遠吠えを放った。

 突然のことで面食らってしまったけれど、そういえばララノって狼の獣人だったね。いきなりの遠吠えは意味がわからないけど。

「ど、どうしたの? いきなり遠吠えなんかして──」

 と、そこで続く言葉を飲み込んでしまった。

 目の前にあった岩の上に、ピョコッとイタチのような動物が現れたからだ。

 あれはハクビシンかな?

 はじめてこんな近くで見るけど可愛いな。

 もしかして、ララノのペット?

 なんて思っていたら、またピョコッと別のハクビシンが現れた。

 続けて岩の裏からタヌキみたいなやつ。

 それに、キツネ、ウサギ、リス。

 さらにさらに狼にサル、そこそこ大きい熊まで。

 どこから来たのかわからないけれど、動物たちがゾロゾロと僕たちの周りに集まってきた。

 最初は「可愛いなぁ」なんて微笑ましく思っていたけど、ここまで多いとちょっと怖い。

「……あ、あの、ララノさん?」
「はい」
「この方たちは?」
「私の仲間です」
「仲間」

 なるほどなるほど。

 うん、全然意味がわからん。

 もしかして、家族とかなのかな?

 でも、ララノの家族は大海瘴で行方不明になってるって言ってたし──って、流石に獣人でも動物が家族なわけがないか。

「ごめん、ちょっと状況がわからないんだけど」
「……あっ、すみません。サタ様にはお話していませんでしたね。実は私、『獣使い』という加護を持っていまして」
「獣使い? 動物と契約して呼び寄せたりできるっていう?」
「おお、ご存知でしたか! 流石は学者先生のサタ様です!」
「や、やめてよ。僕は学者なんかじゃないから」

 少し前に会話の流れで魔導院時代のことを話しちゃったけど、それから妙な担ぎ上げをされることが増えてきた。

 恥ずかしすぎるしやめてほしい。

 こんなことなら秘密にしておいたほうが良かったかな。

 って、そんな話はどうでもよくて。

 つまり、ララノは獣使いの加護の能力で、今まで契約した動物たちを呼び寄せたというわけだ。

 なるほど。状況はなんとなく理解できた。

 根本的な部分はまだ理解できてないけど。

「それで、どうして動物たちを?」
「この子たちに家を作ってもらうんですよ」
「…………はい?」

 流石に首をかしげてしまった。

 確かに動物は家を作るのが得意という話は聞く。

 この前ララノを襲っていたモンスター「アーヴァンク」の原型にあたるビーバーも「天才建築家」なんて言われているし。

 だけど、それは動物を基準とした「住処」の話であって、人間が住める「住宅」の話ではない。

「安心してください。私が住んでいた集落でも、獣使いの加護を持つ獣人は『S級建築士』として重宝されていたくらいなんですから」

 僕の不安を察知したのか、ララノが自信満々に答えてくれた。

 それを聞いてしばし思案する。

 根本的な不安の解消にはならなかったけど、前例があるのなら任せてみてもいいかな?

 それに、わざわざ集まってくれた動物たちを追い返すのもちょっと可哀想だし。

「……わかった。じゃあ、お願いしてみようかな」

 そう答えると、ララノの尻尾が嬉しそうにゆさゆさと動き出す。

「承知しましたっ! それじゃあ、みんな! いつもみたいに資材調達からお願いしますっ!」

 元気よく手をあげて号令をかけるララノ。

 周りの動物たちが鳴き声を上げて、一斉に動き出した。

「……おお?」

 大きい動物たちが勢いよく川の方向へと走っていったと思ったら、大きな丸太を運んで帰ってきた。

 熊は両脇に抱え、狼たちは枝を咥えてズルズルと引きずりながら。

 なんだか凄い光景だけど、どこから持ってきているんだろう? 瘴気の影響で、近くには一本も木が生えていないけど。

「サタ様、家を建てる場所はここで大丈夫ですか?」
「え? あ、いや、テントを張っている辺りがいいかな?」

 購入した土地は広大だからどこを拠点にしてもいいんだけど、あのテントの周辺には畑を作ってるし。

「承知しました! みんな! 私に付いて来て!」
「ちょ、ララノ」
「あっ、サタ様はゆっくり戻って来て大丈夫ですからねっ!」
「え? あ〜、うん」

 ドドドと地鳴りを伴わせながら動物たちと走り去っていくララノ。

 残されたのは困惑している僕ひとり。

「……大丈夫かな?」

 意気揚々と動物の群れを連れていったけど、平気だよね?

 テントとか畑、荒らしたりしないよね?
 ララノたちのことを心配しても仕方がないので、とりあえず周囲の探索を終えてから、のんびりとテントに戻ることにした。

「……なんじゃこりゃ」

 そこに広がっていた光景を見て、唖然としてしまう。

 先ほどの動物たちが、器用に作業分担して家を建てていたのだ。

 熊や狼などの大きな動物が物資を運び、サルやアライグマなどの手先が器用な動物が大枠を組み立て、体が小さなイタチやリスが細かい部分や高い部分を組み立てている。

 実に壮観。

 ていうか、目の前で起きていることが信じられない。

「なんだかすごいね、ララノ?」

 ひときわ大きな熊に何か指示を出していたララノに声をかける。

 僕に気づいたララノはえっへんと嬉しそうに胸を張った。

「でしょう? そうでしょう? この子たちは『名大工』ですからね。私の集落の家は、ほとんどこの子たちが作ったんですよ」
「へぇ、そうなんだ!」

 家って言っても所詮は動物の巣でしょ? なんてバカにしてしまったことを心の中で謝罪した。

 確かにこれは名大工だ。

 資材をどこから持ってきているのかはわからないけど。

「ちなみにこの木材ってどこから持ってきてるの?」
「あそこに見える山からですね」

 ララノが指差したのは、農園のはるか遠くにある山脈地帯だった。

 こことは違って、木々が青々と茂っている。

「あの山はまだ瘴気が降りていないので、川を使ってあそこで伐採した木を運んでもらっているんです」
「なるほど、そういうことか」

 ということは、あの山にもララノの加護によって仲間になった獣たちがいるってことだよね。

 どうやって木を伐採しているのかわからないけど、熊みたいな大きな動物が木を倒しているのだろうか。それはちょっと見たい気がするな。

 何にしても、伐採した木をここまで運べるというのはいい情報だ。

「ねぇララノ。例えばだけど、建築に使う分以外にも木材を持ってきてもらうことはできる?」
「え? あ、はい、できますけど……何に使うんです?」
「薪だよ。ここでは薪が作れないからね」

 植物の一切が育たない呪われた地で何気に痛いのが薪を確保できないことだ。

 飲料水は濾過器を使えばなんとかなるし、食料は畑で採れる。

 だけど、木が生えていないので薪はどうすることもできない。

 街で木の苗を買ってきて付与魔法をかけて植林してもいいけど、苗を買うくらいなら薪を買っちゃったほうが早い。

 なので、次に街に行くときにまとまった数の薪を買っておこうと思っていたんだけど、動物たちが持ってきてくれるなら薪問題も解決しそうだ。

「ああ、そういうことですね」

 ララノがポンと手を叩いた。

「わかりました! そういうことでしたら、このララノにまるっとお任せあれっ! 早速、明日から動物たちに運んでもらいますねっ!」
「うん。よろしくお願いします」

 頼られたのが嬉しいのか、またしても変なテンションだ。

 ハイテンションのララノは可愛くて目の保養になるから、こっちも嬉しくなる。

「じゃあ、家は動物たちに任せて僕たちは畑作業をしようか」

 住居の建築はすぐに終わりそうじゃないし。

 というわけでララノには収穫のお願いをして、僕は畑の拡張と種まき、それと俊敏力強化していない通常の成長速度の畝の「間引き」をすることにした。

 間引きは成長が遅い小ぶりなものを取ったり、芽と芽の間の距離を取って成長を促す重要な作業だ。

 ちなみに、間引きをした小さい野菜はお昼ごはんとして食べる予定。

 人参だったらそのまま野菜スープに入れても美味しいし、野菜スティックみたいに食べても良い。

 ちょっとマヨネーズが恋しくなってしまうけど。

 この世界にマヨネーズはなさそうなので、作ってみてもいいかもしれないな。

 でも、どうやって作るんだったっけ?

 卵とオリーブ油とレモン汁を混ぜるんだっけ?

 卵は生物だから街で買っても農園に持ってくる間に傷んでしまうから、農園で鶏を飼うのが懸命かな。

 養鶏を始めるとすると、鶏に鶏舎、さらに彼らの毎日のエサが必要になるな。

 何にしても、結構お金がかかりそうだ。

「……う〜ん、お金かぁ」

 魔導院時代は贅沢とは無縁の生活をしていたし、この農園の土地も格安で購入することができたから、まだまだ貯金に余裕はある。

 だけど、収入源は無いのでお金は減る一方だ。

 畑では美味しい野菜が採れるけど、賄えない部分は多い。

 例えばタンパク質。トウモロコシやブロッコリーで摂取できないこともないけど、やっぱり魚とか肉で取りたい。

 料理のレパートリーも増えるしね。

 他の賄えないものと言えば消耗品だ。

 農具は僕の付与魔法のおかげで壊れることはないけど、燃料や衣類、それに畑で使う肥料や種も必要になる。

 やっぱり快適な農園スローライフを送るためには、収入源は必要だ。

「どうしたんですか?」

 色々と悩んでいると、トウモロコシの影からララノがヒョイと覗いてきた。

「何かお悩み事でも?」
「もう少し畑の畝の数を多くしたほうが良いのかなって」
「畝、ですか……」

 ララノも畑を見渡す。

「収穫量、少ないですかね? 二人分ならまかなえてると思いますけれど」

 ララノの足元にあるカゴにはすでに多くの野菜が入っている。

 付与魔法で成長速度を加速させている畝の野菜は毎日収穫できるので、僕たちの食事は十分まかなえている。

「たくさん野菜を作って余剰分を売ろうかなって。ほら、燃料とか消耗品とか、ここで賄えないものはお金を出して買う必要があるじゃない?」
「……あっ、そういうことですね。確かに種や肥料も買う必要ありますし、それを考えると畑を増やして野菜をたくさん収穫できるようにしたほうがいいかも」
「だよね」
「その分、収穫が大変になりそうですけど」
「……だよねぇ」

 問題はそこなのだ。

 収穫量が増えれば余剰分を換金することができる。

 だけど、換金する分の野菜を追加で育てないといけないのだ。

 今でこそ半日程度の作業で終わっているけど、畑が増えれば丸一日、農作業に時間を使わなければいけなくなるかもしれない。

「仕方ない。スローライフを続けるためにも頑張るか」
「畑の作業時間を増やすんですか?」
「人手を増やす余力はないからね。かといってララノに無理をさせるわけにもいかないし、僕がなんとか頑張るしかないよ。付与魔法を使えば平気だし、多少の無理は──」
「ダメダメ! 絶対ダメですよ!」

 トウモロコシの陰から飛び出してきたララノが、僕の両腕をがっしりと掴む。

「私がやるのは良いですけど、サタ様はだめですから!」
「ど、どうして?」
「だって、のんびりとした時間を過ごすためにホエール地方に来たのに、無理をして頑張るなんて本末転倒すぎるじゃないですかっ!」
「……あっ」

 指摘されてハッと気づいた。

 確かにララノの言う通りだ。

 僕がやろうとしていたことは、「スローライフをするためにスローライフを辞める」と同義のこと。

 まさに本末転倒。これじゃあ、ベランダ農園を頑張りすぎるあまり少ない睡眠時間をさらに削っていた社畜時代と同じじゃないか。

 命を落としてしまったのも、あの無理があったからだ。

 だからこそ、この世界ではゆっくりのんびりと生きようと思ったのに。

 ああ、僕のバカ。

 また同じ失敗をしてしまうところだった。

「お会いしたときから思ってたんです。サタ様はすごく真面目で頑張り屋さんですけど、やりすぎてしまうところがある気がします。付与魔法があるとはいえ、いつか体を壊してしまいますよ?」
「うぐ……」
「がんばるのはやめてください。仕事は適度に。わかりましたか?」
「わかったよ。気をつける」
「はい、よろしい」

 満足そうに微笑むララノ。

 それを見て、なんだか心が暖かくなった。

 すごく新鮮な経験だった。

 過去……特に社畜時代は頻繁に上司から怒られていたけれど、こんな風に叱られる経験はなかった。

 感情的に怒られるんじゃなくて、諭されるように叱られるのって、優しさを感じてなんだか嬉しい。

 いや、決してMっ気があるってわけじゃないんだけどね?
「……あ、そうだ」

 ララノが何かを思いついたように、ポンと手を叩いた。

「増やした畑の収穫をあの子たちに手伝って貰うというのはどうですか?」
「あの子たち?」
「動物たちですよ。彼らに手伝ってもらったら畑が広くても収穫はすぐ終わるんじゃないですかね?」
「……ああ、そういうことか」

 家を建ててくれている動物たちを見る。

 確かに彼らは家を建てられるくらい器用なんだから、野菜の収穫なんてお手の物だろう。だけど、任せて平気なのかな?

「野菜、食べたりしない?」
「言って聞かせれば大丈夫です。集落では動物たちに食料庫の警護をお願いしていたくらいなんですから」
「動物が食料庫の警備?」

 何それちょっと賢すぎない?

 人間の僕だって、腹が減ったらつまみ食いしそうなのに。

 でも、それだったら動物たちにお願いしてもいいかもしれない。

 人件費もかからないし、エサを少しあげれば彼らも満足だろう。それに、熊や狼がいれば畑を荒らす害獣も寄り付かなくなるだろうし、一石二鳥だ。

「それだったら安心できるね。是非動物たちにお願いしたいな」
「承知しました。では、早速手伝ってもらいますか?」
「いや、畝を十本くらい増やしてからお願いしたいかな」
「わかりました。いつでも呼べるので必要になったら声をかけてください」
「うん、ありがとう」

 ニッコリと微笑んで、トウモロコシの収穫に戻るララノ。

 そんな彼女を見てつくづく思う。

 ララノが農園に来てくれて、本当に良かった。

 住居問題に薪問題、それにお金問題まで一気に解決しそうだ。

 さらに彼女のお陰で食事の質が向上しているのがとてつもなく大きい。

 僕の料理なんか足元にも及ばないくらい、ララノは料理が上手かった。

 おまけに、毎日違うレシピが出てくるから凄い。

 トマトを使った鶏肉の煮込み。

 ナスとピーマンを使った肉炒め。

 パプリカのチーズ焼き。

 キュウリとキャベツの酢漬け。

 パン生地とトウモロコシ、チーズを使ったピザみたいなやつ。 

 他にも色々と作ってもらったけど、お店で出しても良いレベルの料理ばかりだった。

「……あっ」

 ララノの料理のことを考えていたら、盛大に腹の虫が鳴ってしまった。

 それを聞いたララノがクスリと笑う。

「お腹空きましたね?」
「あはは、そうだね。もうお昼だし」
「では、休憩にしますか?」
「うん、そうしよう」

 自由な時間に作業を始めて、自由な時間に休憩する。

 それに文句を言う人間はどこにもいない。

 これぞスローライフ。

 畝の拡張はお昼を食べた後にすることにして、収穫した野菜を持ってテントへと戻る。

 いつものように、川から汲んできた水で野菜の土を落として、それから濾過器で綺麗にした飲水で細かく洗う。

「今日は何を作る予定なの?」

 ピーマンを洗いながら、火をおこしているララノに尋ねた。

「えっと……今日はトマトペーストを使った野菜の煮込みを作ろうかと」
「おお、トマトペースト!」

 って、たしかケチャップみたいなやつだよね。

 この世界にはケチャップはないみたいだけど、どうやって作るんだろう?

「ララノって、トマトペーストも作れるんだ?」
「はい。集落にいた頃に何度か作りました」
「へぇ! ちなみに、トマトペーストってどうやって作るの?」
「トマトをじっくり煮込むだけですよ。パスタと相性がいいので、そっちもぜひサタ様に食べて欲しいんですが……パスタは街に行かないと買えないんですよね」

 そういえば院にいたとき、何度か生パスタを食べたことがあったな。

 現代みたいに「乾燥パスタ」があればここでも美味しいスパゲッティが食べられそうだけど、残念ながら無いみたいだし。

 魔法でできたりしないのかな。

 とりあえずパスタはまた今度ということにして、洗った野菜をララノに渡した。

 早速ララノは採れたばかりのトマトをざく切りにしてフライパンに乗せ、オリーブオイルを入れて炒めはじめた。

「じゃあ、僕は他の野菜を切っておくよ」
「あ、助かります」

 使う野菜は玉ねぎにパプリカ、ズッキーニ、ナス。

 それらを一口サイズに切っていく。

 全ての野菜を切り終えたくらいで、トマトペーストが完成したようだ。

「料理、見てても良い?」
「は、はい、大丈夫ですけど、なんだか緊張しちゃうな」
「あ、ごめん。だったら違う作業を」
「いえ! 見ていてください! 私、がんばれますから!」

 むんっと力こぶを作るララノ。 

 可愛く気合を入れたところで、ララ野はは完成したトマトペーストを皿に移し、今度は玉ねぎを炒め始める。

 そこにパプリカやズッキーニを入れて、全体がしんなりしてきたら鍋に移して最後にトマトペーストを投入。

 白ワインにハーブ、それに塩コショウを入れて三十分ほどじっくり煮込む。

「……はい、これでトマトペーストを使った煮込み野菜の完成です」
「おおっ」

 ララノが鍋の蓋を開けると、なんとも美味そうな香りが広がった。

 その香りに釣られてか、動物が何匹かやってきた。

 ララノは彼らに少しだけ彼らにおすそ分けして、僕たちふたり分を皿に分ける。

 簡易テーブルの上に料理とワイン、それに二人分のパンを用意して席につく。

「では、いただきます」

 手を合わせると、不思議そうにララノが僕を見ていることに気づく。

「……どうかした?」
「あ、いえ、前から気になっていたんですが、その『いただきます』という挨拶はどういう意味なのでしょうか?」
「え? あ、これ? ええと……作物と料理を作ってくれた人への感謝の挨拶的な?」
「感謝ですか。いいですね。それってサタ様の故郷の習慣なんですか?」
「あ〜、うん、そうだね」

 そう言えば、この世界ではご飯を食べる前の「いただきます」がないな。神様への祈りを捧げる人はいたけど、そういう習慣がないのかもしれない。

「じゃあ私も」

 ララノが僕のマネをして、両手をそっと合わせる。

「この美味しい野菜を作っていただいたサタ様に、感謝のいただきます……」
「いやいや、この野菜を作ったのは僕だけじゃないから。ララノのお手伝いがあってこそだし」
「それでは、お互いにいただきますをしましょうか」
「そうだね」

 僕たちは笑い合って一緒に手を合わせる。

 早速、皿にもられた野菜を頬張った。

「あふぉ……」

 思わず至福のため息がでてしまった。

 ピリッとしたトマトの酸味の後に、野菜の甘みと旨味が口の中に広がる。

 野菜だけでも美味いのに、ララノの味付けで更においしくなっている。なんとも贅沢な味の共演だ。

「いやぁ〜……相変わらずララノの料理って美味いなぁ」
「ほ、本当ですか!?」

 スプーンを咥えたまま、ピコンとララノの獣耳が反応した。

「やっぱり僕が作る料理とは大違いだよ。ララノは良いお嫁さんになれるね」
「お、およよ……っ!?」

 顔を真っ赤にしたララノが、今度は尻尾をブンブンと振り回しはじめる。

 ララノは感情が顔に出るタイプなんだけど、顔よりも先に尻尾に出るのが面白い。流石は狼の獣人だな。

「サ、サ、サタ様は、りょ、料理が出来る奥さんは素敵だと思いますか?」
「……え? あ〜、まぁそうだね」

 出来なくても別に良いけど、できたなら嬉しいかな。

 まぁ、しばらくはのんびりスローライフを謳歌したいし、お嫁さんなんて貰うつもりはないけど。

 ……なんて偉そうに言ったけど、お嫁さんになってくれる女性なんて近づいてこないってのが実情なんだよね。

 生前で三十二年と、こっちの世界で二十三年。

 合計五十五年の独身貴族です。

「わ、わかりましたっ!」

 何がわかったのか、ララノがむんと胸を張って意気揚々と続ける。

「私、がんばりますからっ! ララノにまるっとお任せあれ! ですっ!」
「あ、うん。え〜と、がんばって……?」

 よくわからないけど、何をまるっと任せて欲しいんだろう。

 もしかして、結婚相手を探してくれるとかなのかな? 
 昼食が終わって、洗い物を片付けてコーヒーを飲みながらゆっくりと一息。

 魔導院時代や、生前のブラック企業では考えられなかった幸せな時間だ。

 仕事に追われていない生活って、やっぱり最高だなぁ。

「……あ、そうだ。ちょっとララノに聞きたいことがあるんだけど」
「はい、なんでしょう?」

 コーヒーを飲みながら小さく首をかしげるララノ。

「瘴気のことを教えて欲しいんだ」

 そう言うと、ララノの耳がピンと立った。

「しょ、瘴気のこと!? 魔導院で研究していた学者先生のサタ様に、私みたいな素人が教示するなんて恐れ多すぎますよっ!」
「あ、いやいや、そんな大げさな話じゃなくて、話半分っていうかさ。実際に瘴気を体験してるララノの話を聞きたいんだ」

 王宮魔導院で僕が所属していた「本草学研究院」の主な仕事は、魔法と植物の関係や薬草を使った錬金術の研究だ。

 講義とか要人警護とか本職とかけ離れた仕事も多かったけど、そういった「研究」が主な業務だった。

 そして、その研究はすべて瘴気の解明のためだったんだけど、実際に呪われた地に赴くことはなく、現地から運ばれてきた土壌を使った研究しかできなかった。

 多分、「貴重な人材を危険な場所に赴かせるわけにはいかない」という上層部の考えなんだろう。

 はっきり言って、バカらしいと思っていた。

 現地に行かなくて、何がわかるっていうんだろう。

 研究で使っていた土壌だって、どういう環境下に置かれていたのかはっきりとわからないものだったし。

 一度だけ自費で傭兵を雇って呪われた地に行こうとしたことがあったけど、上司のラインハルトさんにバレてメチャクチャ怒られた。

 僕の身を案じてというより、「生意気なことをするな」って感じだったけど。

 まぁとにかく、ララノのような現地で瘴気を体験してきた人の話は僕にとって大変貴重なのだ。

「あの、裏付けがある話ではありませんけれど大丈夫ですか? すごくぼんやりした話というか、私が目で見てきただけなので……」
「もちろんそれで構わないよ。別に研究のためとか、そういうんじゃないから」
「そ、そういうことでしたら」

 そうしてララノはコホンと小さく咳払いをして、僕と会うまで見て体験してきた瘴気のことを話してくれた。

 話の大半は魔導院で調べていたことと合致する内容だった。

 だけれど、体験を元にした「ララノの推察」は僕の予想を越えていた。

「数ヶ月前に大海瘴が来てわかったことなんですけれど、『瘴気を吸い込むと呪いによって体が蝕まれていく』というのは、半分ウソのような気がします」
「……半分ウソ?」

 興味を惹かれる内容で、思わず身を乗り出してしまった。

「人間にとって瘴気は猛毒なのは確かです。少量でも吸い込めば命に関わってしまいます。でも、私たち獣人は瘴気を吸っても人間ほど酷くはならないんです」

 なんだかリアリティがある話だ。

 でも、確かにララノは川の汚染水を飲んで衰弱していたけれど、体を瘴気に蝕まれているという感じはしなかった。

 あれは取り込んだ瘴気の量が少なかったからじゃなくて、耐性があったからなんだろうか。

「それって、何か理由があるの?」
「多分、私たちの中に流れてる『獣の血』だと思います」
「獣の血」

 首を傾げてしまった。

 獣と瘴気。一体何の関係があるのだろう。

 ララノは続ける。

「動物たちって、私たちにとって致死量の高濃度な瘴気を吸っても平気なんです」
「……え? ウ、ウソでしょ?」

 そんなことはあり得ない。

 例え耐性があったとしても、高濃度の瘴気を吸って平気でいられるわけがない。

「本当です。大海瘴が起きたとき、集落にいた動物たちは一匹たりとも瘴気では命を落としませんでした」
「それは……いや、でも実際に見たのなら信じるしかない、か」

 例えば人間が瘴気対策のマスクもせずに高濃度の瘴気の中にいたら、数秒足らずで手足の自由が利かなくなって死に至る。

 瘴気を人為的に発生させることは不可能なので院で実験することはできなかったけど、人間以外の生き物も同じだというのが通説。

 ──だけど、ララノが実際にその光景を見たというのなら疑いようがない。

「でも、その動物たちはどこにいるの?」

 動物が瘴気の中でも生きながらえることができるなら、今も普通に生きていて、そこら中にいるはず。

 ひょっとしてララノの仲間たちのように瘴気が発生しなかった場所に避難しているのだろうか。

「………」

 鎮痛の面持ちで、コップをギュッと握りしめるララノ。

 そして、彼女はゆっくりと口を開く。

「集落が大海瘴に襲われたとき多くの獣人が命を落としたんですが、彼らの命を奪ったのは瘴気じゃなく、集落にいた動物たちなんです」
「……え?」
「集落の獣人たちは、瘴気を吸って凶暴化した動物たちに襲われたんです」

 凶暴化。

 その言葉に妙な引っかかりを覚えた。

 瘴気を吸った人間は、体を蝕まれて命を落とすことになる。

 だけど、耐性を持っている動物たちが失うのは「命」ではなく「理性」ということなのだろうか。

 瘴気によって理性を失った動物たちは攻撃的になり、降りた瘴気とともに見境なく人々を襲い、街や村を破壊し尽くす。

 それって、もしかして──。

「……瘴気を吸った動物がモンスターになるってこと?」
「だと思います。もちろん証拠があるわけじゃありませんが、私たち獣人のような『亜人』も瘴気を溜め込むと同じ道を辿るのかもしれません」

 直接瘴気を吸い込む。

 瘴気に犯されたエサを食べる。

 瘴気が溶けた汚染水を飲む。

 そうやって体内に瘴気を蓄積した動物や亜人が凶暴化してモンスターになる。

 推察の域は越えられないけど、ありえない話じゃない。

 なにせ瘴気だけじゃなくモンスターの存在も解明されていない部分が多いのだ。

 突然瘴気とともに現れ、人々を襲っていたモンスターたち。

 彼らは瘴気と共に現れていたんじゃなく、瘴気によってモンスターにさせられていたとしたなら、色々と辻褄が合う。

 しかし、これが事実だとすると瘴気対策に革命が起きるかもしれない。

 こんな重要な情報が瘴気対策の先鋒たる王宮魔導院にもたらされていなかったのは、この世界の情報伝達力が低いからだろうか。

 ……いや、きっと職員が現地に行くことを院の上層部が却下していたからだ。

 しかし、院を辞めてからこんな情報がもたらされるなんて皮肉な話だな。

 ララノの話が事実だとすると、モンスターの体内に溜まった瘴気を浄化してあげれば、モンスターを無力化させることができるかもしれない。

 どうやればそんなことができるのか解らないけれど。
 ふとララノの見ると、ひどく沈んだ表情でコーヒーを飲んでいた。

 その顔を見て、僕はハッと気づく。

「……ごめんねララノ」
「え?」
「僕が変な質問したばっかりに、辛いこと思い出させちゃって」

 僕はなんて愚かな質問をしてしまったんだ。

 ララノが僕に話してくれたことは、実際に彼女見て体験してきたこと。

 故郷が大海瘴に飲み込まれ、発狂した動物たちに仲間や家族が襲われるという壮絶な体験から生まれた推測。

 軽い気持ちで聞いて良いものじゃなかった。

「軽率だったよ。本当にごめん」
「そ、そ、そんな、謝らないでください。大海瘴の体験を話そうと思ったのは私ですし。それに、サタ様のお力になれたなら嬉しいので」
「ラ、ララノ……」

 思わず熱いものがこみ上げてきた。

 なんて良い子なんだろう。

 そう思うと同時に、ララノの力になってあげたいと心の底から思った。

「ララノに約束するよ。いつかこの場所から瘴気を無くしてみせる」
「……えっ?」
「そしたらきっとキミの家族や仲間たちも戻ってきて、集落も再興できるはずだ」
「…………」

 ポカンとするララノ。

 その表情に、逆に驚いてしまった。

 感動とかならまだしも、何でそんな表情なんだろう。

 もしかして、気持ち悪い発言で、ドン引きされてしまったパターン?

「ふふっ」

 軽く自己嫌悪に陥っていると、ララノはくすぐったそうに肩を震わせはじめた。

「やっぱりサタ様って、他の人間の方たちとは違いますね」
「……え? そ、そう?」
「獣人のためにそこまで言ってくださる人間の方なんていませんよ」
「あ〜……いやまぁ、普通の人はそうなのかもしれないけど」

 獣人に対して思うことなんて何もない。

 彼らに嫌がらせをされたってわけでもないし、どちらかというとラインハルトさんみたいな人間の方が百倍嫌いだ。

 助けたいと思ったのは、相手がララノだから。

 というのも何だか気持ち悪いけれど、それが僕の正直な気持ちだ。

「サタ様、ありがとうございます」

 ララノは立ち上がって敬々しくお辞儀をした。

 彼女につられて、僕も立ち上がって頭を下げる。

「あ、いや、うん……こちらこそ瘴気のことを話してくれてありがとう」 

 なんだか気まずい空気が僕たちの間に流れはじめる。

 う〜。こういう空気は大の苦手だ。

「ええと……と、とりあえず、良い情報を教えてくれたお礼に、もう一杯コーヒーどうかな? 疲れが取れる『持久力強化』の僕の付与魔法入りで……って、別に今から肉体労働頑張れよとか、そういうことを言ってるわけじゃないから勘違いしないでね?」

 慌てるあまり、一気にまくし立ててしまった。

 あわあわ。ちょっと落ち着けよ僕。

 そんな僕を見て、ララノはクスクスとくすぐったそうに笑う。

「……ふふ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」
「う、うん」

 早速コーヒーを作ろうと、挽いたコーヒーを入れているケースを手に取ったが空っぽだった。

 何だよもう。タイミングが悪いな。

「ごめん。コーヒー切れたみたいだから、ちょっと待ってて」

 そそくさと、すぐ隣にある備蓄テントへと向かった。

 ここには消耗品や保存食、飲料水などが保管してあるけれど、全て農園に来る前にパルメザンで買ってきたものだ。

「……ううむ」

 テントの中を見た瞬間、考え込んでしまった。

「……? どうしました?」

 いきなり僕が難しい顔で悩みはじめたもんだから、ララノが不思議そうに声をかけてきた。

「あ、いや、改めて備蓄品を見たんだけど、結構減ってきてるなって」

 気のせいではなく、明らかに減ってきている。

 農園生活をはじめて一度も買い出しに出ていないので当たり前なんだけど。

 しかし、こうして見ると、やっぱりこの農園で賄えないものは多いな。

 農園に旅の商人でも立ち寄ってくれれば良いんだけど、わざわざ危険な呪われた地に来るわけがないし。

 ここまで来て貰うには、街に行って彼らと契約を結ぶ必要がある。

「……よし、予定を変更して街に行こうか」
「え? 街に? これからですか?」
「うん。物資の補充をしてから商人さんと契約したい。ほら、彼らに農園まで足を伸ばしてもらえたらと色々と助かるでしょ?」

 さらに、その商人が農作物を買い取ってくれれば最高だ。

「近くの街というと、パルメザンでしょうか」
「そうだね。行きは徒歩になるけど、付与魔法を使って俊敏力と持久力を上げれば早く着けるんじゃないかな」

 ここに来るときに高いお金を払って運び屋ギルドにお願いしたのは、運ぶ荷物があったからだ。

 向こうで買い物をするので戻ってくるときは運び屋ギルドにお願いしないといけないけど、行きは時間短縮できるはず。

 畑には定期的に「免疫力強化」の付与魔法をかけないといけないけど、土壌改良しているから一週間くらいは持つ。

 農園を離れても問題はない。

「わかりました。それではサタ様がお戻りになるまで私は畑を守っていますね」
「え? 一緒に行かないの?」
「……はい?」
「いや、だってほら畑は動物たちに任せられるし、ララノも一緒にパルメザンに行かないのかなって」
「…………」

 ララノが僕の顔を見たまま固まる。

 そして、ハッと我に返ったかと思うと、カッと顔を真っ赤に染めた。

「わっ、わ、私も一緒に行ってもいいんですか!?」
「もちろん。料理に必要なものとかあったら一緒に買っておきたいし、むしろ一緒に来て欲しいっていうか。あ、でも長旅になるし、無理に同伴してくれなくても良いけど──」
「愚問っ!」
「うわっ!?」

 獣人の脚力を活かした素早い動きで瞬時に詰め寄ってくるララノ。

 その目は獲物を狙う肉食獣のように鋭かった。

「もちろん行きます! ええ、行かせていただきますとも! まるっとララノにお任せあれっ!」
「……あ〜、えと、うん。お願いします」

 その気迫に気圧されてしまう僕。

 でも、一緒に来てくれるようで良かった。

 そうして僕たちは、農園をスタートさせてはじめての遠出をすることになったのだった。
 ララノの「任せて」という言葉に嘘偽りはなかった。

 軽く旅の準備をして出発したのだけれど、ララノが呼んでくれた巨大な狼に街の近くまで送って貰えることになったのだ。

 狼の足は驚くほど速かった。

 馬車で二日かかるパルメザンまでの道を、わずか数時間で完走した。

 とはいえ、お世辞にも快適とは言いづらかったけど。

 道中は落下したら死んでしまいそうな断崖絶壁を飛び降りたり、急勾配の斜面を滑り降りたり。はっきり言って、生きた心地がしなかった。

 ララノには申し訳ないけど、できれば次回はご遠慮させていただきたい。

 というわけで予想より早く到着したパルメザンの街は、相変わらず程よい賑わいを見せていた。

 いや、以前よりも通りを走る荷馬車の数が多いかもしれない。

 そういえば「領主様が周辺地域から農作物をかき集めている」みたいな話をサクネさんがしていたっけ。

 その影響で商人たちが集まっているのかもしれないな。

「……サクネさん、元気にしてるかな」

 彼の荷馬車をぬかるみから救出したのは数週間前だけれど、もう何年も前のことのように思えてしまう。

 それほど農園生活が充実してるってことなのかな。

 もし街にサクネさんがいたら、ララノと三人でご飯にでも行こうか。

 そう考えながらふとララノを見たら、警戒するような目で周囲をキョロキョロと見ていた。

「ララノ?」
「……っ!」

 声をかけると、彼女はビクッと身をすくませた。

「大丈夫?」
「あっ、いえ、大丈夫……ですけど、ちょっと人間の方たちが」
「人間……? あっ」

 言われて気づく。

 そうだ。ララノたち獣人は、人間から忌み嫌われている種族だった。 

 大きな街に行けば獣人の奴隷を売っている奴隷商は必ずいるし、「劣等種」だと理由もなく迫害を受けている獣人も少なくない。

 もしララノに何かあったら、僕が守ってやらないとな。

「もし変なヤツが絡んできても僕が追い返すから」
「え?」
「獣人だからってララノは後ろめたさを感じる必要はないよ」
「……え、あっ、それは、ええっと」

 どうしたんだろう。

 ララノは顔を赤くしてうつむいてしまった。

「ご、ごめんなさい。そういうのではなくて、こんなに多くの人間の方たちを見るのは久しぶりなので、単純に驚いてしまっただけというか……」
「…………」

 しばし僕たちの間に気まずい沈黙が流れる。

 というか、周りをよく見たらチラホラと獣人がいるじゃないか。

 もしかしてホエール地方には獣人が多いのかな?

「あ、あはは。ごめんね。完全に僕のはやとちりでした」
「いえ、謝ることでは……むしろ、お気遣いありがとうございます」

 恥ずかしそうにうつむいたままのララノだったが、彼女の尻尾は嬉しそうに揺れていた。 

「パルメザンには何度か来ているのですが、最近はサタ様以外の人間の方とお会いしていなかったので、何だかドキドキしてしまいます」
「あ、わかる。久しぶりに人に会うとソワソワしちゃうよね」
「もしかして、サタ様も?」
「うん。実はそうなんだよね。だって僕もララノ以外と会ってないし」
「ふふ。じゃあ一緒に慣れていかないとですね」

 クスクスと肩を震わせるララノ。

 なんだかニートの社会復帰訓練みたいだな。

 まぁ、農園に来る前は院に引きこもって研究していたわけだし、ある意味ニートみたいなものだから間違いじゃないけど。

「とりあえずリハビリも兼ねてお店を回りましょうか。買った物は運び屋ギルドさんにお願いして農園まで運んでもらうんですよね?」
「うん。そうしようと思ってるんだけど、買い出しして帰るだけじゃ、なんだか寂しい気もするしな……」

 とそこで僕の脳裏にふととあることが浮かぶ。

「あ、そうだ。用事が済んだらおいしいものでも食べて帰らない?」
「あっ! 良いですね!」

 ララノの表情が、パッと明るくなった。

「お話したトマトペーストのパスタ、食べに行きます?」
「それもいいね。ララノはお酒を飲めたりする?」
「はい。バッチリいけます」
「じゃあ、買い物が終わったらパスタを食べてから居酒屋に行こう。聞いたところによると、パルメザンには貴重なホエールワインが飲める店があるらしいんだ」
「ホエールワインが飲めるんですか!? すごい! それは楽しみです!」

 ララノが嬉しそうにパチパチと拍手する。

 サクネさんに教えてもらっただけで、まだ行ったことがないんだけどね。

 でも、サクネさんに色々とお店を教えてもらっておいてよかった。

 ララノの好きなお酒の話題で盛り上がりながら、僕たちは街の「種苗ギルド」へ向かうことにした。

 「種苗ギルド」は大きな農園に肥料や種子、苗、資材などを卸しているお店なんだけれど、小ロットで店頭販売もしている。

 ちなみに現代日本では農家は「種屋」といわれている農業に関するもの全般を売っているお店から買っているらしい。アルミターナでその種屋の役割を担っているのが種苗ギルドというわけだ。
「いらっしゃい」

 ギルドの小さなドアを開けると、丸メガネをかけた人の良さそうなおばさんが声をかけてきた。

 おばさんはカウンターで台帳のようなものを見ていたけれど、ふと僕の顔を見て驚いたような顔をした。

「……おや? 先日の魔術師様じゃないですか」
「こんにちは。また買い付けに伺わせていただきました」
「ありがとうございます。お客様はいつでも大歓迎ですよ」

 おばさんが目尻に深いシワを作る。

 この種苗ギルドに来るのは二度目だ。

 前回来たとき、「ホエール地方で農園を開くので、種子と肥料がほしい」ってお願いしたら盛大に驚かれたっけ。

「魔術師様の農園は順調ですか?」
「ええ、お陰様で」
「本当ですか!? こりゃ驚いた。大海瘴でほとんどの農園がダメになったっていうのに、一からスタートさせてうまくいくなんて、流石は王都出身の学者先生ですね」
「いやいや、農園が順調なのは彼女の協力があってこそですから」
「……彼女?」

 おばさんがメガネをクイッと上げて、僕の後ろにいるララノを見た。

「おやおや、早速お嫁さんをこしらえたんですか?」
「あ、いや、彼女は──」
「ちょ、ちょっとおばさま!」

 ララノが僕の言葉を遮り、身を乗り出してくる。

「わ、わたた、私はサタ様のお手伝いというか、助手というか……ええと、使用人みたいなものですから! 私がお嫁さんだなんて、サタ様に失礼ですよ!」
「…………」

 唖然としてしまった。

 確かに違うんだけど、そんなに全力で否定しなくてもいいのに。

「なるほど、そうでしたか」

 だけど、おばさんはララノに凄い剣幕で詰め寄られたにもかかわらず、優しげな雰囲気を崩さずに続ける。

「それにしても可愛らしい方ですね?」
「かっ、かわ、可愛い!?」

 ピョコンとララノの耳が反応する。

「お、お、おばさま、わ、私、じゅじゅ、獣人ですよ!?」
「……? ええ、見ればわかりますけれど?」

 おばさんはニコニコ顔で続ける。

「可愛い獣人さんじゃないですか。実は私の息子も獣人の子と結婚しましてね。ホエール地方を離れているので、あまり会えないのが残念なんですけど」
「あ……え……?」

 目をパチクリと瞬かせるララノ。

 まさかの反応に、大混乱に陥っているようだ。

 かくいう僕も驚いている。

 大通りを普通に獣人が歩いていたからもしかしてと思ったんだけど、パルメザンには獣人に理解のある人が多いのかもしれない。

「ああ、すみません。話がそれてしまいましたね。それで魔術師様、今回はどんなご用件で?」
「ああ、ええっと……今回も種子と肥料を買いたいのですが」
「承知しました。今の時期だと秋野菜の種子と苗ですね。少々お待ち下さいね」

 おばさんはそう言ってカウンターの奥へと消えていく。

「……良かったね、ララノ」

 そっと話しかけると、ララノは驚いたように尻尾を尖らせた。

「べっ、べ、別に私は可愛いなんて言われても嬉しくなんてありませんから。そりゃあサタ様に言われたら、少しくらいは嬉しくて──」
「あ、いや。ごめん。そっちじゃなくて、獣人への理解があってよかったねって意味。他の地域と違って、ここの人たちは獣人といい関係を続けてそうじゃない?」

 ララノの驚いた反応を見る限り、彼女も知らなかったのかもしれない。

 街に来るのも久しぶりと言っていたし、人間社会から離れていたら気づかないよね。

 でも、これはララノにとっても嬉しい誤算だろう。

 ──と、思ったんだけれど。

「……ん?」

 なぜかララノは今にも泣き出しそうだった。

 え。なんでそんな顔?

「ど、どうしたの?」
「…………なんでもありませんっ!」

 ララノはプゥと頬をふくらませ、プイとそっぽを向いてしまった。

 予想外すぎる反応に、思考が停止してしまった。

 なんで怒ってるんだ?

 もしかして何か地雷を踏んでしまった?

 でも、そんな発言は何もしてないし。

 などとひとりで困惑していると、店の奥からおばさんが麻袋に入った種と肥料一式を持ってきてくれた。

 ニンジン、カブ、ダイコン、サトイモ。それにナスとトウモロコシ、レタス。

 ざっと見る限り、夏野菜の種だ。

 まもなく夏本番だし、夏野菜の作付けをする時期か。

「あの、春野菜の種ってまだあります?」

 そう尋ねるとおばさんは不思議そうに首を傾げた。

「ありますけど、もう時期は過ぎてますよ?」
「大丈夫です。もしあるなら、そちらも下さい」

 付与魔法で成長促進と生命力強化してあげれば、まだまだ春野菜も育つのだ。

 もしかすると、夏に入っても春野菜が作れるかもしれないな。

 春野菜の種を取っておいて、夏になったら試してみようかな。季節外れの野菜ができれば、買ってくれる商人が名乗り出てくれそうだし。

「商人? ……あ、そうだ」

 おばさんに会計をしてもらっていたとき、商人と契約する件を思い出した。

「すみません、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」
「はい、なんでしょう?」
「ウチの農園と取り引きしてくれそうな商人さんを探しているんですけど、この街に商人組合ってありますかね?」
「取り引き?」
「はい。実は結構な量の作物が育っていまして、余剰分を買い取ってもらおうかと思っているんです」
「…………」

 なんだか胡乱な目で僕を見るおばさん。

「な、何か?」
「薄々感じていたのですが、魔術師様はやっぱり凄いお方だったんですねぇ」
「はい?」
「呪われた地で農園を始めるだけでも大変なのに、商人に売るほどの豊作だなんて普通じゃあり得ませんよ? どんな魔法を使ってるんです?」
「あ〜、いやまぁ……あはは」

 どう説明しようか悩んで愛想笑いを返した。

 付与魔法で作物を成長促進させてバリバリ収穫してます……なんて説明したところで信じてくれないだろうし。

 まぁ、騒ぎになっても嫌だから秘密にしておこうかな。

 おばさんは少々呆れ顔で話を続ける。

「商人と契約したいんでしたら、今は組合じゃなくてリンギス商会に行くといいですよ」
「リンギス商会?」

 って確かこの街で一番大きい商会だったよね。

 リンギス商会はホエール地方の農作物、特に「ホエールワイン」の原料になるブドウを扱っている商会だ。

 商人と交渉する場合は商人の相互扶助組織「商業組合」に行って組合長から紹介してもらうというのが普通なんだけど、なんで商会なんだろう。

「ほら、大海瘴の影響で領主様が周辺地域から農作物をかき集めてるって話があったでしょう? その商談をリンギス商会でやっているんですよ。なんでも見習い商人まで引っ張り出されているとか」

 そういうことか。

 でも、見習い商人まで駆り出されるって結構大変な状況なんだな。

 僕なんかと契約してくれる商人は見つかるだろうか。

 まぁ、何にしてもリンギス商会に行ってみるか。

「ありがとうございます。リンギス商会に行ってみます」
「商会に行かれるなら、肥料は取り置きしとけば大丈夫ですかね?」
「はい。後で運び屋ギルドにお願いして回収してもらいます」
「わかりました。それじゃあ、また後で。毎度ありがとうございます。可愛らしい奥さんも、またいらしてくださいね」
「……っ!? だからおばさまっ! 私はそういうんじゃないんですってばっ!」 

 爆発するかと思うくらいに顔を真赤にするララノ。

 そうして僕たちは種苗ギルドを後にして、商人が集まっているというリンギス商会へと向かった。
 種苗ギルドを後にして大通りを歩いていると、麦と硬貨の紋章が入った旗が掲げられている館が見えた。

 街でもひときわ目立つ、レンガ造りの立派な建物。

 これがリンギス商会の商館だ。

 リンギス商会の本拠地は王都にあって、パルメザンにあるのはただの「支部」なのだけど、支部でこの見た目なのだから規模の大きさが伺い知れる。

 とはいえ、リンギス商会は王国でも中堅どころの商会で、さらに大きな商会がごろごろといるらしい。

 商会に入るのは始めてだというララノと一緒に、緊張の面持ちで衛兵に守られている商館の扉を開く。

「……すごい」

 思わず声が出てしまった。

 商館の中はまるで戦場かと思うほどにごった返していた。

 館の中央に円形のカウンターがあるのだけれど、すべて商人っぽい人たちが長蛇の列を作り、カウンターの周りにあるテーブルも人で埋め尽くされている。

 さらに、あちらこちらで怒号が飛んでいるので本当に戦場にいるみたいだ。

 領主の命令で周辺地域から作物をかき集めているとは聞いていたけど、そうとう大変な状況なのかもしれないな。

「サ、サタ様」

 不安げなララノの声。

「はじめて商会に来たんですけれど、こんなにおっかない場所だったんですね」
「あ〜いや、今が特別なんだと思うよ。普段はもっと静かな場所……だと思う」

 僕も商会にお世話になったことはないから想像だけど。

 商会を利用するのは大ロットでの商売が基本の商人だけなのだ。

 とりあえずカウンターにいる職員に話をしてみようと列に並ぼうとしたとき、近くのテーブルから素っ頓狂な声があがった。

「……えええっ!? 今季のブドウ、無いんですか!?」

 子供みたいな声。

 なんでこんな場所に子供がいるんだろう。

 聞き間違いかなと思って声がしたテーブルを見ると、商館の職員らしき男性と話をしている少女が目に止まった。

 体よりも大きなリュックを背負った栗色のおさげの女の子。

 目がくりっとしていておでこが広く可愛らしい。

 見た目は八歳くらいだけど、子供ではないことがなんとなく雰囲気で解った。

 多分、彼女は|小人族(ハーフレッグ)。

 見た目は人間にそっくりだけど、ララノとおなじ「亜人種」だ。

 ハーフレッグは獣人と違って人間世界に深く関わっている。

 身体能力は劣るが頭の回転が早く、商売の世界で成功している者が多いのだ。

 あと、大人でも見た目が子供なので可愛い。

 可愛いは正義。

 それはアルミターナでも同じだ。

「チョ、チョット待ってくださいよっ! ブドウの買い付けが出来なかったら、ボク……首チョンパですよっ!?」

 ハーフレッグの少女が自分で首を締めるポーズを取る。

 可愛い仕草だけど顔が青ざめているので全然微笑ましくない。

「なななな、な、なんとかなりませんか!? お願いします! 後生ですからっ! 堪忍してっ!」
「そう言われても見ての通り、今年はどこも大海瘴の影響で壊滅的な被害を受けてるんだよ。ブドウだけじゃなくて他の作物も入ってきてないんだ。悪いけどあんたのところに回す在庫は無い」
「い、いつもの半分っ!」
「え?」
「半分の量で良いんで、なんとかっ!」
「か、顔が近いよ」

 職員に掴みかかる勢いで身を乗り出してきた少女だったが、グイと頭を押さえられて強制的に座らせられた。

 職員はしばし考えた後、重い溜息をついた。

「……わかったよ。あんたには色々とお世話になっているし、何とかかき集めてみる」
「ほ、本当ですか!?」
「ただ、集められて一割程度の量。値段は五、六倍は覚悟しといてね?」
「いち、ごぉお!? ……う、ぐぇ」

 小人族の少女がパタッと後ろ向きに倒れる。

 ゴツンと鈍い音が響くと同時に、ララノと僕が駆け出した。

「だっ、だだだ、大丈夫ですか?」
「…………大丈夫くない」

 ララノに抱き起こされた少女は死にかけた虚ろな目をしていた。

 打ちどころが悪かった、というわけじゃなさそうなのでひとまず安心だけど。

「あ〜、ごめん」

 と、少女と商談をしていた職員が席を立つ。

「悪いけど地方から来てる商人さんを待たせてるから、俺はこれで」
「ああっ、チョット待って! 置いていかないで! ボクを捨てないで!」

 まるで男に捨てられたみたいなセリフを吐く少女。

「ああああうううう」

 そして彼女は、そのまま地面にうなだれてしまった。

「どうしよう……ブドウが無かったら王都に戻れないよぉぉ……」
「王都?」

 なるほど。

 これまでの話から推測するに、この子は王都の商会に卸すブドウの買い付けにパルメザンに来た感じか。

 ホエールワインは貴族も嗜む一級品なので、リンギス商会だけじゃなくもっと大きな商会が絡んでいる事が多い。

 もし買い付けに失敗したら多大な被害が出ることになる。

 首チョンパだなんて言ってたけど、絡んでいるのが貴族なだけにリアルに首を斬られちゃうこともあり得る。

 しかし、と悲痛のあまり頭をゴチゴチと地面に叩きつけ始め、ララノから「気を確かに!」と止められている少女を見て思う。

 ブドウの不作が瘴気のせいというのなら、僕の付与魔法でなんとかできるかもしれないな。

 状況を見ないとはっきりわからないけど、ブドウの木に免疫力強化と俊敏力強化をかければ早く実をつけるだろうし。

 僕はそっと少女に声をかける。

「あの、すみません」
「はい。本当にただではすまない状況です」
「…………」

 少女が視点が定まってない目で僕を見る。

 あ〜、そうとうヤバいなこれ。

「ええっと、もしかするとあなたのお力になれるかもしれません」
「…………ええっ!?」

 突然、少女がババッと立ち上がる。

 ちょっとビックリした。

「あなた、もしかしてボクが必要としている数トンのホエールブドウを、今すぐ安価で用意できると言いましたか!?」
「いや、そこまでは言ってないです」

 やっぱり助けるのやめようかな。

 ちゃっかり「安価で」とか言ってるし。

 ハーフレッグはこういうところ、しっかりしてるからな。

「僕はこの近くで農園をやっている者なんですけど、瘴気に強い作物を育てる方法を知ってまして」
「え? 瘴気に強い作物?」
「はい。その方法を使えばブドウの収穫が出来るようになるかも」
「ほ、本当ですか!?」

 目を輝かせる少女だったが、すぐに胡散臭いものを見るような目に変わる。

「……いやいや、絶対ウソでしょそれ。だって『瘴気に強い作物』なんて、聞いたことないですもん。あなた、ボクの見た目が可愛いからって騙そうとしてないですか?」
「…………」

 自分で可愛いとか言わないでほしい。

 いや、実際に可愛いんだけど。

「それが本当なんですよ!」
「のわっ!?」

 ララノが少女の両肩を掴んでグイッと引き寄せる。

「私も話を聞いたときは冗談だと思っていたんですけど、サタ様は本当に呪われた地で農作物を育てていらっしゃいます!」
「…………ホントに?」

 少女は値踏みするように、ララノ顔をじっと見る。

「ん〜……その頬の模様を見る限り、お姉さんって獣人さんですよね?」
「……え? ええ、そうですけど?」
「獣人さんはウソつかない」
「はい?」
「あ、これ、ボクが世界各地を周ってる中でわかった獣人さんたちの特徴なんです。どうです? 当たってるでしょ?」
「あ〜、え〜……どう、ですかね? 当たってるのかな?」

 あはは、と引きつった笑顔を浮かべるララノ。 

 そんな話、聞いたことないな。

 それに、ララノの反応を見る限り完全に気のせいなのだろう。

 まぁ、悪く言われるよりはマシだろうけど。

 少女はしばし思案して、納得するように頷いた。

「……うん。うん。ウソつかない獣人さんがそういうのなら、本当なのかもしれませんね」

 そして少女は僕の前へとやってくる。

「ええと……サタさん、でしたよね?」
「は、はい」
「ありがとうございます。ぜひ、力を貸してください! もちろん相応のお礼はさせていただきますので、そこはご安心を!」

 お礼。その言葉にピクリと反応してしまった。

 別にそういう見返りを求めて助けようとしたわけじゃないけれど、商人のお礼という言葉に期待せずにはいられない。

 それに、これを機に彼女と契約できたら万々歳だし。

「それじゃあ行きましょうか。そのブドウ園に案内して下さい」
 パルメザンから乗合馬車に乗って|件(くだん)のブドウ園に向かう最中、ハーフレッグの少女に事情やら何やらを色々と聞いてみた。

 彼女はプッチという名前で、個人で商売をしているフリーの商人らしい。

 なんでもホエール地方のブドウや、北方地方のテンの皮など上流階級に人気がある商品を仕入れて王都の商会に卸しているのだとか。

 それを聞いて驚いてしまった。

 普通、大きな商会はリスクを避けてフリーの商人とは取り引きしないのだ。大抵はどこかの組合に所属している商人しか相手にしない。

 なのに定期的に取り引きをしているということは、プッチさんが相当のやり手で各地に強固な繋がりを持っているということなのだろう。

 それにしても、ここから一ヶ月はかかる北方地域と王都を行き来しているなんてパワフルだなぁ。その小さい体のどこにそんな体力があるんだろう。

「いやぁ、ボクなんかが商人続けられているのは加護のおかげですよ」
「加護? どんな加護をお持ちなんです?」

 馬車の中、僕の隣に座っているララノが興味津々に尋ねる。

「えっへっへ〜、よくぞ聞いてくれましたね、ララノさん。ボクの加護はこれです! じゃじゃ〜ん!」

 プッチさんが背負っていたリュックの口を開く。

 どう説明すればいいか悩んでしまったけれど、リュックの中にはテンの皮がぎっしりと詰まった樽が四つほど入っていた。

 小さい樽が入っているというわけではなく、普通サイズの樽を上から見ている感じ。なんだろうこれ。どういう仕組みになってるんだ?

「あっ、すごい! これってもしかして『無限収納』の加護ですか!?」
「ややっ! ララノさんってば博識ですね! そうですよ、無限収納です!」

 おお、確かそれって商人垂涎ものの「一級加護」だよな。

 無限収納は「加護を持っている者が触れている収納物に無限に物が入るようになる」という優れもの。

 わかりやすく言うと、「収納物が四次元空間への入り口になる」感じだ。

 なんでも歴史に名を残している大商人のほとんどがこの無限収納の加護を持っているんだとか。

 それを考えると、プッチさんも将来は大商人になるのかもしれないな。

「ちなみにこれって、どうやって中から物を出すんですか?」

 素朴な疑問を投げかけてみた。

 だって樽の大きさからして、リュックの口からは絶対に出なさそうだし。

「出し入れは召喚魔法と同じ原理ですよ。こんな風に呪文を唱えると……『出ろ出ろ』!」

 プッチさんがリュックの口を開けて妙な言葉を発した瞬間、ビュオッと何かが飛び出してきた。

 そして、それが瞬く間に大きな樽になって──僕の体の上にのしかかってきた。

「ぐえっ!?」
「ひゃあっ!? サ、サタ様!?」 

 馬車の中に僕とララノの悲鳴が響く。

「ちょ、重……プッチさんっ!」
「あ、あはは〜、ご、ごめんなさい。手が滑って出す場所を間違えちゃった」
「わ、笑ってないで、早くどかして……」
「あ、はい、今すぐ……『入る入る』!」

 プッチさんの声とともに、樽がシュポンとリュックの中に消えた。

「だ、だだ、大丈夫ですかサタ様!?」
「う、うん。びっくりしたけど、なんとか……」

 飛び出してきたのが運良く空の樽だったから助かったけど、荷物がぎっしり詰まった樽だったら間違いなく圧死していたな。 

 危なかった。こんなことで死んじゃったら、エロ神様に笑われちゃうよ。

「……ありがとうプッチさん。無限収納は扱い方に気をつけないと大事故に繋がるということがよくわかりました」
「どういたしまして。えへへ」

 皮肉を言ったのに、照れちゃったよこの子。

 などと話していると、ゆっくりと馬車が止まった。

「長旅お疲れ様です。目的地に到着しました」

 御者が御者台からヒョイと顔を覗かせた。

 どうやら目的のブドウ農園に到着したらしい。

 何気なく窓から外を眺めてみたけれど、本当にここがブドウ園なのか訝しんでしまった。

「……本当にここが目的地ですか?」
「はい。そうですよ」

 一応、プッチさんに尋ねてみたけど、やはりここであっているらしい。

 改めて窓から景色を眺める。

 少し離れた所に、農園の主が住んでいると思わしき立派な館が見えた。

 そして、その周りに大きな倉庫がいくつか建っていて、収穫に使う荷車のようなものが置いてある。

 ここが農園なんだなとわかるものはその倉庫と荷車くらいで、あとはおびただしい数の枯れ木が生えているだけ。

 なんだろう。これほどの枯れ木が並んでいると、ディストピア感があってちょっと怖い。

 馬車から降りた僕たちは、プッチさんの案内で農園の主がいるという館に向かった。

 使用人っぽいメイドさんに要件を伝えてしばらく待っていたら、立派な館に似つかわしい貴族然とした男性が現れた。

「やぁ、どうも。久しぶりですねプッチさん」
「こんにちはラングレさん」

 男性……ラングレさんとプッチさんが握手を交わす。

 両端がピョンと尖ったカイゼル髭が良く似合うこのダンディな男性がブドウ園の主らしい。

「それで、要件は何ですか、というのは無粋ですかね?」

 そんなラングレさんが少し困った顔で続ける。

「ブドウの件でいらっしゃったんでしょうけど、残念ながら今年は壊滅的な状況でしてね。見てくださいよこの惨状」

 ラングレさんがカーテンを開ける。

 窓の外に広がっているのは、一面の枯れ木たち。

 薄々わかっていたけど、やっぱりあの枯れ木がブドウの木の成れの果てらしい。

 改めて見ると、壮絶だな。

「プッチさんも大変だと思いますけど、こっちも参っているんです。これでは家族そろって首を括るしかない」

 重い溜息をつくラングレさん。

 ラングレさん曰く、昔からホエール地方は瘴気の危機にさらされていたけれど、瘴気が薄い部分が島のように点在していて、なんとか作物を育てられたという。

 しかし、数ヶ月前に発生した大海瘴で多くの農園が壊滅的な被害を受けた。

 そのひとつがこのブドウ園だったというわけだ。

「長い間瘴気被害から免れていたのに、ここに来てどうして大海瘴が……」

 悲痛な面持ちでラングレさんが続ける。

 魔導院でも研究は続けられているけれど、瘴気が発生する原因は未だにわかってない。だから大海瘴の原因なんて皆目見当もつかないというのが実情なのだ。

「なので申し訳ありませんが今回は諦めてください。今のウチから絞ろうとしても、ワインの一滴すら出てきませんよ」
「あ、いや、ここに来たのはそういう要件ではなくてですね。実はこちらのサタさんがこのブドウ園を救うことができるかもしれないんです」
「……救う?」
「この方もホエール地方で農園をやられているんですけど、なんでも呪われた地で作物を育てる方法を知っているとか」
「またまた御冗談を」

 ラングレさんが呆れたように笑う。

「プッチさんらしくない悪質な冗談ですね。瘴気が降りた土地で作物を育てることができるなら、私のブドウ園はこんな惨状になっていないですよ」
「や、それがどうもボクたちも知らない秘密の方法があるみたいで」
「…………」

 藁にもすがる思いというやつなのだろう。

 信じられないけれどもしかして……という希望の光がラングレさんの瞳に見え隠れしている。

 これは説明するより、実際に見せたほうが早いかもしれないな。

「とりあえず試してみましょうか。農園に出てもいいですか?」
「ええ、かまいませんよ」

 僕たちは館を出て枯れ木が並んでいる農園へと向かった。