昼食が終わって、洗い物を片付けてコーヒーを飲みながらゆっくりと一息。
魔導院時代や、生前のブラック企業では考えられなかった幸せな時間だ。
仕事に追われていない生活って、やっぱり最高だなぁ。
「……あ、そうだ。ちょっとララノに聞きたいことがあるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
コーヒーを飲みながら小さく首をかしげるララノ。
「瘴気のことを教えて欲しいんだ」
そう言うと、ララノの耳がピンと立った。
「しょ、瘴気のこと!? 魔導院で研究していた学者先生のサタ様に、私みたいな素人が教示するなんて恐れ多すぎますよっ!」
「あ、いやいや、そんな大げさな話じゃなくて、話半分っていうかさ。実際に瘴気を体験してるララノの話を聞きたいんだ」
王宮魔導院で僕が所属していた「本草学研究院」の主な仕事は、魔法と植物の関係や薬草を使った錬金術の研究だ。
講義とか要人警護とか本職とかけ離れた仕事も多かったけど、そういった「研究」が主な業務だった。
そして、その研究はすべて瘴気の解明のためだったんだけど、実際に呪われた地に赴くことはなく、現地から運ばれてきた土壌を使った研究しかできなかった。
多分、「貴重な人材を危険な場所に赴かせるわけにはいかない」という上層部の考えなんだろう。
はっきり言って、バカらしいと思っていた。
現地に行かなくて、何がわかるっていうんだろう。
研究で使っていた土壌だって、どういう環境下に置かれていたのかはっきりとわからないものだったし。
一度だけ自費で傭兵を雇って呪われた地に行こうとしたことがあったけど、上司のラインハルトさんにバレてメチャクチャ怒られた。
僕の身を案じてというより、「生意気なことをするな」って感じだったけど。
まぁとにかく、ララノのような現地で瘴気を体験してきた人の話は僕にとって大変貴重なのだ。
「あの、裏付けがある話ではありませんけれど大丈夫ですか? すごくぼんやりした話というか、私が目で見てきただけなので……」
「もちろんそれで構わないよ。別に研究のためとか、そういうんじゃないから」
「そ、そういうことでしたら」
そうしてララノはコホンと小さく咳払いをして、僕と会うまで見て体験してきた瘴気のことを話してくれた。
話の大半は魔導院で調べていたことと合致する内容だった。
だけれど、体験を元にした「ララノの推察」は僕の予想を越えていた。
「数ヶ月前に大海瘴が来てわかったことなんですけれど、『瘴気を吸い込むと呪いによって体が蝕まれていく』というのは、半分ウソのような気がします」
「……半分ウソ?」
興味を惹かれる内容で、思わず身を乗り出してしまった。
「人間にとって瘴気は猛毒なのは確かです。少量でも吸い込めば命に関わってしまいます。でも、私たち獣人は瘴気を吸っても人間ほど酷くはならないんです」
なんだかリアリティがある話だ。
でも、確かにララノは川の汚染水を飲んで衰弱していたけれど、体を瘴気に蝕まれているという感じはしなかった。
あれは取り込んだ瘴気の量が少なかったからじゃなくて、耐性があったからなんだろうか。
「それって、何か理由があるの?」
「多分、私たちの中に流れてる『獣の血』だと思います」
「獣の血」
首を傾げてしまった。
獣と瘴気。一体何の関係があるのだろう。
ララノは続ける。
「動物たちって、私たちにとって致死量の高濃度な瘴気を吸っても平気なんです」
「……え? ウ、ウソでしょ?」
そんなことはあり得ない。
例え耐性があったとしても、高濃度の瘴気を吸って平気でいられるわけがない。
「本当です。大海瘴が起きたとき、集落にいた動物たちは一匹たりとも瘴気では命を落としませんでした」
「それは……いや、でも実際に見たのなら信じるしかない、か」
例えば人間が瘴気対策のマスクもせずに高濃度の瘴気の中にいたら、数秒足らずで手足の自由が利かなくなって死に至る。
瘴気を人為的に発生させることは不可能なので院で実験することはできなかったけど、人間以外の生き物も同じだというのが通説。
──だけど、ララノが実際にその光景を見たというのなら疑いようがない。
「でも、その動物たちはどこにいるの?」
動物が瘴気の中でも生きながらえることができるなら、今も普通に生きていて、そこら中にいるはず。
ひょっとしてララノの仲間たちのように瘴気が発生しなかった場所に避難しているのだろうか。
「………」
鎮痛の面持ちで、コップをギュッと握りしめるララノ。
そして、彼女はゆっくりと口を開く。
「集落が大海瘴に襲われたとき多くの獣人が命を落としたんですが、彼らの命を奪ったのは瘴気じゃなく、集落にいた動物たちなんです」
「……え?」
「集落の獣人たちは、瘴気を吸って凶暴化した動物たちに襲われたんです」
凶暴化。
その言葉に妙な引っかかりを覚えた。
瘴気を吸った人間は、体を蝕まれて命を落とすことになる。
だけど、耐性を持っている動物たちが失うのは「命」ではなく「理性」ということなのだろうか。
瘴気によって理性を失った動物たちは攻撃的になり、降りた瘴気とともに見境なく人々を襲い、街や村を破壊し尽くす。
それって、もしかして──。
「……瘴気を吸った動物がモンスターになるってこと?」
「だと思います。もちろん証拠があるわけじゃありませんが、私たち獣人のような『亜人』も瘴気を溜め込むと同じ道を辿るのかもしれません」
直接瘴気を吸い込む。
瘴気に犯されたエサを食べる。
瘴気が溶けた汚染水を飲む。
そうやって体内に瘴気を蓄積した動物や亜人が凶暴化してモンスターになる。
推察の域は越えられないけど、ありえない話じゃない。
なにせ瘴気だけじゃなくモンスターの存在も解明されていない部分が多いのだ。
突然瘴気とともに現れ、人々を襲っていたモンスターたち。
彼らは瘴気と共に現れていたんじゃなく、瘴気によってモンスターにさせられていたとしたなら、色々と辻褄が合う。
しかし、これが事実だとすると瘴気対策に革命が起きるかもしれない。
こんな重要な情報が瘴気対策の先鋒たる王宮魔導院にもたらされていなかったのは、この世界の情報伝達力が低いからだろうか。
……いや、きっと職員が現地に行くことを院の上層部が却下していたからだ。
しかし、院を辞めてからこんな情報がもたらされるなんて皮肉な話だな。
ララノの話が事実だとすると、モンスターの体内に溜まった瘴気を浄化してあげれば、モンスターを無力化させることができるかもしれない。
どうやればそんなことができるのか解らないけれど。
魔導院時代や、生前のブラック企業では考えられなかった幸せな時間だ。
仕事に追われていない生活って、やっぱり最高だなぁ。
「……あ、そうだ。ちょっとララノに聞きたいことがあるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
コーヒーを飲みながら小さく首をかしげるララノ。
「瘴気のことを教えて欲しいんだ」
そう言うと、ララノの耳がピンと立った。
「しょ、瘴気のこと!? 魔導院で研究していた学者先生のサタ様に、私みたいな素人が教示するなんて恐れ多すぎますよっ!」
「あ、いやいや、そんな大げさな話じゃなくて、話半分っていうかさ。実際に瘴気を体験してるララノの話を聞きたいんだ」
王宮魔導院で僕が所属していた「本草学研究院」の主な仕事は、魔法と植物の関係や薬草を使った錬金術の研究だ。
講義とか要人警護とか本職とかけ離れた仕事も多かったけど、そういった「研究」が主な業務だった。
そして、その研究はすべて瘴気の解明のためだったんだけど、実際に呪われた地に赴くことはなく、現地から運ばれてきた土壌を使った研究しかできなかった。
多分、「貴重な人材を危険な場所に赴かせるわけにはいかない」という上層部の考えなんだろう。
はっきり言って、バカらしいと思っていた。
現地に行かなくて、何がわかるっていうんだろう。
研究で使っていた土壌だって、どういう環境下に置かれていたのかはっきりとわからないものだったし。
一度だけ自費で傭兵を雇って呪われた地に行こうとしたことがあったけど、上司のラインハルトさんにバレてメチャクチャ怒られた。
僕の身を案じてというより、「生意気なことをするな」って感じだったけど。
まぁとにかく、ララノのような現地で瘴気を体験してきた人の話は僕にとって大変貴重なのだ。
「あの、裏付けがある話ではありませんけれど大丈夫ですか? すごくぼんやりした話というか、私が目で見てきただけなので……」
「もちろんそれで構わないよ。別に研究のためとか、そういうんじゃないから」
「そ、そういうことでしたら」
そうしてララノはコホンと小さく咳払いをして、僕と会うまで見て体験してきた瘴気のことを話してくれた。
話の大半は魔導院で調べていたことと合致する内容だった。
だけれど、体験を元にした「ララノの推察」は僕の予想を越えていた。
「数ヶ月前に大海瘴が来てわかったことなんですけれど、『瘴気を吸い込むと呪いによって体が蝕まれていく』というのは、半分ウソのような気がします」
「……半分ウソ?」
興味を惹かれる内容で、思わず身を乗り出してしまった。
「人間にとって瘴気は猛毒なのは確かです。少量でも吸い込めば命に関わってしまいます。でも、私たち獣人は瘴気を吸っても人間ほど酷くはならないんです」
なんだかリアリティがある話だ。
でも、確かにララノは川の汚染水を飲んで衰弱していたけれど、体を瘴気に蝕まれているという感じはしなかった。
あれは取り込んだ瘴気の量が少なかったからじゃなくて、耐性があったからなんだろうか。
「それって、何か理由があるの?」
「多分、私たちの中に流れてる『獣の血』だと思います」
「獣の血」
首を傾げてしまった。
獣と瘴気。一体何の関係があるのだろう。
ララノは続ける。
「動物たちって、私たちにとって致死量の高濃度な瘴気を吸っても平気なんです」
「……え? ウ、ウソでしょ?」
そんなことはあり得ない。
例え耐性があったとしても、高濃度の瘴気を吸って平気でいられるわけがない。
「本当です。大海瘴が起きたとき、集落にいた動物たちは一匹たりとも瘴気では命を落としませんでした」
「それは……いや、でも実際に見たのなら信じるしかない、か」
例えば人間が瘴気対策のマスクもせずに高濃度の瘴気の中にいたら、数秒足らずで手足の自由が利かなくなって死に至る。
瘴気を人為的に発生させることは不可能なので院で実験することはできなかったけど、人間以外の生き物も同じだというのが通説。
──だけど、ララノが実際にその光景を見たというのなら疑いようがない。
「でも、その動物たちはどこにいるの?」
動物が瘴気の中でも生きながらえることができるなら、今も普通に生きていて、そこら中にいるはず。
ひょっとしてララノの仲間たちのように瘴気が発生しなかった場所に避難しているのだろうか。
「………」
鎮痛の面持ちで、コップをギュッと握りしめるララノ。
そして、彼女はゆっくりと口を開く。
「集落が大海瘴に襲われたとき多くの獣人が命を落としたんですが、彼らの命を奪ったのは瘴気じゃなく、集落にいた動物たちなんです」
「……え?」
「集落の獣人たちは、瘴気を吸って凶暴化した動物たちに襲われたんです」
凶暴化。
その言葉に妙な引っかかりを覚えた。
瘴気を吸った人間は、体を蝕まれて命を落とすことになる。
だけど、耐性を持っている動物たちが失うのは「命」ではなく「理性」ということなのだろうか。
瘴気によって理性を失った動物たちは攻撃的になり、降りた瘴気とともに見境なく人々を襲い、街や村を破壊し尽くす。
それって、もしかして──。
「……瘴気を吸った動物がモンスターになるってこと?」
「だと思います。もちろん証拠があるわけじゃありませんが、私たち獣人のような『亜人』も瘴気を溜め込むと同じ道を辿るのかもしれません」
直接瘴気を吸い込む。
瘴気に犯されたエサを食べる。
瘴気が溶けた汚染水を飲む。
そうやって体内に瘴気を蓄積した動物や亜人が凶暴化してモンスターになる。
推察の域は越えられないけど、ありえない話じゃない。
なにせ瘴気だけじゃなくモンスターの存在も解明されていない部分が多いのだ。
突然瘴気とともに現れ、人々を襲っていたモンスターたち。
彼らは瘴気と共に現れていたんじゃなく、瘴気によってモンスターにさせられていたとしたなら、色々と辻褄が合う。
しかし、これが事実だとすると瘴気対策に革命が起きるかもしれない。
こんな重要な情報が瘴気対策の先鋒たる王宮魔導院にもたらされていなかったのは、この世界の情報伝達力が低いからだろうか。
……いや、きっと職員が現地に行くことを院の上層部が却下していたからだ。
しかし、院を辞めてからこんな情報がもたらされるなんて皮肉な話だな。
ララノの話が事実だとすると、モンスターの体内に溜まった瘴気を浄化してあげれば、モンスターを無力化させることができるかもしれない。
どうやればそんなことができるのか解らないけれど。