それでは鬼に選択肢など皆無だった。惣一朗の怒りの沸点はとうに超えている。
「そうはやるな、虹琳寺の。そんな歳で人間が血を浴びる選択をするな」
扉の影から櫻が現れた。鬼は櫻を厳しくにらみつける。だが、湖雪は別のことに驚いた。その腕はどうしてか、旭日を捕縛していた。
「櫻っ? 旭日さんに何をしてるのっ?」
背中側で両腕を捕らえれれている旭日の表情は苦痛に満ちていた。
「湖雪、悪いがあいつは――旭日は人迷いの鬼だ」
答えたのは惣一郎だった。
「鬼……? 旭日さんは、二年前から変わってない。その人は旭日さんよ」
成り変っているはずなどない。
他人に鋭い湖雪にわからないはずがなかった。しかし、櫻は苦い顔をした。
「そうだな、以前に言っただろう。俺は人迷いの鬼だった。人間ならざる鬼として――俺は死ねなかったから生まれてはいないが、時たま人間と混同する人迷いもいる。人間のように生まれ変わってしまう鬼だ。――こいつも同じだということだ」
旭日は人間として生まれた――鬼?
「そんな、あさ」
旭日さん、という呼びかけは、結ばれなかった。
「お嬢様お逃げください! こやつらは本物、夏桜院が憎むべき鬼ですっ」
「黙れよ、小物」
櫻が旭日の腕を捩子上げた。
「っ!」
「櫻っ」
立ち上がり駆け寄ろうとした湖雪を、鬼に刀を向けたままの惣一郎が言葉で制する。
「抑えろ湖雪。あれは、もう表が喰らわれている」
「え……」
旭日の口元に、牙が見え隠れする。
鬼の、血を持つ者。