昨日は張り付けた笑顔しか見せずに帰って行ったのに、こんな寒い朝に侵入じみた真似をして湖雪に逢いにきた。……そのときの瞳が、忘れられない。
悪戯っぽくて、キラキラと輝いていて、昨日とは全然違う――楽しんでいるような瞳だった。湖雪の表情が、変わるのを。それから……
ぽっと頬が熱くなった。左手をそこに添える。……頬に唇を落としていった。
初めて触れた誰かの唇は柔らかくて、雪のように冷たかった。一体どれだけあそこで待っていたのだろう。……もっと早くに起きればよかった。そうしたら、お茶でも淹れて温めてあげられたのに。
……ん? 今気づいたが、というか全然気にしていなかったが、自分は彼の前に寝巻き姿を晒してしまったのか……!?
それは危険だ! いくら婚約者とはいえ、嫁入り前の娘がそんな不埒なこと!
あわあわと慌て出した湖雪に、旭日は小首を傾げた。
「湖雪様……大丈夫ですか? 本当に今朝は体調がお悪いのでは?」
旭日に声をかけられて、湖雪ははっとする。
「だ、大丈夫」
顔を真っ赤にさせて否定する彼女は、旭日が初めて見る動揺する湖雪だった。
……昨日出逢った婚約者の所為か。彼について注意を促した旭日だが、少し、嬉しいという気持ちを持った。感情を隠さなければならない家柄。恋した人と結ばれるはずもなかった夏桜院。二人の婚約は家同士の決めごとだが――それでも、湖雪が虹琳寺惣一郎に恋したならば、それは恋愛結婚と同義だ。
笑顔のない少女。名前のない跡取り。それが、旭日が見て来た夏桜院湖雪だった。