今更退学しろとは言われなかった。ただ、金は一円も出さないと言われた。
 月曜日、共に登校しながら美沙子の言葉を教えると、凛は電車の中で俯いた。
 先日の日曜日に、佐々木勝也は逃亡中の隣県で発見された。捨て損ねたのか、彼は血の付いた凶器を所持したままだった。侵入した家で偶然手にした裁ち鋏。それで刺される感触を想像して、ニュースを目にした翔太は怖気だったものだ。
「学校、どうするの」隣の席で彼女は言う。その目には不安と心配がこんこんと溢れている。
「……正直言うと、辞めたくはない」
 あれだけ一所懸命勉強して、ようやく合格して入学した高校なのだ。やっと授業内容やリズムも掴めてきたのに、退学するのは嫌だった。
「バイト、するしかないな」
 凛は彼の言葉に何か返事をしようとして、口を閉ざした。心配の台詞を言おうとしたに違いない。ただでさえ遠い道のりを自転車で通っているのだ、彼の体力や精神力がもつのかが不安なのだ。
 だが、彼女は彼の台詞を否定することはできなかった。いくら義父が裕福でも、他人である翔太の授業料を払わせるわけにはいかない。そんな力は彼女にはない。
「暗い顔するなよ」翔太は項垂れる凛に出来るだけ軽い口調で言った。「大丈夫だから、俺は。最初はバイトして通おうと思ってたんだ。それが現実になっただけだよ」
 こくりと頷いた彼女は、辛そうに顔を上げた。
「私に出来ることがあったら、何でも言ってね。遠慮したら嫌だよ」
「わかった。ありがとう」
 礼を言うと、やっと凛は笑った。

 即日、翔太はアルバイト先を探し始めたが、恐れていたことはすぐに起こった。
 勝也が家に出入りしていたことは団地中の人が知っていた。深夜に騒ぐ迷惑行為を繰り返していたのだ、住民たちの鬱憤が溜まっていたのは仕方ないだろう。それだけでなく、狭く団結力の強い若葉町では、団地外の人間にもその噂はあっという間に広まった。
 後ろ指をさされるのは、辛い。だが目下の問題は、そのせいでアルバイトを断られることだった。
 面接を無事に終えてかかってくる電話は、いずれも不採用を知らせるものだった。いつから来られるかと既に採用前提の話をした店でさえ、翌日にやはり無理だと断るのだ。どこかで噂を耳にしたのだろう。青南高校の学生なら安心だと笑っていた人の声で、犯罪者の身内など信用できないと苦言を呈す。
「うちに来ていただけです。身内なんかじゃない」
 翔太がそんな台詞で食い下がっても、伯母の元婚約者という事実を突きつけられれば、何も言えない。騙されるところだったという捨て台詞と共に電話を切られた時には、床に座り込んでしまった。勝也はとんでもない置き土産を残していった。
 ゴールデンウィークが明け、既に不採用の電話を四回受け取っていた翔太は、昼休みに凛と学校の図書室に赴いた。駅で貰ったアルバイト情報誌をそれぞれめくる。
「高校生でも出来るのって、あまりないんだね」
「うん。でも、新聞配達とかは出来ないからなあ」
「危ないもんね」
 普段は右目が見えないことなど忘れている翔太だったが、この時ばかりは悔しくなる。
「このコンビニ、高校生でも対象だって」
「ああ、そこ面接行ったけど、断られたんだ」
「そっかあ……」
 難しいねと呟いて、凛はまるで自分のことのように真剣にページを繰る。それを見る翔太には焦りが募る。授業料が払えなければ、必然的に退学しなければならなくなる。それ以外にもノートや筆記用具といった日用品を考えれば、ある程度の金は必要だ。
 授業を受けていても、それどころではない。このままでは、もうじきこの席にはいられなくなるのだ。ため息が我慢できない。金がなければ余裕もない。ないない尽くしで嫌になる。