前回のあらすじ

朝からがっつりと朝食を摂り、旅に備える一行。
飯の話しかしてねえなこいつら。




 安定して飛行している間はそれなりに会話もできるウルウですけれど、上昇や下降で上下動が入り始めると途端にだめになります。
 窓を開けて冷たい空気に当たることで酔いをごまかして、搾りたて乙女塊大放出ということももうなくなりましたけれど、やはりこの激しい上下動の最中は、できるだけ動かないようにしてこらえるということしかできないようです。

 小食とはいえ朝から結構食べましたし、ちょっと辛そうですね。食べ過ぎたり飲み過ぎたり、またお腹が空き過ぎたりしていると酔いやすいと聞いたことがあります。私は酔ったことがないのでよくわからないんですけど。

 トルンペートは揺れには結構強くて、ウルウを撫でてあげたりと、甲斐甲斐しくお世話しています。誰かのお世話をしている時のトルンペートは本当に生き生きとしています。

 私は本当に、全然平気なんですよね。
 竜車には慣れてますし。
 まあ辺境の竜車はさすがに貴族用だけあって内装も快適ですし、使用する飛竜も気性の大人しい飼育種の、それも安定した飛行の得意な選ばれたものですから、揺れももっと少なく、静かなものですけれど。

 竜車はやがて、ぐわんぐわんと右に左に上に下に斜めにと揺れに揺れながら、どしんと音を立てて着地しました。この着地の荒っぽさも、竜車用に調教された飛竜では味わえない醍醐味ですね。結果としてウルウは死にそうになりますけれど。

 外の物音が落ち着いて、お母様が外から竜車の戸を開けてくれますと、冷たい空気が吹き込んできて、ウルウがほっとしたように息を吐きました。
 ひどい酔いも、寒気に急にさらされることで体が驚いて、すっかり忘れてしまうようでした。

 まあそれでも、お腹の中身がひっくりかえったような気持ちの悪さがすっかり消えてしまう訳ではないようで、まさしく亡霊(ファントーモ)のような顔つきのままなのですけれど。

 そんなウルウを支えながら竜車を出ると、そこは山間にぽっかりと開けた窪地のようでした。

「前に来た時、ちょうどよく着地できる場所がなかったから、キューちゃんに薙ぎ払ってもらったのよね」

 訂正、山間にぽっかりと開いた傷痕のようでした。
 溜めに溜めた咆哮(ムジャード)でも盛大にぶちかましたのか、えぐり取られたような窪地にはいまも木々は復活していないようでした。

 恐らくはかなり荒れ果てていたであろう大地は、いまはすっかりと雪に覆われて、竜車の車輪もすっかりと埋もれてしまっています。
 試しにと降りてみると、柔らかな新雪に膝のあたりまで埋まってしまいます。これは結構な積り具合です。

「……これ、どうするの?」

 雪に慣れていないウルウは、埋もれてしまった私を引き上げながら、小首を傾げます。
 確かに膝まで積もった雪を()()ながら歩くのは大変なものです。
 冷えますし、濡れますし、疲れます。
 でもご安心を、雪国にはきちんとそうした時の対処法があるのです。

 私たちは荷を開いて、雪輪(ネジシューオ)を取り出して、早速靴に取り付けました。
 これは木の枝や木材を楕円状に曲げて組んだもので、雪にかかる体重を広く分散することで、深く沈み込まないようにするというものです。堅い雪を上るために爪も付いていて、慣れれば大抵の雪道は楽に歩けるようになります。
 慣れないうちは、ちょっと歩き方を気にしながらじゃないと、雪輪(ネジシューオ)同士をぶつけてしまいますけれど。

 私たちは雪輪(ネジシューオ)をしっかりと固定して、降り積もった雪の上に降り立ちました。
 こう、雪を踏んでいると、冬だなって感じがしますね、やっぱり。
 ウルウも初めての雪に興味津々のようで、面白がるように足踏みしています。

「ちょっと歩くけど、この先に温泉が湧いてるのよ。竜車はさすがに通れないけど、行く?」

 もちろん、私たちはそのつもりでした。
 最低限の荷だけ持って、私たちはお母様の後に続いて、入り組んだ山道に挑みました。
 人の立ち入らない土地だけに道は全く獣道の有様で、伐採するものもないために木々が密集して入り組み、そのくせ木の根ででこぼことした道には滑りやすい雪が積もっているという、実に面倒この上ない道でしたが、私たちもそれなりに足腰の鍛えられた冒険屋です。
 慣れてくればそう苦労することもなく踏破できました。

 慣れるまでが大変でしたけど。

 私とトルンペートはなんだかんだ辺境で慣れていますけれど、ウルウは雪の山道は初めてですし、体が大きいのでちょっと大変そうでした。
 それでもその大変さを楽しむ余裕くらいはあるようで、遅れずについてきたのは全く大したものです。

 私たちの後を、二頭の飛竜もついてきていましたが、こちらはさすがに木々の間をきれいにすり抜ける、というのは、体の大きさからして難しいようでした。
 落ち着きのあるキューちゃんは、体が大きい割に巧みに道を選んで歩き、精々灌木を踏みつぶしたり、細い木々を押しのけて折ったりといった程度ですけれど、小柄なピーちゃんはまるで落ち着きがなく、無駄に広げてしまった翼が引っかかったり、上から落ちてきた雪にぴいぴい鳴き叫んだり、賑やかなことこの上ありません。

 こうしてみると、野生種の飛竜というものは縦にも横にも大きいように見えて、柔らかな羽毛の下は意外とほっそりと細身なようでした。ちょっときついかな、と思うような隙間も、体をよじりながら通り抜けてしまうのでした。

 やがて木々がまばらになり、足元の雪が薄くなって地面が見えてくるようになりました。なんだかほんのり暖かくなってきて、心なし硫黄のようなにおいもし始めます。
 そうしてすっかり視界が開けると、もうもうたる湯気が立ち込める広々とした泉が、そこには広がっていたのでした。
 そこらの公衆浴場よりもよほどに広く、小舟くらい浮かべていてもおかしくないくらいの広さがあり、駆け寄って湯に触れてみると、少し熱い程度で、ちょど良いくらいの湯加減です。

 これならすぐにでも浸かれるのではないかと思えるくらいに好条件の温泉でしたけれど、お母様に窘められました。

「直接入ると危ないわよ」

 どういうことかというと、どうもこの温泉を住処とする魔獣がいるそうで、迂闊に飛び込むと、その魔獣と一戦交えるようなことになるというのでした。
 お母様は返り討ちにしてやったとのことでしたけれど、何も一頭や二頭だけという話ではありませんし、気にしながら浸かっていたのでは全く落ち着かないから、一角に岩で囲んだ湯船をこさえたとのことでした。

 成程、確認しに行ってみれば、温泉の一角に、ごつごつとした岩を組んで区切られた湯船があり、野趣あふれる趣となっていました。
 なんでも、近くにあった岩を切り崩して、外側を区切り、底に平らな石を敷き、きれいに湯が出入りするように調整してと、一日仕事で組み上げたというのですからなかなかの力作です。

 というより、岩を切り崩すってどういうことなんでしょうか。
 岩って切るものでしたっけ。
 あまりに自然に言われたので流してしまいましたけれど。

 ともあれ、こんな素敵な露天風呂です。
 浸かっていかないというのはあまりにももったいない話です。
 私たちは手分けして、葉っぱやごみを取り除き、汚れた岩を磨き、心地よく入浴できるだけの準備を整えました。

 後は入浴するだけですけれど、さすがに四人全員で一緒に入る、というのは難しそうです。
 お母様が自分用に作ったものですから、そこまでの広さは無くて、入れても二人が限度と言ったところでしょう。

 私たちはすこし相談して、二人ずつに分かれて入浴することにしました。
 つまり、最初に私とお母様がお湯を頂いて、その間、ウルウとトルンペートは今晩の夕餉の食材を集めに行きます。
 そして交代して、ウルウとトルンペートが入浴している間に、私とお母様が集まった食材を調理して夕餉の支度をする、とこういう訳です。

 旅を通して仲も深まってきましたけれど、やはり、人見知りのウルウや使用人としての意識があるトルンペートがお母様と二人きりで裸の付き合いというのは厳しいでしょうし、この組み分けは仕方がありません。ええ、仕方がありません。

 ウルウとトルンペートが期待しているように言い残して去っていくのを見送って、私たちは早速温泉を楽しむことにしました。
 もこもこに着ぶくれた服を脱いでいくときはとにかく寒いのですけれど、温泉に飛び込めばそんな寒さもどこへやら、体はほっこり暖かく、顔はひんやり涼しくと、露天風呂特有の心地よさに頬も緩みます。

 これで風があって吹雪いていたらさすがにつらいのでしょうけれど、今日は雪も降らず風も吹かず、穏やかな天気でのんびりと温泉を楽しめます。

 私の白い肌がお湯に温められてほんのり赤く染まっていくのと対照的に、お母様の褐色の肌は血の色がそこまで目立ちません。
 南部の陽光あふれる気候と、陽気な人々の気性、それらに実に似合った肌色だとは思いますけれど、私とは似てないなと思うとちょっと寂しくはあります。

 瞳の色も、同じ翡翠色とは言いますけれど、お母様のそれが鮮やかな青を含むのに対して、私は少しくすみがちな気がします。

 兄のティグロなどは、髪はお父様譲りの灰金色ですけれど、肌はお母様とそっくりの柔らかな褐色で、目元などもよく似ているような気がします。

 他にも、数えてみれば似ていない点が多いように思われて、なんとなく落ち着かない気持ちで、私はお母様を眺めていました。
 もちろん、そんなことは実に下らない悩みで、似てる似ていないなんて大したことではなく、私がお母様の娘であるということは間違いのない事実なのですけれど、しかし長く離れていた時間が、私に不思議な距離感を覚えさせているのでした。

 お母様に甘えたいという気持ちは強く、実際、ハヴェノの家でも、旅の中でも、お母様に甘えているとは思います。けれど、そうした素直な甘えたい盛りの私の中に、同時に、どう触れていいのかわからない、少し気がねする、そんな緊張があるのも確かなのでした。

 もしかすると、大人になっていくにつれて、親と子のあいだには、自然とそうした距離感のようなものが生まれて、大人と大人の、互いに自立した関係性というものができていくのかもしれませんでしたけれど、あの冬に置いてけぼりにされた子供のままの私が、うまくそれに適合できないでいるのでした。

 温泉の暖かさと、冬の空気の冷たさ、それに挟まれて、ぼんやりとお母様を眺めてみましたけれど、お母様の方はまるで何も気にしたところなんてなくて、ただひたすらに飛竜乗りの疲れをお湯の中に溶かし込んでいるような、そんな暢気な顔です。

 もしかしたらこれも大人の余裕というもので、お母様の中にも、離れ離れになっていて、見ないうちにずいぶん大きく育っていた娘に対する気がねとか遠慮とかそういうものがあるのかもしれませんでしたけれど、

「リリオ、あんた少しはおっきくなったけど、胸は小さいままね」
「なんですとー!?」

 全然そういうの、ない気がしてきました。
 自然体すぎるお母様に、なんだか気が抜けるような気もします。

 あんまり建設的でないことにあれこれと頭を使ったところで、私の頭では大したことなんて考えられそうにありませんし、それならまだ、ウルウたちが何を採ってきてくれるのか、晩ご飯は何になるだろうか、そういうことを考えていた方がよほどましという気もしてきました。

 私がため息とともにいろんなものをお湯の中に吐き出すと、お母様はそう言えば、と何気なく呟きました。
 どうせろくでもないことなんだろうなあ、とは思いながらも耳を傾け、

「ウルウちゃんとトルンペートちゃん、どっちが本命なの?」
「ぶフッ」

 本当に、ろくでもないことでした。





用語解説

咆哮(ムジャード)
 竜種が用いる攻撃方法の一つ。大量の魔力を風精などに乗せて吐き出す攻撃で、竜種が持つ最も威力の高い攻撃手段である。

・雪をこぎ
 雪をこぐ。雪の積もった道を歩くこと。
 藪をこぐ、のようにも使う。
 北方・辺境訛り。こざくなどとも。

雪輪(ネジシューオ)(Neĝŝuo)
 かんじき。雪に沈み込まないように、足元の面積を広げる道具。