幼い頃、母と過ごした時間はほんのわずか。記憶は、別れた日の印象が強すぎるのか、全くと言っていいほど憶えていることがない。
ああ、そうだ。一つ憶えている。湖雪が熱を出せば、雪のように冷たいその手が額から熱を吸い取って行く。そう、こんな、優しい……
瞼がゆっくりとあがる。いつもの美しい紅が見えないその人は、冷たい手をしていた。
「……さ……」
熱でぼうっとする意識のもと、唇を動かせば、うつむき気味で見えなかった早子の瞳が湖雪を見た。
「起きたの。大丈夫?」
初めてかけられた言葉。早子の声を、初めてまともに聞いたかもしれない。湖雪は少しだけ顔を上下させた。
早子は額から手を離し、水で絞った手巾を乗せた。
「あの……」
「惣一郎さんは今隣の部屋にいらっしゃるわ。あなたのことを心配してずっとついていたのだけど、眠ってもらっているわ」
「いえ、そうではなくて……惣一郎様のことはもちろんなのですが、どうして、早子様が……」
湖雪が問えば、早子は儚げに微笑んだ。
「湖雪が私を助けてくれたのでしょう?」
名前を、呼ばれた―――。