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 鈴が引っ越しを手伝えと連絡してきたのは、俺が家を出てから十五年が経った頃のことだった。
 俺と鈴は高校を卒業したあと家を出たのだが、鈴は近々戻るらしい。鈴だけじゃなく、子どもも一緒だ。大学で学生結婚をした鈴は、今は離婚し一人で娘を育てている。
 荷物が増えるからということで、俺の部屋は半分物置にされるらしい。
 久々に実家のドアを開けると、早速段ボールを抱えた鈴とすれ違った。
「おー、お兄ちゃん。久しぶりぃ。元気してた?」
 懐かしいテンション。でも、前までは目元を彩っていたアイシャドウが今は影も形もなくて、育児の大変さを物語っていた。
「元気だよ。そっちは?」
「大変よ。死ぬ気で生きてた。でもいい加減限界だから帰ってきたわ。お兄ちゃんはどうなの? 今いい人いるの?」
「出た、結婚ハラスメント。俺はいいの、今の生活で十分だから」
 玄関先で話していると、噂の姪がぱたぱたと走ってきた。
「あー、なつきおじさんだ!」
 テレビ通話でばかり話していた姪が、目の前に存在している。舌足らずな言葉遣いがかわいい。
 でも、その服装を見て眉を寄せた。
心凪(ここな)、大きくなったなぁ……って、なんだそのカッコ」
 心凪は制服を着ていた。
 鈴の、中学の頃の制服だ。全然背丈が合っていない。
「テレビで制服の特集やってるの見て、心凪も着てみたいって言い出してさ。いま流行ってんだね、自分の学校と違う制服着て遊ぶやつ。私の頃もあったなー。お母さんに制服借りようとしたらもう捨てちゃってて、私は参加できなかったけど」
 その瞬間、字のきれいな、黒髪の彼女との交流を思い出した。
「お母さんの、制服を、借りて……か」
 高校一年の夏、制服のポケットからいろいろなものが出てきた。
 ハンカチ。レシート。ヘドの出るほど汚い言葉が書き殴られた、紙切れ。
 そして……スマホ。
 スマホはプライベートなものだから、じろじろと目にはしなかった。でも今思うと、壁紙には楽しそうなバーベキューの画像があって、そこに彼女によく似た顔立ちの女の子が混じっていた気がする。
 そうか。
 あのポケットは、当時の時間とつながっていたわけじゃない。
 過去や未来ともつながってたんだ。
 あの頃はきっと、つらいことばかりだったのだろうけど。
 ……今は、幸せなんだな。
 鈴たちと別れて自室に入った。
 十五年前に家を出てから何も変わっていない自分の部屋。クローゼットを開けると、今でも主人の帰りを待っていたかのように、高校の制服が俺を見つめた。
 そっと手を伸ばす。おそるおそるポケットの中に手を入れると、何かが手に触れた。
 薄水色の手紙だった。
 表面には丁寧な字で、宛名だけが書かれている。
〝片野夏樹くんへ〟
 俺への、手紙。裏面に書いてある日付は彼女が引っ越した日のもの。
 俺と最後に話した時、俺に渡そうとして、結局渡さなかったものだろう。
 なんとなく、直感した。
 これを読んだら俺はきっと後悔する。
 彼女と離れたことを。
 気持ちを伝える勇気がなかったことを。
 それでも……。
 彼女の本当の言葉を、見ずに捨てることなんてできなかった。