「ヨイショっと」
車輪の半分ほどがぬかるみに埋まっていた荷馬車を持ち上げる。
体にかけている「付与魔法」の「|筋力強化(エンチャント・アーム)」のおかげで数百キロはありそうな荷物満載の馬車が、まるで赤子くらいの重さに感じた。
先日の雨の影響か、道には大きな水たまりがいくつも出来ている。
僕はできるだけその水たまりを避けて、地面がぬかるんでいない場所までえっちらおっちらと荷馬車を担いだまま歩き、そっと下ろした。
一応、車輪の前に落ちていた倒木を使った枕木を置いて、再びぬかるみにはまらないように対策をする。
よし、ここまでやれば大丈夫だろう。
「お待たせしました。これでもう大丈夫ですよ」
「お、おお、ありがとうございます、魔導師様!」
固唾を飲んで見守っていたふくよかな商人風の男が、荷馬車の馬を連れてぱたぱたと駆け寄ってきた。
目尻が下がった優しそうな顔をしていて、ふさふさとした眉毛がその優しい印象を倍増させている気がする。
「本当に助かりました。一時はどうなることかと」
「いえいえ。困っているときはお互い様ですから」
「この道を通っているということは、魔導師様もパルメザンに?」
「ええ、そうです。急ぎではないのでのんびり歩いて向かっていたのですが、まだまだかかりそうですね」
「そうですね。ここからだと馬車で一時間はかかりますよ。どうです? 私も荷をパルメザンに卸す予定なので、よろしければご一緒に」
「本当ですか? それは助かります」
これこそ正に渡りに船だ。
道を歩いていたらぬかるみにはまっている荷馬車を見つけて、困っているようだったので助けたのだけれど、やっぱり人助けってやるもんだな。
王都を出発したのが一ヶ月前。乗り合い馬車を使って、ここ「ホエール地方」まで来たのだけれど、目的地のパルメザンの街まで歩いて向かうことにした。
これからの生活のことを考えると、無駄な出費は抑えておいたほうが良いし。
「少々狭いですが、荷台にどうぞ」
「ありがとうございます。それでは失礼します」
乗り込んだ荷台には農作物が入った樽が沢山載せられていた。
その隙間にそっと体を押し込める。体格が小柄で助かった。
「それでは出発しますね」
男が御者台に上がり、手綱を握った。
ぬかるみが少し心配になって荷台から顔を覗かせて車輪を確認したけれど、枕木がうまく絡まって荷馬車はゆっくりと動き出す。
「いや、それにしても凄い。人は見かけによらないと言いますけれど、まさか馬車を一人で持ち上げられるなんて」
「付与魔法が為せる技ですよ。僕の腕力じゃここにある樽のひとつも持ち上げられないですから」
「付与……? 聞いたことがない種類の魔法ですね?」
「だと思います。ちょっと珍しい部類なので」
本当のことを言うと、ちょっと珍しいどころじゃないんだけど。
多分、付与魔法が使えるのはこの世界で僕だけだ。
「付与魔法は自分の筋力を上げたりできる魔法なんです」
「へぇ! そんな魔法が! 馬車で国中を回っているので見聞は広いほうだと思っていましたが、いやはや世界は広いですな。魔導師様のお名前を聞いても?」
「名前ですか? ええっと、サタです」
「サタ様ですね。私は商人をやってるサクネと申します。重ね重ね、ありがとうございました。あのままだと約束の時間に間に合わなくなるところでした」
そうしてサクネさんは事情を色々と話してくれた。
どうやらこの馬車の荷は、僕が向かっているパルメザンの商会に卸す農産物を運んでいるらしい。
ホエール地方では「とある事情」で農産物の不作が続き、民があえいでいるという。それで、領主パルメ子爵の命を受けた商会が、周辺地域から農産物をかき集めているのだとか。
「それで、サタ様はパルメザンで何を?」
「あ〜、ええと……実は先日まで王都の『王宮魔導院』で働いていたんですが、離れることになりまして。それで、こっちでのんびり余生を過ごそうかなと」
「お、王宮魔導院!? って、あの魔導学やら本草学やらの学者様たちエリートが集まっているっていう!?」
「僕はエリートなんかじゃありませんけど、周りには凄い人たちがいましたね。少々性格がねじ曲がった人ばかりでしたけど」
最後の一文はボソッと小声で言った。
王宮魔導院というのはこの国を象徴する五つの院から構成されている公共機関のことだ。
魔導院には「本草学」や「魔導学」など各分野のエリートが集まっているため、学位を持っている職員も多い。
なので、王宮魔導院で働いているイコール学者だと思われるのが一般的。
まぁ、僕はこの珍しい付与魔法のおかげで入院できたみたいなもんだから、学位は持っていないんだけどね。
「こりゃ驚いた。学者先生に会うなんてはじめてですよ。なるほど、それでこっちで隠居生活ってわけですね。……あ〜、でも」
ちらりと、サクネさんが僕を見る。
「隠居するようなお歳には見えませんけど?」
「ええっと、まぁ、色々ありましてね。あはは……」
これ以上詮索されたくなかったので、愛想笑いで会話を終わらせることにした。
魔導院を辞めたというのはウソで、平たく言えば追放されてしまったのだ。
円満退職ではなく、ただの解雇。
まぁ、簡単に言えばクビだ。
まさか異世界に来て「リストラ」を経験するとは思わなかった。
この世界に生まれて二十三年、プラス前世で三十二年。リストラなんてはじめての経験だ。
僕の前職は本草学研究院の研究員だが、その前は日本の中小企業で働く中間管理職だった。
そう。僕ことサタは、転生者なのだ。
車輪の半分ほどがぬかるみに埋まっていた荷馬車を持ち上げる。
体にかけている「付与魔法」の「|筋力強化(エンチャント・アーム)」のおかげで数百キロはありそうな荷物満載の馬車が、まるで赤子くらいの重さに感じた。
先日の雨の影響か、道には大きな水たまりがいくつも出来ている。
僕はできるだけその水たまりを避けて、地面がぬかるんでいない場所までえっちらおっちらと荷馬車を担いだまま歩き、そっと下ろした。
一応、車輪の前に落ちていた倒木を使った枕木を置いて、再びぬかるみにはまらないように対策をする。
よし、ここまでやれば大丈夫だろう。
「お待たせしました。これでもう大丈夫ですよ」
「お、おお、ありがとうございます、魔導師様!」
固唾を飲んで見守っていたふくよかな商人風の男が、荷馬車の馬を連れてぱたぱたと駆け寄ってきた。
目尻が下がった優しそうな顔をしていて、ふさふさとした眉毛がその優しい印象を倍増させている気がする。
「本当に助かりました。一時はどうなることかと」
「いえいえ。困っているときはお互い様ですから」
「この道を通っているということは、魔導師様もパルメザンに?」
「ええ、そうです。急ぎではないのでのんびり歩いて向かっていたのですが、まだまだかかりそうですね」
「そうですね。ここからだと馬車で一時間はかかりますよ。どうです? 私も荷をパルメザンに卸す予定なので、よろしければご一緒に」
「本当ですか? それは助かります」
これこそ正に渡りに船だ。
道を歩いていたらぬかるみにはまっている荷馬車を見つけて、困っているようだったので助けたのだけれど、やっぱり人助けってやるもんだな。
王都を出発したのが一ヶ月前。乗り合い馬車を使って、ここ「ホエール地方」まで来たのだけれど、目的地のパルメザンの街まで歩いて向かうことにした。
これからの生活のことを考えると、無駄な出費は抑えておいたほうが良いし。
「少々狭いですが、荷台にどうぞ」
「ありがとうございます。それでは失礼します」
乗り込んだ荷台には農作物が入った樽が沢山載せられていた。
その隙間にそっと体を押し込める。体格が小柄で助かった。
「それでは出発しますね」
男が御者台に上がり、手綱を握った。
ぬかるみが少し心配になって荷台から顔を覗かせて車輪を確認したけれど、枕木がうまく絡まって荷馬車はゆっくりと動き出す。
「いや、それにしても凄い。人は見かけによらないと言いますけれど、まさか馬車を一人で持ち上げられるなんて」
「付与魔法が為せる技ですよ。僕の腕力じゃここにある樽のひとつも持ち上げられないですから」
「付与……? 聞いたことがない種類の魔法ですね?」
「だと思います。ちょっと珍しい部類なので」
本当のことを言うと、ちょっと珍しいどころじゃないんだけど。
多分、付与魔法が使えるのはこの世界で僕だけだ。
「付与魔法は自分の筋力を上げたりできる魔法なんです」
「へぇ! そんな魔法が! 馬車で国中を回っているので見聞は広いほうだと思っていましたが、いやはや世界は広いですな。魔導師様のお名前を聞いても?」
「名前ですか? ええっと、サタです」
「サタ様ですね。私は商人をやってるサクネと申します。重ね重ね、ありがとうございました。あのままだと約束の時間に間に合わなくなるところでした」
そうしてサクネさんは事情を色々と話してくれた。
どうやらこの馬車の荷は、僕が向かっているパルメザンの商会に卸す農産物を運んでいるらしい。
ホエール地方では「とある事情」で農産物の不作が続き、民があえいでいるという。それで、領主パルメ子爵の命を受けた商会が、周辺地域から農産物をかき集めているのだとか。
「それで、サタ様はパルメザンで何を?」
「あ〜、ええと……実は先日まで王都の『王宮魔導院』で働いていたんですが、離れることになりまして。それで、こっちでのんびり余生を過ごそうかなと」
「お、王宮魔導院!? って、あの魔導学やら本草学やらの学者様たちエリートが集まっているっていう!?」
「僕はエリートなんかじゃありませんけど、周りには凄い人たちがいましたね。少々性格がねじ曲がった人ばかりでしたけど」
最後の一文はボソッと小声で言った。
王宮魔導院というのはこの国を象徴する五つの院から構成されている公共機関のことだ。
魔導院には「本草学」や「魔導学」など各分野のエリートが集まっているため、学位を持っている職員も多い。
なので、王宮魔導院で働いているイコール学者だと思われるのが一般的。
まぁ、僕はこの珍しい付与魔法のおかげで入院できたみたいなもんだから、学位は持っていないんだけどね。
「こりゃ驚いた。学者先生に会うなんてはじめてですよ。なるほど、それでこっちで隠居生活ってわけですね。……あ〜、でも」
ちらりと、サクネさんが僕を見る。
「隠居するようなお歳には見えませんけど?」
「ええっと、まぁ、色々ありましてね。あはは……」
これ以上詮索されたくなかったので、愛想笑いで会話を終わらせることにした。
魔導院を辞めたというのはウソで、平たく言えば追放されてしまったのだ。
円満退職ではなく、ただの解雇。
まぁ、簡単に言えばクビだ。
まさか異世界に来て「リストラ」を経験するとは思わなかった。
この世界に生まれて二十三年、プラス前世で三十二年。リストラなんてはじめての経験だ。
僕の前職は本草学研究院の研究員だが、その前は日本の中小企業で働く中間管理職だった。
そう。僕ことサタは、転生者なのだ。