二学期末のテスト結果は、良好だった。
 これまで良くて九十番台だった翔太は、六十二位まで順位を上げた。担任は感心し、同じように十人抜いた凛も「いけるよ!」と喜んだ。喜んだ後に彼女は不安そうに「無理しないでね」と言った。
 実際、終業式を迎えた日の翔太の顔色は悪かった。
 暖房器具は効きの悪い小さな電気ストーブだけの部屋で深夜まで勉強し、早朝に学校に行く生活は、あまり身体に良いとは言えなかった。普段の栄養不足に寒さと睡眠不足が加わり、冬休みを迎えて三日が経つ頃、身体は立派に不調を訴えていた。
 寝ている場合じゃない。そう思っても熱は勝手に上がり、咳は止まらない。それでも寝ずに単語帳を睨んでいたのが余計に悪かったらしい。身体は悪寒に震え、文字を追うことも出来ない頭痛が襲ってきた。
 明後日には来年の日付に変わる日も、翔太は布団の中で震えていた。それでも体温は三十八度から一向に下がらない。下手をしたら三十九度まで上がる。昨日からまともにものを食べていない。
 だが、美沙子は誰かを心配し看病する人間ではなかった。少なくとも、翔太に対してはそうだった。いつ買ったのかも不明な市販の風邪薬を部屋に投げ入れると、当然のごとく勝也の元へと出かけて行った。
 腹はとっくに鳴らなくなった。咳で体力を奪われ、熱のせいで全身が筋肉痛だ。
 あまりの心細さと苦しさに、死ぬのかな、とも翔太は思った。それはあながち間違いではない気もした。三百円が浮いたなどと美沙子は喜ぶのだ。病院に行く金をくれるはずがない。このまま彼女が帰ってこなければ、もう起きるのも辛い自分は、誰にも見つけられずに弱って死ぬのかもしれない。
 身体を縮め、ぶるぶると震えながらぼんやりと目を向ける。その先で壁にかかっているのは、いつもの制服とマフラー。あれを着て、学校に行きたい。勉強して受験をして、合格して高校に行きたい。やっとそんな夢が見られたのに、こんな終わり、あんまりじゃないか。
 次第に夢うつつをさ迷いだした世界で、遠くチャイムの音がした。誰かが呼んでいる。

 熱に浮かされた身体を引きずってなんとか開けた扉の先には、悦子がいた。いつものエプロンはかけていない。右腕にトートバッグを下げている。
「何日も来んから、どうしても心配になって。凛ちゃんが、顔色が悪かったって言うやない。どうしたん、風邪? 病院は行った? あらあらあら、えらい熱やないの」
 ドアにもたれてようやく立つ翔太の額に手を当て、悦子は悲しそうな顔をした。
「行ってない……」翔太は掠れた声で返事をする。「……たぶん、風邪」
「今、翔ちゃん一人? お邪魔してもかまへんかな」
 頷くと、悦子は玄関に入ってドアを閉めた。彼女は、美沙子のことやその外出先については一切問いかけなかった。
「ご飯は? 何か食べた?」
「おととい、それ、たべた」
 キッチンのテーブルにはカップ麺の容器が放置され、中には脂が白く浮いている。数日間誰も片付けなかったシンクにまで、食べさしの容器が転がっている。他人様に見せるには、恥ずかしいほど汚れた部屋だ。
「おとといって、それからは?」
 首を横に振った。それでカップ麺のストックは切れてしまった。美沙子は自分の分しか買ってこず、翔太が部屋にこもっていれば食事について問いかけることもなかった。
「何も食べさせてもらってないん」
 トートバッグを椅子に置いて悦子が尋ねる。翔太が頷くと、眉間に皺を寄せた。
「かわいそうに。そんなん、ひどすぎるわ。こんなに翔ちゃんが弱っとんのに……。ご飯持ってきたから、それ食べなさい。台所貸してね。温めるから」
「お店は……」不安げな翔太に「ええんよ」と悦子は言う。
「今日の八時で今年の営業は、おしまい。だから、何も遠慮せんでええんよ。準備出来たら呼ぶから、それまで寝てなさい」
「だけど、今、金がなくて」
 口を手で覆い咳き込む翔太の背中を、悦子は優しくさする。
「翔ちゃん、あんたはね、そんなこと心配せんでええの。私が勝手に来て勝手に上がり込んどんやから、お金払えなんて言うわけないやない」
 ぼんやりしている内に、悦子は肩に手をやり踵を返させた。
 促されるまま部屋に戻り、翔太は布団に潜り込んでじっとしていた。なんだかひどく懐かしい気がした。ガスコンロに火がつく音、水道から水の流れる音、忙しなくキッチンを移動する足音。遠い昔、熱を出してうとうとしている時、母が料理をする音をこうして聞いていた。